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国のリーダーは、いくら反日的であっても、自らはそれを表に見せてはいけない。逃げ道がなくなるからだ。だが、朴大統領は自ら反日的な発言をするなど、これまで反日路線を続けてきた。それだけに、今さら反日をやめたと受け止められるような対応はできず、国内外の批判の間で、ジレンマに陥っている。 | 国のリーダーは、いくら反日的であっても、自らはそれを表に見せてはいけない。逃げ道がなくなるからだ。だが、朴大統領は自ら反日的な発言をするなど、これまで反日路線を続けてきた。それだけに、今さら反日をやめたと受け止められるような対応はできず、国内外の批判の間で、ジレンマに陥っている。 | ||
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+ | == 朴大統領 言論弾圧へサイバー検閲で政権批判封じ(2014年10月)== | ||
+ | 韓国の朴槿恵大統領(62)がまたも世界の笑いモノだ。 | ||
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+ | 朴大統領の名誉を毀損したとして[[産経新聞]]の前ソウル支局長が在宅起訴されたことで、朴政権の言論の自由に対する認識に批判が出ていることについて、韓国外務省報道官は14日、「わが国は言論の自由がどの国よりもよく保障されている」と述べた。 | ||
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+ | しかも、ソウル中央地検は14日、黄教安法相に対し、15日に期限が切れる加藤氏の出国禁止を3か月間延長するよう要請した。そもそも産経新聞の報道は、韓国メディアの記事内容を引用したものだった。 | ||
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+ | さらに、自国で今度はネット上の誹謗中傷にも“リアルタイムのサイバー検閲”を実施し、発言者を摘発するシステムを構築するつもりだ。 | ||
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+ | 韓国検察庁によると取り締まりの対象となるのは「国論分裂および政府・公職者の誹謗」。具体的な中身として(1)疑惑提起を装った根拠のない暴露、(2)国家的大型事件発生時に事実を歪曲して政府政策に対する不信を助長する各種陰謀説、虚偽デマの流布、(3)公職者の人格と私生活に対する悪意的で不当な誹謗中傷という。 | ||
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+ | すでに検察庁は朴大統領の命を受け、[[SNS]]の「[[ネイバー]]」「[[カカオトーク]]」といったネット業界関係者と接触し、ホットラインを構築。そこからインターネット犯罪捜査センターで運用中の「インターネット・モニタリングシステム」を活用すれば、悪意のある単語を入力・検索するだけで、リアルタイムで発信者を特定できるという。 | ||
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+ | 韓国メディア関係者は「産経新聞の件を含め、一連のバッシング規制は朴大統領自らが先導している。4月の[[セウォル号の海難事故]]以来、大統領の辞任を求める声が高まっており、そうした声を権力を使って無理矢理封じ込めようとしている。完全に暴走モードだ」と指摘する。 | ||
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+ | [[北朝鮮]]や[[中国]]ばりの言論統制に国民からも「独裁だ」「先進国とは思えない」など、非難の声が上がっている。 | ||
== 北東アジア列車フェリー構想 == | == 北東アジア列車フェリー構想 == |
2015年4月5日 (日) 16:43時点における版
朴 槿惠(パク・クネ、1952年2月2日 - )は、大韓民国の政治家。大韓民国第18代大統領。軍事政権の流れを汲む保守派ハンナラ党(現セヌリ党)代表非常対策委員長を経て2013年2月25日、韓国史上初の女性大統領となった。
目次
概要
韓国の第5代 - 第9代大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)の二番目の女子。1952年、慶尚北道大邱市で朴正煕・陸英修夫妻の長女として生まれた。異母姉に在玉、妹に槿英、現EGテック会長の朴志晩(パク・チマン)は末弟。父の軍人時代の副官で元カナダ大使の韓丙起は在玉の夫で義兄に当たる。
キリスト系の聖心女子中学校・聖心高校から、西江大学電子工学科に進学し中国語も専攻、首席で卒業後、フランスのグルノーブル大学に留学した。留学中の1974年8月15日に文世光事件で母親の陸英修(ユク・ヨンス)が暗殺されたため、急遽留学先のフランスから帰国。1979年に朴正煕暗殺事件で父親が金載圭(キム・ジェギュ)KCIA長官に暗殺されるまで、ファーストレディー役を務めた。父の死亡を耳にした際の第一声は、混乱に乗じて朝鮮人民軍が侵攻することを懸念した「休戦線は大丈夫か」だった。
独身。幼い頃は『三国志演義』が大好きで趙雲のファンだった。大学時代に中国語を勉強し、現在も中国語で取材を受け答えできるほど堪能である。知中派として中国に紹介されている。
経歴
政界入りとハンナラ党代表就任
ガールスカウト団名誉総裁、財団理事長を務めた後、1998年に行われた国会議員補欠選挙(大邱広域市達城郡)に立候補、当選し政界入りした。当選後、ハンナラ党副総裁など党要職を歴任。2002年2月にハンナラ党を離党した後、同年末に行われる大統領選挙に向け新党「韓国未来連合」を結成したが、11月にハンナラ党に復帰した。
