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第二次世界大戦後、日本にやってきた[[進駐軍]]がもってきたといわれる[[ジュークボックス]]。飲食業界で流行の音楽が聞きたいときに聞けることと、アメリカを感じさせるその装置に客は100円玉を投入した。 | 第二次世界大戦後、日本にやってきた[[進駐軍]]がもってきたといわれる[[ジュークボックス]]。飲食業界で流行の音楽が聞きたいときに聞けることと、アメリカを感じさせるその装置に客は100円玉を投入した。 | ||
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最初のカラオケというサービスの考え方とそれを実現する装置が[[1971年]]に[[井上大佑]](いのうえ だいすけ)という一人のバンドマンによって発明された。これは、既存の楽曲を単に再生するだけでなく、生のバンドマンには当然の技術であった歌う人に合わせた[[調]]や[[テンポ]]を、あらかじめ用意した幾つかの中から選べるシステムとして実現したものである。再生装置は「8Juke(エイトジューク)」と名づけられ、リース販売された。 | 最初のカラオケというサービスの考え方とそれを実現する装置が[[1971年]]に[[井上大佑]](いのうえ だいすけ)という一人のバンドマンによって発明された。これは、既存の楽曲を単に再生するだけでなく、生のバンドマンには当然の技術であった歌う人に合わせた[[調]]や[[テンポ]]を、あらかじめ用意した幾つかの中から選べるシステムとして実現したものである。再生装置は「8Juke(エイトジューク)」と名づけられ、リース販売された。 | ||
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本来、伴奏部分だけのものがカラオケであるが、練習用ということでヴォーカル部分を含んで再生可能な機能を持つカラオケシステムも多数ある。歌う側にあわせてキーを変化させたり、テンポを調整したり、また、男性の声を女性の声に、女性の声を男性の声に変換させたりすることも可能となっている。カラオケ演奏機がゲーム機能や歌唱採点機能を備えている場合もある。 | 本来、伴奏部分だけのものがカラオケであるが、練習用ということでヴォーカル部分を含んで再生可能な機能を持つカラオケシステムも多数ある。歌う側にあわせてキーを変化させたり、テンポを調整したり、また、男性の声を女性の声に、女性の声を男性の声に変換させたりすることも可能となっている。カラオケ演奏機がゲーム機能や歌唱採点機能を備えている場合もある。 | ||
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[[1980年代]]半ば、カラオケのみを専門的に提供する、[[カラオケボックス]]という事業形態が誕生した。酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケで歌うために赴く場所であり、それ以前の概念を根底から覆す画期的な業態だった。 | [[1980年代]]半ば、カラオケのみを専門的に提供する、[[カラオケボックス]]という事業形態が誕生した。酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケで歌うために赴く場所であり、それ以前の概念を根底から覆す画期的な業態だった。 | ||
[[岡山県]]において、廃車になった[[貨物列車]]/[[貨物自動車|トラック]]の[[コンテナ]]を改造して設置したのが始まりとされる。1990年代以降は通常の建築物内にカラオケ専門ルームを設えるタイプが主流である。 | [[岡山県]]において、廃車になった[[貨物列車]]/[[貨物自動車|トラック]]の[[コンテナ]]を改造して設置したのが始まりとされる。1990年代以降は通常の建築物内にカラオケ専門ルームを設えるタイプが主流である。 | ||
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[[1990年代]]の日本で[[シングル]][[コンパクトディスク|CD]]の[[ミリオンセラー]]が多発した背景の一つとして、カラオケボックスや通信カラオケなどのカラオケの普及を挙げる意見もある。 | [[1990年代]]の日本で[[シングル]][[コンパクトディスク|CD]]の[[ミリオンセラー]]が多発した背景の一つとして、カラオケボックスや通信カラオケなどのカラオケの普及を挙げる意見もある。 | ||
