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2016年11月21日 (月) 15:07時点における版
道仁会(どうじんかい)は、福岡県久留米市に本部を置く指定暴力団。構成員総数は2010年度の調査でおよそ850(警察庁)。福岡県のほかにも佐賀県や熊本県などに系列組織を置いている。
顕著なる反権力性、反警察的色彩ならびに極度の好戦的傾向から知られる暴力団組織で、その結成からというもの数多の抗争事件をもってその名を知らしめてきた。10倍近い勢力を有する山口組を相手に一歩も引かない姿勢を示した1980年代のいわゆる『山道抗争』における激烈な戦闘行動や、関東地方の大組織・住吉連合会との突発的な抗争に際して問答無用の総力戦を敢行しようとしたことなどから、暴力団界にあって非常に『恐ろしい』組織であるとの評判が定着。
長年にわたって日本屈指の強力な犯罪組織としてあり続けており、その性質面については、安田雅企は『信じ難い蛮勇』を有する組織であると、ジェイク・エーデルスタインは『とりわけ獰猛(凶暴)な組織』であると述べる。
2000年代中盤頃からは、人事を巡って分裂した九州誠道会を相手とした、暴力団史に類を見ないほどの極めて破壊的な銃火器類を多用した激しい抗争の当事者となり、全国的な関心を惹起する事態ともなっている。
目次
来歴
1971年(昭和46年)に古賀一家を含む4団体が合体し道仁会を結成。この統合を主導したのが初代会長の古賀磯次であった。やがて初代の幹事長であった松尾誠次郎が1992年(平成4年)に二代目を襲名。
2006年(平成18年)における松尾の引退に伴い、傘下松尾組の首領であった大中義久を会長とする三代目体制が発足するも、同時期に離反した九州誠道会の手により翌2007年(平成19年)に大中が射殺されたことから早くも終焉。
当時服役中であった小林哲治が四代目を継承した。
抗争史
道仁会が当事者となってきた数々の抗争事件のうち、20世紀における主要なものとしては、1978年における大牟田市内の名門暴力団組織・馬場一家との抗争、1980年における伊豆組内伊豆一家との抗争、1982年における久留米市内の向山一家との抗争、1983年における馬場一家との第二次抗争および住吉連合会との抗争、そして1986年からおおよそ8ヶ月間にわたって続いた山口組との抗争が挙げられる。住吉連合会との抗争に際しては、組員らが大挙して上京したうえで東京都内に潜伏、同時多発急襲寸前というところまで事が進んだものの、まさに間一髪という時点で落着。のちに『山道抗争』として語られるようになった山口組との抗争は、その膨大な発砲回数と死傷者の急増から全国的なマスメディアの関心を惹起することにもなった。
対九州誠道会
長年にわたり組織を率いた松尾誠次郎が2006年に引退を表明。これに際して大牟田市を本拠地とする村上一家を中心とした勢力が次期の人事決定に反発し、道仁会から脱退したうえで、『九州誠道会』という名の新団体を発足させた。これが抗争の起こりであった。
年内にさっそく本部事務所がAK-47アサルトライフルによる激しい掃射を受け、それから2年間のうちに7名の死者を計上した。
誠道会側からの終結の宣言が行われた2008年頃からしばらくは局所的な抗争事件が発生するに留まっていたものの、やがて再燃し、特に2011年に入ってからは激化が確認されている。
2011年度の目立った関係事案あるいは関係が疑われる事案としては、誠道会系元組長を含む2名が誠道会本部事務所の至近地で乗車していたワゴンごと電柱に衝突し即死、爆発炎上後の車内から手榴弾が発見された事件や、佐賀県伊万里市で組員が誠道会系幹部を回転式拳銃で射殺した事件、佐賀県小城市で組員と疑われる男が誠道会系組員の居宅を襲ったうえで刺殺した事件、大川市で道仁会関係と見られる車と誠道会系組員らの乗る車とがいわゆるカーチェイスによる銃撃戦を展開した事件、会長宅が機関銃や手榴弾で武装した誠道会関係者による襲撃を受けた事件などが幅広く報道された。
