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+ | 今も昔も西成特有のシノギといえば「人身売買」だ。ヤクザや手配師がホームレスを騙して隔離されたタコ部屋に売り飛ばすといったことはよくある話で、それ以降は消息不明という人間は腐るほどいる。そして最近、不況を背景にこの「人身売買」がさらに凶悪化しているようなのだ。 | ||
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+ | なんと、そのターゲットは10代の少女。女子高生も多く含まれている。白昼堂々とワゴン車で強引に引き込む単純な手口で、なんの罪もない少女たちを監禁してしまうというのだ。これは完全な犯罪行為だが、彼らは3人でチームを組んで、日夜、「人さらい」に勤しんでいる。 | ||
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+ | 「(さらったのは)今までで20人は越えるやろな。春先から始めてるから」 | ||
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+ | 「カネになるからやろ。ピンきりやけど、いい子で40万にはなる。普通で20~30万くらいの値打ちや。それでレンタカー代とか経費引いて一人10万以上にはなるで。一回レンタカー借りたら自分たちでノルマを決めるんや」 | ||
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+ | 「そら、女を選んでるからや。真面目そうな女はよう選ばん。LINEで援助交際を持ちかけて来た女とか、深夜路上で座り込んでる女に絞って有無をいわせずクルマに乗せるんや。結構簡単やで。後ろと助手席から一人ずつ降りて口をふさいで手を思いっきり引っ張るだけ。もちろん、人目は気にするけどな」 | ||
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+ | 覚醒剤の売人が我がもの顔で闊歩し、監視カメラの下でも遠慮なしに販売しているのが西成という町だ。何が起きても驚かないが、10代の少女が突然拉致されるなんて尋常ではない。また許されるものではない。 | ||
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+ | 日本では未だにこのような形で「人身売買」が行われている。これはまだまだ氷山の一角なのだ。 | ||
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中世頃までは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。 | 中世頃までは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。 | ||
2020年1月13日 (月) 20:54時点における最新版
西成区(にしなりく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。
目次
「女子高生は40万円」ワゴン車で近づいて・・・西成の人さらい集団[編集]
今も昔も西成特有のシノギといえば「人身売買」だ。ヤクザや手配師がホームレスを騙して隔離されたタコ部屋に売り飛ばすといったことはよくある話で、それ以降は消息不明という人間は腐るほどいる。そして最近、不況を背景にこの「人身売買」がさらに凶悪化しているようなのだ。
なんと、そのターゲットは10代の少女。女子高生も多く含まれている。白昼堂々とワゴン車で強引に引き込む単純な手口で、なんの罪もない少女たちを監禁してしまうというのだ。これは完全な犯罪行為だが、彼らは3人でチームを組んで、日夜、「人さらい」に勤しんでいる。
