共政会

提供: Yourpedia
2009年10月24日 (土) 13:24時点におけるFromm (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: '共政会の代紋 五代目'''共政会'''(きょうせいかい)は、広島市南区に本拠を置く日本...')

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索
共政会の代紋

五代目共政会(きょうせいかい)は、広島市南区に本拠を置く日本指定暴力団。構成員は、平成19年(2007年)12月17日で約330人[1]

略歴[編集]

初代共政会[編集]

昭和39年(1964年)5月、山村組山村辰雄組長は広島テキヤ村上組の村上正明と提携し、右翼団体・共政会を結成した。初代会長には山村辰雄が、副会長には村上正明が、理事長には山村組若頭服部武が、幹事長には山口(英)組山口英弘組長が就任した。同年6月29日、共政会の披露興行が行われた。

昭和40年(1965年)3月11日、傷害事件で逮捕された山村組組員・品川稔は、服部武の指示で、山口組本部にダイナマイトを投げ込み、爆破させたことを自供した。警察は、服部武を横浜刑務所から、広島に移管し、取り調べた。服部武は、山村辰雄からの指示で、山村組幹部が共謀したことを認めた。山村辰雄は、藤堂真二に弁護を依頼した。藤堂真二は、依頼を引き受ける条件に、山村辰雄のヤクザからの引退と、身体障害者療養施設を経営する財団法人への出資を要求した。山村辰雄が要求を飲んだため、藤堂真二は山村辰雄の弁護を引き受けた。

二代目共政会[編集]

昭和40年(1965年)6月9日、山村辰雄は、広島県警でヤクザからの引退を宣言した。二代目共政会会長には服部武が、理事長には山田久が、顧問には村上正明が就任した。山口英弘は引退し、山口(英)組は、十一会と改称された。十一会会長には、竹野博士が就任した。

昭和42年(1967年)、波谷守之は、共政会樋上組樋上実組長から、美能組(組長は美能幸三)・小原組との和解を依頼された。樋上実の提案は「美能幸三が山村辰雄への報復を止めるのならば、美能幸三を組長として、美能組・樋上組・小原組を統一する」というものだった。樋上実は、侠道会森田幸吉会長と合田一家浜田一郎総長に自分の提案を示し、合意を得た。波谷守之は、美能組幹部・薮内威佐夫とともに、札幌刑務所に行き、美能幸三を説得した。1回目、2回目の説得では、美能幸三が納得しなかった。波谷守之は、3回目の説得で、美能幸三を説得した。山田久が、共政会関係者を説得し、樋上実の提案に合意させた。

昭和44年(1969年)11月、共政会十一会組員と共政会村上組組員が喧嘩をした。これを切っ掛けに第三次広島抗争が勃発した。

昭和45年(1970年)、下関市合田一家合田幸一総長の提唱により反山口組同盟・関西二十日会が結成された。加盟組織は、合田一家、大阪市松田組神戸市忠成会姫路市木下会岡山市浅野組広島市の共政会、福岡市工藤会など[2]

三代目共政会[編集]

昭和45年(1970年)11月22日に広島の料亭で、山田久は、共政会三代目の襲名披露を行った。

昭和46年(1971年)11月、王子製紙株主総会で、総会屋嶋崎栄治と総会屋の小川 薫の両派が乱闘となった。その後、嶋崎栄治が松葉会菊池徳勝を後見人に立て、小川 薫が二代目共政会・服部 武会長を後見人に立てて、手打ちを行った[3]

昭和47年(1972年)5月、兵庫県有馬温泉で、山田久と森田幸吉の手打ちが行われた。仲人は、大日本平和会平田勝市会長がなった。手打ち式の後、波谷守之と山田久と森田幸吉は、兄弟分になることを約束した。

昭和54年(1979年)4月16日、三代目山口組田岡一雄組長は、田岡一雄の自宅で、山田久、森田幸吉、浅野組浅野眞一組長、共政会・門広相談役と会った。この席で、山口組と、それぞれ関西二十日会に所属していた共政会、侠道会、浅野組との共存共栄路線が確認された。

昭和62年(1987年)11月、山田久が死亡した。共政会は、共政会理事長・沖本勲を中心とした主要幹部の合議制で運営された。

昭和63年(1988年)、西日本二十日会が結成された。関西二十日会とは違い、特に山口組を仮想敵とするわけではなかった。西日本二十日会の加盟団体は、唐津市西部連合下関市合田一家広島市の共政会、尾道市侠道会笠岡市浅野組松山市松山連合会岡山市木下会徳島市勝浦会高松市親和会大阪市波谷組だった。

平成2年(1990年)1月4日午後4時15分、札幌事件が勃発した。同年5月14日、山口組若頭補佐桑田兼吉と共政会・沖本勲理事長(後の四代目共政会会長)との兄弟が交わされた。

四代目共政会[編集]

平成2年(1990年)9月、沖本勲が四代目共政会会長に就任した。

平成4年(1992年)7月27日、広島県公安委員会は、共政会を指定暴力団に指定した。

平成8年(1996年)2月、四代目共政会、二代目侠道会、三代目浅野組、六代目合田一家親和会は、親睦会「五社会」を結成した。

平成15年(2003年)8月、沖本勲が病死した[4]

