フジテレビのオープニング・クロージング

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フジテレビのオープニング・クロージングでは、フジテレビジョンで開局から現在まで使用された局名告知の映像フィルムについて記す。

1959年3月 - 1969年[編集]

1959年3月1日の開局日から使用されたフィルム。モノクロ作品で、1969年まで使用された。

  • オープニング・クロージング - 富士山が登場する。
    • 富士山から電波を表現する円形が次々ズームアップしていき、「フジテレビ」ロゴ⇒「JOCX-TV チャンネル8」(デザイン:亀倉雄策)が表示されるというもの。2000年代末期に深夜番組『アナ☆ログ』のタイトルバックにも使用された。

1969年 - 1970年代前半[編集]

1969年から使用されたフィルム。いわゆるミニチュア特撮を用いたもので、1970年代前半まで使用された。

  • オープニング - 富士山に太陽が昇るシーンが映し出された後、河田町本社社屋の模型が現れ、タワービルの屋上にはめ込まれた8が飛び出してズームアップして通り去り、最後にフジテレビのロゴが立ち上がり終了。
  • クロージング - 河田町本社社屋の模型〜地球へと飛躍する。月面着陸後、地球から8がズームアップして通り去り、最後に月面からフジテレビのロゴが立ち上がり終了。

1970年代前半 - 1978年3月[編集]

1970年代前半から使用されたフィルム。1978年3月まで使用された。BGMはドビュッシーの「夢」。

  • オープニング - 富士山の朝の様子を徐々に映していくもので、最後にフジテレビのロゴとシンボルマークを表示して終了。
  • クロージング - 富士山の夜の様子を徐々に映していくもので、最後に富士山と湖をバックにフジテレビのロゴとシンボルマークを表示して終了。

1978年4月 - 1984年3月[編集]

当時のフジテレビのイメージソング「愛のメッセージ」が使用されている。オープニングでは1981年3月まで、クロージングでは1984年3月まで使用された。

  • オープニング - 富士山と朝日をバックに「愛のメッセージ」のテロップ。子供が草原を駆け回る映像とともに歌が流れる。エンドは富士山からズームでフジテレビのロゴとシンボルマーク。曲は1分40秒の当時のアナウンサー全員によるフルコーラス(『ラブメッセンジャーズ』というグループ名があった)。
  • クロージング - 箱根彫刻の森美術館の「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」のステンドグラスをバックに「愛のメッセージ」のテロップ。パブロ・ピカソヘンリームーアカール・ミレス等の作品をバックに曲が流れ、エンドは「幸せを呼ぶシンフォニー彫刻」の全景からズームでフジテレビのロゴとシンボルマーク。曲はサビ部分のインストルメントが使用されている。
    • そのクロージングの前に「おやすみのまえに」と題したミニ番組があり、箱根彫刻の森美術館のフィルム映像をバックにした天気予報と、翌日の主要番組の紹介、火災予防のスローガンを放送し、最後に「本日の放送を終了いたします」の1枚画表示があり、その後美ヶ原高原美術館の宣伝→コールサイン(写真は無人のスタジオ)を放送していた。

1979年4月 - 1986年3月[編集]

1979年4月に開局20周年を迎えたフジテレビがクロージング(CL)用として製作したフィルムで、1984年3月までは従前のクロージングフィルムに続ける形で流された。「I」「」「eye」の3つの言葉が使われており、全体的には昭和40年代に流行したサイケデリックの影響が強く見られる。使用された曲はたかしまあきひこによる作曲で当時の音楽流行の先端を意識したものである。同局『オールスター家族対抗歌合戦』で「I・愛・eye」という歌が流れたことがあるが、本映像で使用された曲とは全く異なるものだった。

1981年4月からはオープニング(OP)としても使用されるようになる。使われ始めた当時、フジテレビの平日の最初の番組はドラマの再放送であったが、なぜかそのドラマの放送の「途中」にこのオープニング映像が流れていた時期があった(なお、放送開始時の形態は不明)。