略歴
初代
初代古賀磯次が一代で築き上げた好戦的な組織で、極めて反権力、反警察の色彩が強い。
1965年に結成した古賀一家を源流としており、1971年に「道仁会」と改称した。1981年には大牟田の馬場一家と「第1次馬場一家抗争」、1982年には久留米市内の向山一家と10回近い発砲事件を起こし、1983年には「第2次馬場一家抗争」と呼ばれる20数回にわたる銃撃戦を繰り返し各地域の団体を傘下に収めた。
道仁会の名が全国に轟いたのは1986年7月から翌87年2月まで繰り広げられた「山道抗争」である。組員の移籍のもつれから発生したこの抗争では山口組稲葉一家との対立から後に伊豆組が参戦、全面戦争となり、77件の事件で死者9人を出した。
二代目
1992年1月に幹事長・松尾誠次郎が二代目を継承し、組織力を強化、磐石の体制を整えた。1992年12月14日、福岡県公安委員会から指定暴力団に指定された。傘下組織は5県にまたがり、準構成員も含めると1000人を超える九州最大の暴力団になった。
三代目
2006年5月に松尾誠次郎が突如引退を発表。後継人事を巡り、傘下最大組織の三代目村上一家(本部・福岡県大牟田市、約200人)、永石組、鶴丸組、高柳組が反発し、2006年5月21日には抗争に発展した。
本部事務所(久留米市通東町)が旧ソ連の自動小銃(AK47の改造銃)で銃撃され、市内の系列事務所付近では手りゅう弾が爆発、暴力団とは関係のない商店が破壊された。 その後、2006年6月11日に村上一家、永石組、鶴丸組、高柳組は道仁会を脱退し、2006年7月19日にそれらの組で、福岡県大牟田市において九州誠道会を発足させた。
歴代会長
初代会長は古賀磯次、2代目は松尾誠次郎、3代目は大中義久(松尾義久)、4代目は小林哲治。初代会長の古賀は2009年に74歳で死去。3代目の大中は2007年に乗用車から降りたところを頭部に銃撃を受けて即死。
最高幹部
- 会 長 - 小林哲治
- 会長補佐 - 篠塚信之
- 相談役 - 出口義春
- 理事長 - 坂本康弘(三代目平野組組長)
- 副会長 - 山田貞美(二代目前田一家総長)
- 副会長 - 森憲一郎(森組組長)
- 副会長 - 平山貞男(二代目池田組(繁)組長)
- 本部長 - 福田憲一(福田組組長)
- 組織委員長 - 久保鉄也(久保組組長)
- 理事長補佐 - 前田義光(三代目古賀一家総長)
- 理事長補佐 - 大沢孔一(大沢組組長)
- 風紀委員長 - 篠塚 太(二代目篠塚組組長)
- 事務局長 - 古賀繁敏(二代目荒巻組組長)
- 慶弔委員長 - 竹田隆史(竹田組組長)
舎弟
直若
- 浦塚明(二代目中村一家総長)
- 堤修平(三代目松尾組組長)
- 志岐公司(三代目吉岡一家総長)
- 岡田充(岡田組組長)
- 百田雅治(百田組組長)
- 川口 勇(川口会会長)
- 塩満哲也(御薗会会長)
- 山下十志郎(二代目長崎一家総長)
- 小森正(二代目見城組組長)
- 中山雄次(中山組組長)
- 松永高佳(二代目平井組組長)
- 吉富文哉(二代目大平組組長)
- 武田俊博(二代目出口一家総長)
- 松隈達也(三代目池田(繁)組組長)
- 江頭康広(江頭組組長)
- 矢ヶ部哲司(矢ヶ部組組長)
- 松永一夫(松永組組長)
- 中村 太(太道会会長)
- 古賀圭輔(奎仁会会長)
- 白水浩司(二代目小林組組長)
下部組織
- 二代目小林組 - 福岡県
- 三代目平野組 - 熊本県
- 森組 - 長崎県
- 二代目池田組(博) - 福岡県
- 三代目吉岡一家 - 福岡県
- 福田組 - 福岡県
- 三代目松尾組 - 福岡県
- 二代目前田一家 - 佐賀県
