名張毒ぶどう酒事件
名張毒ぶどう酒事件(なばりどくぶどうしゅじけん)とは、1961年3月28日の夜、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で起きた毒物混入事件。5人が死亡し、「第二の帝銀事件」として世間から騒がれた。逮捕・起訴された容疑者の奥西勝(おくにし まさる)は死刑判決が確定している。日本弁護士連合会が支援する再審事件である。
目次
事件経過
1961年3月28日、三重県名張市葛尾の薦原地区公民館葛尾分館(現在は取り壊されている)で、地区の農村生活改善クラブ(現「生活研究グループ」)「三奈の会」[1]の総会が行われ、男性12人と女性20人が出席した。この席で男性には清酒、女性にはぶどう酒(赤ワイン)が出されたが、ぶどう酒を飲んだ女性17人が急性中毒の症状を訴え、5人が亡くなった。捜査当局は、清酒を出された男性とぶどう酒を飲まなかった女性3人に中毒症状が無かったことから、女性が飲んだぶどう酒に原因があるとして調査した結果、ぶどう酒に農薬(ニッカリンT)が混入されていることが判明した。
その後、重要参考人として「三奈の会」会員の男性3人を聴取する。3人のうち、1人の妻と愛人が共に被害者だったことから、捜査当局は、「三角関係を一気に解消しようとした」ことが犯行の動機とみて、奥西を追及。4月2日の時点では自身の妻の犯行説を主張していたが、4月3日には農薬混入を自白したとして逮捕された(逮捕直前、奥西は警察署で記者会見に応じている)。しかし、逮捕後の取り調べ中から犯行否認に転じる。
裁判の経過
確定判決
1964年12月23日、一審の津地方裁判所(小川潤裁判長)は自白の任意性を否定しなかったが、目撃証言から導き出される犯行時刻や、証拠とされるぶどう酒の王冠の状況などと奥西の自白との間に矛盾を認め、無罪を言い渡す。検察側は判決を不服として名古屋高裁に控訴した。
1969年9月10日、二審の名古屋高裁は一審の判決を覆して奥西に死刑判決。目撃証言の変遷もあって犯行可能な時間の有無が争われたが、名古屋高裁は時間はあったと判断、王冠に残った歯形の鑑定結果も充分に信頼できるとした(ただし、王冠に残った痕跡から犯人の歯型を確定するのは不可能である、とした法医学者も居た)。奥西は判決を不服として最高裁に上告した。
再審請求
1974年、1975年、1976年、1977年、1988年と5次にわたる再審請求はすべて棄却される。1980年9月、請求審で初の現場検証、1986年6月、請求審で初の証人尋問。1988年12月、名古屋高裁が再審請求を棄却。
1993年に名古屋高裁が異議申立の棄却、4月に弁護団が最高裁に特別抗告。1997年に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第5次再審請求の棄却、1998年10月に名古屋高裁が第6次再審請求を棄却、弁護団が異議申し立て、1999年9月に名古屋高裁が異議申立の棄却、弁護団が最高裁に特別抗告、2002年4月に最高裁が特別抗告の棄却、同年に第7次再審請求。
2005年2月、毒の特定で弁護側鑑定人を証人尋問、4月5日、名古屋高裁(第一刑事部・小出錞一裁判長)が再審開始を決定する。同時に死刑執行停止の仮処分が命じられた。王冠を傷つけずに開栓する方法がみつかったこと、自白で白ワインに混入したとされる農薬(ニッカリンT、有機リン系の殺虫剤、TEPP(テップ)剤の一種)が赤い液体だと判明したこと、残ったワインの成分からしても農薬の種類が自白と矛盾すること、前回の歯形の鑑定にミスがみつかったことなどが新規性のある証拠だと認めた。
しかし、同年4月8日、検察側は、ニッカリンTは昔出されていた白い液体の物が回収されずに、事件当時は白い液体と赤い液体と混合して流通していたことなどの異議申立を行い、2006年9月に毒の特定につき弁護側鑑定人を証人尋問したが、12月26日に名古屋高裁(第2刑事部・門野博裁判長)が再審開始決定を取り消す決定を下した(死刑執行停止も取り消し)。
