飯島勲
飯島 勲(いいじま いさお、1945年10月13日 - )は、日本の国会議員秘書(元内閣総理大臣秘書官)。駒沢女子大学人文学部客員教授、松本歯科大学歯学部特任教授。
衆議院議員小泉純一郎の初当選時から議員秘書を務め、小泉の内閣総理大臣在任中は、内閣総理大臣秘書官として内閣を支えた。元自民党秘書会副会長。表彰歴には永年秘書衆議院議長表彰、永年公務員内閣総理大臣表彰など。
目次
人物
身長167cm(小泉純一郎は169cm)、体重100kg近い巨漢である。
小泉の秘書となるまで
長野県上伊那郡辰野町出身。飯島家は江戸時代、名主(庄屋)を務めた名門の家柄だった[1]。父は船舶などのタービン類を製造するIHKの工場のトラック運転手を長くつとめた。母は飯島の中学時代に脳溢血で倒れ、寝たきりの生活を30年近く送った[2]。
辰野中学を卒業し箕輪工業高校の定時制に進む。上京し[3]、東京電機大学高等学校夜間部から東京電機大学短期大学電気科に入学。卒業後は都内の法律特許事務所で職員となる。
1972年、知り合いの紹介で小泉純一郎の秘書となる。その採用面接の際、苦しかった生活のことや家族のことを小泉に話したが、政治家の家庭に生まれた小泉には理解されないと思っていたという。しかし、小泉は黙々と話を聞き、最後に一言「よし」と言い採用が決定。その瞬間、飯島は「この人のために生涯頑張りぬこう」と決意したという[4]。
総理大臣秘書官へ
その後、竹下内閣改造内閣及び宇野内閣において厚生大臣秘書官、宮沢内閣改造内閣において郵政大臣秘書官、第2次橋本内閣・第2次橋本内閣改造内閣において厚生大臣秘書官を務め、小泉内閣の誕生にともない内閣総理大臣秘書官(政務担当)に就任。メディア戦略や情報操作に長けており、日本のメディアからは「官邸のラスプーチン」、アメリカのメディアからは「日本のカール・ローブ」と評され、歴代の総理秘書官と比較してメディア露出が多い。
北朝鮮工作員との接触を報じた週刊文春や、影の総理と名指しした週刊現代などに対し1000万円以上の慰謝料を請求する名誉毀損訴訟を起こすなど、自身に批判的な記事を書く出版社に対し裁判を起こしている。また、小泉首相の北朝鮮訪問前に日本テレビが「コメ支援25万トンで調整」と報じたニュースに立腹し、取材源の開示を求め、さらに日本テレビがこれを拒否すると同行取材班から排除すると通告。多くのメディアから言論弾圧と批判された。
その一方で、小泉政権が5年にも及ぶ長期政権を維持出来たのはこうしたメディア戦略を行ってきた飯島の存在が大きいと言われている。また、閣僚人事における身辺調査の収集能力が高く、そのため閣僚のスキャンダル発覚がなかったと本人はフジテレビの特別番組で主張している。しかし、第1次小泉内閣第1次改造内閣で農水相を務めた大島理森がスキャンダル発覚によって辞任した例がある。
小泉との決別
小泉が首相を退任した後は、以前のように小泉の議員秘書を務めていた。小泉自身は首相再登板を否定していたが、飯島は小泉が望めばいつでも再登板が可能な情勢を整えていた。しかし、2007年9月13日付で辞表を提出し小泉事務所へは出勤していない。これは安倍首相辞任を受けて飯島が小泉チルドレンを中心に、小泉再登板の署名を集めさせていたが、小泉が再登板を否定して飯島と不仲である福田康夫を支持したことへの反発と予想される。小泉事務所は飯島の辞表を直ちに受けずに保留にしている。しかし飯島は、作家の大下英治との会話の中で、「俺は燃え尽きたよ。もう小泉事務所の敷居は二度と跨がない」と語っていたとされており[5]、双方の溝を埋めるのは困難だという見解が多い。
飯島と福田の対立の発端は、小泉が首相に就任した2001年の終戦の日に靖国神社参拝を目指した際、参拝を是とする飯島と安倍晋三が首相官邸に不在の間隙を突く形で福田が小泉を説得。参拝を前倒しさせたことだとされる。この内幕を取材したジャーナリストの須田慎一郎によると、小泉は福田の、「唐家璇が終戦の日を外せば中国政府は問題視しない」とする説得を受け入れたものの、中国は最大限の糾弾を小泉に対し行い、小泉は福田に対する強い不信感をこのときに抱いたことを明らかにしている。他方、飯島と安倍はこのことをきっかけに関係を強めていったとされ、安倍が短期間で自民党幹事長、官房長官、首相に上り詰めた裏には、飯島との良好な関係が存在したこともその一因に挙げられる。
第二次訪朝の際には、裏の交渉ルートである朝鮮総連・許宗萬(許は北朝鮮の最高人民会議代議員というもう一つの肩書きも有する)とのパイプを重視する飯島と、正規の外交ルートである田中均を中心とした日朝両外務省を重視する福田との間で対立が再燃。小泉が飯島の主張を重視したことにより、福田は官房長官を辞任した。一方で、この訪朝劇は自民党幹事長だった安倍との間でも軋轢を生む結果になり、小泉と安倍の関係が一時険悪化する(同年末頃には修復)。訪朝後、小泉は甘利明副幹事長代読の形で朝鮮総連に祝電を送っている。