2004年3月23日、韓国では1965年に野党民衆党の代表最高委員(党首)に朴順天(パク・スンチョン)が就任して以来、39年ぶりの女性党首としてハンナラ党の代表に就任。2004年4月の総選挙でも達城郡の選挙区から当選した。この選挙では、大統領弾劾を可決したハンナラ党は惨敗が予想されたが、朴槿恵の知名度と人気で小幅の後退に食い止め、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。
2005年10月5日、ハンナラ党代表として韓国軍のヘリコプターを用いて竹島へ上陸した。
2005年11月8日にはニューライト全国連合創立大会に参加する。
2006年5月20日午後、第4回全国同時地方選挙の支援遊説中にカッターナイフで男に切り付けられ、右耳下から顎にかけて10センチの傷を負い60針縫う手術を受けた。この際、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領支持団体(ノサモ)からは、「60針を縫ったのは整形手術」という声が挙がったが、それが逆に反感を呼び大統領支持派に対する批判拡大へと繋がり、地方選挙でのハンナラ党圧勝に繋がった。なお犯人の背後関係については、検察・警察の合同捜査本部による捜査の結果、「単独犯」との結論に達した。
2007年大統領選ハンナラ党予備選
襲撃事件による同情票や盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権の経済失政に対する批判、さらに「整形発言」への反発もあって、2006年5月31日に行われた統一地方選挙ではハンナラ党を地滑り的勝利に導いた。この結果、同じハンナラ党の李明博(イ・ミョンバク)に次ぐ2007年の韓国次期大統領選の有力候補としての地位を固めたが、2007年8月20日に、党大会で行われた大統領候補党内予備選挙で李明博に敗れた。翌年(2008年)4月の第18代総選挙で4度目の当選を果たしている。
2010年12月27日、政策研究のためのシンクタンクとなる国家未来研究院を発足させ、2012年に予定されている大統領選挙に向けて本格始動を開始した。2011年4月27日の再補選でハンナラ党が敗北し安商守(アン・サンス)党代表が辞任したことを受けて行われる党内選挙への出馬がささやかれていたが5月20日、選挙への不出馬を表明した。
セヌリ党非常対策委員長
2011年10月に行われたソウル市長補欠選挙における党公認候補の敗北と同市長選における中央選挙管理委員会ホームページへのサイバー攻撃に党所属国会議員秘書の関与が発覚するなど、ハンナラ党にとってマイナスとなる出来事が相次ぎ、12月9日には7月の全党大会で選出された洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表が辞任を表明するに至った。混迷の度合いが強まる中で行われた12日の議員総会において朴槿恵元代表を委員長とする非常対策委員会を発足させることで意見がまとまった。これにより朴元代表が5年5ヶ月ぶりに党の指揮を執ることになった。しかし、非常対策委員会が主導する党刷新の方向性については、意見がまとまらず派閥間で対立が続いた。
2011年12月20日に開かれた全国委員会で、朴槿恵元代表を非常対策委員会委員長に選出した。党最高委員の全権が非常対策委員長にゆだねられたことで、朴槿恵が実質的な党代表として地位を持つことになった。2012年2月7日、4月に行われる予定の総選挙に関し、自身は地域区(大邱市達城郡)から出馬しないことを表明した。同月13日、この日行われた党全国委員会で党名改正と党憲・党規改正案が承認された結果、党名はハンナラ党からセヌリ党へ改称され、引き続き非常対策委員長の職に就いた。当初、比例代表名簿順位1位で立候補することが有力視されたが、最終的にセヌリ党比例候補者名簿順位11位で立候補した。
2012年大統領選挙
総選挙では非常対策委員長として選挙の陣頭指揮を執り、セヌリ党は最大野党である民主統合党を大きく上回る152議席(うち比例代表25議席)を獲得、選挙前議席(162議席)より減らしたものの単独過半数を維持することができた。この結果、年末に予定されている大統領選挙におけるセヌリ党の大統領候補として地位を固めることができた。7月10日、大統領選挙に向けたセヌリ党大統領候補予備選への出馬を表明。3大目標として分配重視、雇用創出、国の実情にあった福祉を掲げ、李明博政権との違いを強調した。
予備選は8月19日に党員と一般有権者による選挙人団による投票が行われ、これに世論調査結果を加味した得票率を計算する方法で進められた。20日の全党大会で発表された選挙の結果、朴槿恵は得票率83.9%で、2位となった金文洙(キム・ムンス)ら他候補に圧倒的大差をつけ、セヌリ党の大統領候補に選出された。12月19日に執行された大統領選挙は革新派である民主統合党候補の文在寅(ムン・ジェイン)との事実上の一騎打ちとなり、接戦の末に当選。2013年2月25日に第18代大統領に就任した。
大韓民国大統領