「(さらったのは)今までで20人は越えるやろな。春先から始めてるから」
接触した関係者はまったく違法行為に手を染めている自覚はない。終始こんな軽い口調で西成の闇ビジネスを語った。
――女子高生をターゲットにする理由は。
「カネになるからやろ。ピンきりやけど、いい子で40万にはなる。普通で20~30万くらいの値打ちや。それでレンタカー代とか経費引いて一人10万以上にはなるで。一回レンタカー借りたら自分たちでノルマを決めるんや」
――クルマは誰が手配するのか。
「仲間で免許持ってる奴がいて、そいつがレンタカーを借りてナンバープレートをぱくってくる。少し離れた堺とかから」
――そんな簡単にいくものなのか。
「そら、女を選んでるからや。真面目そうな女はよう選ばん。LINEで援助交際を持ちかけて来た女とか、深夜路上で座り込んでる女に絞って有無をいわせずクルマに乗せるんや。結構簡単やで。後ろと助手席から一人ずつ降りて口をふさいで手を思いっきり引っ張るだけ。もちろん、人目は気にするけどな」
――捜索願いも出ていると思うが。
「出てる女もいるんやないかな。だけど女も多少の金にはなるから。そんなオオゴトにはならへん。女はまとめて全部●●●●町のある事務所に送って終わり。デリヘル系が多いとちゃうんかな」
――彼女たちは自分に付いた客に助けを求めそうなものだが。
「店から逃げたら家族にも迷惑が掛かる、覚悟しておけと脅されてるとちゃうんかな。裸の写真も、いろんなこと撮影したビデオも持っとるやろ。若いヤクザのシノギやからな。そいつらはLINEとかでも客を見つけてると言うてたな」
――逃げた子もいるはず。表に出そうなものだが。
「そりゃおるやろ。だけどミナミ辺りをぶらぶらしてる女やで。そんな聖人君子みたいな生活送ってないわ。そやけど、府警が動いてるいう話もあるしな。カネも稼いだし、もう潮時だと思ってな」
覚醒剤の売人が我がもの顔で闊歩し、監視カメラの下でも遠慮なしに販売しているのが西成という町だ。何が起きても驚かないが、10代の少女が突然拉致されるなんて尋常ではない。また許されるものではない。
日本では未だにこのような形で「人身売買」が行われている。これはまだまだ氷山の一角なのだ。
地理[編集]
上町台地の西側に広がる低地帯である。区内はおおむね平坦な地形となっている。
木造アパート、マンション、工場が多く、住宅地と工業地区が混在した下町である。一方で天神ノ森地区は阿倍野区から続く閑静な住宅地でもある。
日雇い労働者の町として知られたあいりんと呼ばれる地区は、区の北東部の萩之茶屋付近にあるが公共事業の縮小や大規模な工事の減少などで仕事につけない人が増え、ホームレスとなる者も増えた。新今宮駅に近いという交通アクセスの良さと比較的低価格で宿泊できる日雇い労働者向けの宿泊所が海外からのバックパッカーを呼び寄せている。
1973年以降の住居表示上の町名としては、以下の32町がある。
- 旭、岸里、岸里東、北津守、北開、山王、潮路、聖天下、千本北、千本中、千本南、太子、橘、玉出中、玉出西、玉出東、津守、鶴見橋、天下茶屋、天下茶屋北、天下茶屋東、天神ノ森、出城、中開、長橋、萩之茶屋、花園北、花園南、梅南、松、南津守、南開
西成区では連合振興町会単位で以下の16地域に分けている。
地域区分はおおむね小学校区と一致するが、一部例外もある。地域区分としての地域名の境界(小学校区および連合振興町会の管轄区域)は、住居表示上の町名の境界とはほとんど一致しない。「地域名と住所表示上の町名が同一でも、地域区分の範囲としては、同じ名称を持つ住居表示上の町名は一部しか含まれていない場合」「地域の範囲に、別の地域名と同じ名称を持つ住所表示上の町名の一部を含んでいる場合」などもある。また住居表示上で同じ町丁に属していても複数の地域に分かれる場合もある。