これに対し、弁護側が、2007年1月4日、最高裁に特別抗告したところ、最高裁は2010年4月5日付決定で、犯行に用いられた毒物に関し「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」と指摘し[3]、再審開始決定を取り消した名古屋高裁決定を審理不尽として破棄し、審理を名古屋高裁に差し戻した(類似の事件はここ)[4]。田原睦夫裁判官は、同最高裁決定で補足意見として、「事件から50年近くが過ぎ、7次請求の申し立てからも8年を経過していることを考えると、差し戻し審の証拠調べは必要最小限の範囲に限定し、効率よくなされるべき」と述べている[5][6]。翌日に弁護団は「第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明」を[7]、また同じ日に日本弁護士連合会(会長・宇都宮健児)は「名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明」で[8]、「既に重大な疑いが存在することは明らか」であるから原決定を取り消したうえで最高裁の判断で再審開始決定すべきだったと述べ、差し戻ししたことを「遺憾である」と批判した。また、日本国民救援会(会長・鈴木亜英)も、2010年4月7日付の会長声明「名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について」で、「『再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生ぜしめれば足りる』という1975年の白鳥決定の見地からすれば、差戻しによってさらに審理を継続させることなく、自判して、再審開始決定を確定させるべきであった」と述べている[9]。
2010年3月上旬、名古屋拘置所で面会した特別面会人によれば、再審開始決定された布川事件や、再審無罪が確実視されていた足利事件などに触れた際、奥西は、「布川や足利はよかった。私も最高裁決定に非常に期待している」と述べたという[10]。
2012年5月25日、名古屋高裁(下山保男裁判長)は『捜査段階での被告人の自白に信用性が高い』と看做し、検察側の異議申立てを認めて本件の再審開始の取り消しを決定。これに対して被告人弁護側は5月30日、最高裁判所へ特別抗告を行った[11]。
地域の事情
事件当時の葛尾は娯楽に乏しく、総会に際して行われる宴会は数少ない楽しみの一つだった。その最中に起こった惨劇は地域社会に疑心暗鬼を生んだ。奥西が逮捕された当初は、「犯人が特定された」という安堵により、むしろ奥西の家族にも愛の手をさしのべようという呼び掛けが行われた。しかし、奥西が否認に転じたことを知ると、家族への迫害が始まった。家族には一切口をきかず、家には投石された。果ては夕食中の被告宅に被害者遺族が押しかけ「土下座して謝れ」と詰め寄る事もあったという。こうした村八分の結果、家族が葛尾を去ると、何者かによって共同墓地にあった奥西の家の墓が暴かれ、墓地の外にうち捨てられた。葛尾は、事件当時、人口100人程度の集落であった。奥西が無罪であった場合、葛尾の中に真犯人がいる可能性が高いと思われたため、地域の「和」に再び波風を立てる結果になることを恐れたのである。一方、小さな集落が全国区で話題になったことへの反発もあった。その結果、奥西の無罪の可能性について公言することは憚られる状況になっているという[12]。
死亡した人物
年齢はいずれも事件当時の年齢。
- 30歳女性(「三奈の会」会長の妻、奥西の隣家)
- 34歳女性(奥西の妻)
- 25歳女性(前「三奈の会」会長)
- 36歳女性
- 36歳女性(奥西の愛人)
死刑求刑事件における無罪判決の事例
- 本事件は最高裁判所の記録に残る1958年以降では中華青年会館殺人事件、熊本県玉名市家族殺傷事件、宮崎県三ヶ所村雑貨商一家強盗殺傷事件に続く死刑求刑での無罪判決であり、その後死刑求刑事件で一審で無罪判決は出ていなかったが、2005年に北方事件において約40年ぶりとなる一審での無罪判決が出た。その後、一審判決順に高岡暴力団組長夫婦射殺事件、広島保険金目的放火殺人事件、土浦一家3人殺害事件、鹿児島高齢夫婦殺害事件、平野母子殺害事件と7件で死刑求刑事件で一審段階で無罪判決が出ている。
- 前述の事件のうち中華青年会館事件と北方事件、高岡暴力団組長夫婦射殺事件は検察が控訴するも二審でも無罪判決が出てそのまま確定。熊本県玉名市家族殺傷事件は二審で破棄差し戻しとなり差し戻し一審で懲役12年判決、最高裁で確定。宮崎県三ヶ所村雑貨商一家強盗殺傷事件は二審で無期懲役判決、最高裁で確定。広島保険金目的放火殺人事件は二審も無罪判決が出て最高裁で確定。土浦一家3人殺害事件は二審で逆転有罪無期懲役判決、最高裁で確定。鹿児島高齢夫婦殺害事件は検察が控訴したが控訴中に被告が死亡したため公訴棄却となった。平野母子殺害事件は一審で無期懲役、二審で死刑判決が出たが最高裁が差し戻し、差し戻し一審で無罪判決。検察側控訴中。
- 過去の死刑求刑事件では土田・日石・ピース缶爆弾事件、豊橋事件が一審で殺人に関して無罪となり、事実上無罪判決が出ているが、別件の軽微な事件で有罪となっているため、記録上は有罪判決となっている。土田・日石・ピース缶爆弾事件は一審、二審と続けて無罪判決が出て検察が上告を断念して、豊橋事件は一審無罪判決で検察が控訴断念をしてそれぞれ無罪判決が確定している。