大統領就任後、初の外交・首脳会談にアメリカ合衆国を選択、4泊6日の旅程で2013年5月5日に出発した。 米韓首脳会談でバラク・オバマ米大統領が、北朝鮮の核・ミサイル問題解決のため米韓日の3ヶ国の結束の重要性を強調すると、朴大統領は「北朝鮮が正しい方向に向かうよう、韓国と米国が連帯して取り組む。」とし、中国やロシアの役割への期待感も表明したが、日本を連携国としては言及せず「北東アジアの平和のために日本は正しい歴史認識を持たねばならない。」と批判した。この訪米中に、朴大統領のスポークスマンである尹昶重(ユン・チャンジュン)の性的スキャンダルが発覚し、本格外交デビューに汚点を刻んだ。また、5年ぶりに経済副首相を復活させ、韓国の国策シンクタンク「韓国開発研究院」の玄オ錫(ヒョン・オソク)院長を起用した。玄副首相は主要国首脳会議などの国際会議に積極的に参加してアベノミクス批判を行い、円高ウォン安の維持を目論んだが賛同を得られなかった。googleでは大統領を検索すると「不正に当選」と明記され、国際的に信用がされていない。また、効果的な経済浮揚策も打ち出すことができないため、厳しい批判を受けている。
朴槿恵大統領の「反日一辺倒外交」という愚行。中国には必要以上になびき米国から見放される
今年2月に韓国の朴槿恵大統領が就任して以来、日韓関係はずっとこじれたままである。もっとも、中国語が堪能で中国文化が好きな朴氏は大統領になって以降、それまで韓国外交の優先順位だった「米・日・中」を「米・中・日」へと変更したことから、いずれにしても日韓のある程度の冷え込みは避けられなかったかもしれない。しかしそれにしても、この半年間の日韓関係のこう着状態はあまりにも異常である。
朴大統領は安倍首相との首脳会談を頑なに拒む一方、国内外のありとあらゆる機会を使って日本に対する批判を繰り広げた。訪米中に米議会で演説を行う時でも、名指しを避けながらもあからさまな日本批判を展開した。
挙げ句の果てには、韓国訪問中のヘーゲル米国国防長官に対して「歴史に逆行した発言をする日本の指導部のせいで、信頼を築けない」と述べた。一国の大統領でありながら、「安倍君が悪い」という小学生レベルの告げ口をする有り様である。その結果、現在の日韓関係が最悪の状況になっていることは周知の通りだ。
しかし、それは一体何故なのだろうか。本来なら朴大統領の就任は、前任の李明博大統領が竹島上陸を断行して以来悪化した日韓関係を修復するための絶好のチャンスであった。
去年の12月末、朴氏が大統領に選出された直後に、日本側の安倍政権はさっそく韓国への特使派遣を決めたのと同時に、今年2月22日に開催する予定だった政府主催「竹島の日」式典を見送る方針を固めた。
安倍政権にとって「公約違反」となる開催見送りに踏み切ったことは、韓国の新大統領に対する最大限の配慮であり、「竹島問題」で韓国と喧嘩するつもりがないことを明確に示していたのだ。
もし朴大統領が日本側のこのような行動を好意として受け止め、「竹島問題」を棚上げにした上で、日本との関係改善にこぎ着けようとしたならば、それは実に簡単なことだったはずだ。もちろん韓国の国益にも大いにかなうことであろう。
本来なら日本の領土である竹島は事実上韓国によって実効支配されている状況下では、この問題を棚上げにしたままの関係改善は、誰の目から見ても韓国にとって有利な展開である。
もちろん、日本と関係改善するメリットはそれだけではない。実は朴大統領の就任後の東アジアの国際情勢は、韓国にとって大変なチャンスであった。この地域の大国である中国と日本が、いわゆる「尖閣問題」をめぐって激しく対立しているからである。両大国のどちらにしても、やはり韓国を味方につけて相手を牽制しようと考えているはずだ。
こうした中で、韓国にとってもっとも賢い方策とはすなわち、日中のどちらにも偏らず両方と良い関係を作っておいて、主導権を常に握ってしまうことである。そうすると、韓国は日中両方から大事にされ、場合によっては日中間の仲介役を務めることもできる。この地域の国際政治における韓国の役割は一段と大きくなるのは必至であろう。しかも、東アジア地域の安定を望む米国にしても、同盟国の韓国が日本の間でバランサー役を果たせるならそれに超したことはない。韓国への期待は実に大きなものであった。
もちろんその際、地政学的理由、あるいは貿易上の理由から、韓国の外交は日本よりも多少中国に傾斜していても特に問題はない。どちらか一方にあまりにも偏り過ぎていなければそれで良いのである。つまり、韓国自身の国益にかなうような冷静な外交戦略の視点からすれば、新任の朴大統領のとるべき最善の外交方針はすなわち、中国と親密な関係を作り上げる一方、日本とも正常な外交関係を維持していくことだ。朴大統領が実際にこのような方針を展開していれば、東アジアの外交舞台はまさに韓国にとっての得意満面の活躍の場となり、韓国という国の重みはかつてないほど増していったはずだ。
しかし残念ながら、朴大統領は、韓国にとって最も賢明であるはずの上述の外交戦略にまったく興味を示さなかった。彼女の選んだのは結局、中国に必要以上になびいて「中国一辺倒」の外交を遂行する一方、日本と徹底的に喧嘩していく道である。その結果、韓国は握れたはずの主導権もあっさりと手放し、東アジアの安定維持に寄与できるバランサーとしての役割も放棄してしまった。いかにも愚かな外交方針であろう。
しかし、せっかく日本政府が「竹島問題」で韓国に譲歩したのに、朴大統領は一体どうして、このような愚策をとるに及んだのだろうか。
ネックとなっているのは結局「歴史認識問題」である。朴大統領は就任直後の今年3月1日、1919年に起こった「三・一独立運動」を記念する式典で行った演説の中で、今後の日韓関係に関して「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、千年の歴史が流れても変わることがない」と宣した。
それを皮切りに、朴政権はいわば歴史問題を日韓間の最大の争点として頻繁に提起しながら、安倍政権の「歴史認識の誤り」に集中砲火を浴びせ、日本側の「反省と誠意ある対応」を強く求めてきた。
そして、米国議会での日本批判にしても米国高官に対する告げ口にしても、朴大統領が固執しているのは結局この問題であり、日本との関係改善の条件として、あるいは日韓首脳会談に応じる前提として、韓国が持ち出したのもやはりこの問題だ。つまり、何もかも「歴史認識問題」の一点張りで、この問題が日韓関係のすべてであるかのような異様な固執ぶりなのである。
