「早坂茂三」の版間の差分
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+ | *2004年4月号の『[[文藝春秋]] 』特集記事「250万人が読んだ[[芥川賞]]二作品の衝撃」で、20歳で芥川賞を受賞した[[綿矢りさ]] と[[金原ひとみ]]の作品を批評、綿矢「[[蹴りたい背中]]」を「私の[[旧制中学]]時代は『天皇のために死ね』、『[[鬼畜米英]]を撃滅せよ』の毎日であり、高校生仲間の[[ムラ八分]]でうじうじする少年少女は倖せ者で羨ましい」と評し、舌にピアスをする若者を描いた金原「[[蛇にピアス]]」には、「私の若い頃は親から貰った体を大事にしろといわれたものだ」と発言。他の寄稿者がほとんど全員「理解ある」態度を示す中で、高齢者としての違和感を率直に表明して異彩を放った。まもなく早坂は病没、これが最後の文章でまさに「遺言」となった。 | ||
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+ | ==著書== | ||
+ | *『オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語―田中角栄との23年』 [[集英社]] 1987年 | ||
+ | *『政治家田中角栄』 [[中央公論社]] 1987年 | ||
+ | *『早坂茂三の「田中角栄」回想録』 [[小学館]] 1987年 | ||
+ | *『駕籠(かご)に乗る人 担(かつ)ぐ人―自民党裏面史に学ぶ』[[祥伝社]] 1988年 | ||
+ | *『捨てる神に拾う神―もっと無器用に生きてみないか』祥伝社 1991年 | ||
+ | *『権力の司祭たち』[[飛鳥新社]] 1991年 | ||
+ | *『宰相の器―人心は、どんな男に向かうのか』クレスト社 1992年 | ||
+ | *『鈍牛にも角がある』[[光文社]] 1993年 | ||
+ | *『男たちの履歴書―いかにして道を拓くか』クレスト社 1994年 | ||
+ | *『政治家は「悪党」に限る』[[文藝春秋]] 1995年 | ||
+ | *『意志あれば道あり―すべては自助努力に始まる』クレスト社 1997年 | ||
+ | *『渡る世間の裏話―人生の達人たちに学ぶ』 [[東洋経済新報社]] 1997年 | ||
+ | *『新・渡る世間の裏話―レアリズムが身を助ける』 東洋経済新報社 1998年 | ||
+ | *『けもの道を抜け、平場を歩め―猫にみる雑種の知恵』 光文社 1998年 | ||
+ | *『オヤジの知恵』 集英社インターナショナル 1999年 | ||
+ | *『怨念の系譜 [[河井継之助]]、[[山本五十六]]、そして田中角栄』東洋経済新報社 2001年 | ||
+ | :改題を含め上記全16冊は、[[集英社文庫]]で再刊された。 | ||
+ | *遺著に『オヤジの遺言』 集英社インターナショナル、2004年 | ||
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2009年11月3日 (火) 11:24時点における版
早坂 茂三(はやさか しげぞう、男性、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。北海道函館市恵比須町出身。田中角栄元内閣総理大臣の政務秘書を23年間務めた。秘書を辞めた後は、多くの著書を出した。元日本共産党員。
経歴
1943年東川小学校卒業、北海道庁立函館中学校、弘前高等学校を経て、1950年早稲田大学政治経済学部新聞学科入学。学生運動にのめりこみ浪人留年を繰り返した後に、1955年に早稲田大学政治経済学部を卒業。
東京タイムズ社に入社し、『東京タイムズ』の政治部記者として田中角栄と知り合った。 1962年、大蔵大臣を務める田中の秘書官になり、田中の内閣総理大臣在任中を含め、田中が脳梗塞で倒れた1985年まで政策担当の秘書を務めた。田中の病気治療方針などをめぐり、長女真紀子と対立し罷免、政治評論家に転身した。