事件を調査した評論家の青地晨は、自著の中で、「現場地域の保守性・閉鎖性」を指摘している。
映像作品
- NNNドキュメント「裁きの重み 名張毒ブドウ酒事件の半世紀」(中京テレビ制作、2006年11月26日放送)
- クローズアップ現代「揺らぐ死刑判決 〜検証・名張毒ぶどう酒事件〜」(NHK総合テレビ、2010年4月8日放送)[1]
- 毒とひまわり~名張毒ぶどう酒事件の半世紀~(東海テレビ、2010年6月19日放送)[2] ナレーション:仲代達矢
- 約束〜名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯〜(東海テレビ、2012年6月30日放送)[3]
脚注
- ↑ 加入者が三重県と奈良県の県境に跨る事、両集落とも名が“葛尾”である事からこの名があるという。2006年12月26日:名古屋高裁の名張毒ブドウ酒事件再審開始決定の取消決定要旨 松山大学・田村譲[リンク切れ]より
- ↑ テンプレート:Cite 判例検索システム
- ↑ (2010-04-06) 名張毒ぶどう酒事件、差し戻し 奥西元被告の死刑再審請求 共同通信社 [ arch. ] 2010-04-06
- ↑ 延与光貞 (2010-04-06) 延与光貞 最高裁、再審判断を高裁に差し戻し 名張毒ブドウ酒事件 朝日新聞 [ arch. ] 2010-04-06
- ↑ (2010-04-06) 名張毒ぶどう酒事件:再審の可能性…最高裁が差し戻し 毎日新聞 [ arch. ] 2010-04-06
- ↑ 『証拠調べ最小限に』 「毒ぶどう酒」最高裁、異例の注文(東京新聞 2010年4月7日 朝刊)
- ↑ 第7次再審請求最高裁決定についての弁護団声明(10.4.6)(冤罪防止コム)
- ↑ 名張毒ぶどう酒事件第7次再審請求最高裁決定についての会長声明(日弁連 2010年4月6日)
- ↑ 名張毒ぶどう酒事件第7次再審最高裁決定について(再審えん罪事件全国連絡会。)
- ↑ 伊藤一郎 (2010-04-06) 伊藤一郎 名張毒ぶどう酒事件:84歳の奥西死刑囚「後がない」 毎日新聞 [ arch. ] 2010-04-06
- ↑ (2012-5-30) 名張毒ぶどう酒事件:弁護団が特別抗告 毎日jp [ arch. ]
- ↑ 青地『魔の時間』第5章「名張毒ぶどう酒事件」pp.189-192
- ↑ 島村幸恵 (2012-10-22) 島村幸恵 「家政婦のミタ」がグランプリで5冠! 東京ドラマアウォード2012発表 シネマトゥデイ 2012-10-22 [ arch. ] 2012-10-23
- ↑ (2013-02-16) 仲代達矢「名張毒ぶどう酒事件」えん罪主張 SANSPO.COM [ arch. ] 2013-02-17
文献
- 青地晨『魔の時間 六つの冤罪事件』筑摩書房、1976年、[4]/現代教養文庫版、1980年6月、ISBN 4390110225
- 江川紹子『六人目の犠牲者 名張毒ブドウ酒殺人事件』文藝春秋、1994年4月、ISBN 4163484205/『名張毒ブドウ酒殺人事件六人目の犠牲者』新風舎、2005年7月、ISBN 4797497610(文藝春秋版の改題)
- 戒能通厚、原田純孝、広渡清吾『日本社会と法律学 歴史、現状、展望 渡辺洋三先生追悼論集』日本評論社、2009年3月、ISBN 978-4535515994(宇佐見大司「名張毒ぶどう酒事件の検討」を収録)
- 越谷仁哉『名張毒ぶどう酒事件の毒物に関しての考察』Science Research、2007年3月、ISBN 978-4883615414
- 佐藤貴美子『銀の林』新日本出版社、1998年12月、ISBN 4406026290
- 田中良彦『名張毒ブドウ酒殺人事件 曙光』鳥影社、1998年5月、ISBN 4795229899
- 矢沢昇治(編)『冤罪はいつまで続くのか』花伝社、2009年10月、ISBN 978-4763405579(野嶋真人「『名張・毒ブドウ酒事件』-再審請求に提出した科学的見解による新証拠」を収録)
関連項目
- 日本弁護士連合会が支援する再審事件
- 日本の逆転有罪殺人事件一覧
- 三重県 - 名張市
- 冤罪
- 農薬
- 村社会
- 柳川喜郎(事件当時NHK記者としてこの事件を取材した)
外部リンク
- 名張毒ぶどう酒事件 奥西さんを守る東京の会 - 毒ぶどう酒事件の再審請求を求めて活動している団体で、事件の疑問点について詳しく取り上げている。
- 名張毒ぶどう酒事件 兵庫支援する会
- 名張毒ぶどう酒事件(再審えん罪事件全国連絡会)