安倍首相の米議会演説

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安倍首相の米議会演説

安倍首相の米議会演説」は、内閣総理大臣安倍晋三によるアメリカ議会上下両院での演説である。2015年4月30日ワシントンにて行われた。

アメリカ議会上下両院の合同会議での日本の総理大臣として初めての演説である。全文英語で45分間行われた。

演説全文[編集]

安倍首相の米議会演説
安倍首相の米議会演説
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安倍首相の米議会演説

議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。

「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。

以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。マイク・マンスフィールドウォルター・モンデールトム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー民主主義の輝くチャンピオンを大使として送ってくださいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル・フランシア夫人、寡婦でした。亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。心から信じていたようです。ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。デル・フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。上下関係にとらわれない実力主義。地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だとずいぶん言われました。

私の名字ですが、「エイブ」ではありません。アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。民主主義の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。その星の一つ、ひとつが、倒れた兵士100人分の命を表すと聞いたときに、私を戦慄が襲いました。金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。家族への愛も。真珠湾バターン・コレヒドール珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。

「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。

もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。かつて私の内閣閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将硫黄島守備隊司令官でした。これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。本当に、ありがとうございました。

戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。みずからの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。みずからに言い聞かせ、歩んできました。この歩みを、私は、誇りに思います。焦土と化した日本に、子どもたちの飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。山羊も、2036頭、やってきました。米国がみずからの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。そして繁栄こそは、平和の苗床です。日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。太平洋の市場では、知的財産フリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。その営為こそが、TPPにほかなりません。しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。経済規模で、世界の4割、貿易額で、世界の3分の1を占める一円に、私たちの子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

実は、いまだから言えることがあります。20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。日本の農業は、岐路にある。生き残るには、いま、変わらなければなりません。私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。日本は、どんな改革からも逃げません。ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。確信しています。

親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。省みて私が心からよかったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父のことばにあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。日本はオーストラリアインドと、戦略的な関係を深めました。ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は各段に安定します。日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。

第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私たちには、その責任があります。日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。ここで皆様にご報告したいことがあります。一昨日、ケリー国務長官カーター国防長官は、私たちの岸田外務大臣中谷防衛大臣と会って、協議をしました。いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。きのう、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。皆様、私たちは、真に歴史的な文書に合意をしたのです。

1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾機雷の掃海に当たりました。後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。カンボジアゴラン高原イラクハイチ南スーダンといった国や、地域においてです。これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。人間一人一人に、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。私たちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまや私たちに、新しい自己像を与えてくれました。いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。テロリズム感染症自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と友情に結ばれた同盟です。自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。

「落ち込んだ時、困った時、目を閉じて、私を思って。私は行く。あなたのもとに。たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。

2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子どもたちに、支援の手を差し伸べてくれました。私たちには、トモダチがいました。被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれました。――希望、です。米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。アメリカ日本、力を合わせ、世界をもっとはるかによい場所にしていこうではありませんか。希望の同盟――。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。

米国民の心とらえた“日米の絆”スピーチ、満場の拍手35回。「ナショナリスト」のイメージ払拭、安倍首相への親近感醸成[編集]

米上下両院合同会議での安倍晋三首相演説は、米側から高い評価を受けた。第二次大戦への「反省」と、未来へ向けた日米の絆への言及が好感をもって受け止められ、日本と安倍首相自身に対する親近感を醸成するものとなった。下院本会議場は500人を超える両院議員で埋め尽くされた。2階の傍聴席もほぼ満席。ケネディ駐日大使モンデール元駐日大使らに交じり、元慰安婦韓国人女性の姿もあった。

議員は頻繁に立ち上がり、拍手を送った。その数は拍手だけを含め35回。議場の反応から、とりわけ訴えが響いたのは演説の次のようなくだりだった。

▽先の大戦で失われた米国の人々の魂に、深い一礼と永遠の哀悼をささげる。

▽戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に歩みを刻んだ。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。

▽米国のリバランス(再均衡)戦略を支持する。

▽(日米同盟は)法の支配、人権、自由を尊ぶという価値観を共にしている。

▽米国が世界に与える最良の資産は希望であり、希望でなくてはならない。

▽希望の同盟。一緒であれば、きっとできる。

安倍首相は大戦における日本の責任を明確にしたうえで、未来へ向けた日米のさらなる結束を強調し、内向きになっている米国をも鼓舞した。そのメッセージを、大戦に対する事実上の「謝罪」と受け止めた議員らは少なくない。

米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると、米国人の61%が、日本の大戦に対する「謝罪は不要」「十分謝罪した」としている。日本人の間では43%。「自虐史観」にさいなまれ「未来志向」をもてずにいるのは、日本人の方だ。アジア太平洋地域で日本が、軍事的な役割をより果たすべきだと考える米国人も5割近い。議場の拍手と起立は、数字に表れた一般の米国民の世論を見事に映し出していた。「謝罪」を執拗に求める韓国中国系の意識とは、乖離がある。