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=== 通信カラオケ === | === 通信カラオケ === | ||
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[[1992年]]、[[タイトー]]が通信カラオケ「[[X2000]]」を発売する。同年、[[エクシング]]も「[[JOYSOUND]]」を発売。通信カラオケは、それまでメディア(媒体)で供給されていた楽曲が、通信により提供されるようになり、カラオケ装置は独立して存在するものではなく、通信で接続された一つのシステムの中に組み込まれた端末装置となった。各カラオケ装置脇に大量にソフト([[メディア (媒体)|メディア]])を用意する必要がなく、機械駆動装置がないため小型・省スペース化も図れ、新曲の配布も早くなった。またこれは、ビジネスモデルとして、機器を販売、ソフトを販売するものが、使用量に応じた課金システムとなっていくことでもあった。 | [[1992年]]、[[タイトー]]が通信カラオケ「[[X2000]]」を発売する。同年、[[エクシング]]も「[[JOYSOUND]]」を発売。通信カラオケは、それまでメディア(媒体)で供給されていた楽曲が、通信により提供されるようになり、カラオケ装置は独立して存在するものではなく、通信で接続された一つのシステムの中に組み込まれた端末装置となった。各カラオケ装置脇に大量にソフト([[メディア (媒体)|メディア]])を用意する必要がなく、機械駆動装置がないため小型・省スペース化も図れ、新曲の配布も早くなった。またこれは、ビジネスモデルとして、機器を販売、ソフトを販売するものが、使用量に応じた課金システムとなっていくことでもあった。 | ||
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== 利用者の変遷とソフトの変遷 == | == 利用者の変遷とソフトの変遷 == | ||
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カラオケで再生された音楽は装置が置かれた場所で好まれるものが主流だった。カラオケ装置が最初に置かれたのは井上が仕事場としていた酒場であり、酒場で好まれる歌、演歌が中心だった。その後、カラオケボックスとなり、その対象が学生にまで広がると、歌謡曲やヒット曲、そして洋楽へと音源は広がり、さらにファミリー層までが通いだすと、子供向けのテレビ主題歌や童謡、更に現在は、在日外国人向けに通常のCDでは入手の難しい諸外国の楽曲まで、幅広い音源が提供されている。 | カラオケで再生された音楽は装置が置かれた場所で好まれるものが主流だった。カラオケ装置が最初に置かれたのは井上が仕事場としていた酒場であり、酒場で好まれる歌、演歌が中心だった。その後、カラオケボックスとなり、その対象が学生にまで広がると、歌謡曲やヒット曲、そして洋楽へと音源は広がり、さらにファミリー層までが通いだすと、子供向けのテレビ主題歌や童謡、更に現在は、在日外国人向けに通常のCDでは入手の難しい諸外国の楽曲まで、幅広い音源が提供されている。 | ||
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=== 自宅でのカラオケ === | === 自宅でのカラオケ === | ||
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1970年代に入ると、家庭用[[テープレコーダー]]は、コンパクトカセットタイプのものも音楽鑑賞に堪え得る音質にまで達しており、特に[[ラジオカセットレコーダー|ラジオ付きカセットテープレコーダー]](ラジカセ)が普及すると、これをカラオケ用の装置として使うようになった(高級なラジカセにはマイク接続とミキシングによる拡声器機能が付いていた)。 | 1970年代に入ると、家庭用[[テープレコーダー]]は、コンパクトカセットタイプのものも音楽鑑賞に堪え得る音質にまで達しており、特に[[ラジオカセットレコーダー|ラジオ付きカセットテープレコーダー]](ラジカセ)が普及すると、これをカラオケ用の装置として使うようになった(高級なラジカセにはマイク接続とミキシングによる拡声器機能が付いていた)。 | ||
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=== マイク一体型カラオケ === | === マイク一体型カラオケ === | ||
