津雲国利

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日本の旗 日本の政治家
津雲 国利
つくも くにとし
[[画像:|0200px|津雲 国利]]
生年月日 1893年10月13日
出生地 東京府西多摩郡青梅町上町
没年月日 1972年1月4日(1972-1893)+((1-10)*100+(4-13)>=0)-1歳没)
死没地
出身校 東京府立第二中学校
前職
現職
所属政党 立憲政友会
自由党
自由民主党
所属委員会
議員会館
選挙区
当選回数
元首
称号・勲章 勲二等旭日重光章1965年
世襲の有無
親族
配偶者 津雲ゑい
サイン [[画像:|128px|サイン]]
公式サイト [ ]
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内閣
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その他の職歴
テンプレート

津雲 国利(つくも くにとし、1893年(和暦??年)10月13日 - 1972年(和暦??年)1月4日)は、日本政治家衆議院議員(8期)。元拓務政務次官

生涯[編集]

東京府西多摩郡青梅町上町(現・東京都青梅市)出身。旧制東京府立第二中学校(現・東京都立立川高等学校)卒。通算8回衆議院議員総選挙に当選した。

1928年(和暦??年)の普通選挙による最初の総選挙で当選し政界に入った。戦前は立憲政友会に所属し、久原房之助直系の政治家として政友会の幹事、総務、顧問を歴任した[1]三多摩自由党壮士の風を身につけた強面の政治家であり、どすのきいた弁舌で明糖事件帝人事件の綱紀問題追及に凄みを見せた[2]。また軍部・右翼とも密接な関係を持った。1939年(和暦??年)年の政友会分裂に際しては久原や鳩山一郎とともに正統派に所属したが、鳩山・三土忠造自由主義的な議員が多い政友会正統派内にあって津雲は総裁・久原とともに数少ない親軍派として知られた。政党解消後は翼賛政治を押し進め、東條内閣に対しても政権末期に親軍派の中から倒閣運動を支持する者が出てきた中にあって最後まで東條内閣を支持した。

戦後は旧政友会正統派の大半を占める鳩山派の議員が結党に参加したものの旧反軍派の流れを汲む日本自由党にも、親軍派の政治家が多く所属した大日本政治会を母胎としながらも鳩山派は勿論久原派も含め政友会正統派の議員が殆ど結党に参加しなかった[3]日本進歩党にも参加せず[4]岡田忠彦西村茂生肥田琢司東条貞松浦伊平ら旧政友会正統派内の他の久原派の議員とともに院内会派・無所属倶楽部の結成に参加した[5]。だが翼賛議員同盟の理事を務める等翼賛議会の要職を歴任したため公職追放された。

追放解除後は自由党に復党したものの1952年(和暦??年)の第25回衆議院議員総選挙には落選し、翌年の第26回衆議院議員総選挙で返り咲きを果たした。連続6回当選を果たした戦前とは対照的に戦後は選挙が弱く、6回総選挙に立候補して当選したのは2回だけだった。1955年(和暦??年)の第27回衆議院議員総選挙に落選した後保守合同により自由民主党の結党に参加し、自民党内では久原の娘婿・石井光次郎が率いる水曜会(石井派)に所属した。1960年(和暦??年)の第29回衆議院議員総選挙に当選して2度目の返り咲きを果たし、自民党石井派の代議士として活動したものの、3年後の第30回衆議院議員総選挙に落選し、政界から引退した。

略歴[編集]

家族[編集]

  • 兄:孝
  • 妻:ゑい(児島保の叔母、長野県出身)
  • 長女:濤子
  • 次女:竜子(賀陽宮邦寿王の妻、後に離婚)
  • 長男:国彦
  • 三女:富士子

脚注[編集]

  1. 津雲 國利(つくも くにとし)略歴
  2. 三省堂編修所 編 『コンサイス日本人名事典』 三省堂
  3. 政友会分裂時に政友会正統派に所属した議員で戦後進歩党結党に参加した者は猪野毛利栄中井一夫西川貞一依光好秋高畠亀太郎三善信房綾部健太郎の7名のみである。同じく政友会正統派に所属していた三土忠造は進歩党と連携し、進歩党が与党となった幣原内閣にも入閣したが、進歩党の結党自体には参加しなかった。
  4. 第八八、八九回帝国議会 貴族院・衆議院解説
  5. 中谷武世 著 『戦時議会史』 民族と政治社、1974年(和暦??年)、538頁 - 539頁

外部リンク[編集]