「フィリバスター(議事妨害)をする意図、能力はない」などとユーモアで笑いを誘う演説は、中国、韓国のステレオタイプ的な「ナショナリスト」という安倍首相のイメージを払拭したようだ。発せられた率直なメッセージは、米国民の心そのものをつかんだといえる。

アメリカの主な議員の反応[編集]

  • バイデン副大統領 - 「アジア諸国に共感を示したことに最も好感を持った。韓国や中国との歴史問題はデリケートな課題であり、首相は日本側の責任を明確にした。非常に率直な演説で、十分に理解されるだろう」
  • ベイナー下院議長(共和) - 「首相が第二次大戦で命を落とした米国の英雄に賛辞を贈ったことに、心から感謝している。未来の世代が今日という日を、日米同盟の誇り高く歴史的な転機として振り返ることを願う」
  • モンデール元駐日米大使 - 「素晴らしい演説だった。訪米全体が大成功であり、日米関係の強さが再確認された。Aプラス(最高評価)だ。首相は(オバマ大統領との共同記者会見で)河野談話を再確認し、謝罪した」
  • マケイン上院軍事委員長(共和) - 「日米が共有する歴史によって和解したことを知らしめる歴史的な演説だった。日本が積極的平和主義の国となり、新ガイドラインが日米同盟の力を強めていくことを歓迎している」
  • ガードナー上院外交委員会東アジア太平洋小委員長(共和) - 「日米関係が決定的に重要な時期の歴史的な演説だ。日本との緊密な結び付きはこれまでになく重要。貿易、安保協力の拡大を通じて同盟をより強固にできる」
  • ホイヤー下院民主党院内幹事 - 「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に関して、与野党議員には米経済への、市場アクセスに対する懸念がある。首相の演説によって、意見を変えさせられたかというと疑わしい」
  • ローラバッカー下院議員(共和) - 「レーガン元大統領のスピーチ・ライターだった経験から、Aプラスを与えられる。歴史問題を威厳ある形で語った。第二次大戦に関し、首相はもう卑屈な態度を取る必要はない」
  • デラニー下院議員(民主) - 「歴史の文脈の中で日米関係の重要性を強調していた。母国語ではない英語で演説するため、かなり努力をされたと思う。大変うまく構成され、巧みに作られた演説だったと思う」
  • 硫黄島の戦いに参加した米海兵隊のローレンス・スノーデン中将 - 「演説に深く感銘を受けた。首相が言うように、日本における米軍の存在が長年にわたり極東の安定を保ってきた。日米関係はより強くなるだろう」

韓国紙「謝罪はおろか自賛ばかり、安倍の40分の詭弁」「恩着せがましい」[編集]

安倍晋三首相が29日午前(日本時間30日未明)に米議会で演説したことを受け、米国だけでなく中韓など関係国のメディアも相次いで報じた。韓国では「不十分だ」とする意見が強い。中国メディアは歴史問題に焦点を絞り批判している。中国政府は30日午前現在、公式な反応を示していない。国営新華社は30日、安倍首相の演説について「侵略の歴史や慰安婦問題への謝罪の言葉を盛り込まなかった」と報じた。安倍首相が演説した連邦議会議事堂前で中国系や韓国系の米国人団体らが抗議集会を開いたことも合わせて伝えた。

中国通信社中国新聞社は安倍首相が日米同盟を「希望の同盟」と呼び、安全保障法制を整備して同盟強化を目指す方針を強調したと伝え、警戒を促した。敏感な問題である日中間の歴史問題を巡っては、中国の各メディアは政府の公式見解や国営メディアの報道の枠内でしか論評することが許されておらず、事実関係を伝える以外の報道は少ない。日本との間の関係改善の兆しを消さないよう配慮しているとみられる。中国外務省筋によると、安倍首相の演説が昨日深夜だったことから、午前中いっぱいをかけて演説内容の分析を進めているという。

一方、韓国紙は30日付の朝刊で1面や社説を通じて安倍首相の演説内容を詳しく報じた。東亜日報は1面で「謝罪はおろか自賛ばかり、安倍の40分の詭弁」との見出しで、韓国などに対する謝罪が無かったと批判した。日本が戦後の韓国の経済成長に寄与したとの言及についても「恩着せがましい」と指摘した。

中央日報は安倍首相が戦前の日本の行為についての言及で「米国には謝罪したが、慰安婦に言及しなかった」として、対応の違いを批判した。そのうえで社説では今夏に予定される安倍談話についても「このような形ならば、どのように日本と共同の未来を意図することができるかが韓国外交の宿題だ」とした。