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マイク型ハードウェアに収録済みの曲と、それに補充する[[Read Only Memory|ロム]]を使用し、個人用でカラオケボックスにも負けない人気を得た。収録曲は懐メロや[[歌謡曲]]、[[演歌]]など高年齢層好みが中心のものも多く、若年層が中心の[[J-POP]]が少なめであったが、最近は増加傾向にある。 | マイク型ハードウェアに収録済みの曲と、それに補充する[[Read Only Memory|ロム]]を使用し、個人用でカラオケボックスにも負けない人気を得た。収録曲は懐メロや[[歌謡曲]]、[[演歌]]など高年齢層好みが中心のものも多く、若年層が中心の[[J-POP]]が少なめであったが、最近は増加傾向にある。 | ||
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== 一覧 == | == 一覧 == | ||
=== 主要カラオケボックス・ルーム === | === 主要カラオケボックス・ルーム === | ||
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詳細は[[カラオケボックス]]を参照のこと。 | 詳細は[[カラオケボックス]]を参照のこと。 | ||
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2020年1月17日 (金) 22:04時点における最新版
カラオケとは、歌を歌う際、またはメロディパート(主旋律)を担う楽器を演奏する際に、生演奏ではなく事前に録音された伴奏を再生することにより演奏を再現することをいう。さらに井上大佑がこれを音源製作、再生装置、販売方法をセットにした「エイトジューク」というサービスとして一般に提供し、これが広まり「カラオケ」とよばれるようになった。後者「カラオケ」がその使用対象の大きさからも通常一般に第一に思い起こされる(想起される)ものとなっている。そして機能的には前者は後者の一部と捉えられることも多い。しかしながら、厳密には前者後者はその使用範囲が異なる。また、後者だけでなく前者も現在でも現役の用語である。
目次
概要[編集]
カラオケという言葉が普及する以前は「空演奏」と表現されることが多かった。
通常、楽曲の伴奏部分だけが「事前に記録」されている記録媒体(音楽テープやディスク等)で再生される。この言葉のうまれは、「生伴奏なし」と同義で、「カラオケね」は「伴奏なしでやろう」という意味だった。これは放送業界で生放送において伴奏へ多くの注意や経費を払わなくていいところから重宝された。ここまでは放送業界用語であり、この意味のカラオケはいまでも使われている。
その後、酒場での流しのギター弾きを仕事としていた井上大佑が、8トラックテープを用いて伴奏を事前録音したものを再生する装置を開発する。流しのレパートリーに左右されず、本物の演奏が再現されるとあって、これが評判となり、酒場で評判となる。ここに大衆文化となるカラオケが誕生する。
現在では、カラオケのしかけ、つまり、歌を歌うための装置、さらにはその装置を使って歌うことだけでなく、歌うための場所を提供している店(カラオケボックス)のことなどをカラオケと略して指すようにもなっており、これはカラオケがそれだけ一般化していることの証でもある。カラオケは、歌ってストレスを発散させたりするため、娯楽に分類され、レジャー白書で統計が取られる一項目ともなった。
この形式は日本で生まれたもので、英語の「Karaoke」(「キャリオキ」と聞こえる)や中国語の「卡拉OK」(kǎlā OK)、ロシア語の「Караоке」など、外国でも日本語の音をそのまま使った言葉が使われている。
2008年にイギリス政府が2500人以上の成人を対象に行った「最も重要と思いつつも最も不快に感じる電子機器(gadgets)」の調査では、カラオケが22%を獲得し携帯電話などを抑えて1位となった。イギリスでは、日本のように防音施設が整った個室型のカラオケボックスがまだあまり広まっておらず、カラオケが設置されているパブで音痴の人や酔っぱらいの歌声が“騒音”被害を招いているとの理由から。
カラオケの発祥[編集]
カラオケの、カラは「空っぽ」、オケは「オーケストラ」の略で、楽団・楽隊による生演奏ではなく、テープやレコードで代用することを表す放送業界ではじまった。そしてそれは今でも続いている。一説によればNHK交響楽団員らの雑談から出た言葉だという。