歴史[編集]
中世頃までは現区域の大半が海辺に面していたと推定される。海道・甲岸・入船(以上、現在の萩之茶屋付近)、曳舟(現在の天下茶屋北付近)、今船(現在の天下茶屋1丁目付近)などの旧地名は、海辺に面していた痕跡を伝えていると考えられている。
後奈良天皇は1557年4月、宮中への大鯛献納に対する感謝の意を示す文書を、今宮村に対して出した。区内にある弘治小学校の校名は、文書が出された当時の元号・弘治に由来している。
近世になると戦乱の舞台となったことを示すような記録も残されている。天正年間(1573年-1593年)には本願寺門徒が織田信長と戦い、木津川口の防衛のために城塞を築いたと伝えられる。区北部にある出城の地名は、このときに築かれた城塞があった場所と伝えられていることに由来している。
区の中部から東部にかけての一帯を指す天下茶屋の地名は、現在の岸里東2丁目にあった茶屋に豊臣秀吉が立ち寄って休憩したことで、その茶屋が「天下の茶屋」ないしは「殿下の茶屋」といわれたことが由来と伝えられる。天下茶屋の地名の由来となった茶屋は1945年の大阪大空襲で焼失したが、敷地跡の一部は史跡天下茶屋跡となっている。
区の西部の津守・南津守・北津守は、江戸時代中期以降津守新田として開発が進められた地域である。
現在の西成区の区域は江戸時代、大坂三郷に勝間南瓜をはじめとする蔬菜類を供給する近郊農業地帯となっていた。土壌が蔬菜栽培に適していたことや、大坂三郷近郊にあたり肥料類の入手に恵まれていたことが背景にあげられる。蔬菜類は天満青物市場に運んで販売することになっていたが、市街地北部にある天満は現西成区域にあたる村からは遠方だとして、道頓堀や湊町など大坂三郷南部での立ち売りもおこなわれた。立ち売りは天満青物市場との間でしばしば紛争となっていたが、1809年に13品目に限り難波一帯での立ち売りが公認されるようになった。現在の浪速区にある木津市場は、大坂三郷南部での蔬菜類の立ち売りを起源として発展したものである。
明治時代には町村制の実施により、現在の区域は西成郡今宮村、木津村、勝間(こつま)村(のち玉出町)、川南村津守新田および東成郡天王寺村の一部となった。
1899年の大阪市第一次市域拡張により、今宮村と木津村の北部が大阪市に編入され、今宮村南部と木津村南部が合併して新たな今宮村(のち今宮町)となった。また川南村の大半も大阪市に編入され、編入されずに残った津守新田は津守村として独立した。
明治時代後期以降、南海鉄道や阪堺電気軌道などの開通により、天下茶屋から北畠(現阿倍野区)・帝塚山(現阿倍野区・住吉区)にかけての界隈が郊外住宅地として開発された。また大正時代以降大阪市の拡大と共に、大阪市に近接している地理条件から人口が急激に増加し、住宅地、工場地へと変貌した。特に南海線の駅がある花園町、岸里、玉出などは商店街が栄え、木津川沿いは繊維、鉄工、造船などの大工場が立地した。
1925年の大阪市第二次市域拡張の際、旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村が大阪市に編入されて、西成区として区制施行した。区名は旧郡名に由来する。
大阪市編入に際して、当初は西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村および東成郡墨江村・敷津村・安立町の区域をもって「住江区」を設置する案が出された。その後区域を今宮町・玉出町・津守村・粉浜村に変更した上で「住之江区」とする修正案が出された。しかし「住之江区」では隣接する住吉区と発音が似ているため紛らわしいという意見が出されたことや、旧郡名を残したいという意向などもあり、旧郡名からとった西成区となった[1]。