田中角栄の政治的足跡や生き方をテーマにした著書を複数出す一方、人生論を若者向け雑誌に連載するなど、活動を広げていた。テレビでは報道番組のほかクイズ番組やドラマにも多数出演した。
エピソード
- 趣味は金魚飼育で、喫煙者(生放送出演時にも喫煙タイムを求める程、自他共に認めるヘビースモーカー)。
- 1992年にフジテレビ系列で放送された連続ドラマ「ジュニア・愛の関係」では政界の実力者・田丸魁に扮し、堂々たる演技を披露している(このドラマに出演した理由は、それ以前に同局で放送されていた「七人のHOTめだま」の出演者として好評を博し、プロデューサーから頼み込まれたため)、本人は著書で一回だけの道楽と述べている。
- 1989年4月竹下登首相辞任の翌日に、秘書青木伊平が自殺したときには、数十年来の付き合いのあった早坂もテレビインタビューに出て、最初は冷静に淡々と応じていたが、やがてタバコを吸おうとして「かわいそうだなあ。苦労してね。もうね、こういうのはね、もうこれっきりにしてもらいたいな」と声を震わせている。
- 1993年の総選挙で真紀子が初当選したときに、選挙特番に出演していた早坂が「マコちゃんおめでとう」とねぎらいの言葉をかけたがピンマイクが外れて聞こえないふりをされた。
- 1999年5月、因縁の深い全日空機の離陸時に、椅子を倒したままだったのでスチュワーデスに椅子を元に戻すように促されたが、頑なに拒否。出発が大幅に遅れた。翌日の新聞にも報道され、マンガでも扱われた。
- 2001年にTBSの『ここがヘンだよ日本人 外務大臣田中真紀子特集』にゲスト出演したが、「真紀子」紹介のVTR後、真紀子に対する自分のコメントを聞かず、やたら野次を飛ばす外国人出演者たちの態度の悪さに感情を露に怒っている。
- 2004年4月号の『文藝春秋 』特集記事「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃」で、20歳で芥川賞を受賞した綿矢りさ と金原ひとみの作品を批評、綿矢「蹴りたい背中」を「私の旧制中学時代は『天皇のために死ね』、『鬼畜米英を撃滅せよ』の毎日であり、高校生仲間のムラ八分でうじうじする少年少女は倖せ者で羨ましい」と評し、舌にピアスをする若者を描いた金原「蛇にピアス」には、「私の若い頃は親から貰った体を大事にしろといわれたものだ」と発言。他の寄稿者がほとんど全員「理解ある」態度を示す中で、高齢者としての違和感を率直に表明して異彩を放った。まもなく早坂は病没、これが最後の文章でまさに「遺言」となった。
- 渡辺恒雄とともに中曽根康弘の首相就任に奔走した。中曽根嫌いの角栄の矛を収めたのは早坂の手腕が大きいという。なお中曽根は首相就任後渡辺とともに料亭に早坂を訪問し中曽根が土下座し角栄や早坂の賛辞を述べた。
著書
- 『オヤジとわたし 頂点をきわめた男の物語―田中角栄との23年』 集英社 1987年
- 『政治家田中角栄』 中央公論社 1987年
- 『早坂茂三の「田中角栄」回想録』 小学館 1987年
- 『駕籠(かご)に乗る人 担(かつ)ぐ人―自民党裏面史に学ぶ』祥伝社 1988年
- 『捨てる神に拾う神―もっと無器用に生きてみないか』祥伝社 1991年
- 『権力の司祭たち』飛鳥新社 1991年
- 『宰相の器―人心は、どんな男に向かうのか』クレスト社 1992年
- 『鈍牛にも角がある』光文社 1993年
- 『男たちの履歴書―いかにして道を拓くか』クレスト社 1994年
- 『政治家は「悪党」に限る』文藝春秋 1995年
- 『意志あれば道あり―すべては自助努力に始まる』クレスト社 1997年
- 『渡る世間の裏話―人生の達人たちに学ぶ』 東洋経済新報社 1997年
- 『新・渡る世間の裏話―レアリズムが身を助ける』 東洋経済新報社 1998年
- 『けもの道を抜け、平場を歩め―猫にみる雑種の知恵』 光文社 1998年
- 『オヤジの知恵』 集英社インターナショナル 1999年
- 『怨念の系譜 河井継之助、山本五十六、そして田中角栄』東洋経済新報社 2001年
- 改題を含め上記全16冊は、集英社文庫で再刊された。
- 遺著に『オヤジの遺言』 集英社インターナショナル、2004年