「カーネル・サンダース」の版間の差分
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+ | 日本法人が設立された[[1970年]]当時はまだ[[ファーストフード]]、フライドチキンの文化が日本に浸透していなかったこともあり、日本の消費者にフライドチキンのおいしさを解ってもらいたいという事と当時紅白の塗装店舗から[[理容店]]と間違う客が存在した為、間違い防止も兼ねたPR活動のシンボルとして日本各地でカーネル像がディスプレイされるようになったといわれる。また[[立体商標]][[商標登録|登録]]されている。 | ||
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+ | [[画像:Kfc logo space.jpg|thumb|250px|2006年11月、[[ネバダ州]]の砂漠にタイル6万5000枚で描かれた巨大なカーネル・サンダース。面積7,990m²で、宇宙から見える世界初のブランドになった。]] | ||
+ | 像のモデルはカーネルが60歳だったころの等身大モデルで、身長173cm。[[眼鏡]]は本物の[[老視|老眼鏡]]であり、[[2000年代]]中盤以前は[[福井県]][[鯖江市]]産、それ以降は[[中華人民共和国|中国]]産となっている<ref name="asahi090313megane">[http://www.asahi.com/national/update/0313/OSK200903130048.html カーネルさん眼鏡を新調 当時の産地、鯖江市が贈呈へ] asahi.com([[朝日新聞]])2009年3月13日、2009年3月14日閲覧</ref>。[[リボン]]の色は彼の生前と死後では色が変更されている。自身も来日の際この像が気に入ったということもあり、アメリカの総本部にも日本法人提供の像が展示されている。 | ||
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+ | 像そのものが「カーネルおじさん」と呼ばれることがある。 | ||
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+ | [[1979年]]にアジア・オセアニア地域の出店を統括する「KFCインターナショナル 北太平洋地域オフィス」が日本に設立され、日本法人のスタッフがアジア・オセアニア地域の出店に当たっての現地指導に派遣されたことから、その地域に日本から寄贈された像がディスプレイされている。 | ||
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+ | 日本国内各地の店舗で、季節ごとの各種衣装や店舗の地域を代表するスポーツチームのユニフォームを着せられることがあるが、[[秋葉原]]店で[[メイド服]]を着せたところ、日本法人の要請で中止されたことがある<ref>[http://akibahobby.net/2008/04/colonel_maid_akiba.html アキバHOBBY「カーネル・サンダース 等身大メイドフィギュア?」] 2008年4月27日</ref>。 | ||
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+ | 「小さく前へ倣え」のようなポーズから、客が入店の際手に何かを持たせることもあり、雨の日には傘がかけられていたり、[[弓道]]の[[弓 (武器)|弓]]や釣竿、地域によっては[[スキー]]まで持たされていることがある。 | ||
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+ | 悪戯が多発し、像が誘拐され[[交差点]]の[[横断歩道]]前や[[地下道]]など街頭に置き去りにされたりした。中には、像を誘拐した者がカーネル・サンダースになりきって盗まれた店舗に電話し、店員が発信元の[[電話ボックス]]に急行したところ実際に像がボックス内に立っていたり、個人の自宅の庭先に置き去りにされたりするケースもあった。眼鏡やステッキといった部品単位で盗難される被害も多発した。以後、各店舗のカーネル・サンダース像はボルトや[[鎖|チェーン]]で固定されている。 | ||
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+ | [[1985年]][[10月16日]]、[[阪神タイガース]](以下阪神)の[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人の[[ランディ・バース]]に見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、[[胴上げ]]の末[[道頓堀川]]に投げ込んだ。 | ||
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+ | この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「'''カーネル・サンダースの呪い'''」(別称「カーネル・サンダース'''像'''の呪い」「カーネル人形の呪い」、あるいは単に「カーネルの呪い」など)と呼ぶファンがおり、[[都市伝説]]として定着している。 | ||
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+ | この事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消し[[1992年]]に復活したものの、同店は[[1998年]]に閉店している。 | ||