区役所は1925年の区発足当初、花園町(現在の花園南1丁目)の旧今宮町役場を使用した。1927年に千本通3丁目15(現在の千本南1丁目3番、朝日プラザ付近)に移転し、さらに1954年12月10日に西皿池町(現在の岸里1丁目)の現在地に庁舎が竣工して移転している。2001年12月には2代目の現庁舎に建て替えられている。
区発足当初の町名は、旧今宮町域では旧大字を引き継いだ37町、旧玉出町・旧粉浜村・旧津守村についてはそれぞれ全域を玉出町・粉浜町・津守町とした。1927年に旧玉出町域を12町に、旧粉浜町域を4町に分けている。旧津守町域は1948年に町域を東西に分け、津守町東・津守町西の町名ができた。
1943年には大阪市の行政区の分増区に伴い、隣接する住吉区と区の境界を一部調整して現在の区域となった。区南部の粉浜町のほぼ全域と津守町の一部を住吉区に分離するとともに、山王町、松田町、聖天下、天下茶屋、天神ノ森、北加賀屋町の一部、桜井町の一部(当時の町名)を住吉区より編入した。
1973年に住居表示を実施し、現在の町名に整理されている。
オイルショック以降は産業構造の変化と共に、木津川沿いの大工場はほとんどが消え、商店街も空き店舗が増加し、住宅地も老朽化して高齢者が多くなった。
年表[編集]
- 1885年12月29日 - 阪堺鉄道(現・南海本線)が開通。天下茶屋駅が開業する。
- 1889年 - 町村制に基づく西成郡今宮村・勝間村・木津村・川南村および東成郡天王寺村が発足。
- 1897年4月1日 - 大阪市第一次市域拡張。今宮村(新)および津守村が発足。
- 1900年9月3日 - 高野鉄道(現・南海高野線)が開通。木津川駅・勝間駅(現・岸里玉出駅)が開業する。
- 1900年10月26日 - 南海天王寺支線が開通。
- 1905年1月 - 日露戦争のロシア人捕虜収容所が天下茶屋に開設される(同年3月閉鎖)。
- 1907年3月16日 - 天王寺村48番屋敷(現・岸里東1丁目)に天下茶屋郵便局(現・阿倍野郵便局)が開局。
- 1911年12月1日 - 阪堺電気軌道阪堺線が開通。
- 1914年 - 大阪府立職工学校今宮分校(現・大阪府立今宮工科高等学校)が創立。
- 1914年4月26日 - 阪堺電気軌道平野線(のちの南海平野線)が営業開始。
- 1915年11月1日 - 勝間村が町制を施行。玉出町となる。
- 1917年9月1日 - 今宮村が町制を施行。今宮町となる。
- 1922年8月1日 - 今宮町立図書館が開館(1925年大阪市立今宮図書館。1945年戦災で焼失しそのまま廃止)。
- 1925年4月1日 - 現区域が大阪市に編入。旧西成郡今宮町・玉出町・津守村・粉浜村の区域で西成区を設置。旧天王寺村の区域(山王・天下茶屋地区)は住吉区に属する。
- 1926年5月 - 大阪市立今宮産院を開設。
- 1927年10月1日 - 阪堺電鉄(1944年大阪市電阪堺線)が開業。
- 1930年4月 - 今宮消防署(現・西成消防署)が開庁。
- 1934年9月21日 - 室戸台風で区内の各小学校校舎が倒壊し、児童らが校舎の下敷きになるなどして死傷。
- 1937年8月11日 - 天下茶屋郵便局から管轄区域を分離する形で、西成郵便局が開局。
- 1938年4月21日- 大阪市営地下鉄1号線(現・御堂筋線)動物園前駅が開業。
- 1942年5月10日 - 大阪市営地下鉄3号線(現・四つ橋線)花園町駅が開業。
- 1940年 - 国道16号(現・国道26号)が開通。
- 1943年4月1日 - 大阪市は行政区分増区・境界変更を全市的に実施。西成区関係では、粉浜などを住吉区に変更し、山王・天下茶屋などを住吉区から編入して現行区域となる。
- 1943年8月7日 - 西成税務署を開設。