ラジオ・テレビでの放送は当初、すべてが生放送で行われており、流行(はやり)の歌も当然のことながらすべて生。つまり、その場で実際におこなった歌と演奏が放送された。オープンリールテープなどの録音機材が導入されると、これがを事前に録音したものでまかなえるようになってきた。更に後には映像記録も可能なビデオが導入されるのだが、その中間期、映像は生放送だが音響を録音でまかなえるようになった時代にカラオケは誕生する。映像として歌手は必要だが、オーケストラは不要であり、もしくは、ラジオでもトークも含めて歌手は現場に必要だったが歌を歌う際の伴奏は録音したものを再生することで大幅に手間を省けるようになった。
カラオケのソース(音源)[編集]
「カラオケは、主旋律抜きの音楽、つまり伴奏を再生すること」であり、そのためには再生する装置と再生される音楽(音楽ソース)が必要となる。
放送局で生まれたカラオケは、それまで生で演奏していたオーケストラを一度録音すればいいだけであった。オーケストラにとって何度も忙しく放送局に呼ばれ仕事ができていた時代はすぐに過ぎ去り、新曲を一度録音すればそれで終了ということになってしまった。もちろん録音への報奨は生演奏一度よりは高いものだったが従来の活動全部を補えるものでは到底なかった。こうして特定の人々が使う、つまり放送局内だけで使う音楽ソース(音源)が蓄えられていく。
カラオケの機材[編集]
この時期使われた再生装置は、オープンリールタイプのテープレコーダーで、それは録音機能も備えていた。後に民生用も誕生するオープンリール・テープレコーダーであるが、この時期はまだ最先端の業務用機器であり非常に高価であった。
カラオケ装置の誕生[編集]
カラオケ以前[編集]
ジュークボックス[編集]
第二次世界大戦後、日本にやってきた進駐軍がもってきたといわれるジュークボックス。飲食業界で流行の音楽が聞きたいときに聞けることと、アメリカを感じさせるその装置に客は100円玉を投入した。
テープレコーダーの普及[編集]
大型のオープンリールを使用した装置には民生用があることにはあったが、1960年代後半にコンパクトカセットテープとそのレコーダーが登場したことで録音再生という行為が一般大衆にも浸透していく。
コンパクトカセットはオランダの電機メーカーであるフィリップス社が1962年に開発したオーディオ用磁気記録テープ媒体の規格である。なお、8トラックはRCAビクター社が1965年にカーオーディオ用のメディアとして開発した。
音質面でオープンリールに劣っていたコンパクトカセットは、当時まだ音楽用途とは捉えられておらず、ジュークボックス代わりに音楽を差し替えながら再生する装置としては8トラックが活用され始めた。
井上大佑によるカラオケシステムの発明[編集]
最初のカラオケというサービスの考え方とそれを実現する装置が1971年に井上大佑(いのうえ だいすけ)という一人のバンドマンによって発明された。これは、既存の楽曲を単に再生するだけでなく、生のバンドマンには当然の技術であった歌う人に合わせた調やテンポを、あらかじめ用意した幾つかの中から選べるシステムとして実現したものである。再生装置は「8Juke(エイトジューク)」と名づけられ、リース販売された。
客のキーやテンポに合わせて演奏するのが得意であった井上は、なじみの弾き語り客から「社員旅行で使いたいので、伴奏だけを入れたテープ(=カラオケテープ)を作って欲しい」と依頼された。彼は依頼主にあわせてキーを移調し、テンポも変えたが、そこから潜在的な需要に気付いた。そこで8トラックのカラオケテープを作り、コインボックス式の再生装置に入れて、スナックなどに置くこととした。このときのテープ内容は8トラックテープ1本に付き4曲10本の計40曲で、当時の料金は5分で100円だった。
8トラックのテープを使い、また曲にアレンジを加えて長さを調整することで、1本のテープに何曲も入れることができ、また、できるだけ早く頭出しが出来るようになっていた。1曲は3~4分になるように調整されており、1曲目を気分よく歌ったあと、2曲目の途中で次のコインを投入する必要が出てくるため、客はついつい100円玉を景気よく使ってしまうというパターンが生まれた。
また、カラオケというビジネスモデルが成功した理由のひとつとして、このときリース制を導入したことが挙げられる。新譜が次々と出る状況で毎回テープを購入していては店が大変だろうという配慮からと言われているが、それが今日に続く隆盛の原動力の一つとなった。
以下に、産業となっていくカラオケの詳しい歴史が記述されている。→全国カラオケ事業者協会
技術としては様々な変遷があるものの、カラオケという装置およびビジネスモデルは井上がセットで生み出したものだ。しかし、井上は特許を申請していなかった。もし特許を申請し取得できていたとしたら、毎年100億円の特許権収入が発生するという試算がある。
