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'''内川 聖一'''(うちかわ せいいち、[[1982年]](昭和57年)[[8月4日]] - )は、[[福岡ソフトバンクホークス]]に所属する[[プロ野球選手]]([[外野手]])。
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== 経歴 ==
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=== プロ入り前 ===
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元[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]の[[吉田豊彦]]とは子供の頃からの知り合いである。[[大分県立大分工業高等学校]]時代は、骨嚢腫<ref>骨に穴が開く病気。</ref>により左かかとを3回に渡って手術しながらも、通算43[[本塁打]]を放った。3年生の[[全国高等学校野球選手権大分大会]]には[[遊撃手]]として出場し、チームは準優勝を挙げた。
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当時、大分工高の監督でもあった父親の内川一寛(現在は[[大分県立情報科学高等学校]]の監督)が[[法政大学]]出身だったため、内川も法大進学が確実視されていたが、[[2000年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]から1位指名を受けて入団<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_08november/KFullNormal20081113185.html 【11月17日】2000年(平12) 実質1年で43本塁打!難病克服した内川聖一、横浜1位指名]スポニチ</ref>。[[広島東洋カープ]]も指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチ・[[大下剛史]]主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ([[NHK総合テレビジョン|NHK総合テレビ]]『[[にんげんドキュメント]]・[[村上孝雄]] -いつか輝く原石を求めて-』でもそのシーンが放送された)、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている<ref>[http://olive.zero.ad.jp/tanuki/info/pakuri/sukauto001/sukauto03.html 『広島スカウト』 第三回]朝日新聞 2000年11月の記事より</ref>。
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=== 横浜時代 ===
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1年目から一軍を経験。2年目の{{by|2002年}}から[[代打]]として42[[試合]]に出場、70[[打席]]ながら[[打率]].333、2本塁打と結果を残した。
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{{by|2003年}}のキャンプ中、突然右目の[[視力]]が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した[[石井琢朗]]に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の[[握力]]が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は[[二塁手]]として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって[[頚椎]]の[[神経]]を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増された(結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した)。
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{{by|2004年}}、7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなった。打撃では自己最多の17本塁打を放ち、[[得点圏打率]]は4割後半を記録した。
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{{by|2005年}}、堅守の[[種田仁]]が打撃好調だったため、慣れない[[左翼手]]のポジションを[[小池正晃]]や[[古木克明]]と争うが、後半戦のレギュラーは守備力の高い小池に固定され、代打での出場が多くなった。
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{{by|2006年}}には不振の種田に代わり二塁手に復帰するが、[[佐伯貴弘]]を筆頭にチームに故障者が相次いだことや、自身の送球難から左翼手や[[一塁手]]に回る事も多かった<ref name="spn">[http://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_08november/KFullNormal20081113185.html イップスなどの障害、顎、2008年の右打者クリーンアップ]</ref>。初めて100試合出場を達成したが、[[規定打席]]には届かなかった。
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{{by|2007年}}、[[多村仁志|多村仁]]の移籍や自身の守備難により本格的に[[外野手]]へ転向され、[[右翼手]]に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。
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{{by|2008年}}は開幕から打撃好調で、佐伯の不振により4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、[[2008年のオールスターゲーム_(日本プロ野球)|オールスターゲーム]]に監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続[[安打]]を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年の[[ロバート・ローズ]]を抜き、日本人選手のセリーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は{{by|1951年}}、[[読売ジャイアンツ|巨人]]・[[川上哲治]]の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは[[最多安打]](189安打)、[[最高出塁率]](.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。[[村田修一]]、[[吉村裕基]]と共に右打者の並ぶ[[クリーンナップ]]は、低迷するチームの中にあって他球団の脅威となった。
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[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]に選出され、第1ラウンド2回戦の対[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック韓国代表|韓国]]戦に6番・一塁手として先発出場。[[金廣鉉]]から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に[[張洹三]]から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では[[高永民]]が打った鋭い当たりにスライディングで突っ込み、正確な送球で打者走者を二塁でアウトにする好プレーを見せた。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を打って[[イチロー]]の決勝2点適時打のお膳立てをし、走者として決勝の[[得点]]を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18[[打数]]6安打)、1本塁打であった。
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{{by|2009年}}、同じくWBCの代表に選出された村田が大会期間中の[[3月30日]]に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全[[打順]]での試合出場を達成した。平成になって初の[[台覧試合]]となった7月12日のヤクルト戦(神宮球場)前、[[愛子内親王]]が内川のファンであったこともあり[[皇太子徳仁親王|皇太子]]一家への挨拶を果たしたが、自分のファンであることを聞かされた内川は「僕でいいのかな」とコメントを残している<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/flash/KFullFlash20090712106.html 2009年7月12日スポーツニッポン<!--~~~~~確認-->]、[http://www.seiichi-uchikawa.jp/cp-bin/diary/index.php?eid=88 内川のブログ]</ref>。この年は[[アレックス・ラミレス]]と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318を記録した。この年外野手として獲得した[[ダン・ジョンソン]]が怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。[[10月5日]]、フジテレビアナウンサーの[[長野翼]]との交際が明らかになり<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20091006-552096.html 横浜内川がフジ女子アナと真剣交際] 日刊スポーツ 2009年10月6日閲覧</ref>、翌年の[[3月24日]]に[[結婚]]した<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/100113/bse1001130509001-n1.htm 横浜:内川とフジ:長野アナ結婚] サンケイスポーツ 2010年1月13日閲覧</ref>。[[2012年]][[6月5日]]、球団のツイッターで、翼夫人が5日に福岡市内の病院にて、体重3,956[[g]]女児を出産したことを発表。