人脈
鈴木宗男との関係
叩き上げ・議員秘書という共通点から、小泉政権下で失脚・逮捕・起訴されることになる鈴木宗男とは親しい間柄で、鈴木は飯島を通じて小泉純一郎首相(当時)とも実は近しい関係にあった。鈴木はアメリカ同時多発テロ事件後のアフガニスタン侵攻の際、小泉の特使としてタジキスタンを訪問(その際には後に鈴木に連座する佐藤優が通訳として同行)、エモマリ・ラフモノフ大統領から、米英軍に対する「領空通過」、「国内の基地使用」の成果を引き出している。小泉政権下の日米関係は、戦後最良とも言うほど親密であったが、それに対する鈴木の貢献は決して少なくない。
だが、その後鈴木を取り巻く状況は一変する。鈴木の圧力によるとされる、NGO出席拒否事件の発覚で政局は大混乱を来す。その際飯島は田中真紀子外相、野上義二外務事務次官両名の更迭と鈴木の衆議院・議院運営委員長辞任で事態の収拾を図ろうとする。その際鈴木は二つ返事で飯島の申し出を快諾している。後に鈴木は、週刊新潮に寄せた手記の中で飯島から申し出があったことを明らかにしている。
鈴木は政界復帰を果たした郵政選挙後の特別国会で、郵政民営化法案には反対票を投じる傍ら、首班指名選挙においては小泉に票を投じている。一方飯島は田原総一朗との対談で田中更迭について次のように語っている。「あの人の官僚をひたすら罵倒する姿勢は、いたずらに士気を低下させるだけ」と田中の政治手法を激しく批判。飯島は安倍内閣が2007年3月27日に閣議決定を行った「公務員制度改革」についても真っ先に慎重論を唱えている。
松岡利勝との関係
安倍内閣で農水相をつとめ、最終的に自ら命を絶った松岡利勝の閣僚起用を安倍に強く働き掛け実現したのは、飯島であるとされる。松岡は命を絶つ際、国民や安倍首相、後援会などにあてた複数の遺書を残しているが、その中には飯島宛のものも存在した。官邸の内幕を取材したジャーナリストの上杉隆によれば飯島は安倍に対し「松岡先生をどうか宜しくお願いします。”身体検査”は全てクリアーしています」と語ったとされる[6]。ただ、飯島が語ったとされる”身体検査”は政治資金の受け取り・つまりは古典的な贈収賄を指すと見られ、政治資金の出・計上経費・事務所費に関しては想定外だったことが伺える。現実に安倍内閣発足までは計上経費は問題視すらされていない。
松岡は、小泉内閣の中期までは典型的な農水族議員・抵抗勢力の代表格で、農業自由化はおろか、「改革」と名のつく全ての政策に反射的・無条件に反対する論者として知られていた。だが、それ以降はこれまでの立場を一転させ、農業自由化の急先鋒に立場を転換させ、小泉改革の裏の担い手として辣腕を振るい始める。
2005年に入り、郵政民営化の議論が本格化し始めると松岡は衆議院・郵政民営化特別委員会理事として小泉を支え、所属派閥領袖だった亀井静香と対応が分かれた。同年8月8日午後、郵政法案が参議院で否決されると間髪入れず小泉は憲法7条に基づき郵政解散を断行するが、同日午前に小泉は官邸を訪問した松岡を前に「これから新しい時代が始まる! 古い自民党をぶっ壊して新しい自民党を作る」とその決意を語っている。
その他
首相秘書官在任中は、メディア対策の一環として、テレビのニュースキャスターと懇談会を開くなどしたが、その際になぜかオムライスが出てくることが一部メディアで報じられ話題になったことがある。
2007年2月7日(水)の朝日放送の報道番組「ムーブ!」にて、4月22日投票の夕張市長選挙への出馬意向があることが報道される(番組コメンテーター須田慎一郎が発言、コメンテーターである二木啓孝も同趣旨の発言を行う)。須田によれば「立候補者が現れず、立候補者の追加募集(再公示)が2度行われた段階で立候補する」とのこと[1]。実際には立候補はしなかった。
駒沢女子大学公式HPによると2007年度より、駒沢女子大学の客員教授に就任。
脚注
- ↑ 伊那市郊外の東春近にある飯島本家の現当主・飯島利行は勲の従兄になる。飯島本家の表門と裏門を配した立派な屋敷構えは庄屋時代の名残を今もかすかにとどめている(『小泉純一郎―血脈の王朝』 33-34頁)
- ↑ 『小泉純一郎―血脈の王朝』 34頁
- ↑ 『小泉純一郎―血脈の王朝』 42頁 - 上京資金は中学時代からの納豆売りや、アイスキャンデー売り、電報配達などで稼いだ小遣いだった
- ↑ 浅川博忠『小泉純一郎とは何者だったのか』(講談社文庫、2006)
- ↑ 2007年9月17日放送「スーパーモーニング」より
- ↑ 上杉隆『官邸崩壊』(2007)
著書
- 『代議士秘書 笑っちゃうけどホントの話』(講談社文庫) ISBN 4062730952
- 『小泉官邸秘録』(日本経済新聞社)
- 『実録小泉外交』(日本経済新聞社)
参考文献
- 佐野眞一 『小泉純一郎―血脈の王朝』 文藝春秋 2004年 10-66頁