川上村 (長野県)

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川上村(かわかみむら)は長野県南佐久郡の一つ。千曲川の最上流部に位置する。

日本有数のレタス産地であり、村内の就業者の6割が第一次産業にかかわっている。長野県内で唯一、埼玉県秩父地方)と境を接する自治体。村の一部は秩父多摩甲斐国立公園に指定されている。

【奴隷募集】女性のみ。待遇:月給0円・夏季炎天下の農作業・出産マシーン

平均年収2500万円“奇跡の村”で高収入男性が嫁募集

「レタス生産量日本一の村」として知られる長野県南佐久郡川上村。高原野菜の栽培に適した自然環境と、東京まで車で3時間という地の利を生かして都市部への農作物の供給基地としての地位を確立した。同時に、ブランドとなった川上村のレタスや白菜を作る農家の収入も上がり、人口4千759人の小さな村だが、世帯あたりの平均年収は2千500万円を超える。

また、村の嫁たちの7割が東京など都会から嫁いできていて、若者たちの定着率も高い。こうして若い人が増え続けていることと、高収入もあって今、川上村は「奇跡の村」と呼ばれている。いったいなぜ、川上村にどんどん若い人が集まるのだろうか。それには以下のような理由がある。

  • 環境に不慣れな奥さんを助ける「若妻会」。
  • 濃密な近所付き合いで助け合う。
  • 生活にメリハリがある。夏場は仕事に集中し冬は遊ぶ。
  • 教員環境の充実。教員の数が多い。24時間開館の図書館。
  • 観光客がいない(観光に頼らなくていい)静かな環境。
  • 医療の充実、24時間訪問介護体制で在宅死が4割。
  • 外国人労働者も受け入れる開放的な村民。

「年収だけじゃなく、川上村にはいろんな魅力があることがわかったでしょう。県の天然記念物の川上犬もいます。村には、まだまだ独身の20代~40代男性がいます。お嫁さんはいつでも募集中です」

そう熱く話すのは、7期目を迎えた藤原忠彦村長(74)。藤原村長が熱くなるのには理由がある。ほとんど夏場は畑仕事に追われるため、川上村の男性が女性と知り合うチャンスも冬限定で、つまりは一般男性の半分!?

「冬場の出稼ぎならぬ“出遊び”で、スキー場で知り合ったりというケースもあるにはあります。村では、今年から村営の新婚住宅も建設しますので、若い夫婦にはますます暮らしやすくなります」(藤原村長)

さらに注目されるのが、『2世帯敷地内別居』。同じ敷地内に、若夫婦の家を別に建てる生活様式が最近、川上村では急増中とか。これも、広い敷地と高収入があってこそ実現すること。ある農家のお母さんがこっそり教えてくれた。

「大自然の中でのんびり育っているせいか、川上の男性はやさしくて働き者ダヨ」

2千500万円がきっかけでもOK。川上村役場に問い合わせると、村の独身男性との出会いの場を紹介してくれる。

実態

翻訳すると、

  • 環境に不慣れな奥さんを助ける「若妻会」。(=ヒエラルキーを死ぬまで体験できます。)
  • 濃密な近所付き合いで助け合う。(=相互監視制度が充実しており逃亡不能です。)
  • 生活にメリハリがある。夏場は仕事に集中し冬は遊ぶ。(=炎天下の農作業でダイエットできます。)
  • 教員環境の充実。教員の数が多い。24時間開館の図書館。(=子供が少なくいじめが発生しやすい環境です。)
  • 観光客がいない(観光に頼らなくていい)静かな環境。(=他地域の人が寄り付かない辺境の地です。)
  • 医療の充実、24時間訪問介護体制で在宅死が4割。(=夜間は睡眠時間を削り老人介護を体験できます。)
  • 外国人労働者も受け入れる開放的な村民。(=身内と外国人しか働かない強度の肉体労働を体験できます。)

農家と実習生、待遇めぐり溝 川上・南牧で中国人帰国の可能性

南佐久郡の佐久穂町を除く5町村の農家でつくる外国人技能実習生の受け入れ団体を通じて来日し、川上村、南牧村の農家で実習している中国人が「中国で受けた説明と待遇が違う」などとして団体に抗議し、一部の中国人が帰国予定の事態になっていることが13日、分かった。

昨年の入管難民法改正で在留資格が「研修」から労働者扱いの「技能実習」に変更され、昨年まで農家負担だった住居費など計3万円が給料から天引きとなったことが「行き違い」の背景にあるようだ。13日も団体と実習生側は交渉の場を持ったが、溝は埋まる気配になく、農家側は困惑を隠せないでいる。

受け入れ団体は「八ケ岳高原事業協同組合」(南牧村)。

ことし同組合を通じて受け入れた技能実習生は約600人。4月上旬に来日し数人ずつが宿舎で生活、10月末までの日程で5町村の300軒の農家でレタスやハクサイの収穫などにかかわっている。

