DJケミカル
DJケミカル(ディージェイ・ケミカル、本名:田野倉 智文(たのくら ともふみ)、1982年5月13日 )は、日本のヒップホップグループFUNKY MONKEY BABYSのDJである。東京都八王子市出身。血液型はB型。DJを名乗っているが、DJプレイをしない事で有名なDJの一人である。
来歴
2000年11月(平成12年)、モテるかもしれないと勘違いしてDJを始めるが、数年インテリア状態になってしまう。先輩にディスられて本気になり、西東京を中心にDJとしてクラブプレイを展開していった。当時は本名からDJタンノと勝手に呼ばれていた。
2004年にファンキー加藤とモン吉が結成したFUNKY MONKEY BABYSのライブDJとして、当時憧れの存在だったモン吉に誘われ参加する。最初はパシリとしてこき使われたり、2人が地元八王子から遠い場所でライブをする時は、旅費を節約する為に留守番をさせられていた。
当時からDJプレイの技術は相当なもので、六本木の有名なクラブなどからも指名があった。しかし自分の意志でそれらを断り、同グループのメンバーで居続ける事を決意する。
それにも関わらず、「ギャラが3等分になるのが嫌」との理由から、正式メンバーになる事をファンキー加藤になかなか許可してもらえなかった。1stアルバム『ファンキーモンキーベイビーズ』のジャケットを飾った際も「この写真のせいで(同アルバムが)売れなかったらクビ」と言われていたほどだが、その後、正式メンバーとなった。
人物
TVやライブやPVの中では、DJプレイはほとんどせず、いつも後ろで即興的なダンスや手拍子をしている(ライブではMCより前に出る事もある)。これは、DJプレイをすると真顔になり、暗くなってしまうのを避ける為である。決してDJプレイが出来ないからではなく、スクラッチをしたり、トラック制作にはちゃんと参加している(『西日と影法師』は彼がプロデュース)。しかし参加していない曲もある(『告白』など)。
また、その愛嬌のある可愛いお猿さんと有難みのあるお地蔵さんを足して2で割ったようなルックスや、独特のキャラクターとパフォーマンスで、同グループにおいてDJにも関わらず最も存在感がある。単独でアルバムのジャケットを飾ったり、メンバー全員で写っているアーティスト写真でも、立ち位置は中央および一番手前が多い。さらに、同グループの公式携帯サイトでは、彼の着信ボイスが多数配信されている。 しかし音楽番組では、どうしてもボーカリストにカメラアングルが向けられてしまう為、ファンキー加藤およびモン吉にピントが合っている時は、後ろにさり気なく映っている事が多い(ミディアムバラード曲の『もう君がいない』で音楽番組に出演した時は、9割MCにカメラが向けられていた。しかし同曲のPVでは、モン吉より多く映っている。)。
- 身長170cm。体重55kg。足のサイズは26.5cm。
- 小3の時、第2回ケミカルウォッシュジーンズ選手権で優勝したのを期に、 ケミカルというニックネームがついた。もう1つの子供の頃のあだ名はミートパイ。
- 趣味は、山歩き、釣り、熱帯魚屋と植物園巡り。
- 特技は、空手初段、書道4段。最初空手をやっていたが、テコンドー選手にヤラれて空手を断念し書道に切り替えた。
- 好きな食べ物は、インドカレー、ライフガード、おにぎり。嫌いな食べ物は、チンゲン菜、コーヒー 。
- 尊敬している人物はNaoki-T。
- 好きな芸能人は矢田亜希子。
- 好きな女性のタイプ:細過ぎず太過ぎずCカップ以上、リュックが似合う人、攻めちゃってる人。(彼はMである)
- 実家は八王子で一番古い寺で、副住職を務めており、週末には寺でお経をあげている。副住職の時の名前は本名の智文(ともふみ)の別読みで智文(ちぶん)である。ちなみに長男なので、いずれは寺を継ぐ可能性がある。
- 少々霊感がある。子供の頃は亡くなった祖父の霊を毎晩見ながら眠っていた。
- 口癖は「地球に緑を!」と「寝てないですよ」。また、寝る時にパンツの中に手を入れる癖がある。
- モン吉の弟とは友人関係にあり、モン吉と知り合う前から、当時モン吉が所属していたグループのライブにも客として観に来ていた。最初モン吉は、DJケミカルの事を弟の友人とは知らず、「いつも観に来てるアフロの客」としか認識していなかった(当時DJケミカルの髪型はアフロだった)。しかし、ある日偶然弟の部屋にその客が遊びに来ていたのを目撃し、とても驚いた。
- 元々ビジュアル系が好きだった。カラオケでは『キテレツ大百科』等、アニメソングをよく歌うが、ビジュアル系もたまに歌う。
- 髪の毛が伸びるのが早い。染髪もしておらず、髪型も現在は至って地味だが、女性の美容師にカットしてもらうために、床屋ではなく美容院でカットする事がある。しかし2009年1月、理容院で丸刈りにカットしてもらった。