朴政権は一体どのような国内的理由があって、それほどまでに「歴史認識問題」に固執しているかについての探求は、韓国問題専門家でない筆者の力の及ぶ範囲外だが、国内の理由がどうであれ、外交的に見れば、それがまったくの愚行であることは明らかだ。
そもそも、各国には各国独自の歴史観があるのは国際社会の常であり、他国がとやかく口を出すべきものではない。日本の場合、今の安倍晋三首相、あるいは安倍政権が前政権の民主党政権と違った歴史認識を持っていることは確かな事実だ。
しかしそれは、韓国の大統領の態度によって変えられるようなものでもなければ、変えてよいというものでもない。日本国民が安倍晋三を選んで自民党を政権の座に就かせた以上、安倍政権がどのような歴史認識を持とうとも、外国の韓国にとって、それは単なる外交的に直面しなければならない一つの既成事実であり、どうにもならないことである。
そして、国が行うべき冷静な外交というのは、まさにこのような既成事実を客観的な条件と捉えた上で、自国の利益最大化のための現実主義的なアプローチをとることであろう。つまり今の韓国にとって、安倍政権の歴史認識を変えることが出来ない以上、そして安倍政権が日本の現政権であることは不動の事実であるかぎり、最善の対処策はすなわち、安倍政権の歴史認識に異議を唱え続けながらも、なお安倍政権を相手に対話を行って日本との正常な外交関係を維持していくことである。
前述にも指摘したように、このような冷静にして現実主義的な外交方針こそ、韓国の国益の増大と国際的地位の上昇につながるベストな道のはずである。しかし今の朴大統領と韓国政府は、少なくともその対日外交においては、現実主義的冷静さも戦略的思考もすべて失っているようである。「歴史認識問題」の一点張りで、安倍政権への徹底的な無視と執拗な罵倒を特徴とするようなヒステリーな「日本敵視」姿勢を貫いてきている。
このような頑なな姿勢を貫いたことで日本から何を得ようとしているか、あるいは何を得られると思っているかはまったく不明だ。そこには、もはや国益の最大化を図るような当然の発想もなければ冷徹な戦略的思考もなく、単なる「意地張り」がすべてを支配しているような不思議な世界である。
もちろん、このような「反日一辺倒」外交姿勢は相手の安倍政権に何らの不利をもたらすものでもない。韓国の大統領によって罵倒されて無視されたこの約半年間、安倍政権はむしろすべてにおいて順調である。参議院選にも大勝して東京五輪の誘致にも成功した。アベノミクスはある程度の成果を上げて国内の支持率は今でも高い水準を維持している。
そして外交面においても、韓国・中国との関係改善は出来ていないものの、それ以外では、「地球儀外交の展開」と呼ばれるほど、安倍首相とその閣僚たちは精力的に各国を飛び回り、大いなる外交上の成功を収めていることは周知の通りだ。
それに対して、「反日一辺倒」の頑なな対日姿勢を貫いたことでますます不利な状況に陥っているのは、むしろ韓国の朴政権の方である。安倍政権に対するあまりにも執拗な批判と傲慢な態度は、日本国内でも大きな反発を招き、日本国民の対韓国感情が悪化していることは注目すべきであろう。こうした日本国内の対韓国認識の変化を端的に示しているのは10月7日の朝日新聞の社説である。
周知のように、日本の各全国紙の中でもとりわけ朝日新聞は韓国などのアジア近隣国に対して常に暖かいまなざしを向けている。「歴史認識問題」に関してはむしろ韓国と同調するところが多い。しかしこの朝日新聞でさえ、上述の社説の中では「朴氏の姿勢には戸惑いを感じざるをえない」と述べ、安倍総理との首脳会談を拒否している朴大統領の姿勢を諫めたのである。普段なら「親韓」であるはずの朝日新聞までこのような論調であるなら、朴大統領の対日姿勢は日本国内で普遍的な反感を買っていることは分かるであろう。
実際、フジテレビの「新報道2001」という番組が10月20日に視聴者に対して行った世論調査では、「韓国は信用できない」と思う人は6割を超えているとの数字も出ている。そして、今年1~9月に韓国を訪問した日本人の数は前年同期の4分の3に急減したことが韓国法務省の発表によって明らかにされたが、これもまた、「嫌韓感情」が日本国民に広がりつつあることの証拠であろう。
日本国内で大きな反感を呼んだその反面、「歴史認識問題」を材料にして展開している朴政権の日本批判は、国際社会ではほとんど何の反響も呼び起こすことが出来ずにいる。現に、韓国は世界中に日本批判をばらまいたにもかかわらず、それに同調している国は唯一中国だけである。この中国さえも最近、いわば「歴史認識問題」を材料にした日本批判のトーンを下げている節があるから、結局韓国の日本批判だけが突出してしまって、あたかも観客のいない一人芝居を無理やりに演じているかのような滑稽な光景である。
そして、このようなつまらない一人芝居の「反日劇」に対し、韓国唯一の同盟国で、外交上の最重要国であるアメリカも嫌気をさしてきているようである。
米国のヘーゲル国防長官が韓国を訪問した際、朴大統領はこの「歴史認識問題」に即して日本の告げ口をしたことは前述の通りであるが、実は訪韓を終えてから日本に訪れたヘーゲル長官は、朴大統領にとっては泣き出しそうになるような行動をとった。
10月3日の午前、日本訪問中の米国のケリー国務長官とヘーゲル国防長官は、千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れて献花した。この異例の行動の意味は一体何であるか、日本国内でさまざまな憶測もあったが、それは、韓国の朴大統領がヘーゲル長官に対し「日本指導者の歴史認識」問題を提示した直後のことからすれば、両長官の意図とするところがよく分かってくるのではないか。
