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* 2008年 - 2月9日付で監理ポストの指定から[[上場廃止#特設注意市場銘柄|特設注意市場銘柄]]の指定へ変更。
 
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* 2009年 - 5月12日付で[[上場廃止#特設注意市場銘柄|特設注意市場銘柄]]の指定解除。
 
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== 夢の戦闘機(2011年10月) ==
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「我々の要求がのめなければ、日本にはエンジンを供給しない」
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20年前、航空自衛隊の次期戦闘機(FSX)の開発を巡る日米交渉で、米側担当者はそう強く主張し、日米で共同開発することが決まった。実用に堪えるエンジンを造れない日本の足元を見透かした言葉で、それは今も、開発の現場に「FSXのトラウマ」として根強く残っている。
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そのトラウマに挑む2人の男がいる。
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IHIで先進技術実証機のエンジン開発に取り組む池山正隆(49)と井上靖浩(45)だ。1991年、当時の防衛庁から「圧縮機などエンジンの構成要素の研究」を受注したのを機に、戦闘機エンジンの開発に着手した。軽量小型で大きな推力という厳しい条件に加え、燃焼時のエンジン内部はセ氏2000度近くにまで達するため、耐熱性を考慮し、ニッケルやチタンなど部品は20種を超す金属を使い分けなければならない。しかも加工にはミクロの精度が求められる。
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すでに十数回に上る燃焼試験を終え、実証機に載せるエンジン「[[XF5-1]]」は、機体の形に合わせた微調整を残すだけとなった。小さなエンジンで大きな出力を示す推力重量比は8点台に達し、7点代後半の[[F15]]や[[F16]]戦闘機のエンジンの数値を上回った。「米国との技術力とは20年以上の差があったが、かなり縮まってきた」と池山は言う。
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終戦から52年まで、米国は日本に航空機開発の一切を禁じた。解禁後、ジェット機の開発競争に立ち遅れた航空機産業は、「空白の7年」で生じた欧米との技術力の差を埋めようと必死になった。IHIも社内ファンドを取り崩して開発を進めてきた。戦闘機のエンジンを造りたくて入社した井上だが、「超音速巡航が可能なF22戦闘機のエンジンを造れと言われても、それは無理」と話す。
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官民一体で多くのエンジン開発を繰り返してきた欧州、F22のエンジンだけでも1兆円を超す国費を投じた米国とは、研究開発に対する国の考え方が違いすぎるからだ。
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「それでも戦闘機のエンジン開発を続けなければ、故障機の修理も出来なくなる」と2人は口をそろえる。
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だが、実証機エンジンに続く開発の道筋は、見えない。
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「このままでは日本の技術は途絶えてしまう。エンジニアや熟練工を維持することなどできない」池山は開発現場の空洞化に警鐘を鳴らした。
  
 
== 製品 ==
 
== 製品 ==

2012年3月31日 (土) 11:17時点における最新版

株式会社IHI(アイ・エイチ・アイ、IHI Corporation)は、1853年嘉永6年)水戸藩徳川斉昭隅田川河口の石川島に建設した造船所に端を発する重工業を主体とする製造会社である。旧社名は石川島播磨重工業株式会社(いしかわじまはりまじゅうこうぎょう)。2007年7月1日より、従来略称として用いてきたIHIを正式社名に変更した(「H」はハリマ(Harima)ではなくヘヴィーインダストリーズ。

元来独立系の企業だが、旧石川島重工業の社長だった土光敏夫が、三井系電機メーカーである東芝の再建に関わって以来東芝と密接な関係にあるため、三井グループを構成する二木会(社長会)・三井業際研究所(二木会直轄のシンクタンク)・綱町三井倶楽部(三井系の会員制クラブ)及び月曜会(三井グループ各社の役員間の相互親睦と情報交換を目的とする会合)に加盟している。一方、旧石川島重工業と旧第一銀行とのつながりから、メインバンクはみずほコーポレート銀行であり、IHIは旧第一勧銀グループにも属しているといえる。

コーポレートスローガンは「Explore the Engineering Edge」。

沿革[編集]

旧石川島重工業[編集]

旧播磨造船所[編集]

  • 1907年 - 播磨船渠株式會社設立。兵庫県相生村(現在の相生市)に船渠建設開始。
  • 1909年 - 播磨船渠が解散。同年に起きた建設中の事故により船渠が崩壊し、出資者が事業意欲を失った事が原因とされる。
  • 1911年 - 播磨船渠合名會社を設立。旧社の事業を引き継ぐ。
  • 1912年 - 船渠完成。播磨造船株式會社に改組・商号変更。
  • 1916年 - 株式會社播磨造船所(第一次)に商号変更。
  • 1918年 - 帝國汽船株式會社と合併。鳥羽造船所と共に同社の造船部となる。
  • 1921年 - 帝國汽船、造船部を株式会社神戸製鋼所に営業譲渡。神戸製鋼所造船部となる。
  • 1929年 - 株式會社播磨造船所(第二次)、神戸製鋼所から分離設立。この時、造船部傘下の鳥羽電機製作所(現シンフォニア テクノロジー)は、神戸製鋼所に残る。