- 二代目見城組 - 福岡県
- 二代目大平組 - 福岡県
- 二代目池田組(繁) - 福岡県
- 出口一家 - 福岡県
- 松永組 - 福岡県
- 太道会 - 福岡県
- 竹田組 - 福岡県
- 二代目平井組 - 福岡県
- 平山組 - 福岡県
- 久保組 - 福岡県
- 川口会 - 福岡県
- 二代目中村一家 - 福岡県
- 二代目長崎一家 - 佐賀県
- 二代目荒巻組 - 佐賀県
- 中山組 - 佐賀県
- 石政組 - 佐賀県
- 石橋組 - 佐賀県
- 三代目古賀一家 - 熊本県
- 山下組 - 長崎県
- 坂本組 - 熊本県
- 百田組 - 熊本県
- 御薗会 - 熊本県
- 宮本組 - 熊本県
- 矢ケ部組 - 福岡県
歴代理事長
九州誠道会・道仁会の抗争事件
- 2007年6月13日午後5時ごろ、佐賀県佐賀郡久保田町(現・佐賀市)久富の福所江川の船着き場で、鶴丸善治・九州誠道会鶴丸組組長が左胸など数カ所を刺された死体で発見された。
- 同年6月19日午前、九州誠道会忠真会の入江秀則会長代行が、熊本市の自宅で銃撃され死亡。11月12日に道仁会系組幹部ら10名が逮捕。
- 同年7月、福岡県警は久留米市のマンション一室から拳銃4丁と実弾33発、道仁会系組事務所25か所に印を付けた地図を押収。同マンションには山口組系組員らが出入りしており、九州での勢力拡大を狙った山口組系暴力団が誠道会側に加担していたとの情報もある。
- 同年7月16日午前3時ごろ、九州誠道会田口組事務所に爆発物が投げ込まれる
- 同年8月18日、 道仁会三代目会長に就任していた大中義久が、福岡市中央区黒門の路上で銃撃され死亡。2007年9月14日、服役中の小林哲治理事長が四代目を継承。
- 翌8月19日、熊本市南千反畑町の駐車場で九州誠道会忠真会の中村文治会長が銃撃され重傷。のち道仁会系組幹部2名が逮捕されている。
- 同年11月8日午前7時40分頃、佐賀県武雄市朝日町甘久の篠田整形外科に入院していた板金業の男性(34)が拳銃で男に撃たれ、まもなく死亡した。同月25日、県警がこの事件の殺人容疑で逮捕状を取っていた道仁会系組員が福岡県大野城市内で同県警の職務質問を受け、抵抗して回転式拳銃を1発発射し、銃刀法違反の現行犯で逮捕された。この組員は佐賀地裁での初公判(2008年3月17日)で人違い殺人だったことを認める証言をしている。
- 同年11月12日午前11時ごろ、福岡県大牟田市歴木の兼行病院玄関前で発砲があり、同病院に通院していた九州誠道会村上一家古賀組の古賀茂喜組長(52)が胸などを撃たれ死亡した。現場から黒いジャンパーにサングラスをかけた男が逃走しており、福岡県警は殺人事件として捜査中。
- 同年11月27日、福岡県久留米市の駐車場で道仁会大平組組長・松尾義和が、黒服の男に至近距離から頭や首を4、5発撃たれ、脳挫傷で即死した。さらに約200メートル離れた国道322号交差点付近の路上で、運転手役の配下の組員・藤村 要も左胸を刺され死亡しているのが見つかった。犯人を追いかけて刺されたと見られる。
- 2008年3月、九州誠道会は、会長の引退と道仁会との抗争の終結を宣言(同年2月5日付)。宣言書を福岡、熊本両県警に送付し、武雄事件の遺族にも通知した。道仁会側も福岡県警に「もう攻撃はしない」と伝えているとの報道もあったが、2012年現在もなお抗争中である。
現在、総本部事務所退去問題で、事務所を移転せざるを得なくなった為に、三代目松尾組本家兼総本部事務所に道仁会総本部を置いている。
福岡県警が銃撃事件で九州誠道会と道仁会の抗争を警戒(2009年1月)
福岡県柳川市で2009年1月20日夜、指定暴力団道仁会(本部・同県久留米市)系組幹部が銃撃され重傷を負った事件で、県警は21日、同会系及び同会と対立する指定暴力団九州誠道会(本部・同県大牟田市)系組事務所など県内十数カ所で、24時間の警戒態勢やパトロール強化を実施した。県内で同様の事件が起きないよう厳重に警戒している。