千鳥ケ淵戦没者墓苑には第二次世界大戦中に海外で戦死した身元不明の日本軍人も眠っているが、その中には当然、アメリカ軍と戦って戦死した軍人も含まれているはずだ。米国の両長官が揃ってそこに献花したということは、要するに米国は日本との「歴史的怨念」を完全に乗り越えて、未来志向で日米関係を築き上げて行こうという姿勢を明確に示したのだ。
それは明らかに、「被害者の立場は千年も変わらない」と言って、「歴史問題」に固執して日本と対立を強める韓国の外交姿勢と一線を画したものである。朴大統領の告げ口に対する、米国政府からの絶妙な答えでもあるのだ。つまり両長官はこの東京からソウルにいる朴大統領に向かって、「われわれは貴方とは違って、いつまでも歴史問題に拘るつもりはないのだ」と話しかけているのではないか。
このようにして、「歴史問題」を材料に行ってきた朴大統領の日本批判は、国際社会からの共感を呼ぶことはまったくできず、同盟国のアメリカからもそっぽを向かれた。韓国にとっても、彼女の反日は一体何の意味があったのであろう。
千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花した米国の両長官は実は、一つ大事な仕事のために日本に訪れていた。
同じ10月3日から始まる日米安全保障協議委員会(2+2)の会合への参加である。そして会合後に発表された共同声明では、日本版NSC(国家安全保障会議)設置や国家安全保障戦略策定の準備、集団的自衛権行使容認の再検討、防衛予算増額などの「日本側の取り組み」に対して、アメリカ合衆国政府は「歓迎する」とした上で、日本と「緊密に連携する」とも表明した。
安倍政権の安保政策が同盟国のアメリカからほぼ全面的な支持を受けた結果、日米同盟は今まで以上に強化されただけでなく、アジアの平和維持にどうしても必要な「強い日本」への道も開かれた。そして10月中旬になると、豪州の外務大臣が日本の集団的自衛権行使に関して、「その方向性を支持する」と表明したのに次いで、英国外相もそれを含めた安倍政権の安保政策への支持を表明した。
この一連の動きを目の当たりにして、韓国の朴大統領はまたもや、苦虫を噛み潰したような思いだったのではないか。これまでの半年間は、朴政権は「歴史認識問題」で安倍政権を叩くのと同時に、「歴史認識問題」と関連して安倍政権の安保政策も非難のダーケットにしていた。「安倍政権の右傾化」というのは、彼らが非難する際の常套文句ともなっているのである。
しかし今、韓国の同盟国の米国だけでなく、主要国家の英国も豪州も相次いで安倍政権の安保政策に対する全面的支持を表明した。韓国よりもずっと大きな国際的影響力を持つそれらの国々よって、安倍政権の安保政策はむしろ歓迎されているのだ。この面における韓国の日本批判も、まったくの徒労に終わったわけである。
その中で韓国は、その愚かな外交方針は同盟国の米国からも梯子を外されて、主要先進国の中でも孤立感を深める一方である。朴大統領の意味なき「反日一辺倒」政策はどこまで続けられるのだろうか。
BBC「北朝鮮情勢について質問します」→韓国大統領「日本が悪い」(2013年11月)
BBC「北朝鮮に対し国際社会はどう取り組むべきか?」 → パク・クネ大統領 「日本が悪い」
韓国、朴大統領のBBCのインタビュー
BBCインタビューの骨子は、核開発を続ける北朝鮮の「悪循環」な行動(要は「核」と「ミサイル」で脅かした挙句最後には金をせびる)に対し、国際社会でどう取り組むべきか? という質問であったはずである。
世界が期待した解答は当然、「日米との関係を強化、深化させた上で北朝鮮との交渉に臨む」といったものであろう。しかしながら、相変わらずの日本への謝罪要求だった。
「大統領失格」突きつけられた朴槿恵。父・朴正煕「神格化」で乗り切りに必死(2013年12月)
朴槿恵政権が行き詰まるとともに、朴正煕氏の「神格化」の動きが相次いで報じられている
韓国の朴槿恵大統領が、ますます窮地に陥っている。大統領選での「不正問題」への追及は一向に止まず、国会でも公然と「辞職」を追求する声が出始めた。看板の「親中・反日」外交も、防空識別圏問題もあり、どうも雲行きが怪しい。
だがこの難局に朴大統領は、ある策を持ち出してきた。父である故・朴正煕元大統領の存在だ。実はここ最近、大統領周辺では盛んに朴正煕氏を持ち上げ、しまいには「神格化」しようという動きが続いている。
「朴槿恵アウト!」デモに1万人
「不正選挙の当選者・朴槿恵大統領は辞職せよ。大統領が辞めさえすれば、すべての問題は解決できるだろう。大統領の速やかな決断を求める」
2013年12月8日、民主党の張ハナ議員が発表した声明文に、朴大統領はいらだちを隠さなかった。
2012年の大統領選をめぐっては、政府機関・国家情報院がネットを通じ、朴陣営が有利になるよう情報操作を行っていた疑惑が明るみに出ている。この大統領選は対立候補との得票差がわずかに3%という接戦だったこともあり、韓国内では糾弾の声が絶えず、国会は野党側の審議拒否で空転、来年の予算案すらいまだに通っていない。
とはいえ、最大野党である民主党側が「辞職」にまで踏み込んだのは初めてだ。さすがの朴大統領も顔色を変え、「国論の分裂と対立をそそのかす、度を越した過激な発言」と反撃したが、7日には首都ソウルで1万人規模の「朴槿恵アウト(退陣)」デモまで起こるなど、「大統領失格」の声は日に日に高まる。
それでも政権が「成果」を出していれば国民も納得するのだろうが、それも怪しい。特に「得意分野」のはずだった外交では、31回の首脳会談を行うなど精力的に動いたものの、日本はおろか、親密さをアピールしていた中国にも防空識別圏問題では「裏切られた」格好に。同盟相手の米国からも、「米国の『反対側に賭ける』ような行動は好ましくない」(バイデン副大統領)と痛烈にクギを刺された。当初は朴外交の成果を礼賛していた韓国メディアも、「中国には防空識別圏を一方的に発表され、日本との関係悪化も宿題に」(聯合ニュース)と突き放す。
