山形県立鶴岡南高等学校
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山形県立鶴岡南高等学校 | |
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過去の名称 | 荘内中学校 鶴岡中学校 鶴岡第一高等学校 鶴岡南高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 山形県 |
学区 | 山形県西 |
併合学校 | |
理念 | |
校訓 | |
設立年月日 | 1877年 |
創立記念日 | |
創立者 | |
閉校年月日 | |
共学・別学 | 男女共学 |
高大一貫教育 | |
中高大一貫教育 | |
中高一貫教育 | |
小中高一貫教育 | |
幼小中高一貫教育 | |
分校 | |
課程 | 全日制課程 通信制課程 |
二部以上の授業 | |
単位制・学年制 | |
設置学科 | 全日制 普通科 理数科 通信制 普通科 |
学科内専門コース | |
専攻科 | |
別科 | |
学期 | |
高校コード | 06139F |
中学校コード | |
所在地 | 〒997-0037 山形県鶴岡市若葉町26-31 |
外部リンク | 公式サイト |
公式サイト | |
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山形県立鶴岡南高等学校(やまがたけんりつ つるおかみなみこうとうがっこう)は、山形県鶴岡市にある公立の高等学校。県内有数の進学校である。広く地域から鶴岡南高校を南高(ナンコウ)もしくは鶴南(ツルナン)と略されて呼ばれる。生徒は南高生、もしくは鶴南生。
沿革[編集]
- 1877年12月10日 - 鶴岡変則中学開校
- 1880年1月 - 西田川郡中学と改称
- 1886年 - 中学令改正により中学校は1県1校に限られることになり西田川郡中学廃校
- 1888年7月1日 - 荘内私立中学校を旧西田川郡中学に設置
- 1893年5月25日 - 県立中学と同等の資格を得て荘内中学校と称する
- 1901年4月20日 - 山形県立荘内中学校となる
- 1920年4月1日 - 山形県立鶴岡中学校と改称
- 1948年4月1日 - 山形県立鶴岡第一高等学校と改称
- 1950年4月1日 - 山形県立鶴岡第三高等学校を統合して山形県立鶴岡高等学校と改称
- 1951年1月 - 校歌制定。作詞、山宮允、作曲、山田耕作。
- 1952年4月1日 - 学校分離により山形県立鶴岡南高等学校と改称
設置学科[編集]
全日制の課程
- 普通科 160名(4クラス)
- 理数科 40名(1クラス)
- 2007年から1クラス削減され計5クラス編成になった。
- 現在は2年次から理数科・普通科理系・普通科文系にクラス編成が行われる。
通信制の課程
- 普通科 80名
著名な関係者[編集]
卒業生・在籍者[編集]
- 学者
- 寺島成信(西田川郡中学校時代の卒業)- 日本で最初の経済学博士
- 堀維孝(西田川郡中学校時代の卒業)- 学習院教授、国語漢文教育の権威
- 阿部次郎(1901年在籍) - 哲学者、文学者、東北帝国大学名誉教授
- 大川周明(1904年卒) - 法学博士、拓殖大学教授
- 土屋竹雨(1906年卒) - 漢詩学者、大東文化学院教授、学長
- 相良守峯(1913年卒) - 独文学者、文学博士、東京大学名誉教授、鶴岡市名誉市民
- 林茂助(1913年卒) - 化学者、理学博士、東京工業大学名誉教授
- 相良守次 - 心理学者、文学博士、東京大学教授、日本心理学会会長
- 林信雄(1915年卒) - 医学者、医学博士、放射線医学の先駆者
- 斉藤信義(1937年卒) - 鶴岡工専教授・校長、長岡技術科学大学副学長、鶴見大学理事長、大本山總持寺副貫首
- 皆川洸(1938年卒) - 法学博士、一橋大学教授、国際法学会理事長
- 渡部昇一(1948年卒) - 英語学者、評論家、ミュンスター大学名誉博士、上智大学名誉教授
- 落合良(1954年卒) - 英文学者、東京電機大学講師、共立女子短期大学講師
- 安達瑛二(1955年卒) - 工学博士、豊田工業大学名誉教授
- 石黒慶一(1960年卒) - 歯学者、歯学博士、鶴翔同窓会・第6代会長
- 井上史雄(1961年卒) - 言語学者、文学博士、明海大学教授
- 兼子正勝(1971年卒) - 仏文学者、文学博士、電気通信大学教授
- 佐藤貫一 - 刀剣学者、文学博士、日本美術刀剣保存協会常務理事
- 斎藤弘吉 - 日本犬学者、芸術家、忠犬ハチ公を有名にした。
