「倉成正」の版間の差分
提供: Yourpedia
(相違点なし)
|
2009年12月8日 (火) 22:29時点における最新版
倉成 正(くらなり ただし、1918年8月31日 - 1996年7月3日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。第3次中曽根内閣の外務大臣。元自民党衆議院議員の倉成正和は長男。日韓トンネル研究会顧問を務める。
来歴・人物[編集]
長崎県長崎市出身。父は元衆議院議員の倉成庄八郎。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東洋高圧、長崎県農地農林部長などを経て、1958年の第28回衆議院議員総選挙に自民党公認で立候補し当選する。以後、当選回数12回。自民党では、河野派から中曽根派に所属する。1974年、第2次田中第2次改造内閣の経済企画庁長官として初入閣。
福田赳夫内閣で再度経済企画庁長官として入閣後、1986年、第3次中曽根内閣の外相として入閣する。特に外交通というわけではなかった倉成が外相として起用されたのは、中曽根が自派の議員である倉成を外相とすることで外交を一元的に掌握することを狙ったことに加え、倉成が郵政族議員として通信政策に通暁していたため、外務省の通信網整備を実施させるためであった。
中曽根派が渡辺派に衣替えすると、同派の会長代行に就任した。1993年、第40回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。同年勲一等旭日大綬章を受章する。1996年7月3日死去。享年??。
|
|
|
|
歴代の外務大臣 |
---|
外務大臣(太政官達第69号) |
井上馨 - 伊藤博文 - 大隈重信 - 青木周藏 - 榎本武揚 - 陸奥宗光 - 西園寺公望 - 大隈重信 - 西德二郎 |
外務大臣(外務省官制(明治31年勅令第258号)) |
大隈重信 - 青木周藏 - 加藤高明 - 曾禰荒助 - 小村壽太郎 - 加藤高明 - 西園寺公望 - 林董 - 寺内正毅 - 小村壽太郎 - 内田康哉 - 桂太郎 - 加藤高明 - 牧野伸顯 - 加藤高明 - 大隈重信 - 石井菊次郎 - 寺内正毅 - 本野一郎 - 後藤新平 - 内田康哉 - 山本權兵衞 - 伊集院彦吉 - 松井慶四郎 - 幣原喜重郎 -
田中義一 - 幣原喜重郎 - 犬養毅 - 芳澤謙吉 - 齋藤實 - 内田康哉 - 廣田弘毅 - 有田八郎 - 林銑十郎 - 佐藤尚武 - 廣田弘毅 - 宇垣一成 - 近衞文麿 - 有田八郎 - 阿部信行 - 野村吉三郎 - 有田八郎 - 松岡洋右 - 豐田貞次郎 - 東郷茂德 - 東條英機 - 谷正之 - 重光葵 - 鈴木貫太郎 - 東郷茂德 - 重光葵 - 吉田茂 - 芦田均 - 吉田茂 |
外務大臣(外務省設置法(昭和24年法律第135号)) |
吉田茂 |
外務大臣(外務省設置法(昭和26年法律第283号)) |
吉田茂 - 岡崎勝男 - 重光葵 - 岸信介 - 藤山愛一郎 - 小坂善太郎 - 大平正芳 - 椎名悦三郎 - 三木武夫 - 愛知揆一 - 福田赳夫 - 大平正芳 - 木村俊夫 - 宮澤喜一 - 小坂善太郎 - 鳩山威一郎 - 園田直 - 大来佐武郎 - 伊東正義 - 園田直 - 櫻内義雄 - 安倍晋太郎 - 倉成正 - 宇野宗佑 - 三塚博 - 中山太郎 - 渡辺美智雄 - 武藤嘉文 - 羽田孜 - 柿澤弘治 - 河野洋平 - 池田行彦 - 小渕恵三 - 高村正彦 - 河野洋平 |
外務大臣(外務省設置法(平成11年法律第94号)) |
河野洋平 - 田中眞紀子 - 小泉純一郎 - 川口順子 - 町村信孝 - 麻生太郎 - 町村信孝 - 高村正彦 |