犬伏秀一

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犬伏 秀一(いぬぶし ひでかず、1956年(昭和31年)12月2日 - )は日本政治家東京都大田区前区議会議員(4期)。次世代の党衆議院東京都第4選挙区(大田区南部)支部長。ホームページ選挙ポスターなどでは「いぬぶし秀一」の表記も見られる。

人物・来歴

東京都国立市生まれ。10歳で父と死別。中学卒業後、俸給が支給される航空自衛隊生徒隊に入校。1975年(昭和50年)に18期で卒業後退職し、米国サンノゼ市立大学留学(1976年 ― 1977年)、会社経営、放送大学教養学部入学(1985年)を経て、1994年(平成6年)新生党大田支部常任理事。翌1995年(平成7年)、大田区議会議員選挙に新進党公認で立候補したが落選。新進党解党後は自由党に移り、1999年(平成11年)4月、自由党公認で大田区議会議員選挙に出馬、初当選した。

2003年(平成15年)4月、自由党公認で再選。同年9月自由党解党に伴い、日本教職員組合全日本自治団体労働組合の支持する民主党への合流を拒否。同年12月、自ら自由党を設立し、代表となる。

2004年(平成16年)、集英社週刊ヤングジャンプ』で連載中だった本宮ひろ志の漫画『国が燃える』の南京大虐殺に関する描写に対し、「事実を歪曲している」として抗議を行った地方議員の団体「集英社問題を考える地方議員の会」で会長を務めた[1]。2007年(平成19年)、大田区議会議員選挙で3選。

2010年(平成22年)、放送大学教養学部卒業。同年6月、西村眞悟とともにたちあがれ日本へ入党。2011年(平成23年)の第17回統一地方選挙では定員50名中3位で4選(6363票)。都内では唯一のたちあがれ日本所属の地方議員となった。

2012年(平成24年)、放送大学大学院文化科学研究科(修士課程修了(修士学術)。同年11月、たちあがれ日本から第46回衆議院議員総選挙への立候補を要請され、即決[2]。たちあがれ日本が太陽の党に改称し、日本維新の会へ合流すると、11月21日に日本維新の会の公認候補として東京4区から出馬することが決定した[2]第46回衆議院議員総選挙では小選挙区平将明に次点で敗れ、比例代表でも復活できずに落選(44,999票)、2013年(平成25年)3月の第1回党大会において、東京23区唯一人の衆議院選挙区支部長として再任。2013年(平成25年)4月 参議院議員中山恭子選挙対策本部事務局長兼公設第一秘書就任。同年11月 参議院選挙処理終了につき公設秘書退任。2014年(平成26年)1月 東京都知事候補 田母神俊雄選挙対策本部事務局長代行に就任 2014年(平成26年)6月 田母神俊雄の会(政治団体)事務局次長就任

2014年(平成26年)6月 日本維新の会分党に伴い、次世代の党へ参加。9月には同党東京都総支部連合会(都連)の遊説担当幹事と東京都第4支部長に就任[3]。11月には党本部より第47回衆議院議員総選挙の第一次公認候補者(東京4区)として発表された[4]。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では落選。

日本会議首都圏地方議員協議会副会長、西村塾顧問、一新塾都議養成科卒塾、東京都倫理法人会副幹事長、隊友会大田支部長、大田区自衛隊協力会・父兄会副会長、自衛官募集相談員、靖国神社崇敬奉賛会会々員、予備役ブルーリボンの会々員々員、地方自治経営学会々員、大田区遺族会々員(伯父が海軍少佐で戦死)、航空自衛隊府中基地所属の予備自衛官、日本維新の会衆議院東京都第4選挙区支部長、草莽全国地方議員の会副会長[5]も務める。

家族は妻、長男(自衛官)、長女(法科大学院生)。

政策

脚注

  1. (2004-10-13) [ 抗議受け漫画休載 南京大虐殺めぐり集英社 ] 産経新聞 [ arch. ]
  2. 2.0 2.1 (2012-11-24) 【東京】2012衆院選とうきょう 第三極 東京新聞 [ arch. ] 2012-11-29
  3. 次世代の党-東京-議員・役員
  4. (2014-11-21) 公認27人を発表=次世代【14衆院選】 時事通信 [ arch. ] 2014-11-21
  5. 役員一覧|草莽全国地方議員の会
  6. 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 6.5 6.6 6.7 6.8 6.9 2014衆院選 東京ブロック 犬伏 秀一 - 毎日新聞
  7. 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。

関連項目

外部リンク

ウィキペディア無し small.png ウィキペディアにも「犬伏秀一」の項目が執筆されていましたが、削除されてしまいました