1999年、井上は米国タイム誌の「今世紀、アジアにもっとも影響のあった人物20人」という特集の中で「毛沢東やガンジーがアジアの昼を変えたならば、井上はアジアの夜を変えた男だ」と紹介された。また2004年には、イグノーベル賞(平和賞)を受賞している。2005年には井上をモデルにした映画「KARAOKE-人生紙一重-」が上映された。
音源の製作[編集]
井上は自分で演奏して音源を作った。その後、各社が主旋律抜きの演奏を録音するようになった。
音源の供給[編集]
発明当初より物理的な「媒体」で供給された音源は、現在では媒体を使用せず通信による「データ」で供給されるものが主流となっている。
媒体使用時は、音楽メディア(メディア=媒体)の進化にしたがって、8トラック、コンパクトカセット、レーザーディスク、VHD、ビデオCD、DVDなどを経た。現在、日本では通信カラオケが主流となっている。
バリエーション[編集]
本来、伴奏部分だけのものがカラオケであるが、練習用ということでヴォーカル部分を含んで再生可能な機能を持つカラオケシステムも多数ある。歌う側にあわせてキーを変化させたり、テンポを調整したり、また、男性の声を女性の声に、女性の声を男性の声に変換させたりすることも可能となっている。カラオケ演奏機がゲーム機能や歌唱採点機能を備えている場合もある。
カラオケ演奏機は、古くは本体にあるボタン・つまみで操作したが、現在はリモコンでも操作可能である。選曲は、収録楽曲を歌手別、曲名順あるいは歌詞の出だし順に並べた冊子で、または曲名の索引なども参照して、歌いたい曲に割り当てられた曲コードを捜し、その番号を機械に入力することにより行われる。
現在はリモコンに設けられた液晶画面で曲名やアーティスト名から検索し、それを本体に送信することで選曲することができるものもある。中にはタッチパネルを備えたものもあり、ボタン操作は一切必要のない機種も登場している。
当初は歌詞カードや歌詞の書かれた本を見ながら歌っていたが、現在ではモニターに歌詞が字幕スーパーの形で表示され、歌うべき部分の色を変えて歌い手をサポートする仕組みになっている。
また、歌唱にとどまらず、合奏から特定の楽器のパートだけを除いた「楽器演奏用のカラオケCD」も現れている。
カラオケ文化[編集]
前身[編集]
現在のカラオケ形態の出現以前の1950-60年代には、一部の喫茶店において、店主や専属の生バンドが楽器を演奏して客が歌う「歌声喫茶」という業態が存在していた。ただ、当時の社会運動や風潮などとの連動が強く、現在のカラオケのように時節の流行歌を歌うものではなかった。飲食店などにカラオケ装置が設置され始め、社会運動などが退潮した70年代には、ほとんどの「歌声喫茶」が姿を消した。
酒場の余興[編集]
カラオケは、スナックなどの飲食業者の店舗や、ホテルの宴会場などに置かれることが多かった。カラオケは専ら酒席の余興という位置づけであったからだ。この時期の利用者は酒の飲める世代、つまり20代以上であるが、具体的にはより年齢層が高い層であった。その理由は、カラオケとして録音されていた曲の多くが演歌だったからである。
カラオケボックスの広がり[編集]
1980年代半ば、カラオケのみを専門的に提供する、カラオケボックスという事業形態が誕生した。酒のついでにカラオケを楽しむのではなく、純粋にカラオケで歌うために赴く場所であり、それ以前の概念を根底から覆す画期的な業態だった。 岡山県において、廃車になった貨物列車/トラックのコンテナを改造して設置したのが始まりとされる。1990年代以降は通常の建築物内にカラオケ専門ルームを設えるタイプが主流である。
詳細はカラオケボックスを参照のこと。
カラオケボックス成功の一要因として、
- ある年代以上の日本人には「酒も入らない状態で人前で歌うこと」に対する拒絶反応が存在したが、それ以降の世代は(少なくとも気心の知れた仲間同士の前では)屈託なく歌って楽しむという意識が存在していたこと。
- 通常の飲食店でカラオケを行う場合、知人以外の客もいる場所で歌うことになることが多い。しかしカラオケボックスの個室内は基本的に友人知人しかおらず、歌う楽しさを純粋に満喫できる。たとえ下手な歌や練習中の曲だとしても見知らぬ他人から揶揄される心配はない。
などがあげられる。
カラオケボックスは、学生のコンパやサラリーマンなどの懇親会の二次会の会場としてよく利用される、日本人の娯楽の代表の一つとなった。しかしいつの世にも人前で歌うことを苦手とする人も少なからず存在している。詳細はカラオケボックスを参照のこと。
1990年代の日本でシングルCDのミリオンセラーが多発した背景の一つとして、カラオケボックスや通信カラオケなどのカラオケの普及を挙げる意見もある。
CDへの収録[編集]