五代目共政会[編集]

歴代会長[編集]

  • 初代(1964年5月~1965年6月):山村辰雄
  • 二代目(1965年11月~1970年11月):服部 武
  • 三代目(1970年11月~1987年11月):山田 久
  • 四代目(1990年9月~2003年8月):沖本 勲
  • 五代目(2004年4月~):守屋 輯

五代目共政会最高幹部[編集]

  • 会長 - 守屋 輯(現在恐喝容疑で公判中)
  • 執行部・会長代行 - 石井謙二(石井組組長) - 広島市南区
  • 最高顧問 - 北山昭男(二代目中国高木会会長) - 広島市安佐南区
  • 顧問 - 有木 博(有木組組長) - 広島市南区
  • 常任相談役 - 野村 博(野村組組長) - 広島市南区
  • 相談役 - 尾崎幸夫(尾崎組組長) - 広島市中区
  • 副会長 - 藤田靖彦(藤田組組長) - 広島市中区
  • 副会長 - 藤田燿士(藤田(燿)組組長) - 広島市中区
  • 副会長 - 吉岡信彦(吉岡組組長) - 広島市中区
  • 常任参与 - 谷本 実
  • 常任参与 - 古川勝彦
  • 常任参与 - 角山忠勝
  • 執行部・理事長 - 宮藤正行(二代目沖本組組長) - 広島市中区
  • 執行部・本部長 - 荒岡満州雄(荒岡組組長) - 呉市中央
  • 執行部・幹事長 - 木多修孝(木多組組長) - 呉市本通
  • 執行部・理事長代行 - 下手尚美(下手組組長) - 広島市中区
  • 執行部・組織委員長 - 薮内賢治 - 呉市中央
  • 執行部・渉外委員長 - 播真昌男(播真組組長) - 広島市中区
  • 執行部・風紀委員長 - 大上博司(二代目片山組組長) - 広島市中区
  • 執行部・懲罰委員長 - 沖田 孝(沖田組組長) - 広島市中区
  • 執行部・慶弔委員長 - 三浦 勇(三浦組組長) - 広島市安佐南区
  • 執行部・行動隊々長 - 島木昭博(島木組組長) - 広島市中区
  • 執行部・事務局長 - 平野正敏(平野組組長) - 広島市中区
  • 執行部・筆頭補佐 - 細石保美(六代目小原組組長) - 呉市広文化町
  • 執行部・理事長補佐 - 酒井世見(酒井組組長) - 広島市中区
  • 執行部・理事長補佐 - 新谷義行(二代目伊藤組組長) - 広島市南区
  • 執行部・本部長補佐 - 堂河内良二(二代目高塚組組長) - 広島市南区
  • 執行部・幹事長補佐 - 中尾亘(中尾組組長) - 広島市西区
  • 執行部・幹事長補佐 - 平内司郎(平内組組長) - 呉市本通
  • 執行部 - 増宮(三代目守屋組組長) - 広島市中区
  • 会長室長 - 河村 勇
  • 組織運営委員 - 吉岡正光
  • 組織運営委員 - 前中鉄造
  • 組織運営委員 - 管 祐志
  • 組織運営委員 - 上田孝司
  • 組織運営委員 - 岡崎辰志
  • 参与 - 新井秋夫
  • 参与 - 大西 徹
  • 本家責任者 - 河合 淳
  • 副事務局長 - 金子 誠
  • 副事務局長 - 近藤洋市
  • 会長付 - 吉田明則
  • 会長付 - 前崎 修
  • 会長付 - 松浦 忍
  • 会長付 - 迫田一臣
  • 事務局付 - 田中宏昌
  • 本家付 - 大野宏明
  • 直参 - 金川 稔(金川組組長)- 広島市中区
  • 直参 - 藤之原貢(藤之原組組長) - 広島市南区
  • 直参 - 川口博之(三代目美能組本部長、川口組組長)
  • 直参 - 益繁 晃(三代目美能組若頭)
  • 直参 - 鳥生佳之
  • 直参 - 木村 栄
  • 直参 - 山本達宣
  • 直参 - 松澤雅明
  • 直参 - 荒瀬 進
  • 直参 - 木高武雄
  • 直参 - 高山昭二郎
  • 直参 - 前角博夢
  • 直参 - 上田嘉居
  • 直参 - 森藤純一

共政会関連の映画・オリジナルビデオ[編集]

脚註[編集]

  1. 出典は、『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「指定暴力団」
  2. 出典は、溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9のP.208
  3. 出典は、溝口敦『撃滅 山口組vs一和会』講談社<講談社+α文庫>、2000年、ISBN 4-06-256445-9のP.153。このとき、服部武は二代目共政会会長ではないが、出典のまま「服部武」と表記しています
  4. 出典は、『六代目山口組 完全データBOOK』メディアックス、2008年、ISBN 978-4-86201-328-6のP.137

参考文献[編集]