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{{by|2010年}}、[[6月3日]]に国内FA権を獲得。[[6月15日]]の対[[福岡ソフトバンクホークス]]戦で、[[小椋真介]]から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番・一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得した[[ブレット・ハーパー]]が一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番・右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。シーズン終了後の[[11月8日]]、FA権行使を表明<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/101108/bse1011081935001-n1.htm 横浜・内川、FA視野「しっかりした環境で」] サンケイスポーツ 2010年11月8日閲覧</ref>。福岡ソフトバンクホークスと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、[[12月1日]]に内川の地元である大分に最も近い球団であるソフトバンクへ移籍することを表明した<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/2010/12/01/0003646458.shtml 内川の横浜退団が決定 ソフトB入り] デイリースポーツ 2010年12月1日閲覧</ref>。
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=== ソフトバンク時代 ===
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[[12月6日]]に正式に契約を交わし、同じく移籍した[[細川亨]]と共に入団会見を行った<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20101206-710839.html 内川「九州に帰ってきた」]日刊スポーツ、2010年12月6日。</ref>。契約内容は4年契約で総額5億6000万円から13億6000万円の間での変動制。背番号はWBCで着用した'''24'''に決まった。
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{{by|2011年}}、4月に打率.397、安打、塁打(38)でリーグトップ、打点、二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した<ref>[http://www.npb.or.jp/CGI/System/news_view.cgi?id=01780 4月度「日本生命月間MVP」受賞者発表]</ref><ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/10/kiji/K20110510000792880.html 「ほっとしている」内川は両リーグ受賞]</ref>。交流戦では打率 .326(交流戦6位)、20打点(交流戦4位)、4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した<ref>[http://www.npb.or.jp/interleague/2011news4.html 2011年度「日本生命セ・パ交流戦」最優秀選手賞(MVP)および日本生命賞決定のお知らせ]</ref>。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、[[江藤愼一]]以来史上2人目の両リーグでの首位打者を獲得した。
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ポストシーズンでは[[2011年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]ファイナルステージでは第1戦と第2戦に先制打を放つなど活躍し、最優秀選手賞を獲得した。[[2011年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第2戦の第2打席で、[[中日ドラゴンズ]]の[[落合博満]]監督からバットにテーピングをしていることに対しクレームをつけられ、テープを剥がしてプレイを続行するという一幕もあった。[[12月1日]]には、パ・リーグ年間[[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]]に選出され、自身初となるシーズンMVPを獲得した<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/npb/news/20111201-OYT1T00901.htm?from=main8 セが中日・浅尾、パはソフトバンク内川…MVP] 読売新聞 2011年12月1日閲覧</ref>。
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{{by|2012年}}シーズンからは、現・ソフトバンク監督の[[秋山幸二]]が現役時代付け、前年までは[[柴原洋]]が付けていた背番号'''1'''を引き継ぐことになった。
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シーズンでは開幕当初はまずまずだったものの、6月には月間打率.128と大不振に終わる。それでも後半巻き返し、5年連続打率.300を記録し2年連続のタイトルとなる最多安打を獲得した。[[契約更改]]では、[[現状維持]]の1億7000万円で[[更改]]した。
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== プレースタイル ==
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打撃は早打ち型で[[三振]]と[[四球]]共に少ない。もともとは球を前でさばくバッティングに自信を持っていたが、コーチの[[杉村繁]]から、ボールを体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる<ref>[http://blog.shueisha.net/sportiva/baseball/index.php?ID=67 【プロ野球】コーチの真髄(3)~横浜・杉村繁「ふたりの大打者を育てた挫折組のあふれる愛情」]集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva</ref>。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した。また、[[和田一浩]]がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている<ref>[http://www.ninomiyasports.com/sc/modules/bulletin02/article.php?storyid=2038 内川聖一、打撃開眼への道のり]</ref>。
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首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強い。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の[[原辰徳]]にこの点が評価され<ref>[http://sankei.jp.msn.com/sports/baseball/090308/bbl0903081952016-n1.htm 【WBC】1位通過へカギ握る“左キラー”内川]</ref>、左投手の先発試合では積極的に3番で起用された。
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外野守備ではライト線近くの打球に弱く、[[右翼手]]での守備範囲は平均を下回るが<ref>[http://www.baseball-lab.jp/column_detail/&blog_id=7&id=47 Baseball Lab守備評価~Right Fielder]SMR Baseball lab</ref>、右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力は備えている。内野守備ではフィールディングは悪くないが、[[イップス]]のため短い距離の送球が出来ないこともあり<ref name="spn"></ref>スローイングに難があると評されるも、外野守備でのスローイングは比較的安定している。ちなみに、メジャーのスカウトからは前述のWBCでの好送球とバットスピードが速い点から「[[ジェイソン・ワース]]を思わせる」と評価されている<ref>現役スカウト部長が見た日本チーム『[[月刊スラッガー]]』2009年6月号、[[日本スポーツ企画出版社]]、2009年、雑誌15509-6、52頁</ref>。
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== 詳細情報 ==
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=== 年度別打撃成績 ===
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{| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}}
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|-
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|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