旧呉造船所[編集]

  • 1945年 - 株式會社播磨造船所、旧呉海軍工廠跡に呉船渠開設。
  • 1952年 - 米ナショナル・バルクキャリア (NBC)、旧呉海軍工廠跡に呉造船部開設。
  • 1954年 - 呉造船所、播磨造船所から分離設立。
  • 1958年 - 世界初の10万トン級タンカー「ユニバース・アポロ」就航。
  • 1962年 - NBCから同社呉造船部の営業譲渡を受ける。

石川島播磨重工業・IHI[編集]

夢の戦闘機(2011年10月)[編集]

「我々の要求がのめなければ、日本にはエンジンを供給しない」

20年前、航空自衛隊の次期戦闘機(FSX)の開発を巡る日米交渉で、米側担当者はそう強く主張し、日米で共同開発することが決まった。実用に堪えるエンジンを造れない日本の足元を見透かした言葉で、それは今も、開発の現場に「FSXのトラウマ」として根強く残っている。

そのトラウマに挑む2人の男がいる。

IHIで先進技術実証機のエンジン開発に取り組む池山正隆(49)と井上靖浩(45)だ。1991年、当時の防衛庁から「圧縮機などエンジンの構成要素の研究」を受注したのを機に、戦闘機エンジンの開発に着手した。軽量小型で大きな推力という厳しい条件に加え、燃焼時のエンジン内部はセ氏2000度近くにまで達するため、耐熱性を考慮し、ニッケルやチタンなど部品は20種を超す金属を使い分けなければならない。しかも加工にはミクロの精度が求められる。

すでに十数回に上る燃焼試験を終え、実証機に載せるエンジン「XF5-1」は、機体の形に合わせた微調整を残すだけとなった。小さなエンジンで大きな出力を示す推力重量比は8点台に達し、7点代後半のF15F16戦闘機のエンジンの数値を上回った。「米国との技術力とは20年以上の差があったが、かなり縮まってきた」と池山は言う。

終戦から52年まで、米国は日本に航空機開発の一切を禁じた。解禁後、ジェット機の開発競争に立ち遅れた航空機産業は、「空白の7年」で生じた欧米との技術力の差を埋めようと必死になった。IHIも社内ファンドを取り崩して開発を進めてきた。戦闘機のエンジンを造りたくて入社した井上だが、「超音速巡航が可能なF22戦闘機のエンジンを造れと言われても、それは無理」と話す。

官民一体で多くのエンジン開発を繰り返してきた欧州、F22のエンジンだけでも1兆円を超す国費を投じた米国とは、研究開発に対する国の考え方が違いすぎるからだ。

「それでも戦闘機のエンジン開発を続けなければ、故障機の修理も出来なくなる」と2人は口をそろえる。

だが、実証機エンジンに続く開発の道筋は、見えない。

「このままでは日本の技術は途絶えてしまう。エンジニアや熟練工を維持することなどできない」池山は開発現場の空洞化に警鐘を鳴らした。

製品[編集]

総合重工という業態から、取扱製品は多岐に渡る。詳しくは同社ウェブサイト内の製品案内を参照。同業他社と比べると、日頃から目に触れるような一般民生品や耐久消費財が少ない。

大きくは5つの事業セグメントに分かれる。主力工場は次の通り。

  • 船舶・海洋事業
    • アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(下記参照・横浜、浦賀、呉)、
    • アイ・エイチ・アイ アムテック(相生)
  • 航空・宇宙事業[1]
  • 機械事業
  • 物流・鉄構事業
    • 砂町工場(東京都江東区)、横浜第一工場(横浜市)、愛知工場、相生生産部(兵庫県相生市)、呉新宮工場(広島県呉市)
  • エネルギー・プラント事業
    • 横浜第一工場、相生工場(兵庫県相生市)
  • その他の事業
  1. 田無工場(東京都西東京市)は、相馬事業所への移転完了に伴い閉鎖となった。

船舶・海洋製品[編集]

船舶・海洋製品については、2002年に分社化したアイ・エイチ・アイ マリンユナイテッドが担当している。

商船・海洋製品[編集]

艦艇[編集]

戦前の日本海軍への受注は小艦艇が主だった。戦後は輸出向けに建造されたことはないため、納入先は海上自衛隊のみである。

東京石川島造船所(戦前)[編集]

明治初期に数隻建造したのみで軍艦建造から離れたが、大正期になり駆逐艦建造で復帰した。

播磨造船所(戦前)[編集]
石川島播磨(東京)[編集]
アイ・エイチ・アイ マリンユナイテッド(横浜)[編集]