朴正煕は「半神半人」「光のように生まれた大統領閣下」
そうした中で朴槿恵大統領とその周辺が頼り始めたのが、亡き父・朴正煕氏の威光だ。
「韓国の今日の成功は、朴正煕氏から始まった。朴正煕氏のことは、まさに天より降り立った『半神半人』というほかない」
11月14日、朴正煕氏の郷里・亀尾市の南佑鎮市長は、金縁の額に飾られた朴正煕氏の遺影に恭しくひざまずいた。朴正煕氏の生誕96年を祝う式典の一幕だ。朴大統領の妹・朴槿令氏も見守る中、参列者たちは「暗鬱な我が国に、新たな光のように生まれた朴正煕大統領閣下」(金寛容・慶尚北道知事)などと口々に朴正煕氏の「偉業」を称えた。
朴大統領の政権運営が行き詰まるのと反比例するように、韓国国内では朴正煕氏を「神格化」するような動きが相次いでいる。10月にソウル市内で開催された慰霊ミサでは、十字架の代わりに朴正煕氏の遺影が掲げられ、牧師が「韓国には独裁が必要だ」と説教し、大きな話題となった。
金日成バッジならぬ「朴正煕バッジ」計画まで
支持者たちの集会では、遺影に向かって人々が、
「閣下! お嬢様の支持率は今や60%を超えました! 閣下のビジョンには、天地も感応しております!」
などと叫ぶ。参加者からは「朴正煕氏は李舜臣などと並ぶ韓国三大偉人」「朴正煕氏を主人公にしたドラマや映画、漫画も必要だ」、果ては「愛国者の証として、『朴正煕バッジ』を作るべき」などという話が公然と語られる。過剰な賛辞にプロパガンダ、バッジと、ほとんど北朝鮮に近い。
京郷新聞など進歩系メディアも「神になった朴正煕」と糾弾するが、10日には朴正煕氏の側近だった金鍾泌元首相が国会を訪れ、「朴正煕大統領は正しい政治を行った。食べるものもないのに何が民主主義か、何が自由か」と礼賛するなど、その動きは止まらない。
朴槿恵大統領自身、こうしたムードを積極的に推進、利用している。最近の施政演説でも父が成し遂げた「漢江の奇跡」の再現を繰り返し訴え、またやはり朴正煕時代の地域開発運動「セマウル運動」の復活も表明した。またソウル新聞によれば、大徳研究開発特区など「父親ゆかり」の施設への訪問もこのところ目立っているという。
ボタンを掛け違えた韓国
朴槿恵大統領はある意味、韓国の歴史に残る大統領になるかもしれない。
朴大統領のお父様、朴正煕氏は軍事独裁政権を通じて日本との国交を回復させ、世界最貧国のひとつだった同国を「漢江の軌跡」の立役者の一人として国家成長を主導した韓国の歴史に残る人物。朝鮮戦争で荒廃した同国を日本との国交回復を通じて圧倒的支援を得、更にベトナム戦争という歴史が味方した。
同国の歴史においても偉大な人物であり、Timesの20世紀の代表的アジア人20名の一人にも選ばれている。
同氏は親日家としてのイメージも付きまとう。それを裏付けるのが「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。」とする氏の有名な言葉だ。日本の支援もあって韓国が奇跡の回復をしたにもかかわらず、次女、朴槿恵は日本を敵視した。しかし、儒教の国である同国において親を敬うのは絶対的だ。彼女の本心はどこか別のところにある気がしてならない。
李明博前大統領の竹島上陸あたりから日本と韓国の友好ムードは一気に冷え、その流れを汲むことが朴槿恵氏にも必要だったとすれば、本心をすべて覆い、大衆迎合主義になっていると言われても仕方がない。氏の外交能力は高いとされているが、それは自分を好きな人と徹底的に付き合うというスタイルにも見え、嫌いな人は受け入れないスタイルだ。これでは問題を打破する本来の意味での外交上手とは言えない。
経済評論家の三橋貴明氏が韓国経済のことを厳しく追求している。氏の論理性や説得力をもって逆に日本が感情に訴えず冷静にコトに対処しているように思える。同氏も指摘している通り、韓国最大の問題点は経済に於いてアメリカと日本が圧倒的な影響力を持っているということだ。氏の「サムスンは韓国企業ではない」という表現は好きではないが、株主の過半が外国であるという点、それ以上に同国の銀行のほとんどが外資であることなどは以前から指摘されて続けてきたことだ。
つまり同国経済は明らかにアメリカ、日本の支援の上に成り立っているのだが、朴大統領の気持はいつの間にか中国に向かってしまった。習近平国家主席が北朝鮮を飛ばして韓国を訪問してくれたことが余程嬉しいのか、あるいは中国側の演出上手も手伝って更なる両国間の関係強化の道を驀進していくように見える。
掛け違えたボタンというのはこういうことなのだろう。
韓国にとってサムスンの存在が圧倒的な国民の自信の根源でもあり、強気になれる理由でもある。その同社の業績は明らかに下向きに見える。特にスマホ頼みとも言われている同社の収益構造においてスマホの利益が落ち込み始めているが、日本の家電メーカーが凋落したことと重ねてみれば2-3年後には明白な変化が出る可能性がある。その時に独立国家韓国はどこに向かうか?自虐史観が芽生えないとも限らない気がする。
東京、新大久保。かつて一日に30台以上の観光バスが全国からやってきたその地は今や、すっかり廃れてしまっている。イケメン韓国人が割引券を配り40代、50代女性が歩道一杯に跋扈していた駅前商店街は倒産したスーパーや電気がつかないレストラン街と化している。両国の観光客ももちろん減少している。
その上、ロッテホテルの直前ドタキャン事件はNHKのアナウンサーですら呆れ果てた顔で原稿を読んでいた。
朴大統領の最大の弱点は自己の性格かもしれない。強気で柔軟性に欠け、方向転換ができないその姿は人間戦車のようにも見える。国家が作り上げる韓国のイメージに対して韓国国民がどこまでついていけるのか?