一方で日米関係が良好な状態にあることについて「韓国外交の失敗との見方も出ている」(東亜日報の社説)として、韓国政府の対応を批判する論調も目立った。朝鮮日報は社説で尹炳世(ユン・ビョンセ)外相が安倍首相に対して「正しい歴史認識を表明すべきだ」と要求したにもかかわらず、実現しなかったとして「外交的な限界が見えた」と指摘した。

東亜日報は「韓国としては最も望ましくないのは日米と中国の間の覇権争いの構図が朝鮮半島で作られることだ」と指摘して、日米と中国の間で板挟みになることを憂慮した。

韓国メディア悔しい「謝れ」米議会演説終わっても「安倍、安倍」連呼[編集]

安倍晋三首相が米上下両院合同会議で行った演説に対し、韓国では予想通りの強い批判や反発が、政府やメディアを中心に起きている。終結から70年となる第二次大戦について、安倍首相は「反省」の言葉を使い、「アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない」とまで明言した。日本の戦争の相手国だった米国での演説にもかかわらず、韓国政府は「遺憾の声明」(外務省報道官)まで発表し、韓国への謝罪と反省を強く求めている。韓国の謝罪要求は執拗に続いている。

韓国での安倍首相演説に対する主な批判は、メディアの主張を見ると、次の三点にしぼられる。

  1. 「侵略」や「植民地支配」の表現がなかった
  2. 慰安婦問題に触れなかった
  3. 村山、河野談話のような近隣諸国への謝罪や反省、哀悼がなかった。

主要紙やテレビのほとんどが演説後の4月30日以降、ほぼ同じような演説への批判報道を繰り返している。

「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」を口にした安倍首相に対し、「一言で過去の歴史にフタをした」(中央日報)、「安倍首相は歴史的な機会を逃した。アジア諸国との不幸な過去を整理し、未来に進む絶好のチャンスを逃した」(同)、「こうした政治指導者を相手にしなければならないのは、今日の韓国に与えられた宿命であり、不幸だ」(朝鮮日報)などと非難のオンパレードだ。

これらは、演説への批判や不満のほんの一部分に過ぎない。テレビのニュースでは朝から晩までくどいほどの報道ぶりだ。米国から招待された日本の首相が米国に語りかけた演説なのに、ここまでも関心を持ち、執着している。安倍首相演説への注目度は、むしろ日本よりも韓国メディアの方が高いかもしれない。奇妙な“熱心さ”さえ感じられる。

少なくともこの2カ月間、韓国メディアは安倍首相の演説が決定する前から、演説への否定的報道を繰り返してきた。日本の対米ロビー。演説阻止。演説で謝罪すべし。慰安婦問題に言及せよ…。「安倍、安倍」の毎日だったといってもいい。

安倍首相が演説で、「アジア諸国に与えた苦しみ」や「思いは歴代首相と全く変わるものではない」と語ったことは、特に村山談話河野談話にこだわり反省を求める韓国をも、念頭に置いたものと考えられる。

ただ、演説の場所は米国首都ワシントンであり、あくまでも米国を対象に行われたものだ。にもかかわらず、こうした内容が演説内容にあえて取り込まれた。

韓国メディアが不満をあらわにしている(韓国への)侵略、植民地支配、慰安婦問題、謝罪の言葉が演説の中になかった理由は簡単。演説が米国で行われ、米国に対するものであったからだ。安倍首相は、真珠湾硫黄島などの名を出して、70年前まで敵であった米国に反省し謝罪した。過去を謙虚に振り返った未来志向的な演説内容だった。その思いは米国には伝わっている。演説を聞く人々の反応や様子から、強くうかがえた。立ち上がって拍手を送る場面が十数回あった。

言うまでもなく、演説の場での主人公は日米だった。万一ここで、韓国が要求するような「慰安婦問題」や「侵略」にまで安倍首相がわざわざ踏み込んで発言し、韓国に対し謝罪していたとすれば、相手側の米国はどう感じていたであろう。

米国政府や政界での、歴史にこだわり続ける韓国への疲労感については、最近、一部の韓国メディアでも指摘されている。演説で、場違いな慰安婦問題にまで触れなかったことは、妥当であり当然のことだ。もし触れていれば、むしろ困惑した反応があったかもしれない。

それでも、「(安倍首相は)スピーチのほとんどを米日関係に使った。日本の侵略と植民地支配でアジア各国が受けた苦痛には一言述べる程度に終わった。隣国の人々への心からの謝罪と反省の心が込められるべきだった」(中央日報社説)と、すでに終わった演説への注文はくどくどと続く。注文は演説の1カ月以上前から続いていたのだが。

安倍首相は今回の訪米中に、ハーバード大学での講演の場で韓国系米国人学生から突然、慰安婦問題について聞かれた。日米首脳会談後の記者会見でも慰安婦についての質問にあったという。