- 1945年 - 数度にわたる空襲により地域が被災。
- 1946年6月3日 - 大阪市立今宮産院を大阪市立今宮市民病院に改編。
- 1948年 - 西成税務署が現在地に移転。
- 1949年6月20日 - 空襲で被災した南海天王寺支線の曳舟駅、大門通駅を廃止し、代替として今池町駅が開業。
- 1950年9月 - ジェーン台風で津守町方面を中心に浸水被害。
- 1953年3月 - 西成消防署が現在地に移転。
- 1954年12月10日 - 西成区役所が現在地に移転。
- 1956年6月1日 - 大阪市営地下鉄3号線岸里駅が開業。当時は岸里交差点北東角(現・区役所南側の緑地帯)に地上駅舎を設置。
- 1958年5月31日 - 大阪市営地下鉄3号線玉出駅が開業。
- 1961年12月4日 - 西成郵便局が現在地に移転。
- 1966年12月1日 - 南海電鉄新今宮駅が開業。
- 1968年9月30日 - 大阪市電阪堺線が廃止。
- 1970年3月13日 - 阪神高速15号堺線が開通。
- 1973年 - 千本松大橋が開通。
- 1973年11月 - 住居表示実施。現行の町名となる。
- 1974年4月 - 大阪府立西成高等学校が開校。
- 1978年4月 - 大阪市立今宮市民病院を大阪市立母子センターに改編。
- 1980年11月27日 - 南海平野線が廃止。これに伴い同線の飛田駅廃止。
- 1980年11月28日 - 南海阪堺線(現・阪堺電気軌道阪堺線)今船駅が開業(南海平野線飛田駅の代替)。
- 1982年3月1日 - 南海天下茶屋工場廃止。
- 1984年11月18日 - 南海天王寺支線、天下茶屋~今池町間を部分廃止。
- 1984年12月10日 - 南海天王寺支線飛田本通駅が開業。
- 1985年3月15日 - 大阪市立西成図書館が開館。
- 1991年7月 - 大阪フィルハーモニー会館が開館。
- 1993年3月4日 - 大阪市営地下鉄堺筋線天下茶屋駅開業。
- 1993年4月1日 - 南海天王寺支線が全面廃止。これに伴い今池町・飛田本通両駅廃止。
- 1993年4月18日 - 南海本線萩ノ茶屋~粉浜間高架化。岸ノ里駅と玉出駅を統合し岸里玉出駅開業。
- 1993年 - 大阪市立母子センター(梅南1丁目)を廃止。都島区・大阪市立総合医療センターに統合。
- 2000年9月30日 - 南津守さくら公園が開園。
- 2001年12月 - 西成区役所庁舎(2代目、現庁舎)が竣工。地下鉄岸里駅出入口も区役所に併設。
交通[編集]
鉄道[編集]
- 中心となる駅:天下茶屋駅(但し、区役所の最寄り駅は岸里駅)
- JR西日本
- 大阪環状線・関西本線(大和路線):新今宮駅
- 新今宮駅付近のJR線は西成区と浪速区との境界線に沿って走っている。登記上は、JR新今宮駅の住所は浪速区になる。
- 大阪環状線・関西本線(大和路線):新今宮駅
- 大阪市営地下鉄
- 南海電気鉄道
- 阪堺電気軌道
(廃線)
- 大阪市電阪堺線 - 1968年9月30日廃止。新なにわ筋道路上の併用軌道を走っていた。区内には北から、北津守・鶴見橋通・津守神社前・宝橋・南津守の各電停を設置。
- 南海天王寺支線 - 天下茶屋駅と天王寺駅を結んでいた。1993年廃止。天王寺駅以外の駅はすべて区内に所在。
バス[編集]
道路[編集]
- 阪神高速道路
- 国道43号
- 松虫通(大阪市道、都市計画道路木津川平野線)
- 南港通(大阪府道5号大阪港八尾線、都市計画道路柴谷平野線)
- 新なにわ筋(大阪府道29号大阪臨海線、都市計画道路尼崎堺線)
- なにわ筋(大阪府道41号大阪伊丹線、都市計画道路加島天下茶屋線)
- 国道26号
渡船[編集]
- 木津川
- 落合上渡 大正区千島一丁目 - 西成区北津守三丁目 日中15分毎。