 +
|rowspan="10" style="text-align:center;"|[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]
 +
|3||2||2||1||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||.000||.000||.000||.000
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2002}}
 +
|42||73||66||11||22||4||1||2||34||7||0||0||3||0||4||1||0||13||1||.333||.371||.515||.887
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}}
 +
|45||161||150||20||47||5||0||4||64||18||4||4||6||0||5||0||0||13||1||.313||.335||.427||.762
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}}
 +
|94||369||338||55||97||11||1||17||161||45||2||7||12||1||18||0||0||42||7||.287||.322||.476||.798
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}}
 +
|90||262||234||33||64||11||0||5||90||23||1||1||6||1||19||1||2||36||10||.274||.332||.385||.717
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
 +
|124||439||402||41||115||15||2||4||146||34||8||3||7||3||22||0||5||64||9||.286||.329||.363||.692
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}}
 +
|92||274||247||24||69||17||3||7||113||29||3||4||4||1||16||0||6||37||9||.279||.337||.457||.795
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2008}}
 +
|135||544||500||83||'''189'''||'''37'''||1||14||270||67||2||3||5||4||31||1||4||49||7||'''.378'''||'''.416'''||.540||.956
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2009}}
 +
|132||552||503||65||160||32||2||17||247||66||1||5||2||4||42||5||1||56||16||.318||.369||.491||.860
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2010}}
 +
|'''144'''||637||577||75||182||36||4||9||253||66||1||2||3||4||47||1||6||51||17||.315||.371||.438||.809
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2011}}
 +
|rowspan="2" style="text-align:center; white-space:nowrap;"|[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]
 +
|114||463||429||48||145||21||3||12||208||74||4||0||0||7||25||1||2||48||3||'''.338'''||.371||.485||.856
 +
|-
 +
|style="text-align:center;"|{{by2|2012}}
 +
|138||567||523||44||'''157'''||21||3||7||205||53||6||4||0||7||31||'''6'''||6||36||12||.300||.342||.392||.734
 +
|-
 +
!colspan="2"|通算:12年
 +
|1153||4343||3971||500||1247||210||20||98||1791||482||32||33||48||32||260||16||32||445||92||.314||.358||.451||.809
 +
|}
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* 2012年度シーズン終了時
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* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
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=== 年度別守備成績 ===
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{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small;"
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!rowspan="2"|年<br />度!!colspan="6"|一塁!!colspan="6"|二塁!!colspan="6"|三塁!!colspan="6"|遊撃!!colspan="6"|外野
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|-
 +
!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率!!試合!!刺殺!!補殺!!失策!!併殺!!守備率
 +
|-
 +
|2001||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||2||0||3||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align: center;"|-
 +
|-
 +
|2002||colspan="6" style="text-align: center;"|-||16||34||32||1||9||.985||2||0||1||0||0||1.000||2||0||1||0||1||1.000||colspan="6" style="text-align: center;"|-
 +
|-
 +
|2003||1||3||0||0||0||1.000||24||49||63||4||11||.966||colspan="6" style="text-align: center;"|-||18||28||60||5||7||.946||colspan="6" style="text-align: center;"|-
 +
|-
 +
|2004||colspan="6" style="text-align: center;"|-||82||196||274||10||56||.979||colspan="6" style="text-align: center;"|-||9||5||14||2||2||.905||colspan="6" style="text-align: center;"|-
 +
|-
 +
|2005||4||6||1||0||0||1.000||1||0||1||0||0||1.000||9||4||10||1||1||.933||colspan="6" style="text-align: center;"|-||59||78||0||1||0||.987
 +
|-
 +
|2006||43||328||14||1||27||.997||60||128||174||10||37||.968||1||0||3||0||0||1.000||colspan="6" style="text-align: center;"|-||12||13||1||0||0||1.000
 +
|-
 +
|2007||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||79||119||1||2||0||.984
 +
|-
 +
|2008||119||1094||75||5||96||.996||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||11||12||0||0||0||1.000
 +
|-
 +
|2009||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||130||216||1||3||1||.986
 +
|-
 +
|2010||73||651||38||4||47||.994||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||72||127||6||0||2||1.000
 +
|-
 +
|2011||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||88||126||3||0||1||1.000
 +
|-
 +
|2012||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||colspan="6" style="text-align: center;"|-||136||236||7||1||2||.996
 +
|-
 +
!通算
 +
|240||2082||128||10||170||.996||183||407||544||25||113||.974||12||4||14||1||1||.947||31||33||78||7||9||.940||587||927||19||7||6||.993
 +
|}
 +
* 2012年度シーズン終了時
 +
 