昨年までの研修生と違い労働基準法適用下で最低賃金が保障され残業も可能。研修生の時には一律8万円の生活費が支給され住居費や光熱費などは農家負担だったが、ことしからはこれらが給料から引かれるようになった。ただ、組合によると、最低賃金が保障されたため、残業を除き平均で額面12万円がもらえる状況にあるという。

今月に入って中国人の間から「月3万円引かれるという話は中国で聞いていなかった」

「残業時間が農家ごとに違いすぎる。もっと残業できると聞いた」

といった声が出て、組合側に詳しい説明や引かれた金額の返還を求める動きが拡大。

川上村では10日ごろに数十人規模のストライキがあり、南牧村でも12日夜に30人余が同組合が入る建物の前に集まって夜を明かし、13日朝交渉を持った。しかし組合側の回答に納得できないとする中国人は少なくなかった。

また現地機関の担当者は「中国での契約時に、ちゃんと住居費などの支払いや残業について説明して契約書にサインをもらった」としている。

ネット上の反応

  • それだけ収入があって安定してるならたとえ田舎だろうと友達のツテだったり親戚の紹介だったりで嫁はくるだろ。にもかかわらず彼女、そして嫁になる人がいなくて外部に嫁を探さざるえないってことは、相当な糞環境、そして当の男、その周りの人間達が最悪な奴ばかりってことじゃないか
  • 仲間内だけには優しく部外者、新参者には厳しい環境だろうな。それは嫁ぐ女にも言えそう
  • 農家は絶対に嫁いだらダメ
  • 地方の小規模コミュでトラブルは死を意味するからなぁ
  • 忘れもしない、長野県南佐久郡川上村。
私が学生時代に数ヶ月間レタス農家の手伝いアルバイトにいった村だ。
非常に過酷な労働条件の上に母屋とは完全に隔離された部屋に寝泊まりし、農家の家族とはほとんど会話もしないというか完全にモノのように扱われ、朝5時に軽トラの荷台で畑まで連れて行かれ、夕方その軽トラの荷台でまた戻ってくる毎日。
自分の行った農家には期間中自分以外に計6人のアルバイトが来たが、自分ともう1人本名と出身地を教えてくれない謎の男1人以外は、仕事が辛くて入れ替わりで辞めていった。中には農家への恨み節の手紙を残して夜逃げした人もいた。
当然アルバイト期間中はシャワーBOXのみ。娯楽は一切なく最寄りの小さな本屋までは墓地を通り抜けて徒歩で片道30分。 当時、母屋の車庫にはベンツとクラウンとマーチが見えていた。学生ながらに「こいつら一年で7ヶ月程度しか働かないのに金持ってるな~」と思ったものだ。
当時の日給は5,000円。現地に行ってから「とんでもないところに来てしまった…」と後悔した。
最近は中国人を何の「研修」だかわからないけど、「研修生」として大量に受入れているらしい。普通の日本人では勤まらない過酷な労働なだけだ。
アルバイト期間が終わって名古屋に帰る際、無人の信濃川上駅でおもしろい光景を見た。「農家全滅」「クソ農家」「農民殺す」といった趣旨の言葉が木造の駅の柱のいたるところに彫られていた。
  • 長野の田舎は封鎖的な上、嫁になんか楽させるもんかと姑舅のイビリがすげーらしいぞ。朝の4時から叩き起こされ、畑で働かされ6時にいったん家へ帰って、家族の朝ご飯と、旦那の弟妹たちの弁当作り。終わるとまた畑。12時には昼ご飯作り。また畑。5時に風呂を沸かして姑舅が風呂入ってる間に夕飯作って、飯食ったあと家族中の出した洗濯物・食器を洗って、家族中が入った垢だらけのドロドロの風呂に入ってやっと寝る。冬は家族が海外旅行行く中自分だけ留守番。姑舅が呆けたら当たり前のように介護させられる。地獄だわ。と長野に嫁に行って逃げてきた親戚のオバサンが言ってた。
  • そこにレタス農家跡取りの友達いるけど、毎日早朝から延々とレタス切り続ける100日戦争。中国人研修生は安い早い、が犯罪リスクある上

仲介業者が知らないヒ゜ンハネしててギャラが違うぞ!とボイコットもしばしば。しかも価格変動激しいからレタスが“当たる”のは3~4年に一度 山で品質いいからTPPなっても頑張れるとは言ってるが、異常気象で全滅リスク増加+資材高騰。挙句にマスコミが勝手に2500万とか言い出したから、他産地から嫌味言われてる、とぼやいてた。ちなみにそいつ、親父はクラウンだが10年前のボロい中古車乗ってる。

