八尋史朗

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八尋 史朗
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基礎データ
本名 八尋史朗
通称
階級 ライトフライ級
身長
リーチ
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1968年8月27日(2024-1968)+((12-8)*100+(18-27)>=0)-1歳)
出生地 福岡県糟屋郡
没年月日
死没地
所属 帝拳
構え 右ボクサータイプ
入場曲
アマチュアボクシング戦績
総試合数 14[1]
7
KO・RSC勝
7
無効試合
獲得メダル
オリンピック 0 0 0
世界選手権 0 0 0
ヨーロッパ選手権 0 0 0
アジア選手権 0 0 0
世界ユース選手権 0 0 0
世界ジュニア選手権 0 0 0
世界女子選手権 0 0 0
0 0 0
獲得タイトル
全日本選手権優勝 0
全日本社会人選手権優勝 0
全日本女子選手権優勝 0
全国高校総体優勝 0
全国高校選抜優勝 0
国民体育大会優勝 0
0
0
0
プロボクシング戦績
総試合数 33
26
KO勝 14
5
2
無効試合
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八尋 史朗(やひろ しろう、1968年8月27日生まれ)は、日本の元プロボクサー。元日本ライトフライ級チャンピオン、OPBF東洋太平洋ライトフライ級チャンピオン、世界タイトル挑戦通算3度。福岡県糟屋郡出身。

来歴[編集]

具志堅用高に憧れ小学校在学中からライトフライ級プロボクサーを志望していた。

アマチュア時代[編集]

1984年、東福岡高等学校に入学しボクシング部に入部。高校2年時に福岡県大会決勝で豊国学園高等学校1年生だった鬼塚勝也に判定負を喫し、(鬼塚がライトフライ級に転向後)高校3年で福岡県高校モスキート級チャンピオン、高校総体ベスト8。

進学した立命館大学経済学部を1年で中退し、1年間地元身体を鍛え帝拳ジムに入門。最初の担任トレーナーは小林弘

日本タイトル獲得[編集]

ライトフライ級にしては抜群の長身(170cm)を誇り手足が長くリーチ(177cm)が恵まれ、それを生かしたスピーディでクレバーなアウトボクシングを体得し、1990年2月18日、大阪府立体育会館全日本ライトフライ級新人王に輝き(同期のミドル級に竹原慎二)、1992年3月10日、日本ライトフライ級タイトルも獲得(2度防衛後返上)し世界ランク入り。桑田勇は八尋と葛西裕一を世界ランカーに育てた功績でエディ・タウンゼント賞受賞。

日本チャンピオン在位中の1992年9月27日にはアメリカ合衆国カリフォルニア州での海外試合も経験した。

世界タイトル挑戦・東洋太平洋タイトル獲得・日本タイトル返り咲き失敗[編集]

17戦無敗で迎えた1993年10月21日、後楽園ホールにおいて、後に世界ミニマム級からスーパーフライ級までの4階級制覇を達成するレオ・ガメスと、井岡弘樹からタイトル奪還した柳明佑が返上し空位のWBA世界ライトフライ級王座決定戦を行い7RTKO負け。

翌1994年3月2日、東京体育館メキシコのホセ・マルチン・ロペスに7RKOで完勝し再起に成功したが、3ヵ月後日本ライトフライ級チャンピオン細野雄一との世界再挑戦を賭けたノンタイトル12回戦に敗北。

1995年10月9日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級タイトルを獲得(1度防衛後返上)。

1996年8月10日(タイ)・1998年3月8日(横浜アリーナ)の2度に渡り、WBC世界ライトフライ級チャンピオンのサマン・ソーチャトロンに挑戦するが、いずれもTKO負け。

一年半のブランクを経て1999年10月、フライ級でカムバックし、韓国やタイのナショナルチャンピオンを破りIBF世界フライ級10位ランクイン(ただし、八尋自身は日本IBFとは無関係)。

この頃、セレス小林の持つ日本フライ級タイトル挑戦が内定していたが、セレスのWBA世界スーパーフライ級タイトル挑戦が決定し、日本タイトルが返上されたため白紙になった。

2001年10月、後に世界タイトルを獲得する当時無敗の日本フライ級チャンピオン坂田健史に挑戦し9RTKOで敗れ現役引退を表明。

現在は、地元福岡で「YAHIRO BOXING CLUB」代表としてボクシングの底辺拡大に取り組んでいる。

脚注[編集]

  1. (2004年3月1日) 八尋史朗 ボクシング・マガジン編集部編 [ 日本プロボクシングチャンピオン大鑑 ] ベースボール・マガジン社 2004年3月1日 978-4-583-03784-4 p. 74

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトルホルダー
須原隆一
第19代日本ライトフライ級チャンピオン

1992年3月10日 – 1993年4月15日(返上)

空位
次タイトルホルダー
牧山雅秀
空位
前タイトルホルダー
張英淳
第18代OPBF東洋太平洋ライトフライ級チャンピオン

1995年10月9日 – 1996年6月(返上)

空位
次タイトルホルダー
塩濱崇