 +
=== タイトル ===
 +
* [[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]:2回(2008年、2011年)
 +
* [[最多安打 (日本プロ野球)|最多安打]]:2回(2008年、2012年)
 +
* [[最高出塁率 (日本プロ野球)|最高出塁率]]:1回(2008年)
 +
 
 +
=== 表彰 ===
 +
* [[最優秀選手 (野球)|最優秀選手]]:1回(2011年)
 +
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:通算4回(2008年 = 一塁手部門、2009年、2011年、2012年 = 外野手部門)
 +
* セ・リーグ会長特別賞:1回(2008年、右打者史上最高打率に対しての表彰)
 +
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:2回(2008年8月、2011年4月)
 +
* [[「ジョージア魂」賞]]:1回(2011年度第12回)
 +
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]ベストバッター賞、マツダ ビアンテ賞(イチロー以来の5打席連続安打)
 +
* [[セ・パ交流戦]]MVP:1回 (2011年)
 +
* [[クライマックスシリーズ]]MVP : 1回(2011年)
 +
* [[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]特別賞
 +
:*みんなで選ぶコナミ賞:1回([[2011年の日本シリーズ|2011年]])
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:*[[プロ野球ドリームナイン|ドリームナイン]]賞:1回(2011年)
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:*[[BASEBALL HEROES]]賞:1回(2011年)
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* 大分市民栄誉賞(2008年)
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* パ・リーグ特別表彰:1回(2011年:史上2人目となるセ、パ両リーグで首位打者を獲得)
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=== 記録 ===
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;初記録
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* 初出場:2001年3月30日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]1回戦([[横浜スタジアム]])、9回裏に[[ジョン・ズーバー]]の[[代走]]として出場
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* 初安打:2002年4月24日、対[[中日ドラゴンズ]]5回戦([[札幌ドーム]])、9回裏に[[エディ・ギャラード]]から右前安打
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* 初先発出場:2002年5月3日、対[[読売ジャイアンツ]]7回戦(横浜スタジアム)、7番・[[二塁手]]として出場
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* 初本塁打・初打点:2002年7月7日、対中日ドラゴンズ15回戦([[石川県立野球場]])、5回表に[[山井大介]]から左越ソロ
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* 初盗塁:2003年6月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:[[工藤公康]]、捕手:[[村田善則]])
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;節目の記録
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* 1000本安打:2011年6月9日、対読売ジャイアンツ4回戦([[福岡ドーム|福岡Yahoo! JAPANドーム]])、6回裏に[[東野峻]]から右前安打 ※史上265人目
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* 1000試合出場:2011年9月25日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]24回戦([[宮城球場|日本製紙クリネックススタジアム宮城]])、3番・[[左翼手]]として先発出場 ※史上446人目
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;その他の記録
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* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:4回 (2008年 - 2009年、2011年 - 2012年)
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* 3打席連続本塁打:2004年5月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、1回裏・3回裏に[[木佐貫洋]]、4回裏に[[マシュー・ランデル]]から
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* [[全球団から本塁打]]:2011年6月19日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]4回戦(横浜スタジアム)、5回表に[[須田幸太]]から左越ソロ ※史上21人目
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{|class="wikitable"
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!&nbsp;!!日付!!対戦球団!!球場!!回!!相手投手!!通算本数
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|style="text-align:right"|1||style="text-align:right"|2002年7月7日||style="text-align:right"|[[中日ドラゴンズ|中日]]15回戦||style="text-align:center"|[[石川県立野球場]]||style="text-align:right"|5回表||style="text-align:center"|[[山井大介]]||style="text-align:right"|1
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|style="text-align:right"|2||style="text-align:right"|4月6日||style="text-align:right"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]15回戦||style="text-align:center"|[[東京ドーム]]||style="text-align:right"|8回表||style="text-align:center"|[[岡島秀樹]]||style="text-align:right"|2
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|style="text-align:right"|3||style="text-align:right"|2003年6月3日||style="text-align:right"|[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]10回戦||style="text-align:center"|[[横浜スタジアム]]||style="text-align:right"|7回裏||style="text-align:center"|[[河端龍]]||style="text-align:right"|3
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|style="text-align:right"|4||style="text-align:right"|2004年4月9日||style="text-align:right"|[[広島東洋カープ|広島]]1回戦||style="text-align:center"|[[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]]||style="text-align:right"|2回表||style="text-align:center"|[[黒田博樹]]||style="text-align:right"|7
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|style="text-align:right"|5||style="text-align:right"|4月28日||style="text-align:right"|[[阪神タイガース|阪神]]4回戦||style="text-align:center"|[[阪神甲子園球場]]||style="text-align:right"|7回表||style="text-align:center"|[[吉野誠]]||style="text-align:right"|12
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|style="text-align:right"|6||style="text-align:right"|2005年5月17日||style="text-align:right"|[[オリックス・バファローズ|オリックス]]1回戦||style="text-align:center"|[[大阪ドーム]]||style="text-align:right"|8回表||style="text-align:center"|[[川越英隆]]||style="text-align:right"|24
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|style="text-align:right"|7||style="text-align:right"|5月22日||style="text-align:right"|[[埼玉西武ライオンズ|西武]]3回戦||style="text-align:center"|横浜スタジアム||style="text-align:right"|1回裏||style="text-align:center"|[[山岸穣]]||style="text-align:right"|25
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|style="text-align:right"|8||style="text-align:right"|2006年5月11日||style="text-align:right"|[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]3回戦||style="text-align:center"|横浜スタジアム||style="text-align:right"|4回裏||style="text-align:center"|[[愛敬尚史]]||style="text-align:right"|31
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|-
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|style="text-align:right"|9||style="text-align:right"|2008年5月21日||style="text-align:right"|[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]2回戦||style="text-align:center"|[[札幌ドーム]]||style="text-align:right"|8回表||style="text-align:center"|[[星野八千穂]]||style="text-align:right"|42
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|-
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|10||style="text-align:right"|2009年6月7日||style="text-align:right"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]3回戦||style="text-align:center"|横浜スタジアム||style="text-align:right"|4回裏||style="text-align:center"|[[成瀬善久]]||style="text-align:right"|64
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|11||style="text-align:right"|2010年6月15日||style="text-align:right"|[[福岡ソフトバンクホークス|ソフトバンク]]4回戦||style="text-align:center"|横浜スタジアム||style="text-align:right"|4回裏||style="text-align:center"|[[小椋真介]]||style="text-align:right"|72
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|12||style="text-align:right"|2011年6月19日||style="text-align:right"|[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]4回戦||style="text-align:center"|横浜スタジアム||style="text-align:right"|5回表||style="text-align:center"|[[須田幸太]]||style="text-align:right"|85
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=== 背番号 ===
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* '''25''' (2001年)
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* '''2''' (2002年 - 2010年)
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* '''24''' (2011年)
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* '''1''' (2012年 - )
 +
 