地理

東部及び南部は奥秩父山塊の主脈に属す。西部は八ヶ岳の広大な裾野(野辺山高原)の一部。北部は奥秩父山塊の支脈が南牧村南相木村との村境。村域全体が1,000mを超える高冷地に位置する。また川上村役場は標高1,185mに位置し、これは役場や役所の所在地としては日本で最も標高の高い場所に位置するものである。

日本最長の河川である千曲川信濃川)は甲武信ヶ岳山頂直下2250m付近の森林地帯から発する。

  • 山:甲武信ヶ岳金峰山、三国山、国師ヶ岳、小川山、女山、男山、天狗山、御陵山
  • 河川:千曲川
    • 千曲川支流:所並川、梓川、秋山沢、金峰山川、小川、前川、黒沢川、板橋川

隣接している自治体

年齢別人口構成

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川上村と全国の年齢別人口分布(2005年) 川上村の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 川上村
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

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川上村(に相当する地域)の人口の推移
テンプレート:人口統計/20
総務省統計局 国勢調査より

歴史

八ヶ岳山麓や中央高地は縄文時代の遺跡が数多く分布する地域で、村域にも後期旧石器時代から縄文時代にかけての遺跡が見られ、馬場平遺跡大深山遺跡が存在し、大深山遺跡は日本で一番標高の高い場所に立地する集落遺跡として知られる。弥生時代の遺跡は少ない。

古墳時代から奈良時代のものとされる遺跡は現在認められていないが、平安時代の遺跡は確認されている。また、保元の乱に縁のある伝説が伝えられている。

戦国時代に信濃は甲斐国武田氏の領国となり、武田領国においては甲斐本国の黒川金山をはじめ金鉱山の開発が行われているが、川上村でも梓久保金山遺跡において金鉱山の採掘精錬用具や金粒付着土器が出土しており、金の採掘や精錬作業が行われていたと考えられている。

近世に信濃国では小藩が分離するが、村域は幕府直轄領として八か村が成立する。

沿革

  • 1876年5月30日 佐久郡樋沢村と板橋村が合併し大明村となる。
  • 1879年1月14日 南佐久郡制施行。佐久郡大明村、御所平村、原村、大深山村、居倉村、川端下村、秋山村、梓山村は南佐久郡に属する。
  • 1889年4月1日 市町村制施行。南佐久郡大明村旧樋沢村地区、御所平村、原村、大深山村、居倉村、川端下村、秋山村、梓山村が合併して南佐久郡川上村が発足。現在に至る。

行政

教育

すべて村立

小学校
  • 川上第一小学校
  • 川上第二小学校
中学校
  • 川上中学校

交通

鉄道

JR小海線 信濃川上駅(御所平)

道路

国道は通過していない。最寄の国道は国道141号南牧村ほかを通過)。

バス

  • 川上村営バス(樋沢野辺山 - 信濃川上駅 - 梓山 - 川端下)
1982年までは千曲バスが村内の路線を担当していた。しかし、過疎化が進んだ上に、千曲バスにとっては他の路線とは接続していない独立した路線であったことから路線は廃止となり、1982年7月より道路運送法80条の適用を受けて、自家用バスを営業運転する自治体直営バスとして運行を開始した。村営バスになった当初は信濃川上駅と梓山を結ぶ13.8kmの路線のみであったが、その後秋山から南下して川端下(かわはけ)への3.4km区間を延長した。
それまで川上村で運行していたスクールバスとの統合を図り、4台の車両の運行を4人でこなすようにするなどのコスト低減策や、信濃川上駅前のバス停を駅の出入り口に近づけ、ダイヤも列車との接続を重視、定期券や回数券の販売窓口も増設するなどの積極策を採った。この結果、1世帯あたり4台以上というマイカー保有率にもかかわらず、住民の利用が多く、開業以来収支はほぼ黒字傾向で推移しており、他の自治体からも注目され視察なども受けている。また、梓山は千曲川や三国峠への玄関口としての役割も果たしていることから、地元住民以外にハイカーなどの利用もみられる。
車両は4台在籍しており、うち2台が村営バス用の車両で、残りの2台はスクールバスに使用されている。スクールバスのうち1台は村営バスの予備車ともなっている。車両は約7年で償却するシステムとなっている。

伝統行事・祭礼

  • お方ぶち(原地区)
  • どんどん焼き(かんがり、かんがりや)
  • 道祖神(秋山地区)
  • どんどん火(梓山地区)
  • とおかんや(川端下地区)

名所・旧跡・観光スポット

史跡(国指定)
重要遺跡
  • 馬場平遺跡
村指定史跡
  • 柏垂遺跡
  • 金峰山修験道
日本百名山
その他

天然記念物

長野県天然記念物 川上犬

川上村を舞台とした作品

著名な出身者

外部自治体の保養所など

外部リンク

テンプレート:長野県の自治体