カラオケが大流行しだすと、その楽曲のシングルCD自体にカラオケが収録されるようにもなった。これにより、特別の機材がなくとも自宅で一部の曲のカラオケができるようになった。
通信カラオケ[編集]
1992年、タイトーが通信カラオケ「X2000」を発売する。同年、エクシングも「JOYSOUND」を発売。通信カラオケは、それまでメディア(媒体)で供給されていた楽曲が、通信により提供されるようになり、カラオケ装置は独立して存在するものではなく、通信で接続された一つのシステムの中に組み込まれた端末装置となった。各カラオケ装置脇に大量にソフト(メディア)を用意する必要がなく、機械駆動装置がないため小型・省スペース化も図れ、新曲の配布も早くなった。またこれは、ビジネスモデルとして、機器を販売、ソフトを販売するものが、使用量に応じた課金システムとなっていくことでもあった。
その後、さまざまなメーカーが相次いで参入。各社のブランドは以下の通り。第一興商は「DAM」、ギガネットワークスは「GIGA」、パイオニアは「BeMAX'S」、ビクターは「孫悟空」、セガは「セガカラ」、USENは「U-kara」を発売。
詳細は通信カラオケを参照のこと。
オリコン・カラオケチャート[編集]
オリコンでは、1990年代半ば頃から全国のカラオケからのリクエストを集計したカラオケチャートを発表している。ただし、データ集計にかかる時間の関係上、各カラオケメーカーが発表するデータよりも2週ほど遅れる。
チャートの特徴は、長期間にわたって1位やトップ10入りをする曲が多いことで、カラオケファンの人気曲がごく一部に集中していることを示している。また、毎年ある時期になると決まった曲が入ってくる(例えば高校野球の季節には岩崎良美の「タッチ」が必ず上位に入る)傾向が強いことも挙げられる。
利用者の変遷とソフトの変遷[編集]
カラオケで再生された音楽は装置が置かれた場所で好まれるものが主流だった。カラオケ装置が最初に置かれたのは井上が仕事場としていた酒場であり、酒場で好まれる歌、演歌が中心だった。その後、カラオケボックスとなり、その対象が学生にまで広がると、歌謡曲やヒット曲、そして洋楽へと音源は広がり、さらにファミリー層までが通いだすと、子供向けのテレビ主題歌や童謡、更に現在は、在日外国人向けに通常のCDでは入手の難しい諸外国の楽曲まで、幅広い音源が提供されている。
装置の変遷[編集]
通信カラオケ[編集]
初期の通信カラオケは、音楽音質の悪さと映像のバリエーションが貧弱などクリアしなければならない面もあった。それまでの媒体経由の音源はアナログ録音で基本的にはレコードやラジオ、テレビで放送される音楽を再記録したものに近いものであり音質は同じように高かった。しかし、通信カラオケで使われているのは音源はMIDIデータで構成されたデジタルデータでありカラオケ装置はMIDI再生装置であった。このMIDI再生装置は基本的には音楽演奏用シンセサイザーであり、これは演奏を録音した音源の再生とは全く異なる再生形態であった。アナログ録音されたプロの演奏とは全く比べ物にならなかった。質の悪さはMIDIデータが悪いというよりはMIDI再生装置側のクオリティの低さから来るものであり、さらに、付け加えられた映像バリエーションの少なさもこれに加わり当初の品質は高くは無かった。しかし、提供楽曲の多様性と新譜の迅速な配信は物理音源カラオケを大きく凌ぎ、以後、通信カラオケはカラオケの主流となっていく。
現在ではデジタル音楽技術が進歩し、MIDI再生装置だけでなくデジタル音楽再生装置を内蔵するようになった。シンセサイザー機能に加えデジタル録音データ再生機能(いわゆるサンプリングデータ再生機能)をもつようになり再生装置は大いに音質向上、機能向上している。
詳細は通信カラオケを参照のこと。
カラオケの画面[編集]
初期はテレビ画面そのものが無く、紙を見て歌った。その後、テレビ画面に字幕が出るようになり、その字幕の通りに歌うが、かつては同じ背景しか出なかった。その後、曲のタイトルや歌詞の意味にあわせた、一種の寸劇ともいえる映像が追加された。これは地域性としてご当地ソングや歌詞の重みのあるフォークソングで重要視される。たとえば狩人の曲あずさ2号の場合は特急あずさの走行シーンが流れるといった具合である。
自宅でのカラオケ[編集]
1970年代に入ると、家庭用テープレコーダーは、コンパクトカセットタイプのものも音楽鑑賞に堪え得る音質にまで達しており、特にラジオ付きカセットテープレコーダー(ラジカセ)が普及すると、これをカラオケ用の装置として使うようになった(高級なラジカセにはマイク接続とミキシングによる拡声器機能が付いていた)。