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=== 登場曲 ===
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* [[ザ・キラーズ]]「Somebody Told Me」(2005年)
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* [[フランツ・フェルディナンド]]「Do You Want To」(2006年)
 +
* [[大塚愛]]「[[フレンジャー]]」(2006年)
 +
* [[倖田來未]]「[[BUT/愛証|BUT]]」(2007年)
 +
* [[RYUKYUDISKO]]「NICE DAY feat. [[BEAT CRUSADERS]]」(2007年)
 +
* ヨースケ@HOME 「トコナッツ」(2008年夏季)
 +
* [[グッド・シャーロット]] 「DANCE FLOOR ANTHEM」(2008年)
 +
* [[桜]] [[FUNKY MONKEY BABYS]] (2010年)
 +
* Blue Stealer「Take The Dream」([[プロレスラー]]・[[佐々木健介]]の入場曲)(2009年、2010年)
 +
* ゆず「虹」(2009年、2010年)
 +
* [[無限 -MUGEN-]]「魂 ~spirit~」(2011年)
 +
* [[遊助]] 「[[ひまわり (遊助の曲)]]」  (2012年)
 +
* [[福山雅治]] 「[[ガリレオ オリジナル・サウンドトラック|vs. 〜知覚と快楽の螺旋〜]]」 (2012年)
 +
* [[斉藤和義]] 「[[やさしくなりたい]]」  (2012年8月〜、当曲を登場曲にしていた[[松田宣浩]]の故障離脱後から使用。)
 +
 