- 村井貞固 - 植物学者、徳島県立板西高等実業女学校校長
- 黒崎幸吉 - 聖書学者、キリスト教伝道者
- 今道友信 - 美学者、東京大学名誉教授、英知大学院長
- 政治家
- 林茂政 - 最後の鶴岡町長、旧鶴岡市初代市長、山形県議会議員
- 加藤精三 - 旧鶴岡市6代市長、衆議院議員
- 富塚陽一(1950年卒) - 旧鶴岡市12代市長、鶴岡市初代市長
- 榎本政規 - 鶴岡市2代市長
- 行政
- 文芸家
- 芸術家
- 芸能人
- スポーツ
- 軍人
- 石原莞爾 - 大日本帝国陸軍・中将、立命館大学教授、満州事変の立案者。
- 佐藤鉄太郎 - 大日本帝国海軍・中将
- 阿部孝壮 - 大日本帝国海軍・中将
- 神戸次郎 - 大日本帝国陸軍・少将
- 松本毅(1914年卒) - 大日本帝国海軍・少将
- 山本善雄(1916年卒) - 大日本帝国海軍・少将
- 寺岡平吾 - 大日本帝国海軍・少将
- 服部卓四郎 - 大日本帝国陸軍・大佐
- 大井篤 - 大日本帝国海軍・大佐
- 斎藤元宏 - 大日本帝国陸軍・中尉
- その他
- 氏家彦太郎(1916年卒) - 刀剣鑑定家
- 酒井忠明 - 旧庄内藩主 酒井家17代当主
- 酒井忠久 - 旧庄内藩主 酒井家18代当主
- 酒井忠悌 - 致道博物館顧問
- 國井英夫 - 荘内銀行頭取
- 笹原信一郎 - 元荘内銀行頭取・会長、鶴翔同窓会第5代会長
- 金井勝助 - 元荘内銀行頭取・会長 旧制鶴岡中学卒業
- 坪井眞里(1970年卒) - NPOバンク理事長
教職員等[編集]
行事[編集]
- 学校祭 体育祭と文化祭が1年おきに開催される。文化祭は2日間行われ、初日がクラス単位でのステージ発表で、2日目は模擬店などの活動。Mr.南高 Ms.南高として、生徒の人気投票が行われる。2007年度は文化祭。2003年から「ストレス屋」という、最終的にはストレス発散を目的とした模擬店が始まり今も受け継がれている。
- マラソン大会 小真木原運動公園からスタートする。男子8キロ・女子5キロを走り、途中給水ポイントがある。
- 球技大会 クラス単位で2日間に亘って行われる。種目はサッカー・バレーボール・バドミントン・卓球・ソフトテニス。(その種目の部活動に参加している者は、参加することはできない。)
- 定期戦 年に1度行われる隣接する鶴岡工業高等学校のそれぞれのサッカー部と野球部の試合。小真木原運動公園で行われる。野球部の試合には吹奏楽研究会と応援団、有志のチアガールの応援が加わる。
- 激励会 受験勉強に疲れた3年生を励ます会。後半では3年生がダルマに目を入れる。ダルマは翌年には白インクで塗られ再利用される。
部活動[編集]
- 27の部活動を展開している。中でも音楽部は全国大会の常連。陸上部や弓道部がインターハイ出場を果たした年もある。なお、吹奏楽研究会は部としてではなく研究会として活動している。JRC同好会という組織もある。
- 27の部活動の他にも執行部という様々な生徒会活動を行う部活動ではない組織がある。基本的には三年生中心ではあるが、一年生、二年生も入部することができる。
制服[編集]
- 男子は黒の詰襟学生服の上下。女子は独自デザインの紺ブレザーと紺のスカート及び、灰と白の縦ストライプのワイシャツと紺のナロータイ。
- 夏期は男子は白のワイシャツ。女子は冬季同様のストライプのシャツとタイ。男女共通して夏季は上履きの代わりにサンダルを履くこともできる。色は緑・青・赤。
設備[編集]
- 3年生の教室にのみクーラーが入っている。
- 弓道場、柔道場、剣道場、テニスコート、プールがある。(但しプールについては、設備が故障しているため現在は使用されていない。)
- 体育館はピロティ構造で外の部活動の部室兼冬場の練習場所となっている。また、体育教官室の下もピロティ構造で野球部とサッカー部の物置・大きな鏡のあるトレーニング場、となっている。そこはピロティと区別する為に、小ピロと一部の生徒に呼ばれている。
- 道路を挟み隣には鶴岡工業高等学校があり、また女子校である山形県立鶴岡北高等学校も近い。
- 鶴翔会館という固定席のある小ホールがあり、生徒会議や入学式・卒業式などの各種式典などが執り行われる。
カラス被害[編集]
目の前にある鶴岡公園の樹木がカラスの塒(ねぐら)になっており、学校の周りにはおびただしい量のカラスの糞が散乱している。夕方になるとグラウンドの白線に使用される石灰を食べに集まり、サッカーのライン通りに並ぶ。
2007年8月には、地域住民からのカラス被害の報告もあり駆除することになった。そこで、東京都などで使用されている捕獲用の罠が南高のプールの隅と赤川の二ヶ所に設置された。