1980年代後半には、レーザーディスクによるカラオケシステムが現れ、ある程度の普及を見た。これはメディアの性質上、映像が含まれており、テレビ画面上に映像と歌詞を表示して使われた。プレーヤーは一般のものと異なり、マイク入力とそれへのエフェクト機構があった。さらに選曲ボタンが多かったりと、カラオケ使用のための操作ボタンを備えていた。
家庭用ゲーム機でもPCエンジンではCD-G、ドリームキャストやWiiでは通信カラオケによるカラオケシステムに対応している。
音源媒体については、1970年代初めごろよりラジオ番組の中でカラオケ(伴奏のみの音楽)を流す企画もあり、これを録音する聴取者も居た。また、市販のレコードにはカラオケがほとんど存在しなかったが、ミュージックテープ(音楽カセット)では、カラオケのみを収録したものが多くラインナップされた。
テレビの歌番組で歌手の歌に合わせて歌詞の字幕スーパーが放映されるようになって以後、楽曲によっては販売されるCD自体にカラオケが収録されるようにもなった。特別にカラオケの音源がなくとも自宅でカラオケができるようにもなった。
1995年には家庭向けの通信カラオケが登場しているが、普及の度合いはまだ少ない。
また、カラオケ機能を搭載したゲームなども数多く出ている。(任天堂の「大合奏!バンドブラザーズDX」「カラオケJOYSOUND Wii」やなど)
マイク一体型カラオケ[編集]
マイク型ハードウェアに収録済みの曲と、それに補充するロムを使用し、個人用でカラオケボックスにも負けない人気を得た。収録曲は懐メロや歌謡曲、演歌など高年齢層好みが中心のものも多く、若年層が中心のJ-POPが少なめであったが、最近は増加傾向にある。
個人用としては、携帯電話やパソコンにカラオケソフトや楽曲データをダウンロードする、新しいサービスも試みられている。
一覧[編集]
主要カラオケボックス・ルーム[編集]
詳細はカラオケボックスを参照のこと。
- BIG ECHO
- JJCLUB100
- JOYJOY(ジョイジョイ)
- U-STYLE/U-BOU
- カラオケの鉄人
- カラオケ館
- カラオケ時遊館
- コート・ダジュール(ヴァリック)
- コロッケ倶楽部(ボナー)
- サウンドヴィレッジ
- サウンドパーク
- シダックス
- ジャンボカラオケ広場
- ソングパーク
- パセラ
- 歌のステージ19
- 歌広場
オリコンカラオケチャート長期1位楽曲[編集]
2010年2月22日付け時点の記録。
連続1位[編集]
連続1位週数 | 曲名 | アーティスト | 1位達成年月日 |
---|---|---|---|
42週 | 花 | ORANGE RANGE | 2004年11月29日 - 2005年9月12日 |
37週 | キセキ | GReeeeN | 2008年6月23日 - 2009年3月2日 |
32週 | キセキ | GReeeeN | 2009年5月11日 - 2009年12月14日 |
25週 | 純恋歌 | 湘南乃風 | 2006年6月5日 - 2006年11月20日 |
20週 | 三日月 | 絢香 | 2006年11月27日 - 2007年4月9日 |
18週 | 亜麻色の髪の乙女 | 島谷ひとみ | 2002年6月3日 - 2002年9月30日 |
17週 | LOVEマシーン | モーニング娘。 | 1999年 - 2000年 |
16週 | 世界に一つだけの花 | SMAP | 2003年3月3日 - 2003年6月16日 |
15週 | First Love | 宇多田ヒカル | 1999年 |
15週 | そばにいるね | 青山テルマ feat.SoulJa | 2008年3月10日 - 2008年6月16日 |
14週 | White Love | SPEED | 1997年 - 1998年 |
14週 | TSUNAMI | サザンオールスターズ | 2000年 |
13週 | Automatic | 宇多田ヒカル | 1999年 |
13週 | Hello, Again 〜昔からある場所〜 | MY LITTLE LOVER | 1995年 |
12週 | アジアの純真 | PUFFY | 1996年 |
12週 | 青春アミーゴ | 修二と彰 | 2005年12月5日 - 2006年2月20日 |
通算1位[編集]
通算1位週数 | 曲名 | アーティスト | 1位達成年月日 |
---|---|---|---|
75週 | キセキ | GReeeeN | 2008年6月23日 - 2009年3月2日(37週連続) 2009年3月16日 2009年3月30日 - 2009年4月20日(4週連続) 2009年5月11日 - 2009年12月14日(32週連続) 2010年1月18日 |