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== 関連情報 ==
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=== コマーシャル ===
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*オフィス アイ プラン(横浜在籍時 大分県の保険代理店)
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*[[昭和建設]]
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*[[福岡銀行]]
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*[[九電工]]
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== 脚注 ==
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{{Reflist}}
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== 関連項目 ==
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* [[大分県出身の人物一覧]]
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* [[横浜DeNAベイスターズの選手一覧]]
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* [[福岡ソフトバンクホークスの選手一覧]]
 +
 
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== 外部リンク ==
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{{Commonscat|Seiichi Uchikawa}}
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* [http://www.seiichi-uchikawa.jp/ 内川聖一 オフィシャルウェブサイト]
 +
* [http://ameblo.jp/uchikawa24/ 内川聖一 オフィシャルブログ「一笑健命」]
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{{デフォルトソート:うちかわ せいいち}}
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[[Category:日本の野球選手]]
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[[Category:福岡ソフトバンクホークス及びその前身球団の選手]]
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[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]]
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[[Category:首位打者 (NPB)]]
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[[Category:最優秀選手 (NPB)]]
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[[Category:大分県出身の人物]]
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[[Category:1982年生]]
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[[Category:存命人物]]

2020年1月14日 (火) 19:04時点における最新版

内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年(昭和57年)8月4日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手外野手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

東北楽天ゴールデンイーグルス吉田豊彦とは子供の頃からの知り合いである。大分県立大分工業高等学校時代は、骨嚢腫[1]により左かかとを3回に渡って手術しながらも、通算43本塁打を放った。3年生の全国高等学校野球選手権大分大会には遊撃手として出場し、チームは準優勝を挙げた。

当時、大分工高の監督でもあった父親の内川一寛(現在は大分県立情報科学高等学校の監督)が法政大学出身だったため、内川も法大進学が確実視されていたが、ドラフト会議横浜ベイスターズから1位指名を受けて入団[2]広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチ・大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ(NHK総合テレビにんげんドキュメント村上孝雄 -いつか輝く原石を求めて-』でもそのシーンが放送された)、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている[3]

横浜時代[編集]

1年目から一軍を経験。2年目の2002年から代打として42試合に出場、70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。

2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増された(結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した)。

2004年、7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなった。打撃では自己最多の17本塁打を放ち、得点圏打率は4割後半を記録した。

2005年、堅守の種田仁が打撃好調だったため、慣れない左翼手のポジションを小池正晃古木克明と争うが、後半戦のレギュラーは守備力の高い小池に固定され、代打での出場が多くなった。

2006年には不振の種田に代わり二塁手に復帰するが、佐伯貴弘を筆頭にチームに故障者が相次いだことや、自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった[4]。初めて100試合出場を達成したが、規定打席には届かなかった。

2007年多村仁の移籍や自身の守備難により本格的に外野手へ転向され、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。

2008年は開幕から打撃好調で、佐伯の不振により4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年のロバート・ローズを抜き、日本人選手のセリーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年巨人川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。村田修一吉村裕基と共に右打者の並ぶクリーンナップは、低迷するチームの中にあって他球団の脅威となった。

2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりにスライディングで突っ込み、正確な送球で打者走者を二塁でアウトにする好プレーを見せた。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を打ってイチローの決勝2点適時打のお膳立てをし、走者として決勝の得点を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。

