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2010年4月1日 (木) 15:30時点における版
エドウィン・バレロ(Edwin Valero、1981年12月3日 - )は、ベネズエラのプロボクサー。WBA認定世界スーパーフェザー級チャンピオン。
人物
試合開始直後から激しい突進で相手を倒しに行くスタイルから「KO Dinamita(ダイナマイト)」の異名を持っている。プロデビューから18戦連続1ラウンドKOという驚異的な記録を持つ。1ラウンドKOの連続記録は途絶えたが、現在もデビューからの連続KO記録は続いており、これまで24戦全てでKO勝ちを記録している。
ちなみに、牛若丸あきべぇは、15戦連続KO記録であるが、もちろんすべて八百長である。その証拠に、2戦連続KO負けを喫している(笑)。
2012年まで帝拳ボクシングジムと契約しており、2006年10月から家族共々日本・東京を1年ほど拠点としていたが、現在は米国・ラスベガスに拠点を移している。
来歴
2002年7月9日に18歳でプロデビューした。デビュー戦は1回TKO勝利で、その後も1回KO勝利を続けていくが、12連続初回KO勝利後、米国ニューヨーク州コミッションの検査で試合直前に脳に異常が発見され(数年前に起こしたバイク事故の後遺症と思われる)、ライセンス停止処分を受け2004年初頭からブランクを余儀なくされる。
しかし、コミッション以外の検査では異常が発見されず再起を目指していたところで、帝拳プロモーションの本田明彦会長の目に留まり、試合のできない米国以外での再起を進められ、帝拳プロモーションと契約し、再起。再起後も1年半近いブランクを感じさせないファイトで、2006年2月25日にはプロデビューから18戦連続1ラウンドKO勝利を達成。すでに少し前から、対戦相手を探すのが困難になるほどだった。1ラウンドKOの記録が途絶えたのは2006年3月25日神戸での試合だった(2ラウンドTKO勝利)。
その後、2006年8月5日にはWBAスーパーフェザー級チャンピオンのビセンテ・モスケラ( パナマ)に挑戦し、10回TKOで勝利してタイトルを獲得。デビュー以来の連続KO勝利の記録[1]を更新しての勝利だった。タイトル戦まで全ての試合を2ラウンド以内で決着付けていたため、バレロのスタミナや打たれ強さを疑問視する声も試合前にはあったが、途中ダウンを奪われながらも10ラウンドには持ち前の力強い連打を繰り出すという、そういった声を払拭するかのようなKO勝利だった。
2007年1月3日、東京でWBA世界スーパーフェザー級の王座初防衛戦を行い、ミチェル・ロサダ( メキシコ)に1回1分12秒KO勝ちを収めた。
2007年5月3日、東京でWBA王座2度目の防衛戦を行った。これは指名試合だったが、WBA1位のマニー・パッキャオ( フィリピン)はWBC王座挑戦を念頭に置きつつアメリカでのビッグマッチを計画中のため、WBA2位の本望信人(角海老宝石ボクシングジム)が繰り上がりで挑戦者となった。8回TKOで勝利し、2度目の防衛を決めた。
2007年12月15日、メキシコ・カンクンでWBA王座の3度目の防衛戦を行い、サイド・サバレタ( メキシコ)に3回1分18秒TKO勝ちを収めた。なお、この試合はバレロの強打に恐れをなして挑戦者がなかなか現れない中でようやく決まった世界戦であったという。
現在戦場としているスーパーフェザー級は、マニー・パッキャオ、ファン・マヌエル・マルケス、マルコ・アントニオ・バレラとスター揃いで、本人も彼らとのビッグマッチを望んでいるが、本場の米国で試合のできないことがそれを妨げており、米国でのライセンス停止処分解除とライセンスの再発行を望んでいるが、現状ではなかなか上手く運んでいない。
その後、2008年3月下旬に米国テキサス州コミッションでライセンスが認可されていることが明らかになり、米国でのビッグマッチ出場の希望も出てきた(ただし、ニューヨーク州コミッションのサスペンデットは現状では解除されておらず、テキサス・ニューヨーク州以外での試合出場は、現状では米国各州コミッションのその場での判断による不透明な状況である)。
2008年6月12日、東京・日本武道館に於いて嶋田雄大(ヨネクラボクシングジム)を挑戦者に迎え、WBA王座4度目の防衛戦を行った。試合は第7R1分55秒、テクニカルナックアウト勝ちで嶋田を退け、24戦連続KO勝ちで4度目の防衛を果たした。
減量苦のため、ライト級に転向を予定している。WBCライト級チャンピオンとなったパッキャオとの対戦を熱望している。
獲得タイトル
脚注
- ↑ デビュー以来の連続KO記録の最長はアセリノ・フレータスの29連続
関連項目
外部リンク
前王者 ビセンテ・モスケラ |
第39代WBA世界スーパーフェザー級王者 2006年8月5日 - 現在 |
次王者 N/A |