ビクトリアカップ

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ビクトリアカップVictoria Cup)とは日本中央競馬会京都競馬場2400mで施行していた中央競馬重賞競走である。

概要[編集]

1953年優駿牝馬(オークス)が春季開催に変更[1]された。同年に旧4歳牝馬限定戦で東京競馬場を舞台とする芝2000メートルの競走・クイーンステークスが新設されこのレースが優駿牝馬の代わりとなりうるべき大舞台のレースとなるはずだったが、当時の国営競馬では5大クラシック競走と春秋の天皇賞以外のレースを「大競走」として位置づけなかったことから結局は一般重賞競走に甘んじることになった。一方、関西所属の3歳牝馬は秋には地元で菊花賞が行われるためそちらに出走する馬も何頭かいたが3000メートルで施行される菊花賞は牝馬には少々距離が長いことが懸念され[2]菊花賞に相当する4歳(現3歳)牝馬限定競走の創設が嘱望されていた。

ところで、日本の5大クラシックレースの模範となったイギリスではこれに準ずる形のクラシックレースはなかった[3]。一方、フランスでは1897年創設のヴェルメイユ賞という4歳牝馬限定の大レースが存在[4]していたこともあり、このヴェルメイユ賞を規範として1970年に牝馬三冠路線の最終戦という位置づけ[5]として当レースが創設された。

1970年から1975年まで6回の開催が行われたが1975年にエリザベス2世が来日した際、京都を訪問されたことを記念して翌1976年に当レースと同条件のエリザベス女王杯を新設することになったことから当レースは廃止されることになった。なおエリザベス女王杯は当レースを廃止した上での新設の為、エリザベス女王杯の施行回数にビクトリアカップの6回の施行回数は引き継がれなかった[6]

ビクトリアカップ開催時代にこのレースを含めての三冠を達成した馬はいないが二冠馬にはアチーブスターニットウチドリ(ともに桜花賞優勝馬)、トウコウエルザ(優駿牝馬(オークス)優勝馬)がいる。

歴代優勝馬[編集]

回数 施行日 優勝馬 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1970年11月22日 クニノハナ 牝3 2.33.9 目野哲也 内藤繁春 内藤博司
第2回 1971年11月21日 タイヨウコトブキ 牝3 2.29.1 高橋隆 大久保石松 浅野和男
第3回 1972年11月19日 アチーブスター 牝3 2.33.7 武邦彦 田之上勲 山本信行
第4回 1973年11月18日 ニットウチドリ 牝3 2.29.0 横山富雄 八木沢勝美 鎌田三郎
第5回 1974年11月17日 トウコウエルザ 牝3 2.34.1 嶋田功 仲住達弥 渡辺喜八郎
第6回 1975年11月16日 ヒダロマン 牝3 2.35.0 武田悟 夏村辰男 (有)稗田牧場

出走馬の繁殖成績[編集]

回数 出走馬 着順 代表産駒 主な勝鞍
第2回 カネヒムロ 4着 カネミノブ 有馬記念
第4回 レデースポート 9着 テンモン 優駿牝馬朝日杯3歳ステークス
第5回 ミトモオー 2着 プレクラスニー 天皇賞(秋)
第6回 カバリダナー 3着 カバリエリエース サンスポ賞4歳牝馬特別
タカラテンリュウ 毎日王冠

脚注[編集]

  1. それまでは秋季開催だったため皐月賞東京優駿(日本ダービー)に挑戦する牝馬が少なからずいた。
  2. 菊花賞を制覇した牝馬は1943年クリフジ1947年ブラウニーのみ。桜花賞・優駿牝馬を制したミスオンワード(1957年)やカネケヤキ(1964年)も、勝つどころか3着以内にさえ入れなかった。
  3. イギリスでは1000ギニーオークスと牡馬混合のセントレジャーが牝馬三冠路線とされている。
  4. 当時フランスではプール・デッセ・デ・プーリッシュ(仏1000ギニー)、ディアヌ賞(仏オークス)、ヴェルメイユ賞の3つのレースを総称して牝馬三冠レースと言った。
  5. 当時、日本中央競馬会八大競走以外の重賞競走を大レース扱いとしなかったことからビクトリアカップの位置づけは一般重賞競走と同じ扱いであった。但し賞金はクラシックレースに準ずる形で一般重賞競走よりも幾分高めに設定された。
  6. ちなみにビクトリアカップと後身のエリザベス女王杯・秋華賞はクラシックに含まれず「牝馬三冠」という概念は厳密には今でもJRAの競走体系としては位置づけられていないが、1984年より実施されることになったグレード制において春に行われる2つの牝馬クラシックレースと同格のGI(現・JpnI)競走として位置づけられたことから3つのレースを全て制した馬に限り「牝馬三冠馬」という称号が与えられることになった。

関連項目[編集]

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