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2010年1月23日 (土) 18:26時点における版
ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders、1890年9月9日 - 1980年12月16日)はKFCの創始者であり、カーネルおじさん、あるいはカーネル・サンダースで知られている。またフリーメイソンのメンバーでもある。
生涯
1890年9月9日、インディアナ州ヘンリービルに生まれる。6歳の時に父親が亡くなり、幼い弟、妹の世話をさせられる。15歳から社会に出て働き始め、路面電車の車掌を皮切りに、軍隊、消防士、保険外交員、船の仕事、タイヤ売り、ガソリンスタンドなどを経験したが、軍隊では大佐(カーネル)の地位にはなかった。
40歳の時にケンタッキー州のコービンで、ガソリンスタンドの一角を借りて食堂コーナーを始める。店は繁盛し規模を拡大するも、1950年代に入ってから高速道路の開通で客の流れが変わり、店に客が入らなくなる。
そこで、フライドチキンをワゴン車に積んで各地を回り、その調理法を教えてフランチャイズに加わってもらい、歩合をもらうというアイディア商法を考え出す。これがケンタッキー・フライドチキンの始まりとなる。
既に高齢だった彼は、1964年、74歳になったのを潮時にこの商売の権利をジョン・ブラウン2世に売却、その第一線から退いたが、以後も会社の広告塔として働いた。「カーネル」の呼称は 1935年にケンタッキー州知事から与えられたもので、サンダースはこの呼称を用い、またステレオタイプ的な“南部の紳士”の装いを、セルフプロモーションに利用した。なお、その後は独自の製法が守られているかを見るために各地の店舗を見て回り、日本には3度訪れている。亡くなる前年の1979年に最後に訪日をした。朝日新聞でインタビュー記事を基に、『週刊朝日』「山藤章二のブラック=アングル」がある。
1980年6月に急性白血病を発症し[1]、肺炎を併発して12月16日に逝去[2][3]。90歳だった。なお、ケンタッキー州議会には地元出身の名士として、カーネル・サンダースの胸像が飾られている。これをめぐって、動物愛護活動で知られるヌードモデルで女優のパメラ・アンダーソンが、「ニワトリへの残酷行為の象徴」だとして撤去を求めているが、この要求を真剣に受け取るものはほぼ皆無である。
カーネル・サンダース像
ケンタッキーフライドチキンの店頭にディスプレイされているカーネル・サンダース像(繊維強化プラスチック(FRP)製)は、元々カナダのフランチャイズ店でイベント用に使用されたものが倉庫に放置されているところを、視察に訪れた日本法人の関係者が持ち帰ったものだといわれている。
日本法人が設立された1970年当時はまだファーストフード、フライドチキンの文化が日本に浸透していなかったこともあり、日本の消費者にフライドチキンのおいしさを解ってもらいたいという事と当時紅白の塗装店舗から理容店と間違う客が存在した為、間違い防止も兼ねたPR活動のシンボルとして日本各地でカーネル像がディスプレイされるようになったといわれる。また立体商標登録されている。
像のモデルはカーネルが60歳だったころの等身大モデルで、身長173cm。眼鏡は本物の老眼鏡であり、2000年代中盤以前は福井県鯖江市産、それ以降は中国産となっている[4]。リボンの色は彼の生前と死後では色が変更されている。自身も来日の際この像が気に入ったということもあり、アメリカの総本部にも日本法人提供の像が展示されている。
像そのものが「カーネルおじさん」と呼ばれることがある。
1979年にアジア・オセアニア地域の出店を統括する「KFCインターナショナル 北太平洋地域オフィス」が日本に設立され、日本法人のスタッフがアジア・オセアニア地域の出店に当たっての現地指導に派遣されたことから、その地域に日本から寄贈された像がディスプレイされている。
日本国内各地の店舗で、季節ごとの各種衣装や店舗の地域を代表するスポーツチームのユニフォームを着せられることがあるが、秋葉原店でメイド服を着せたところ、日本法人の要請で中止されたことがある[5]。
「小さく前へ倣え」のようなポーズから、客が入店の際手に何かを持たせることもあり、雨の日には傘がかけられていたり、弓道の弓や釣竿、地域によってはスキーまで持たされていることがある。
長野県小谷村栂池高原スキー場のゴンドラリフト・イヴの作業用ゴンドラには、カーネル像が乗っているものがある。
悪戯が多発し、像が誘拐され交差点の横断歩道前や地下道など街頭に置き去りにされたりした。中には、像を誘拐した者がカーネル・サンダースになりきって盗まれた店舗に電話し、店員が発信元の電話ボックスに急行したところ実際に像がボックス内に立っていたり、個人の自宅の庭先に置き去りにされたりするケースもあった。眼鏡やステッキといった部品単位で盗難される被害も多発した。以後、各店舗のカーネル・サンダース像はボルトやチェーンで固定されている。
「カーネル・サンダースの呪い」
1985年10月16日、阪神タイガース(以下阪神)のセ・リーグ優勝が決まった際、ファンが道頓堀店のカーネル像を当時の助っ人のランディ・バースに見立て、店員に暴行を加えて制止を聞かずに担ぎ出し、胴上げの末道頓堀川に投げ込んだ。
この事件以後、阪神は成績低迷に陥り18年間リーグ優勝から遠ざかったため、これを「カーネル・サンダースの呪い」(別称「カーネル・サンダース像の呪い」「カーネル人形の呪い」、あるいは単に「カーネルの呪い」など)と呼ぶファンがおり、都市伝説として定着している。
この事件後、道頓堀店から一旦カーネル像は姿を消し1992年に復活したものの、同店は1998年に閉店している。
なお、当該の像は2009年3月10日に同川で発見され、日本法人はこれを「おかえり! カーネル」と命名した。