磯村建設
株式会社磯村建設 (-いそむらけんせつ、1967年11月 設立 - 1985年9月17日 破産)は、かつて存在した日本の中堅不動産会社である。主に埼玉県大里郡寄居町の東武鉄道東上本線沿線の物件の建売住宅を販売していた。
概要
1967年11月に設立、本社は東京都新宿区西新宿にあった。代表取締役社長は磯村穂久治[1]。子会社に「磯村住宅販売」があった。1970年代後半よりテレビコマーシャルを大量に放映し、販売価格は「1000万円台」を強調、住宅ローンを組んでも賃貸住宅の家賃程度であり、生活に負担をかけないでマイホームが買えることを強調した庶民向けの宣伝戦略を採っていた[1]。
この背景には地価高騰と大都市圏の人口急増による住宅不足があり、土地に余裕のある郊外での住宅開発が極めて盛んで、中には東京から遠く離れた土地でも東京通勤を前提とした宅地開発が行われていた。
1984年には年間48億円を売り上げ、従業員数も75人を数えたが、翌1985年8月23日二度目の不渡りを出し、89億円の負債を抱え同年9月17日破産宣告を受けた。この際、住宅の購入者がローンを完済しても銀行が磯村建設へ融資する際に設定した抵当権が残ってしまうトラブルが発生して約170人の被害者を出し衆議院大蔵委員会でも採り上げられた[1]。また、破産した際に建設途中の数多くの住宅の工事が中断され、建設途中の状態のまま放置されていることも報道された。
略史
コマーシャル
関東ローカルでは盛んにテレビCMを打ち、メロディに乗せて代表電話番号をアナウンス。テレビコマーシャルは主に夕方の番組(フジテレビのアニメの再放送枠やTBSの時代劇の再放送枠)や昼11時半のニュース番組枠などで放映されていた。
主な分譲地
上記の分譲地はいずれも最寄り駅から東京・池袋まで片道約1時間半かかる上、最寄り駅から分譲地までの交通も不便で周辺に商店はおろか街灯もない状況であった。なお、「ひばりヶおか」「めじろ台」は地名そのものが存在しない。より交通の便が良いほぼ同名の先行住宅地名を使用することでイメージアップを狙ったものと見られる。
分譲当時は池袋駅までの直通電車が存在したが、現在は小川町駅で運行が分離されたため、必ず小川町駅で乗り換える必要がある。
関連項目
- 日本の住宅開発分野での事件等
註
- ↑ 1.0 1.1 1.2 国会の公式サイト内「第103回国会 大蔵委員会 第1号」(1985年11月8日)の記述を参照。