連光寺
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連光寺(れんこうじ)は、東京都多摩市にある地名。地番整理施行地区(連光寺一丁目~六丁目)と未施行地区(連光寺)があるが、本項目では両方取り上げる。郵便番号は連光寺一丁目~六丁目、連光寺共に206-0021。当地域の人口は9,604人(2009年11月1日現在、住民基本台帳人口調査による。多摩市調べ)。
地理
地域内は地番整理施行地区(連光寺一丁目~六丁目)と地番整理未施行地区(連光寺)に分かれる。連光寺(地番整理未施行地区)は全域がゴルフ場(桜ヶ丘カントリークラブ、米軍多摩ゴルフ場)となっており、連光寺一・二・三・四・六丁目は主に住宅街、連光寺五丁目は、ほぼ全域が都立桜ヶ丘公園、多摩市立連光寺公園、多摩市立大谷戸公園などの公園施設となっている。また、一丁目に市立連光寺小学校、桜ヶ丘記念病院がある。
東は一ノ宮・稲城市大丸、西は桜ヶ丘・馬引沢、南は聖ヶ丘・稲城市若葉台、北は関戸・多摩川を挟んで府中市南町と接している。
地価
住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、連光寺1丁目21番6の地点で17万2000円/m2となっている。[1]
歴史
古くからの村の流れを汲んでいる地域であり、明治の市町村制要出典多摩ニュータウン開発に伴う区画整理事業などが行われ、一部が聖ヶ丘、諏訪、馬引沢などに分離した。
地名の由来
要出典
沿革
- 1868年(明治元年) 武蔵県知事の管轄となる。
- 1871年(明治4年)旧暦11月 神奈川県の管轄となり、神奈川県多摩郡要出典光寺村となる。
- 1873年(明治6年)5月1日 区番組制により、第八大区九番組となる。
- 1874年(明治7年)4月15日 大区小区制により、第八大区八小区となる。
- 1878年(明治11年)
- 1894年(明治17年)6月30日 連合戸長役場制により、蓮光寺を含む現在の多摩市(落川を除く)の連合戸長役場を関戸村に設置。
- 1889年(明治22年)4月1日 一ノ宮村、落合村、貝取村、乞田村、関戸村、東寺方村、和田村及び落川村飛地、百草村飛地と合併し、南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
- 1893年(明治26年)4月1日 神奈川県のうち、東多摩郡、西多摩郡、南多摩郡、北多摩郡を東京府に編入。東京府南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
- 1938年(昭和13年)7月1日 東京都制により、東京都南多摩郡多摩村大字連光寺となる。
- 1955年(昭和30年)連光寺北部多摩川内の小字、下川原、中島が府中市に編入。
- 1964年(昭和39年)4月1日 町制施行により、多摩町大字連光寺となる。
- 1971年(昭和46年)4月1日 市制施行により、多摩市連光寺となる。
小字
ここでは、かつての連光寺の小字と現地名との対照を示す。
- 本村(ほんむら)
連光寺一丁目~三丁目、聖ヶ丘一丁目 - 大谷戸(おおのやと)
連光寺二・三・五丁目、聖ヶ丘一・二丁目 - 打越(うちこし)
連光寺二・五丁目、聖ヶ丘一丁目 - 南田(みなみだ)
聖ヶ丘一丁目、連光寺二丁目 - 諏訪坂(すわのさか)
聖ヶ丘一・二丁目、馬引沢一・二丁目 - 諏訪越(すわのこし)
諏訪一丁目、馬引沢一丁目 - 馬引沢(まひきざわ)
諏訪一・三・四丁目、馬引沢一・二丁目、聖ヶ丘二~四丁目 - 沖谷戸(おきのやと)
諏訪三・五・六丁目 - 乗越(のりごえ)
諏訪四・六丁目、聖ヶ丘三~五丁目 - 中尾根(なかおね)
聖ヶ丘一~三丁目、連光寺五丁目 - 天井返(てんじょうがえし)
聖ヶ丘三丁目~五丁目、連光寺五丁目 - 山ノ越(やまのこし)
連光寺三~五丁目 - 向の岡(むかいのおか)
連光寺一・三・四丁目 - 中島(なかじま)
関戸三丁目 - 下川原(しもがわら)
府中市南町四丁目付近、多摩川東端。 - 二子沢(ふたござわ)
ゴルフ場。稲城市との市境付近。 - 大水上(おおみずあがり)
桜ヶ丘カントリークラブ。 - 瓦ヶ谷(かわらがや)
連光寺三・四丁目、米軍多摩ゴルフ場。 - 船ヶ台(ふながだい)
米軍多摩ゴルフ場、連光寺五・六丁目、聖ヶ丘三・四丁目
施設
- 多摩市立連光寺小学校
- 農業者大学校多摩校舎
- 多摩森林科学園連光寺実験林
- 都立桜ヶ丘公園
- 多摩市立連光寺公園
- 多摩市立大谷戸公園
- 桜ヶ丘記念病院
- 多摩中央病院
- 桜ヶ丘カントリークラブ
- 多摩サービス補助施設(米軍多摩ゴルフ場)
- 永山中継局(多摩ガバナーステーション内)
関連項目
脚注
参考文献
- 多摩市の町名(市制施行20周年記念)1992年 多摩市
- 角川日本地名大辞典 13 東京都(角川書店)