2009年、同じくWBCの代表に選出された村田が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全打順での試合出場を達成した。平成になって初の台覧試合となった7月12日のヤクルト戦(神宮球場)前、愛子内親王が内川のファンであったこともあり皇太子一家への挨拶を果たしたが、自分のファンであることを聞かされた内川は「僕でいいのかな」とコメントを残している[5]。この年はアレックス・ラミレスと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318を記録した。この年外野手として獲得したダン・ジョンソンが怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。10月5日、フジテレビアナウンサーの長野翼との交際が明らかになり[6]、翌年の3月24日結婚した[7]2012年6月5日、球団のツイッターで、翼夫人が5日に福岡市内の病院にて、体重3,956g女児を出産したことを発表。

2010年6月3日に国内FA権を獲得。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番・一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番・右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。シーズン終了後の11月8日、FA権行使を表明[8]。福岡ソフトバンクホークスと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、12月1日に内川の地元である大分に最も近い球団であるソフトバンクへ移籍することを表明した[9]

ソフトバンク時代[編集]

12月6日に正式に契約を交わし、同じく移籍した細川亨と共に入団会見を行った[10]。契約内容は4年契約で総額5億6000万円から13億6000万円の間での変動制。背番号はWBCで着用した24に決まった。

2011年、4月に打率.397、安打、塁打(38)でリーグトップ、打点、二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した[11][12]。交流戦では打率 .326(交流戦6位)、20打点(交流戦4位)、4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した[13]。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤愼一以来史上2人目の両リーグでの首位打者を獲得した。

ポストシーズンではクライマックスシリーズファイナルステージでは第1戦と第2戦に先制打を放つなど活躍し、最優秀選手賞を獲得した。日本シリーズでは第2戦の第2打席で、中日ドラゴンズ落合博満監督からバットにテーピングをしていることに対しクレームをつけられ、テープを剥がしてプレイを続行するという一幕もあった。12月1日には、パ・リーグ年間最優秀選手に選出され、自身初となるシーズンMVPを獲得した[14]

2012年シーズンからは、現・ソフトバンク監督の秋山幸二が現役時代付け、前年までは柴原洋が付けていた背番号1を引き継ぐことになった。 シーズンでは開幕当初はまずまずだったものの、6月には月間打率.128と大不振に終わる。それでも後半巻き返し、5年連続打率.300を記録し2年連続のタイトルとなる最多安打を獲得した。契約更改では、現状維持の1億7000万円で更改した。

プレースタイル[編集]

打撃は早打ち型で三振四球共に少ない。もともとは球を前でさばくバッティングに自信を持っていたが、コーチの杉村繁から、ボールを体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる[15]。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている[16]

首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強い。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され[17]、左投手の先発試合では積極的に3番で起用された。

外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが[18]、右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力は備えている。内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球が出来ないこともあり[4]スローイングに難があると評されるも、外野守備でのスローイングは比較的安定している。ちなみに、メジャーのスカウトからは前述のWBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価されている[19]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2001 横浜 3 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2002 42 73 66 11 22 4 1 2 34 7 0 0 3 0 4 1 0 13 1 .333 .371 .515 .887
2003 45 161 150 20 47 5 0 4 64 18 4 4 6 0 5 0 0 13 1 .313 .335 .427 .762
2004 94 369 338 55 97 11 1 17 161 45 2 7 12 1 18 0 0 42 7 .287 .322 .476 .798
2005 90 262 234 33 64 11 0 5 90 23 1 1 6 1 19 1 2 36 10 .274 .332 .385 .717
2006 124 439 402 41 115 15 2 4 146 34 8 3 7 3 22 0 5 64 9 .286 .329 .363 .692
2007 92 274 247 24 69 17 3 7 113 29 3 4 4 1 16 0 6 37 9 .279 .337 .457 .795
2008 135 544 500 83 189 37 1 14 270 67 2 3 5 4 31 1 4 49 7 .378 .416 .540 .956
2009 132 552 503 65 160 32 2 17 247 66 1 5 2 4 42 5 1 56 16 .318 .369 .491 .860
2010 144 637 577 75 182 36 4 9 253 66 1 2 3 4 47 1 6 51 17 .315 .371 .438 .809
2011 ソフトバンク 114 463 429 48 145 21 3 12 208 74 4 0 0 7 25 1 2 48 3 .338 .371 .485 .856
2012 138 567 523 44 157 21 3 7 205 53 6 4 0 7 31 6 6 36 12 .300 .342 .392 .734
通算:12年 1153 4343 3971 500 1247 210 20 98 1791 482 32 33 48 32 260 16 32 445 92 .314 .358 .451 .809
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