1984年4月からはOP・CLとも統一され使用される。これ以降CLでは彫刻の森美術館のフィルムを放送前に流している(このBGMは松原正樹「YOU BABE」)が[1]、愛のメッセージ時代のCLが彫刻の森美術館を題材にしていたため、テンプレート:要検証範囲。フジテレビに目玉マークが導入される前日の1986年3月31日をもって放送終了した。

当時放送されていた『夕やけニャンニャン』の「ゴジテレビ」というコントコーナーにて、コーナーの最初に本映像で使用された曲の最後の「フジテレビ」の「フ」の部分を「ゴ」に変えたものが流されていた。その際にはテロップで8マークの下にコーナー開始当時フジテレビが使用していたロゴ用フォントで「ゴジテレビ」と表記されていた。当番組放送中にフジテレビは目玉マークおよび現行フォントの使用を開始したが、当コーナーでは最終回まで8マークおよび旧フォントを使用していた。

フィルムの流れ[編集]

宇宙→8マーク→8マークが絡む様々なパターンの映像→Iをかたどったアニメーション→8マークから「愛」の文字が現れる→「愛」の文字が絡み合う木の枝に変化する→小さなハートの絵が集まり、そこから8マークが形成され直後、その8マークが「eye」の文字に変化する→青色の目の絵が上下から重なり合い、背景が濃い青色に変化→目の絵の瞳孔部があった画面中央部よりレーザー光線が放射状に発射される→銀河系と思われる宇宙→最後に8マークとその下に当時のフジテレビのロゴが挿入されて終了。

同じ時期に製作されたジャンクションフィルムは、虹の中から8マークが登場して直後に当時のフジテレビロゴが登場するというバージョンだった。また、富士山の全景が併用して使用されていた。左下に8マークと当時のフジテレビロゴが添えられている。

1986年4月 - 1986年8月29日[編集]

新しくなったフジテレビのシンボルマークを紹介するCG。当時局アナウンサーだった逸見政孝が「フジテレビのマークが変わりました」とナレーションした。7月以降は「楽しくなければテレビじゃない」というナレーションに変更。

1986年8月30日 - 2001年10月[編集]

1986年8月30日から2001年10月中旬にかけて放送された。フジテレビの社章(フジサンケイグループCIロゴ)をモチーフにしたCG映像からテンプレート:要検証範囲

放送開始・終了時はコールサイン・周波数・出力をアナウンスした後、本編が始まった。放送が終了しない日は、1日の最終便番組からその翌日の早朝番組へのクッションとしてコールサインと周波数・出力をアナウンスするだけで、この本編は放送されなかった。

音声は本編前のアナウンスが二重音声、本編の音楽はステレオ放送である。BGMの作曲者は有澤孝紀

新社屋での放送開始初日は別のものに差し替えられた(ナレーション担当のアナウンサーは当時のもの)。

フィルムの流れ[編集]

  1. 12輪もの花が開花するとともにだんだんチョウに変化しその中の11匹が去っていく
  2. 残りの一つが箱に変化
  3. 箱の中の城の中の城を通過し、その城の庭らしきところにあるプールの滑り台を滑り、立木を通過
  4. プールの前の舞踏館のドアが開き、その中を通り過ぎるかのように入り込む(その間に何組かの男女がダンスを踊っている)最後に窓前で鳥が飛び(それと同時に虹が現れる)、立木が揺れる
  5. 町並み(観覧車や風車などが確認できる)
  6. 上空映像
  7. シンボルマークとコーポレートスローガン(「夢・を・つ・く・る」)、「フジテレビ」バーナーが現れる

1997年 - 1998年ごろのオープニング版では、シンボルマーク・キャッチコピー・「フジテレビ」バーナー表示シーンがカットされ、直後にピンカちゃんが登場し朝の挨拶をするCGアニメーションの映像が流れたことがある。

クロージング版では、基本的に3.までは共通だが、4.および5.の先頭部分が省略され、6.の途中から夜シーンになり、建物の電灯が消灯し、鳥や猫が寝始め、最終シーンは7.に背景が付いた形で、もしくは短縮版の最後と同じ画像で終了となる。