43週 | 花 | ORANGE RANGE | 2004年11月29日 - 2005年9月12日(42週連続) 2005年10月3日 |
40週 | 世界に一つだけの花 | SMAP | 2003年3月3日 - 2003年6月16日(16週連続) 2003年7月7日 2003年8月4日 - 2003年9月15日(7週連続) 2003年9月29日 - 2003年12月1日(10週連続) 2004年1月5日 - 2004年2月2日(6週連続) ※年始2週合算週を含む |
40週 | 涙そうそう | 夏川りみ | 2004年2月9日 - 2004年3月29日(8週連続) 2004年5月3日 - 2004年5月10日(2週連続) 2004年5月24日 - 2004年7月5日(7週連続) 2004年7月19日 - 2004年8月9日(4週連続) 2004年9月13日 - 2004年9月27日(3週連続) 2004年10月11日 - 2004年11月22日(7週連続) 2005年9月19日 2005年10月10日 - 2005年11月28日(8週連続) |
26週 | 純恋歌 | 湘南乃風 | 2006年6月5日 - 2006年11月20日(25週連続) 2007年7月9日 |
22週 | 亜麻色の髪の乙女 | 島谷ひとみ | 2002年6月3日 - 2002年9月30日(18週連続) 2002年12月23日 - 2003年1月13日(4週連続) |
21週 | 三日月 | 絢香 | 2006年11月27日 - 2007年4月9日(20週連続) 2007年7月2日 |
17週 | LOVEマシーン | モーニング娘。 | 1999年 - 2000年(17週連続) |
楽曲のカラオケヴァージョン[編集]
日本においては、1990年ころからカラオケヴァージョンの入ったシングルCDが現れた。呼び名は当初は「オリジナル・カラオケ」が多かったが、現在では「instrumental(inst.と略)」表記が主流である(宇多田ヒカル、竹内電気は現在でも基本的に「Original Karaoke」)。なお「オリジナル・カラオケ」とは、歌手が録音に使用したカラオケ音源を指す用語である。
他にも以下の例がある。
- 「Backing Track」 - 槇原敬之(1997年「素直」以降)やJUDY AND MARY、オーガスタのアーティスト
- 「Less Vocal」 - Defstarのアーティスト、小田和正
- 「Off Vocal」 - ランティスのアーティスト
- 「TV Mix」(TV-Mix) - 中島みゆき
- 「Instrumental Version」 - Mr.Children(以前)、aiko(以前)
- 「Voiceless Version」 - hide、L'Arc〜en〜Ciel
- 「hydeless version」(ヴォーカルのhydeがいないという意味) - L'Arc〜en〜Ciel(途中から)
- 「No Vocal Edition」 - 徳永英明(以前)
- 「Music Track」 - 19、SMAP
- 「お稽古用」 - Jungle Smile
- 「あれ!?ミッチーがいないぞ」 -及川光博
- 「for SING」-少年カミカゼ(「WINDER 〜ボクハココニイル〜」以降)
- 「YUKIいないversion」 - YUKI
2枚組アルバムの2枚目をカラオケヴァージョンとすることがある。(槇原敬之の「smiling gold」、キリンジのスウィートソウルe.p.、竹内まりやのExpressions)
シングルの場合、旧来のレコードからの伝統により、A面とB面に対応する二曲を含み、それらのカラオケバージョンをあわせて四曲を収録する形が多い。これは、他方ではCDのシングルが8cmから12cm(マキシングル)に移行し、時間的な余裕が大きくなったことにも対応している。ただし、移行する前からもこのような形態になりつつあった。
海外のカラオケ事情[編集]
上記のイギリスの事例で述べたとおり、海外においては多くの人が飲食するパブやバーで提供されるほうが多く、日本のように個室を用いたカラオケボックス形式は少ない。なおイギリスでは、ロンドン市内を中心に展開している高級カラオケボックス「ラッキー・ヴォイス」があるが、この様な例は少数に限られる。
また、東・東南アジア方面などではマッサージ店などと同様、非公式に性的サービスが伴う店もあり、利用する際には注意が必要である。中には女性従業員が特定の目的で来客を誘惑したり、接待を通じた諜報活動が暗躍するハニートラップの事例も見受けられる。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 有限会社イノウエ (カラオケ発明者井上大佑の会社)