エピソード
- 2007年2月末、『Lovin'life』でミュージックステーションに初登場した時も、やはりDJプレイはせず、曲中ずっと桜の木の枝を手に持って踊っていた。曲終了後タモリにつっこまれる。なお、番組へは、「彼は一体何者なんだ」「DJプレイは出来るのか?」などの問合せが殺到した。
そこで同番組は、翌週にもう一度FUNKY MONKEY BABYSを出演させ、紹介VTRを放送した。タモリに「DJは今日こそDJをしてくれますか?」と聞かれて彼は、「今日は練習してきたので」と答えたが、曲が始まると同時にヘッドホンをくるくるとしまい込み、曲が終わるまで踊るだけだった。 その2週とも赤いTシャツを着て踊っていたため、ファンから赤Tシャツ王子と呼ばれるようになるが、実は赤いTシャツを着たのはこの時が初めてである。
- 現在では、彼の知名度が上がった事や、『Lovin'life』以降に同グループを知った新規のファンが増えた事により、赤Tシャツ王子とは呼ばれていない。しかし、電子掲示板サイト2ちゃんねるの実況板における彼の通称はいまだに「赤T」であり、ファンキーモンキーベイビーズが音楽番組に出演していると「赤Tキター!」などと書きこまれる。
- ライブで演奏中に、DJブースで食事をするパフォーマンスをした事もある。彼が今まで演奏中に食べたものは、きゅうり、鮭おにぎり、うどん、ベビースターラーメンなどである。
- 占い師に、「あなたは…宇宙人ですね。」と真顔で言われたことがある。
- 2008年8月4日のHEY!HEY!HEY!で、彼そっくりのカフェ店員がいるという噂を検証された。
- 2008年夏、バヌアツ共和国に行き、現地の真水で胃腸を壊し、帰国後、原因不明の高熱で倒れた。
彼のファッションについて
普段のファッションは、キャップを被り、Tシャツにケミカルウォッシュジーンズにスニーカーと、至って地味である。他には、五本指ソックス、オーバーオール、長靴、ちゃんちゃんこなども好んでしばしば着用する。なお、これらの私服は地方の店で購入したり、オークションで落札している。また時々、Tシャツの裾をジーンズの中に入れていたりと、決しておしゃれとは言えない、むしろ現代の若者の中では「ダサい」とされる恰好をしていることがある。 ヒップホップアーティストを自称しているにも関わらず、ヒップホップを好む若者に多いB系ファッションをすることはまずない。これは彼以外の2人についても言えることだが、カッコつける事が嫌いであり、「ヒップホップ=B系=ふて腐れた不良」という悪いイメージを覆したかったというのがその理由である。こういった彼らの「そのまんまがいいんだ」というポリシーは、服装だけでなく楽曲にも表れている(『大丈夫だよ』など)。
また、DJケミカルは、特別なライブやジャケット写真などでコスプレを披露する事がある。
現在までに披露したコスプレ
- 半ズボンを穿いて虫取り網と虫かごを持った田舎の夏休みの小学生
- ファンキーモンキーベビースターラーメンのパッケージでは、ベビースターラーメンのマスコットキャラクターのベイちゃんと同じ格好をしている。なお、同商品は彼の直筆サインが100人に当たるキャンペーンが行われていた。
- 『旅立ち』の宣伝ポスターでは、右下の隅で学ラン姿を胸から上のみ披露している。
- 竿とクーラーボックスを持ち、長靴を履いた釣り人(ライブDVDのジャケットになっている。また、TOKYO GIRLS COLLECTION2008にゲストとして登場した際は、このコスプレで場内を走り回った。)
- 2008年5月31日、さいたまスーパーアリーナで行われたMTV VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008にプレゼンターとして登場した時は、他の2人はスーツ姿なのに対し、1人だけ私立小学校に通う、眼鏡をかけたお坊ちゃまのコスプレをしていた。また、20秒のアピールタイムで、ランドセルから取り出した縦笛を吹きながらレッドカーペットを歩いた。
- 2008年夏に大阪でライブを行った時は、ビジュアル系DJと称してゴシックファッションだった。
- 2009年3月14日に、中国・青島イオンJUSCO東部店にて初の海外インストアライブを行った時は、同店で購入した「福原愛セット(赤いユニフォームとラケット。400元、約5700円)」を身に着けて登場し、「サー」とスマッシュのポーズを決めた。
書籍
関連項目
- 知的障害
- 池沼
- 統合失調症
- ニート
- 童貞
- DJ OZMA-DJケミカル同様、DJプレイをしないのにDJを名乗っている。ケミカルはDJだが、彼はDJではない。
- G-DRAGON-知る人ぞ知る、DJケミカルに似ている韓国人ヒップホップアーティスト。