クロージングには30秒のみの短縮版も存在した。1986年前後の本格的に“ほぼ終日”の放送を開始する前、アナログビデオのVHS連合に属していた電器メーカーがスポンサーとなった番組『録画チャンネル4.5』が深夜から朝まで放送され、放送終了から開始までの時間がわずが10分ぐらいという時期があったが、おもにこのような編成となったときに流された。本編前のコールサインアナウンスなども通常と異なり、一部省略された。最後のシーンはオープニング用と同じだがコーポレートスローガンの背景がレインボーカラーではなくピンクカラー、シンボルマークもホワイト統一ではなく通常のカラーリングで、「フジテレビ」のロゴバーナーもマセンダでなく黒色であった。“ほぼ終日”の放送が始まってからは短縮版は放送されなくなり、終了から開始までの時間がほとんどない場合は最終番組の終了後すぐにカラーバーが現れ、その後オープニングが通常通り放送される形となった。

また、オープニング版でも、「フジテレビ」のロゴバーナーの色がマゼンダではなく黒色のバージョンが使用されていた時期があった。(終夜放送開始前の1987年ごろ)

本編前のアナウンス[編集]

本編前のアナウンスの際には「JOCX-TV フジテレビ」( - 1987年ごろ)もしくは「フジテレビ JOCX-TV」(1988年ごろ - 2001年)と書かれた静止画(または動画)が使われていたが、時期によって河田町の局舎写真をバックにしたものや日の出をバックにしたもの、マスター室をバックにしたものや河田町やお台場の電波発射シーンを4画面で映像にしたものなどさまざまな種類があった。このうち河田町局舎をバックにしたものは、フジテレビとその系列局のライトバンが次々にドアを閉めていくものであったが、1993年の山形テレビ離脱に伴い差し替えられたという。

1998年ごろは、本編前のアナウンスと本編の間に、フジテレビのキャッチフレーズとして使われていた「また、お会いしましたね」のアイキャッチを挟んでいた。

アナウンスは個々の違いはあるものの、ほぼ同じような文章であった。

  • メイン「JOCX-TV 第8チャンネル フジテレビです。映像周波数 193.25MHz、出力 50kW、音声周波数 197.75MHz、出力 12.5kWでお送りします。JOCX-TV 第8チャンネル フジテレビです」
  • サブ「JOCX-TAM フジテレビジョン 音声多重放送。周波数 197.75MHz、出力 12.5kWでお送りします。JOCX-TAM フジテレビジョン 音声多重放送」

アナウンス担当者は以下のとおり。すべて同局のアナウンサーで、担当者は次々と変えていっている。

期間 OPメイン・CLサブ OPサブ・CLメイン JCT
1986.8 1987.3 長野智子 吉沢孝明 松倉悦郎逸見政孝城ヶ崎祐子
1987.4 1988.3 松尾紀子 野間脩平→吉沢孝明→川端健嗣吉崎典子
1988.4 1989.3 小出美奈 山中秀樹 野崎昌一露木茂→城ヶ崎祐子
1989.4 1990.3 益田由美 軽部真一 堺正幸→野間脩平→八木亜希子
1990.4 1992.3 佐藤里佳 野島卓 永島信道向坂樹興福井謙二
1992.4 1997.3 木幡美子 奥寺健 近藤サト西山喜久恵→堺正幸→中村江里子
1997.4 2001.10 武田祐子 伊藤利尋 森昭一郎小島奈津子→松倉悦郎

1997年3月9日のクロージング[編集]

1997年3月10日(番組進行表では同年の3月9日)、この日をもって1959年3月1日の開局以来続けていた東京都新宿区河田町本社社屋からの放送を終え、翌日から東京都港区台場の新本社社屋からの放送に切り替える記念に製作されたフィルムが放映された。フジテレビの過去のオープニング・クロージング・ジャンクションフィルムにカードテロップ(放送終了告知・交通事故防止・節電・コールサインであるJOCX-TVを告知するものなど)が4分割された画面に次々に表示されるというものだった。素材に使用されたオープニング・クロージングフィルムは以下のとおり。