今後、ここが離反してくるようになると経済を中心に国民の不満は更に募る。一方で現状を見る限り、画期的事態が生じない限り変化は望めない。画期的とは首脳が変わるとか、アジアの勢力地図が明白に変化するとか、中韓関係、米韓関係、朝鮮半島情勢などの急変だ。
かつて鉄の仮面をかぶったといわれたマーガレット・サッチャー、そして現代版としてドイツのメルケル首相のような強さは国民感情に満足感と充足感を与えてきた。ところが朴大統領のそれは大衆迎合という安っぽさに留まってやしないか、どうもそのあたりがはき違えている気がしてならない。
振り上げた拳下ろせない朴政権「国際的な威信が失墜」(2014年10月)
韓国検察が産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(現東京本社社会部編集委員)を在宅起訴した。
権力者に関する報道を名誉毀損の罪に問うという、民主主義のルールを逸脱した判断だ。加藤編集委員は東京に異動が決まっていたのに、韓国からの出国を禁じられ、本来の取材活動を封じられている。国際社会の常識は韓国に通じないのか。
権力に対してジャーナリズムには自由がある。そうでなければ、ジャーナリズムは成り立たない。しかも、加藤達也前ソウル支局長の記事は韓国紙の朝鮮日報のコラムを引用したものだ。少なくともまともな民主国家ではあり得ないことで、国際的に見てもとんでもないことだ。韓国にとってこんなに恥ずかしいことはない。国際的な威信が失墜する。
いろんな国から批判の対象になることは分かっていたと思うが、韓国の現政権は、そんなことは関係ないと思っている。国際社会における国家の威信を守ることよりも、大統領個人の威信を守ることが大事だったということだ。
本来、これは韓国のマスコミが大騒ぎして立ち上がらなくてはならない問題だ。だが今、韓国では「反日」に関しては絶対ひいてはいけない。社会全体がそうなってしまっている。
朴政権に計画や戦略があったとは思えない。最初は、産経新聞に意地悪をすることで、日本のメディアがうんざりして、簡単に韓国を批判できないようにしようと考えていたのだろう。それもジャーナリズムへのとんでもない圧力だが、事態は次第に大きくなり、日本の保守系メディアの代表である産経新聞をたたくことは、「反日」の象徴となってしまった。それで振り上げた拳が下ろせなくなってしまった。
韓国では「反日」に対しては右も左もない。朴政権が今、一番恐れているのは支持率の下落だ。国民から朴大統領は反日の手を緩めたと思われると非難される。非難されると大統領の支持率は下落し、支持率が下がれば側近は離れ、政権が危機に陥る可能性が出てくる。
国のリーダーは、いくら反日的であっても、自らはそれを表に見せてはいけない。逃げ道がなくなるからだ。だが、朴大統領は自ら反日的な発言をするなど、これまで反日路線を続けてきた。それだけに、今さら反日をやめたと受け止められるような対応はできず、国内外の批判の間で、ジレンマに陥っている。
朴大統領 言論弾圧へサイバー検閲で政権批判封じ(2014年10月)
韓国の朴槿恵大統領(62)がまたも世界の笑いモノだ。
朴大統領の名誉を毀損したとして産経新聞の前ソウル支局長が在宅起訴されたことで、朴政権の言論の自由に対する認識に批判が出ていることについて、韓国外務省報道官は14日、「わが国は言論の自由がどの国よりもよく保障されている」と述べた。
しかも、ソウル中央地検は14日、黄教安法相に対し、15日に期限が切れる加藤氏の出国禁止を3か月間延長するよう要請した。そもそも産経新聞の報道は、韓国メディアの記事内容を引用したものだった。
さらに、自国で今度はネット上の誹謗中傷にも“リアルタイムのサイバー検閲”を実施し、発言者を摘発するシステムを構築するつもりだ。
韓国検察庁によると取り締まりの対象となるのは「国論分裂および政府・公職者の誹謗」。具体的な中身として(1)疑惑提起を装った根拠のない暴露、(2)国家的大型事件発生時に事実を歪曲して政府政策に対する不信を助長する各種陰謀説、虚偽デマの流布、(3)公職者の人格と私生活に対する悪意的で不当な誹謗中傷という。
すでに検察庁は朴大統領の命を受け、SNSの「ネイバー」「カカオトーク」といったネット業界関係者と接触し、ホットラインを構築。そこからインターネット犯罪捜査センターで運用中の「インターネット・モニタリングシステム」を活用すれば、悪意のある単語を入力・検索するだけで、リアルタイムで発信者を特定できるという。
韓国メディア関係者は「産経新聞の件を含め、一連のバッシング規制は朴大統領自らが先導している。4月のセウォル号の海難事故以来、大統領の辞任を求める声が高まっており、そうした声を権力を使って無理矢理封じ込めようとしている。完全に暴走モードだ」と指摘する。
北朝鮮や中国ばりの言論統制に国民からも「独裁だ」「先進国とは思えない」など、非難の声が上がっている。
北東アジア列車フェリー構想
2007年の大統領候補予備選において、朴槿恵は李明博の「朝鮮半島大運河計画」に対抗して「北東アジア列車フェリー構想」を唱えた。これは鉄道や船舶を用い、韓国と日本・中国を結び、国家間の協力や交流を強化することを目的とする。
具体的には、東京で貨物や旅客を載せた列車を博多まで移動させ、博多湾から列車を船に載せて釜山に輸送する。釜山から韓国の鉄道を経由し仁川や平沢に移動し、今度は中国へ向かう船に列車を載せ、煙台・大連へと物資や人を輸送する、というものであった。最終的にはロシアや中央アジア、欧州まで列車で輸送できるようにするとした。この構想の実現により物資を船に積み替える作業が不要になる他、輸送費を34%削減でき輸送距離も64%縮められるというメリットがあるとされた。
