「生田駅 (神奈川県)」の版間の差分
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2022年7月19日 (火) 19:02時点における最新版
生田駅(いくたえき)は神奈川県川崎市多摩区生田にある、小田急電鉄小田原線の駅である。駅番号はOH 20。
目次
歴史[編集]
- 1927年(昭和2年)4月1日 - 東生田駅として開業。「直通」の停車駅となる。なお各駅停車は新宿駅 - 稲田登戸駅(現・向ヶ丘遊園駅)間のみの運行であり、当駅までの運行はなかった。
- 1937年(昭和12年)9月1日 - 小田原駅方面行「直通」に限り、停車となる(片瀬江ノ島駅行「直通」は通過)。
- 1945年(昭和20年)6月 - 従来、新宿駅 - 稲田登戸駅間のみの運行の各駅停車が全線で運行されることとなり、各駅停車の停車駅となる。同時に、「直通」は廃止される。
- 1946年(昭和21年)10月1日 - 準急が設定され、停車駅となる。
- 1948年(昭和23年)9月 - 桜準急が設定され、停車駅となる。
- 1960年(昭和35年)3月25日 - 通勤準急が設定され、停車駅となる。
- 1964年(昭和39年)3月1日 - 生田駅に改称。
- 1978年(昭和53年)3月31日 - 百合ヶ丘駅・読売ランド前駅・生田駅を通過する、通称「スキップ準急」(正式名称ではない)が設定され、当該列車の準急に限り、通過駅となる。
- 1983年(昭和58年)12月27日 - 橋上駅舎と自由通路が完成し、供用開始。
- 1990年(平成2年)3月27日 - 通称「スキップ準急」が廃止され、準急全列車が停車するようになる。
- 2004年(平成16年)12月11日 - 区間準急が設定され、停車駅となる。
駅構造[編集]
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■小田原線 | 下り | 小田原・箱根湯本・藤沢・片瀬江ノ島方面 |
2 | ■小田原線 | 上り | 新宿・千代田線方面 |
駅構内設備[編集]
駅舎は2階、ホームは1階にある。売店「OX SHOP」とATM(横浜銀行生田支店小田急生田駅出張所)は2階改札外コンコースにある。かつては2番ホームにも売店があったが、自動販売機コーナーとなった。2階売店横には宝くじ売り場も出店している。
待合室は各ホームに設置されている。トイレは2番ホーム(上り)にある。多目的トイレは男女各1室ずつ設置されている。エレベーターは1階にある各ホームと2階を連絡する。エスカレータは1階にある各ホームと2階を連絡する(両ホームともに上り運転のみ)。下りホームと南側のロータリーを連絡するスロープがある。
利用状況[編集]
2013年度の1日平均乗降人員は44,881人である[2]。 乗降人員・乗車人員の推移は下表のとおり。
年度 | 1日平均 乗降人員[3] |
1日平均 乗車人員 |
---|---|---|
1995年 | 23,873[4] | |
1996年 | 23,091[5] | |
1997年 | 22,023[6] | |
1998年 | 22,639[6] | |
1999年 | 22,345[6] | |
2000年 | 23,644[6] | |
2001年 | 21,607[6] | |
2002年 | 21,394[7] | |
2003年 | 41,886 | 21,225[7] |
2004年 | 41,517 | 20,909[7] |
2005年 | 41,314 | 20,779[7] |
2006年 | 42,071 | 21,016[7] |
2007年 | 43,830 | 21,886[8] |
2008年 | 43,990 | 22,051[8] |
2009年 | 43,906 | 21,984[8] |
2010年 | 43,925 | 22,206[8] |
2011年 | 43,549 | 21,709[8] |
2012年 | 44,189 | 22,142[9] |
2013年 | 44,881 |
駅周辺[編集]
付近には明治大学、専修大学、聖マリアンナ医科大学など大学が点在し、学生街となりつつある。駅近く(読売ランド前駅との間)の地下を東日本旅客鉄道 武蔵野線が通っており、生田トンネルや生田変電所がある。
