三島女子短大生焼殺事件
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三島女子短大生焼殺事件(みしまじょしたんだいせいしょうさつじけん)は、2002年(平成14年)1月22日に静岡県三島市で発生した服部純也による殺人事件である。
被殺害者数一名の事件の犯人に死刑判決が確定したことでも注目された。たんに、「三島事件」と呼称されることもある。
概要
2002年(平成14年)1月22日夜、静岡県三島市内で服部純也は帰宅中の被害者に声をかけたが相手にしてもらえなかったことに激昂し、自分の車に彼女を連れ込んで監禁し強姦した。その後車で数時間にわたり連れ回し、1月23日未明に市内の道路工事現場で被害者を縛り上げたうえ、灯油を浴びせ焼殺した。これを目撃した住民から警察への通報があり、現場から女性とみられる焼死体が発見されたことで事件が発覚し、焼死体は行方不明となっていた被害者であると判明。警察の捜査から事件当日に人身事故を起こしていた服部純也が捜査線上に浮上。事件現場に残されたDNAが被疑者のものと一致したため、事件発生から約半年後の7月23日に逮捕された(逮捕時の年齢は30歳)。
被害者が帰宅途中に乗っていた自転車も無くなっていたが服部純也の供述により、隣接する沼津市で発見された。さらに、監禁から殺害までの残忍な犯行が明らかとなった。
事件経過
- 2002年(平成14年)1月22日 焼殺事件が発生
- 2002年(平成14年)7月23日 容疑者が逮捕された
- 2003年(平成15年)10月23日 検察側が服部純也に死刑を求刑した
- 2004年(平成16年)1月15日 静岡地裁沼津支部は服部純也に無期懲役を言い渡した
- 2004年(平成16年)1月29日 検察と服部純也が東京高裁に控訴した
- 2005年(平成17年)1月18日 控訴審結審
- 2005年(平成17年)3月29日 東京高裁は、一審の無期懲役判決を破棄し、服部純也に死刑を言い渡した
- 2005年(平成17年)3月31日 服部純也は最高裁へ上告した
- 2008年(平成20年)2月29日 最高裁第2小法廷で、上告棄却の判決。死刑が確定した
備考
- 縛って生きたまま焼き殺すという殺害方法が極めて残虐と評価された。
- 服部純也は1995年(平成7年)に強盗致傷罪で懲役7年の判決を受けており、仮釈放から約9ヵ月後の犯行であった。
- この事件は、殺害人数が1人である。また服部純也に殺人罪の前科はなかった。1983年(昭和58年)の永山基準以降は、殺害人数が1人の場合、身代金目的誘拐殺人ではなく殺人の前科がない場合は、死刑判決を避ける傾向があった。
- 静岡地裁沼津支部は、事件が極めて残虐であったと事実を重視したものの、服部純也に殺人罪の前科なし、計画性、幼少時代の生活環境を理由に、検察の死刑求刑に対し高橋祥子裁判長は無期懲役を言い渡した。
- 東京高裁は、事件が極めて残虐であった事実を重視し、また、この事件は計画性があったことの理由や、幼少時代の生活環境ではなく、服部純也自身の性格が事件の原因となった理由を示し、殺害人数が1人で殺人罪の前科もなかったが、服部純也に死刑の判決を言い渡した。
- 最高裁小法廷は、「意識のある人間に火をつけて殺すという残虐な殺害方法などからすれば死刑はやむを得ない」と述べ、服部純也の上告を棄却し、死刑判決が確定した。