川崎美人若妻殺人事件

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川崎美人若妻殺人事件(かわさきびじんわかづまさつじんじけん)は1981年7月神奈川県川崎市で起きたストーカー殺人事件である。

概要[編集]

山内操さん

1981年7月3日午後2時15分ごろ、川崎市高津区内に住むカメラ修理工・持田朗(27)は、同区内のマンション5階に住む主婦山内操さん(27)宅に押しかけ、包丁喉元を刺すなどして殺害した。

持田は1969年、中学を卒業後、東京都品川区のカメラ会社に就職、ここで同期入社した操さんを知り、思いを寄せて交際を迫ったものの、まったく相手にされなかった経験を持つ。その後、操さんは別の男性と職場結婚。持田も1973年8月に転職しており、しばらく音信不通だった。

しかし、事件の前年4月、社宅住まいだった山内操さんの一家が持田の家近くにたまたま引っ越してきたことをきっかけに、持田の恋心が再燃。操さんの住居をつきとめた持田は再び交際を申し込んだが断られ続けていた。

事件当日も持田は操さん方を訪ね、応接間で操さんに交際を迫ったものの、断られたことに腹を立て、台所から持ち出した包丁で操さんの喉元をひと突きにした。そして、持田は操さんの返り血のついたシャツをマンションの階段にぬぎ捨て外に飛び出し、犯行現場から約500m離れた5階建てマンションの屋上に駆け上がり、飛び降り自殺を図ったが、一命をとりとめた。持田は警察の取り調べに対して「操さんを殺して自分も死ぬつもりだった」と供述している。

犯行の15分後、何も知らないで幼稚園から帰宅した長女(4歳)が、非常線のロープをくぐり抜けようとして警官にあわてて抱きかかえられ、近所の人たちの涙を誘った。

殺された山内操さんは近所でも評判の美人で、同じマンションのある主婦は「ミニスカートのよく似合う奥さんで、あいさつもはっきりされ、活発な人でしたのに、こんなことになるなんて、むご過ぎる」と声をつまらせた。

関連項目[編集]