北口[編集]
バス路線[編集]
- 淵24系統 - 淵野辺駅北口行、登戸行(神奈中) ※日曜・祝祭日のそれぞれ朝1本のみ
- 系統番号なし - 生田折返場行(小田急)
- 系統番号なし - 向ヶ丘遊園駅行(小田急)
- 系統番号なし - あざみ野駅行(小田急) ※廃止
- 系統番号なし - 聖マリアンナ医科大学行(小田急) ※廃止
南口[編集]
- 明治大学生田校舎 - 理工学部と農学部のみ、門までは7分程度。
- 専修大学生田キャンパス
- 川崎市立生田中学校
- 川崎市立生田中学校特別創作活動センター - 曲がり角全てに看板あり、生田中学校正門までおよそ12分。
- 西三田団地
- 川崎三田郵便局
- オーケー生田店
- 春秋苑(霊園)
- いなげや川崎生田店
- 長沢浄水場
バス路線[編集]
生田駅バスロータリー(川崎市交通局)
- 1番乗り場
- 生03系統 - 南生田小学校前経由鷲ヶ峰営業所行、南生田小学校前経由聖マリアンナ医科大学前行
- 2番乗り場
駅の位置をめぐる紛争[編集]
小田急の開業が近くなると、生田村では駅の誘致が行なわれることになった[10]。東西に伸びた村であることから村中央部に駅を開設するという意見もあった[10]が、設置計画ができた時点では、生田村内の駅は村役場に近い当地に作る計画となり、用地買収の話もいったんは解決した[10]。ところが、村の西側に住んでいた有力者が話を持ちかけて、村会を開いたところ西側誘致の意見が多数となった[10]ため、現在の読売ランド前駅の位置に作る計画となってしまった[10]。その計画変更に東地区の住民が猛反発を起こし、「駅を作らなければ土地を売らない」とまで言い始めた[10]。これでは建設にも差し支えるため、結果として西側の駅と当駅を両方とも設置することとなった[11]。このような経緯もあってか、小田急全線でも他に見られない開通記念碑が駅前に建てられている[11]。
駅名の由来[編集]
駅開設当時の「東生田」は、現在の「読売ランド前駅」が「西生田」という駅名だったことに対応して名づけられた。1964年に「西生田駅」が「読売ランド前駅」に改称したことから、「生田」と改称される。なお「生田」という名前は、開業時の所在地である生田村から採ったものであるが、この地名はかつてあった「上菅生(すがお)村」と「五反田村」の地名を合わせたもの。
その他[編集]
戦時中、現在の明治大学生田校舎には大日本帝国陸軍登戸研究所があったため、近隣住民と軍関係者以外は東生田駅で降車することができなかった。
滝本竜彦の小説・漫画・アニメ『NHKにようこそ!』は当駅周辺を舞台にしていて、当駅が「幾田駅」と名を変えて描写されている。
地元在住の小説家、庄野潤三の作品にも当駅周辺が頻繁に登場する。
隣の駅[編集]
脚注[編集]
- ↑ 2012年度の鉄道事業設備投資計画 (2)駅施設改良、サービスの向上 ②行先表示装置の新設PDF - 小田急電鉄(2012年4月27日閲覧)
- ↑ 小田急電鉄「事業案内」
- ↑ 各種報告書 - 関東交通広告協議会
- ↑ 川崎市統計書[リンク切れ]
- ↑ (XLS)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 6.4 (XLS)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 7.4 (XLS)
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 (XLS)
- ↑ (XLS)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 10.5 岡本澄「小田急主要駅の生い立ち物語」、『鉄道ピクトリアル』、電気車研究会、1982年7月、 78頁。
- ↑ 11.0 11.1 加藤一雄「小田急よもやま話(上)」 多摩川新聞社、1993年、P182~184。ISBN 4-924882-06-2。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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