官公庁船[編集]

航空・宇宙[編集]

ジェットエンジン[編集]

航空の分野において、IHIはジェットエンジン製造を専業とし、初の国産ターボ・ジェットエンジン「ネ20」は同社の製品である。国内におけるジェットエンジンのシェアは60%を超え、トップである。

国産[編集]
ライセンス生産[編集]

宇宙[編集]

宇宙事業は100%子会社のIHIエアロスペースがその多くを担っている。

機械事業[編集]

物流・鉄構事業[編集]

  • ローダー
  • アンローダー
  • スタッカー
  • リクレーマ
  • クライミングクレーン
  • 自動倉庫
  • 物流システム
  • 橋梁
    ゼネコン等からの発注またはJVを組んでの製造
  • 駐車装置
    タワーパーキング
  • 鉄骨
  • 水門
  • シールド掘進機
    シールド工法にてトンネルを掘削する機械
  • セグメント自動組立
  • コンクリート製品
  • プレストレストコンクリート製品
  • 鉄道車両
  • 案内軌条式鉄道車両
  • 制震装置/免震床
  • 除雪機械

エネルギー・プラント[編集]

  • 事業用ボイラ
  • 産業用ボイラ
  • 舶用ボイラ
  • 排煙脱硫装置/排煙脱硝装置
  • 原子力機器
  • 太陽エネルギー利用プラント
  • 石炭液化ガス化プラント
  • 石油精製プラント
  • 石油化学プラント
  • 大型風力発電設備
  • セメントプラント
  • 医薬プラント
  • 海水淡水化装置
  • LNGタンク/LPGタンク
  • 原油タンク
  • 水処理装置
  • 廃棄物処理装置
  • ガスタービン/ガスエンジン

その他[編集]

  • ディーゼルエンジン
  • 土木・建設機械
  • 農業機械
  • この他、1980年代のF1において、ホンダ製のターボエンジンのタービンにIHI製のタービンが使用されている。
  • 東宝映画『連合艦隊』(1981年8月8日公開)の特撮シーン撮影用・戦艦大和縮尺1/20モデル(船体はIHIクラフト製で、艦橋や煙突、砲塔やマストなどの上部構造物は東宝美術、ならびに、東宝特殊美術(現:東宝映像美術)で製作。完成は1981年1月20日。水冷ディーゼルエンジン搭載。船体内部に3人が搭乗し、速力6ノットでの自力航行が可能。また、火薬を使用して、46cm3連装主砲の発射シーンの再現も可能 。撮影終了後、東京・お台場の船の科学館の玄関脇に屋外展示されていたが、2004年12月、台風並みに発達した暴風雨により破損し、解体処分となった)。

関連会社[編集]

2007年に行った会社名変更に合わせ、子会社も従来の「石川島~」より「IHI~」に名称を改めてきている。また本店住所、出資比率もあわせて記載する。

影響力[編集]

幕末以来150年を超える歴史を誇り、重機・造船などの重工業において、日本を代表する名門企業の一つである。日本の工業技術をリードしてきた企業の一つであり、国鉄(現在のJR)東京駅丸の内側本屋建設(1914年開業)、永野治による日本初のターボ・ジェットエンジン開発(1945年完成、第二次世界大戦での日本敗北の直前)、日本国内最大の大型海水淡水化装置建設(1967年長崎県外海町(現長崎市池島)、東京湾アクアライン工事用シールド掘進機納入(1997年)、明石海峡大橋ケーソンやタワー(主塔)の建設(1998年開通)など、その業績は数多く存在する。

そのため、同社のトップは政財界において大きな発言力を持ち、社外においても様々な場面で重用されてきた。最近では同社相談役の伊藤源嗣日本経済団体連合会(日本経団連)の評議員会副議長を務めていた(就任時は社長、2003年~2007年)。1980年代中曽根康弘首相が進めた行政改革においては、その基本方針をまとめた第二次臨時行政調査会の会長を同社出身の土光敏夫(当時は経団連(当時)会長)が務め、その主要政策として実行された日本電信電話公社の民営化では真藤恒が同公社の最後の総裁、及び日本電信電話株式会社(NTT)の初代社長としてその移行を実現させた。また、稲葉興作1993年2001年日本商工会議所の会頭であった。

一方、名門であるが故に、日本企業の持つ構造的な問題点を抱えているとも指摘できる。その一つとして、各種公共事業における談合に同社が積極的に関与しているという疑惑が持たれており、2005年に発覚した橋梁談合事件では法人としての同社と個人としての同社元社員が起訴された。

提供番組[編集]

現在

  • 2011年5月現在、同社の提供する番組はない。

過去

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


テンプレート:三井グループ