男爵

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男爵(だんしゃく)とは爵位の一つである。古代中国、近代日本イギリスなどでは五等爵の第五位にあたり、フランスドイツロシアなど各国の爵位制度でも該当する爵位が存在する。

日本語の男爵に相当する英語はバロンBaron)という。バロンの女性形はバロネス(Baroness)でイギリスの制度では男爵の妻(男爵夫人)や男爵の爵位をもつ女性(女男爵)に用いる。イギリスでは男爵は上院議員になることができる貴族の最下位の称号である。バロンの下の称号としてバロネット(Baronet)があり準男爵と訳すが、準男爵は貴族院議員になることができず、貴族とはみなされない。なおスコットランドではバロンは爵位の称号ではなく、イングランドの男爵に相当する爵位はロード・オブ・パーラメントという。またヨーロッパのその他の国はロシアを含めてほとんどがバロン系統の称号を男爵の爵位に用いているが、ドイツのみ男爵に相当する爵位はフライヘル(Freiherr)という。

日本の男爵[編集]

華族
公爵
侯爵
伯爵
子爵
男爵

明治以降の華族制度において創設され、最下位の爵位とされた。以下のような人々が男爵を与えられた。

  1. 公家 - 維新後華族に列せられたる者。すなわち明治以降に分家した家(26家)と廃仏毀釈の風潮のなかで還俗した公家出身の興福寺の僧侶(所謂奈良華族。27家)がこれにあたる。さらに所謂地下官人家のなかでも殊に家格が高かった押小路家壬生氏の2家、及び公家出身で明治維新に功績のあった玉松操の子孫である玉松家(閑院流出身)、太宰府天満宮宮司で高辻家傍流とされる西高辻家にも特に男爵が与えられている。
  2. 武家 - 維新後華族に列せられたる者。すなわち明治以降に大名家から分家した家(35家)がこれにあたる。その他、御三家付家老として1万石以上を領していた紀伊田辺藩・安藤家、美濃今尾藩・竹腰家、常陸松岡藩・中山家、尾張犬山藩・成瀬家、紀伊新宮藩・水野家の5家、交代寄合のうち維新時に現米1万石以上であった播磨福本・池田家、出羽矢島・生駒家、大和田原本・平野家、常陸志筑・本堂家、備中成羽・山崎家、但馬村岡・山名家の6家、長州藩の支藩とされてきた周防岩国藩吉川家の計11家も「江戸時代以前は藩とは見なされなかったが明治以後に華族になった」と見なして男爵を与えられた。また戊辰戦争で改易された上総請西藩・林家は士族から再度華族に列せられたという扱いで男爵を授爵されている。高家・大沢家は1万石以上の現米収入があるとして一時男爵を与えられたが申告が虚偽であることが発覚して取り消された。徳島藩筆頭家老・稲田家は戊辰戦争、北海道開拓に功績があったとして男爵を与えられている。
  3. 僧職・神職 - 特に内規としてあてはまるものはなかったが、各地の神職のうち特に古い家柄のもの(伊勢神宮荒木田家・河辺家、同外宮松木家阿蘇神社阿蘇家宇佐神宮到津家・宮成家日御碕神社・小野家、物部神社金子家日前・国懸両神宮紀家出雲大社北島家・千家家熱田神宮・千秋家、住吉大社・津守家、英彦山天台修験座主・高千穂家。太字は国造家)、及び僧職のうち血縁によって職を世襲している家(浄土真宗木辺派管長・木辺家、同渋谷派管長・渋谷家、同高田派管長・常盤井家、同興正寺派管長・華園家)は華族に列せられた。このうち東西本願寺の大谷家を除く18家は男爵とされた。
  4. 新華族 - 国家に勲功ある者。政治家官僚軍人以外に三井家住友家鴻池家岩崎家のような実業家にも男爵が与えられた。また維新時の功績などといった名目により、大藩の家老家のうちかなりの数が「国家に勲功ある者」として男爵を授けられている。
  5. その他 - 菊地武臣五条頼定名和長恭南部行義新田俊純などが南朝の功臣の子孫であることを理由に新たに華族に列せられ、男爵を与えられた。

貴族院へは男爵中で互選した者が議員となった。

日本においては公爵、伯爵と並んで知名度の高い爵位であり、文学作品、漫画作品などにも多くの男爵が登場する。その多くは大礼服よりも伝統的なスーツや乗馬服をまとった紳士風の人物として描かれており、貴族と言うよりは上位の紳士の称号として認識されている感が強い。

男爵の名を冠するジャガイモの品種があり「男爵いも」とも呼ばれる。男爵いもは高知県出身の男爵・川田龍吉北海道上磯町(現・北斗市)でアイリッシュ・コブラーという品種の芋を試験栽培し、普及させたことに由来する。また理髪店のチェーンが男爵の名をチェーン名に用いているが、こちらの起業・経営に実在の男爵が介在したか否かは不明である。

主な日本の男爵[編集]

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