今回の事件は道仁会と九州誠道会の対立抗争の可能性が高いとみられている。
両組織をめぐっては、県内では2007年6月、久保田町(当時)で九州誠道会系組長が刺殺された。また、同年11月には武雄市の医院に入院中の一般市民が、暴力団関係者と間違われて道仁会系組員(当時)に射殺される事件も起きている。
誠道会副会長撃たれ重体、福岡市東区のマンション前(2012年4月)
2012年4月8日午後6時50分頃、福岡市東区和白5のマンション前で、近くにいた男性会社員から「拳銃で人が撃たれた」と110番があった。
福岡県警東署員が駆けつけたところ、男性が後頭部を撃たれており、病院に搬送された。男性は、指定暴力団九州誠道会(本部・福岡県大牟田市)ナンバー2の上村隆幸副会長(58)で、意識不明の重体。県警は、対立する指定暴力団道仁会(同・同県久留米市)との抗争とみて、殺人未遂容疑で捜査している。
発表などによると、上村副会長の後方から近寄ってきた男が、至近距離から上村副会長に向けて1発発砲し、歩道から近くのスーパーの駐車場を横切って走って逃げた。男は、身長1メートル65~1メートル70でやせ形。茶色っぽいジャンパー、黒っぽいズボンを着用し、顔の鼻から下を布のようなもので隠していたという。
県警は、上村副会長が現場にいた経緯についても調べている。
道仁会vs九州誠道会・「暴排」が崩す全国の“マル暴バランス”
マフィア映画を地でいくような襲撃が住宅街で起きた。北九州市小倉南区で2012年4月19日早朝、福岡県警元警部、広石保雄さん(61)が暴力団関係者とみられる男に銃撃された。
福岡県では2011年、18件の発砲事件が発生しており、凶悪な銃器犯罪は止む気配がない。一方、事件は福岡だけでなく全国に衝撃を与えた。昨年、全国で暴力団排除条例が出そろったばかりでもあり、被害者が県警の「保護対象者」だったためだ。大阪府警でも4月、身辺警戒員を配置させるなど、警察当局は暴力団に対する姿勢を強めている。「福岡だけではなく、警察全体への挑戦」。暴力団捜査の現場は緊張が高まっている。
赤く染まった通学路
前方から、黒っぽい服装でフルフェースのヘルメットをかぶったバイクの男が近づいてきた。男はすれ違いざま、無言で拳銃の引き金を引く。「パン、パン、パン」。数発、音が響き渡ったかと思うと、見る間に衣服に血が広がっていった。
現場近くに住む内装業の男性(65)は、声を震わせながら証言する。
「大きな音がして驚いて外に出ると、路上で男性が倒れ、着ていたワイシャツから赤い血がにじんでいた。男性は『腰が痛い』とうめいていた」
広石さんが襲撃されたのは、4月19日午前7時ごろ。自宅から勤務先の病院へ通勤するため、最寄り駅に向かう途中だった。
現場近くには市立湯川小学校などがあり、事件のあった時間帯には多くの児童や生徒も通行する。
3人の子供を持つパート従業員の女性(39)は「もし、流れ弾が子供に当たったら、死んでいたかもしれない。子供たちも怖がって、『大丈夫だよ』と励ましているが、しばらくは不安でいっぱい」と話す。
穏やかな住宅街で突如、起こった銃撃事件。広石さんは、県警に「狙われる心当たりはない」と話しているという。しかし、前兆のようなものは、あった。
捜査関係者によると、事件前、自宅周辺では工藤会幹部の姿がたびたび目撃されていた。現役当時は暴力団捜査の担当で、特に工藤会を専門としていた。
こうした状況を合わせ、県警は発砲事件が工藤会の組織的犯行とみて捜査。4月25日、殺人未遂容疑で本部事務所を家宅捜索した。
暴排条例施行のさなか
福岡県内では昨年から発砲事件が相次いでいる。今年に入ってからも、1月に同県中間市で建設会社社長が銃撃されて重傷を負ったほか、4月にも福岡市東区のマンション前で暴力団幹部が撃たれ、意識不明の重体となっている。