- 落合下渡 大正区平尾一丁目 - 西成区津守二丁目 日中15分毎。
- 千本松渡 大正区南恩加島一丁目 - 西成区南津守二丁目 日中15分毎。
渡船については大阪市の公営渡船を参照。
教育[編集]
2010年時点では、区内には高等学校2校・中学校6校・小学校14校(以上いずれも公立)、専修学校2校(私立2)、幼稚園4園(公立3・私立1)が設置されている。大学や特別支援学校は区内には設置されていない。
かつて私立の金剛学園が梅南2丁目にあったが、学校敷地がなにわ筋の延伸予定地となったことから、住之江区南港に移転している(跡地の一部は現在ライフ西天下茶屋店になっている)。
高等学校[編集]
- 大阪府立西成高等学校(全日制普通科総合選択制)
- 大阪府立今宮工科高等学校(全日制工業系学科、定時制総合学科)
小学校・中学校[編集]
小学校は、いずれも大阪市立の萩之茶屋小学校・今宮小学校・天下茶屋小学校・岸里小学校・玉出小学校・千本小学校・橘小学校・梅南小学校・弘治小学校・松之宮小学校・長橋小学校・北津守小学校・津守小学校・南津守小学校の14校がある。
明治時代初期に、勝間村に現在の玉出小学校(1873年2月)、津守村に現在の津守小学校(1875年10月)が設置された。玉出小学校は、西成郡で最初に設置された小学校だとされている。今宮村では現浪速区の区域に今宮(現・恵美)小学校が設置されている。今宮村北部の大阪市への分離編入(1897年)により今宮村には一時期小学校がなくなったが、1898年に新たな今宮村の小学校として現在の弘治小学校が開校している。
大正時代以降地域の人口急増により、1910年代から1920年代にかけて現在区内にある小学校が次々と開校した。2000年代に入り、児童数の減少により弘治・今宮・萩之茶屋の3校について、統廃合も含めた再編が検討されている。
中学校は以下の6校。中学校の校区(2-3小学校校区で構成。1小学校校区が複数中学校の校区に分かれる例はない)についてもあわせて記述した。
- 大阪市立天下茶屋中学校 - 天下茶屋・橘小学校の校区
- 大阪市立今宮中学校 - 弘治・今宮・萩之茶屋小学校の校区
- 大阪市立成南中学校 - 岸里・千本小学校の校区
- 大阪市立鶴見橋中学校 - 長橋・北津守小学校の校区
- 大阪市立玉出中学校 - 玉出・南津守小学校の校区
- 大阪市立梅南中学校 - 梅南・松之宮・津守小学校の校区
1947年の学制改革の際、西成第一(天下茶屋)・西成第二(今宮)・西成第三(成南)の3中学校が設置された。翌1948年には西成第四(鶴見橋)中学校が設置されている。その後成南中学校から分離する形で1955年に玉出中学校が開校し、また鶴見橋中学校から分離する形で1972年に梅南中学校が開校している。
小中学校の校区については、山王は阿倍野区の金塚小学校・松虫中学校校区に指定されている。また天神ノ森の大半については、阿倍野区の晴明丘小学校・晴明丘南小学校および阪南中学校の校区に指定されている。
幼稚園[編集]
区内には、大阪市立玉出・津守・天下茶屋の各幼稚園と私立岸の里幼稚園の計4幼稚園が設置されている。
- 大阪市立玉出幼稚園 - 1927年4月10日玉出小学校内に併設する形で創立し、1949年8月独立園舎へ移転。
- 大阪市立津守幼稚園 - 1948年11月6日玉出幼稚園分園として津守小学校内に開設。1949年3月津守幼稚園へ改編。津守小学校の移転に伴い1958年3月に現在地に移転。
- 大阪市立天下茶屋幼稚園 - 1951年4月5日玉出幼稚園分園として天下茶屋小学校内で開設。1952年2月独立園舎へ移転し1952年4月に天下茶屋幼稚園へ改編。
- 岸の里幼稚園 - 1953年8月16日開設。
専修学校[編集]
廃校[編集]
- 大阪市立新今宮小学校・中学校