韓国メディアはその様子を逐一伝え続けた。ソウルでの報道に接していると、安倍首相はまるで慰安婦問題で反省させられるために訪米したかのような錯覚さえ覚える。

インドネシアでのアジア・アフリカ会議(バンドン会議)で安倍首相が4月22日に行った演説の時もそうだった。韓国に直接関係のない場所でも、安倍首相が行く所では韓国(メディア)からの反省・謝罪要求が待ち受けている。演説に謝罪が盛り込まれないと韓国は気が済まないのだ。

冗談ではない。これは最近の傾向なのだ。これまで日韓首脳会談が行われるごとに、日本から韓国に何らかの反省や謝罪の言葉が伝えられた。すでに恒例となっている。しかし、今や謝罪や反省は日韓一対一の場だけではなくなっている。

日本の首相が行く先々で、韓国が納得するように謝罪をしなければ、韓国は許さない。“謝罪の間口”は、いつの間にか広げられてしまった。

声明や抗議の発表、デモ、新聞広告…。米国で安倍首相を非難し続けた韓国系米国人団体の執拗な活動や、韓国メディアによる反安倍演説への報道は、自らの主義、主張が絶対であると思い込み、そうした動きをする韓国の特殊な姿を見せつけた。自分の要求や主張を押し通すため、徹底的に固執し、嫌というほどしつこく訴える。相手にされる側は、そのくどさに閉口し、ウンザリし、疲れ、いやになる。先述の「米国の疲労感」も、まさしくこれに当てはまるだろう。

米議会で演説する安倍首相に、場違いな謝罪を要求し、演説内容が気にくわないと水を差し、徹底的に非難する。国際社会で日本をさらし者にしたかったかのようだが、かえって韓国のこの特殊な“しつこさ”が、安倍首相を迎えた米国社会を舞台に、またしても世界に向けてさらされた。

安倍首相を拍手で迎えた米国が、演説内容を肯定的に受け入れ歓迎しているのに、そこにまで干渉し、執拗にネガティブキャンペーンを張る。こうした行動が現地や世界では、どう受けとめられているのか。

韓国メディアが、歴史認識問題をめぐって日本を非難する際、「世界が日本を非難」「国際社会からも批判」などとの表現を好んで頻繁に使う。私論としては、韓国が言うところのこの場合の「国際社会」や「世界」は韓国のことだ。勝手に「国際世論」と決めつけ、韓国の主張に国際社会や世界を引き込もうとしているに過ぎない。

安倍首相の演説からほぼ2年前の2013年5月初旬、韓国朴槿恵大統領は就任後初の海外訪問先の米国でオバマ米大統領との首脳会談に臨み、安倍首相と同じように米上下両院合同会議で演説した。

この時、朴大統領は「過去に盲目的な者は未来も見えない」と演説。名指しは避けつつも日本を批判したことは明らかだ。朴大統領は「過去に何が起きたかを正直に認めなければ、未来もない」とまで述べた。上下両院合同会議で「過去」を持ち出すことは異例で、朴大統領は韓国の主張を強く印象づけようとしたようだ。

“言論の自由”が保証される民主主義国家で、何を主張し、論じようが本人の自由だ。ただ、この時、朴大統領は暗に日本を批判した。ここでの「過去」についての言及は、場違いだと感じた。米韓関係とは直接関係のない話だからだ。

この演説があったとき、筆者は東京本社の編集局で、ワシントンからの映像を見ていたのだが、後輩記者に「大統領、言っちゃったねえ」と語ったことを鮮明に覚えている。「世界が注目するあんな場で言う必要があるのだろうか」「日本人が見たらどう思うか考えてしゃべっているのだろうか」と思った。

筆者の心配は不幸なことに当たってしまった。大統領の演説後、日本人の韓国に対する感情はさらに悪化した。翌年3月のオランダー・ハーグで行われた日米韓首脳会談の場で、韓国語で話しかけた安倍首相を、朴大統領はぶぜんとした表情で無視した。この時の映像は日本にも伝えられた。

韓国を訪れる日本人観光客の数はその後、激減。その傾向は現在も続いている。韓国政府や財界では、景気低迷のなか、悩みの種となっている。国のトップの言動が内外に及ぼす影響は、良きにつけ悪しきにつけ大きい。2年前と今回の、日韓首脳によるそれぞれの演説を振り返り、そう思う。

安倍首相は第三者を批判することなく、自ら(日本)を顧みて、場をわきまえた演説をした。韓国での批判にもかかわらず、安倍首相演説は米国で好意的に受け入れられた。極めて妥当で、よく練られた歴史的な演説だった。安倍首相が演説を通し、ぶれない日本の姿を鮮明に示した。もし、韓国が要求するような演説を安倍首相がしていたならば、どうなっていたか。演説内容にかかわらず、韓国の批判は今後も続くのだろうが。

関連項目[編集]