捜査関係者によると、同県内で発砲事件が相次ぐ理由は2つあるとされる。
1つは、いずれも県内を拠点とする指定暴力団道仁会と九州誠道会の争いだ。両組織は平成18年、人事をめぐって分裂。その後は九州各地で拳銃や手榴弾などを使った激しい抗争を繰り返しており、翌19年には佐賀県武雄市で、病院の入院患者が九州誠道会の関係者に間違われ、道仁会系の組員に拳銃で射殺される事件も発生した。
もう1つは、昨年、全国で施行された暴力団排除条例だ。同条例では、市民に暴力団との関係を断ち切ることを求めており、同県でも、多くの企業が暴力団との縁を切り始めた。この動きに対し、暴力団側が反発。報復や見せしめとして、企業が襲撃されるケースが増えているという。
全国的にみても、これほど抗争が過熱し、発砲事件も相次いでいる地域はない。例えば、大阪では、平成9年、当時山口組のナンバー2だった宅見勝若頭が射殺された事件に端を発した抗争事件以降、暴力団同士の目立った争いはほとんど確認されていない。
にもかかわらず、全国の警察当局が福岡県警の捜査の行方を注視しているのは、大げさに言えば、暴排条例の成否にかかってくるとの懸念があるからともいえる。
かつて、暴力団に支払うみかじめ料を断ったために会社に銃弾を撃ち込まれたという建設会社社長は「今の時代、暴力団と交際することは許されないが、関係を断ち切ることで結果的に市民が矢面に立たされることもある」と話す。
こう思う市民が増えれば、暴排条例は「絵に描いた餅」になってしまう。
「全国警察への挑戦だ」
全国の警察当局はこれまで、暴排条例を精力的に活用してきた。
大阪府警は、暴力団関係者にマイクロバスを貸した府内のレンタル会社や「破門状」の印刷を請け負った印刷会社に指導書を交付。暴力団との付き合いを続けることに対して厳格な姿勢を示している。
さらに府警は4月、暴力団から危害を受ける恐れのある民間人を保護するため、80人を「身辺警戒員」(Protection Officer=略称・PO)に任命した。暴排条例を念頭に、暴力団との関係遮断を目指している市民や企業の役員らの警護が目的で、1人の保護対象者に対して複数人で行動し、必要に応じて24時間態勢で警護にあたる。
府警はPOについて「暴排条例の施行後、警察は本当に市民を守ってくれるのかという問い合わせが相次いでいる。POを中心に保護対策を充実させていきたい」と意気込んでいた。
このPOは、福岡がきっかけとなって生まれたものだった。暴力団排除運動を推進する住民グループのリーダーらを狙った発砲事件が頻発したことなどを受け、警察庁が昨年12月、全国の都道府県警に配置するよう通達していたのだ。
しかし、今回の襲撃事件では、保護対象だった人物が狙撃された。福岡県警では、広石さんの自宅周辺をパトカーが定期的に巡回していたというが、それでも銃撃を受けており、暴排に取り組もうとする市民の不安が現実になった格好だ。
「完璧な保護」というものが難しい以上、警察当局には事件を未然に防ぐ厳重な警戒のほか、さまざまな法令を駆使して暴力団の壊滅を進めることが求められる。府警のある捜査員は、全国の警察官の決意を代弁するようにこうつぶやいた。
「事件は警察全体への挑戦だ」
道仁会系組事務所が撤去・賃貸借契約解除(2012年5月)
福岡県警久留米署は2012年5月21日、同県久留米市松ケ枝町の指定暴力団道仁会系組事務所が、県暴力団排除条例に基づいて所有者との賃貸借契約を解除し、撤去されたと発表した。撤去は4月下旬で、同署が5月11日に確認した。
久留米署によると、事務所は3階建ての鉄筋家屋の2、3階に入居。2006年5月、道仁会会長の交代が発端とみられる内部抗争で発砲事件が起きた。事務所は県暴排条例施行前に契約されていたが、同署が条例の理念に基づき、今年3月ごろから契約の解除を双方に求めていた。