- あいりん地区の不就学児童・生徒への対策として、1962年に「大阪市立萩之茶屋小学校・今宮中学校分校あいりん学園」を設置。1963年に大阪市立あいりん会館内に移転し「大阪市立あいりん小学校・中学校」として独立したのち、1973年に萩之茶屋一丁目に独立校舎を設置し「大阪市立新今宮小学校・中学校」と改称。在籍者が減少して歴史的役割を終え、小学校は1981年・中学校は1984年に閉校した。
- 南大阪臨床検査技師専門学校
名所・旧跡・文化・観光施設[編集]
- 津守神社
- 敷津松之宮西成社
- 生根神社
- 松乃木大明神
- 天神ノ森天満宮
- 安養寺
- 苔山龍王
- 天下茶屋跡
- 津守新田会所跡
- てんのじ村記念碑
- 波切不動尊
- 太子地蔵尊・飛田墓地跡
- 西成公園
- 天下茶屋公園
- 飛田新地
- 大阪市立西成図書館
- 大阪フィルハーモニー交響楽団
- 南津守さくら公園スポーツ広場:セレッソ大阪の練習場
区内に本社を置く企業[編集]
- イズミヤ - 花園南一丁目
- サンヨー製菓株式会社 橘一丁目12-24
- スーパー玉出 - 玉出中一丁目
- はやし 鶴見橋一丁目17-5
- りくろーおじさんの店(焼きたてチーズケーキ) - 千本北二丁目(創業地・本部事務局。登記上の本社は中央区難波)
- レマントラベルサービス 花園南一丁目4-4
- 会津屋(たこ焼き) - 玉出西二丁目
- エム・システム技研 南津守五丁目2-55
- みづほ工業 南津守四丁目4-16
- 日電商会 花園北二丁目13-7
- 丸美衣料 萩之茶屋一丁目1-7
- 共和(輪ゴム、粘着テープなどの包装用品、輪界用品、電線用品の総合メーカー) - 橘3丁目20-28
区内に本部を置く指定暴力団[編集]
劇場[編集]
映画館[編集]
- 飛田東映 山王二丁目14-3
西成区が舞台の映画[編集]
- あたりや大将(1960年)
- がめつい奴(1960年)
- 太陽の墓場(1960年)
- スクラップ集団(1968年)
- 不良番長 どぶ鼠作戦(1969年)
- 極道ペテン師(1969年)
- 極道釜ヶ崎に帰る(1970年)
- 釜ヶ崎極道(1973年)
- 野獣刑事(1982年)
- 山谷─やられたらやりかえせ(1985年)
- 追悼のざわめき(1988年)
- 実録・東組抗争史 閻魔の微笑(2004年)
隣接する区[編集]
出身者[編集]
(各分野五十音順)
政財
学術
- 張賢徳(帝京大学医学部附属溝口病院准教授)
文化・芸術
- アーサー・ホーランド(牧師)
- 木村義志(著作家・編集者)
- 津村記久子(作家)
- はるき悦巳(漫画家)
芸能・報道機関
- 秋野暢子(女優)
- 烏川耕一(タレント)
- 内場勝則(タレント・吉本新喜劇)
- 柏原芳恵(歌手)
- 桂ざこば(落語家・タレント)
- 清水仁(歌手)
- SHINGO☆西成(歌手)
- 立花理佐(女優・タレント)
- CHAKA(歌手)
- 趙博(タレント)
- ハイラム・ブロック(ギタリスト)
- ミン・ヨンチ(歌手)
- やしきたかじん(歌手・タレント)
- 李闘士男(テレビディレクター・ドラマ演出家・映画監督)
スポーツ
その他
関連人物[編集]
- 亀田史郎(兵庫県姫路市出身、西成区育ち)
- 藤木悠(俳優)
- 松田雪重(松田組初代組長)
- 二世桐竹紋十郎(故人・堺市出身の文楽人形遣い・二世桐竹勘十郎、 吉田簑助、 桐竹紋寿らの師匠)が没年まで居住。
- 福井謙一(化学者):少年時代に居住。玉出第二尋常小学校(現在の岸里小学校)に通う。
- ブラックマヨネーズの吉田敬は高校卒業後の一時期居住していた。
- 六塚光(岩手県出身、ライトノベル作家)西成区在住。
脚注[編集]
- ↑ なお「住之江区」という名称は1974年に、旧住吉区からの分区によって新設された区の名称に使用されている。