現状では、貨物の場合、狭軌(日本の在来線)、標準軌(中国・韓国)、広軌(ロシア)の全ての軌間に対応する貨車が実用化されていないこと、旅客車両の場合、以前は青函連絡船などに車両航送の実例があったが(国鉄時代は郵便車、荷物車、貨車が主体)が、電車方式の新幹線(軌間は標準軌)は編成中間での頻繁な分割を考慮しておらず、低規格路線での運転や、異なる信号システムと電化方式にも対応していない。
発言
- 李明博大統領が2007年大統領選挙時に公約として掲げていた東南圏新空港建設を2011年4月1日に白紙化したことに対し、「国民との約束を破り遺憾だ」と述べ李明博大統領を批判するとともに、東南圏新空港を大統領選公約に掲げる用意があるのかとの質問に対し、「これは引き続き、推進すべきことだと思う」と述べ、公約に掲げる考えがあることを示した。
- 2012年9月24日の記者会見の際に、父親の朴正煕元大統領が起こした5・16軍事クーデターや人民革命党事件について「当時の政権下で弾圧されて苦痛を受けた被害者とその家族に心から謝罪する」と述べた。
- 2013年3月1日「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は、1000年の歴史が流れても変わることはない」と発言。その後、韓国内では「千年恨」という言葉がブームとなり、韓国北朝鮮連合軍による対馬“奪還”作戦を描いたベストセラー小説(『千年恨、対馬』)のタイトルにもなった。
- 「創造経済」を提唱
- 金大中がベトナム社会主義共和国主席のチャン・ドゥック・ルオンに、朴正煕政権下での韓国軍のベトナム戦争参戦を謝罪した際、『これは6・25(朝鮮戦争)のとき、大韓民国の自由民主主義を守るために戦った16カ国の将軍や指導者が金正日(キム・ジョンイル)に「不幸な戦争に参加して北韓国民に苦痛を与えたことを謝過する」というのと同じくらいとんでもないこと』と批判した。
- 2013年9月10日、朴槿恵政権の高官はベトナム戦争の際の謝罪をベトナム側から求められなかったことに関して「韓国とベトナムの成熟」が原因とし、日韓関係と自然に比較されるため「日本に対する圧迫」になるとの主張を展開した。一方、2013年9月30日に朴がヘーゲル米国防長官と会談した際には「歴史や領土問題について、しばしば時代に逆行した発言をする(日本の)指導部のせいで、信頼が形成できない」と述べ、5月の米韓首脳会談と同様の日本批判を展開した。
- 2013年10月14日、韓国国会外交統一委員会の国政監査において元慰安婦の金福童から「(父である)朴正煕大統領の時に確実に解決していたら、年を取ってから(日本に)謝罪しろとわめき立てることもなかっただろう」「(慰安婦問題について)これといった発言が一言もない」などの批判を浴びている(ちなみに金福童は1939年から8年に渡って慰安婦とされたと証言したことで知られる)。
- 2013年10月27日、プロ野球韓国シリーズ第3戦に始球式で登場したが、運動靴がアシックス製であったため直ちに批判を受けた。
略歴
- 1952年2月2日 - 大邱生まれ。
- 1967年 - 聖心女子中学校(ソウル)卒業。
- 1970年 - 聖心高等学校(ソウル)卒業。
- 1974年 - 西江大学校電子工学科卒業、フランスへ留学するが、母が射殺され帰国(文世光事件)。
- 1979年 - 父が殺害される(朴正煕暗殺事件)。
- 1982年 - 嶺南大学校理事長就任。
- 1998年 - 国会議員初当選、ハンナラ党副総裁就任(~2002年)。
- 2000年 - 第16代総選挙で再選を果たす。
- 2002年
- 2004年
- 2005年 - 北京を訪問し胡錦濤国家主席と会見。
- 2006年
- 2007年
- 8月20日 - ハンナラ党全党大会、同時に行なわれたハンナラ党の大統領候補予備選挙で敗北。
- 2008年
- 2010年
- 12月27日 - 政策シンクタンク「国家未来研究院」を設立
- 2011年
- 4月28日 - 大統領特使として欧州3カ国(オランダ・ポルトガル・ギリシャ)を歴訪(5月6日まで)。
- 5月20日 - 7月に行われるハンナラ党新代表を決める党内選挙への不出馬を表明。
- 12月20日 - 非常対策委員長に選出。実質的な党代表への復帰。
- 2012年
- 2月13日 - 党全国委員会でハンナラ党からセヌリ党に党名改称。引き続き党非常対策委員長を務める。
- 4月11日 - 第19代総選挙。比例代表において5度目の当選(セヌリ党)。
- 5月19日 - 2012年大韓民国大統領選挙への出馬意志を表明。
- 8月20日 - セヌリ党大統領候補に選出された。
- 12月19日 - 大統領選挙にて当選。
- 2013年
- 2月25日 - 第18代大統領に就任した。
脚注
関連項目
- クネノミクス
- Girl's Day - 朴槿恵をモチーフとした楽曲「女性大統領」を発売。
外部リンク
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官職 | ||
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先代: | 大韓民国大統領 第18代:2013 -
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次代: (現職)
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