  1. 1978年4月 - 1984年3月までのオープニング・クロージング。冒頭で音楽のみ。映像は開局当時の局舎の写真、曲(「愛のメッセージ」)は短縮されている。
  2. 1969年 - 1970年代前半までのクロージング。モノクロ。2番目の映像・左音声で使用。
  3. 1970年代前半 - 1978年3月までのオープニング。カラー。オリジナルの管弦楽伴奏がついていた。2番目の映像・右音声で使用。
  4. 1979年4月 - 1986年3月までのオープニング・クロージング。3番目の映像として使用されたがジャンクション用(最後に富士山の空撮が登場するバージョン)も併用のためオープニング・クロージング用は一部分のみ、音楽も短い。

上記の河田町時代を綴るフィルムを流した後に主調整室(マスター室)を映し、「本日をもちまして『河田町本社』からの放送を終了致します。3月10日(月)の放送開始より『台場本社』からお送り致します。」という終了告知のテロップを流した。続けてコールサイン(音声多重で主音声がテレビ・副音声が音声多重放送)を告知し(ナレーション担当のアナウンサーは当時のもの[2])、最後に通常のクロージングを流し、一旦ブラックアウトになったのち、下記のフィラーを流し、2時5分30秒を持って開局以来約38年間放送してきた河田町からの電波送出に幕が下りた[3]

終了後に流すフィラーには、角松敏生の「Ramp In」と空港の映像とともに「さようなら!河田町 ありがとう!河田町」と今までの本社社屋所在地への惜別メッセージが添えられていた(このフィラーは「JOCX-TVフィラー」として放送されていたものだが、このときは惜別メッセージを添えた)。

2001年10月 -[編集]

未来のお台場をモチーフとしたCG。

クロージングではオープニングと同じフルバージョンまたはラスト5秒のみのいずれかが流される。放送機器点検などのときは、クロージングの前または後に55秒間告知のフリップがアナウンスやBGMなしで流される。メンテナンスの日はラスト5秒だけが流れる。

2003年12月に地上デジタル放送が始まったのを受け、一部シーンが短縮され(男性が目覚めるシーン)、最後のコールサイン部分から出力、周波数の表示を廃止。またナレーション担当者が近藤雄介から向坂樹興に代わった。なお最後の方でジャグリングする男性の周りをコールサインが回転する所や社屋の壁は、JOCX-TVのままである。

アナログ放送終了当日(2011年7月24日)

なお、2011年7月24日のデジタル完全移行(アナログ停波)により、アナログ放送では通常番組終了後のブルーバックによるお知らせ画面から、砂嵐(完全停波)に入る直前の最終映像として、23時58分よりフルバージョンで放送。映像後半より画面上位置に「以上をもちまして、フジテレビのアナログ放送を終了致します。 今後は地上デジタル放送をお楽しみください。」のテロップが表示された。これにより、旧河田町本社時代から約52年半にわたるアナログ放送の歴史に幕が下ろされた。

備考[編集]

2001年10月まではオープニング&クロージング映像の前に局名・呼出符号・周波数・出力(空中線電力)の読み上げ(副音声では音声多重放送の呼出符号「JOCX-TAM」・音声周波数・音声出力を読み上げ)があったが、2001年10月から映像に局名・呼出符号・周波数・出力(空中線電力)が表示されるのみとなった。

また、2003年12月からの映像では、呼出符号と局名(しかも、通称の「フジテレビ」だけ)の表示となった。一方、デジタル放送は正式な呼出名称の「フジデジタルテレビジョン」で表示・アナウンスされる。

注釈[編集]

  1. その他80年代以降は美ヶ原高原美術館のCM、またその前にはアナウンスがついた「無線機は免許を受けて使いましょう」「覚せい剤追放」静止画告知も流れ、これらはその後も長らく使われていた。
  2. ちなみに、3月9日深夜の河田町マスター運用終了時には、スーパータイム特報での取材でCLメインを担当していた奥寺健アナが、河田町のマスター室内をリポートしていた(「FNNスーパータイム」1997年3月10日放送分より)。
  3. 「FNNスーパータイム」1997年3月10日放送分より

関連項目[編集]

テンプレート:フジテレビジョン

ウィキペディア無し small.png ウィキペディアにも「フジテレビのオープニング・クロージング」の項目が執筆されていましたが、削除されてしまいました