新居晋太郎
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新居 晋太郎(あらい せんたろう、1896年 - 1984年)は、日本の内務官僚。公園緑地施策にも多く関わった。栃木県足利市出身。
来歴・人物[編集]
1921年、東京帝国大学法科大学法律学科卒業。翌年内務省に入り、1923年、広島県佐伯郡に郡長として派遣されるが、同年関東大震災が発生、帝都復興院、内務省帝都復興局に復帰し、市街地建築物法の法文案を起草、土地区画整理事業の実施に寄与する。
1934年には内務省土木部道路課長、1936年には同河川課長、1938年には厚生省社会局長、1940年広島県知事、1941年内務省国土局発足に伴い、初代局長に。1943年からは同地方局長、1944年京都府の、1945年大阪府の知事となり、1946年に退官した。
その後、日本公園緑地協会会長として全国の公園緑地の拡大を、公園緑地管理財団初代理事長として公園緑化を、道路線化保全協会会長として道路の緑化を、それぞれ指導した。
また、日本万国博覧会政府出展「日本庭園」、国営武蔵丘陵森林公園、沖縄国際海洋博覧会の記念公園などの基本計画構想策定委員長、国営昭和記念公園建設の基本問題懇談会座長などもつとめた。
また、次代を担う青少年の育成に関心を寄せ、社会福祉法人の恩賜財団母子愛育会の会長を最後までつとめた。
1982年、郷里である足利市の名誉市民に選ばれている。
参考文献[編集]
- 日本造園学会編『環境を創造する』(日本放送出版、1985年)