一塁 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2001 - - - 2 0 3 0 0 1.000 -
2002 - 16 34 32 1 9 .985 2 0 1 0 0 1.000 2 0 1 0 1 1.000 -
2003 1 3 0 0 0 1.000 24 49 63 4 11 .966 - 18 28 60 5 7 .946 -
2004 - 82 196 274 10 56 .979 - 9 5 14 2 2 .905 -
2005 4 6 1 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000 9 4 10 1 1 .933 - 59 78 0 1 0 .987
2006 43 328 14 1 27 .997 60 128 174 10 37 .968 1 0 3 0 0 1.000 - 12 13 1 0 0 1.000
2007 - - - - 79 119 1 2 0 .984
2008 119 1094 75 5 96 .996 - - - 11 12 0 0 0 1.000
2009 - - - - 130 216 1 3 1 .986
2010 73 651 38 4 47 .994 - - - 72 127 6 0 2 1.000
2011 - - - - 88 126 3 0 1 1.000
2012 - - - - 136 236 7 1 2 .996
通算 240 2082 128 10 170 .996 183 407 544 25 113 .974 12 4 14 1 1 .947 31 33 78 7 9 .940 587 927 19 7 6 .993
  • 2012年度シーズン終了時

タイトル[編集]

表彰[編集]

  • 大分市民栄誉賞(2008年)
  • パ・リーグ特別表彰:1回(2011年:史上2人目となるセ、パ両リーグで首位打者を獲得)

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  日付 対戦球団 球場 相手投手 通算本数
1 2002年7月7日 中日15回戦 石川県立野球場 5回表 山井大介 1
2 4月6日 巨人15回戦 東京ドーム 8回表 岡島秀樹 2
3 2003年6月3日 ヤクルト10回戦 横浜スタジアム 7回裏 河端龍 3
4 2004年4月9日 広島1回戦 広島市民球場 2回表 黒田博樹 7
5 4月28日 阪神4回戦 阪神甲子園球場 7回表 吉野誠 12
6 2005年5月17日 オリックス1回戦 大阪ドーム 8回表 川越英隆 24
7 5月22日 西武3回戦 横浜スタジアム 1回裏 山岸穣 25
8 2006年5月11日 楽天3回戦 横浜スタジアム 4回裏 愛敬尚史 31
9 2008年5月21日 日本ハム2回戦 札幌ドーム 8回表 星野八千穂 42
10 2009年6月7日 ロッテ3回戦 横浜スタジアム 4回裏 成瀬善久 64
11 2010年6月15日 ソフトバンク4回戦 横浜スタジアム 4回裏 小椋真介 72
12 2011年6月19日 横浜4回戦 横浜スタジアム 5回表 須田幸太 85

背番号[編集]

  • 25 (2001年)
  • 2 (2002年 - 2010年)
  • 24 (2011年)
  • 1 (2012年 - )

登場曲[編集]

関連情報[編集]

コマーシャル[編集]

脚注[編集]

  1. 骨に穴が開く病気。
  2. 【11月17日】2000年(平12) 実質1年で43本塁打!難病克服した内川聖一、横浜1位指名スポニチ
  3. 『広島スカウト』 第三回朝日新聞 2000年11月の記事より
  4. 4.0 4.1 イップスなどの障害、顎、2008年の右打者クリーンアップ
  5. 2009年7月12日スポーツニッポン内川のブログ
  6. 横浜内川がフジ女子アナと真剣交際 日刊スポーツ 2009年10月6日閲覧
  7. 横浜:内川とフジ:長野アナ結婚 サンケイスポーツ 2010年1月13日閲覧
  8. 横浜・内川、FA視野「しっかりした環境で」 サンケイスポーツ 2010年11月8日閲覧
  9. 内川の横浜退団が決定 ソフトB入り デイリースポーツ 2010年12月1日閲覧
  10. 内川「九州に帰ってきた」日刊スポーツ、2010年12月6日。
  11. 4月度「日本生命月間MVP」受賞者発表
  12. 「ほっとしている」内川は両リーグ受賞
  13. 2011年度「日本生命セ・パ交流戦」最優秀選手賞(MVP)および日本生命賞決定のお知らせ
  14. セが中日・浅尾、パはソフトバンク内川…MVP 読売新聞 2011年12月1日閲覧
  15. 【プロ野球】コーチの真髄(3)~横浜・杉村繁「ふたりの大打者を育てた挫折組のあふれる愛情」集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
  16. 内川聖一、打撃開眼への道のり
  17. 【WBC】1位通過へカギ握る“左キラー”内川
  18. Baseball Lab守備評価~Right FielderSMR Baseball lab
  19. 現役スカウト部長が見た日本チーム『月刊スラッガー』2009年6月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-6、52頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]