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2019年11月26日 (火) 11:33時点における最新版
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葬儀'(そうぎ)あるいは葬式(そうしき)とは、人の死を弔うために行われる祭儀、葬制の一部である。
概説[編集]
葬儀の様式にはそれを行う人たちの死生観、宗教観が深く反映される。その意味で葬儀は、宗教が文明に発生する以前の旧石器時代から行われてきていた宗教的行為であるといえる。
また、葬儀は故人のためだけでなく、残された人のために行われるという意味合いもあり、残された人々が人の死を心の中で受け止めるのを援助する儀式でもある。
歴史[編集]
現在、発見されている歴史上初めての葬儀跡と言われている物が、イラク北部にあるシャニダール洞窟で見つかっている。この洞窟の中には約6万年前と推定されるネアンデルタール人の骨が見つかっており、その周辺にはこの洞窟から見つかるはずの無い花粉が見つかっている。これは死者を弔うために花を死体の周りに添えたと解釈されている。
『ギルガメシュ叙事詩』の主人公ギルガメシュは、死んだ友人エンキドゥの復活を願い埋葬せずに7日7晩嘆き悲しんだが、その死体が腐敗していく様に恐怖した。古代エジプトや古代ギリシャなど、古代社会では死者の腐敗は恐怖の対象であり、死者の不名誉な姿を見ないために葬儀が行われた。
古代ギリシャや古代ローマでは、霊魂は不死であり、死後一定期間肉体の周辺にとどまった後に冥界や天界に旅立つ、と考えられた。古代ギリシャでは土葬と火葬が併用されたが、土葬に比べて火葬は手間と費用が必要だった。エトルリア文化の影響のあった古代ローマでも火葬と土葬は混在していたが、肉体の復活を信じる人は土葬を選択した[1]。
宗教ごとの葬儀[編集]
キリスト教[編集]
カトリック教会[編集]
カトリック教会における葬儀観は、現代のカトリック教会の精神をもっともよく表している第2バチカン公会議の文書の一つ『典礼憲章』から読み取ることができる。同文書では「葬儀はキリスト信者の死の過ぎ越しの性格をより明らかに表現し、典礼色も含めて各地方の状況と伝統によりよく適応したものでなければならない」(81条)としている。現代のカトリック教会における葬儀は、この文書をうけて改訂され、1969年に発表されたカトリック教会の儀式書『葬儀』およびその各国語訳に基づいておこなわれているが、それ以前のものと比べると二つの特徴をあげることができる。
まず、第一は葬儀が「キリスト信者の過ぎ越しの性格を表現するもの」であると宣言されていることである。つまり死が人間にとって完全な終わりではなく、キリストを信じることで永遠の命と復活への希望に入るものとなるということである[2][3]。このことからカトリック教会では信徒の死を「帰天」と呼ぶことがある。かつてのカトリック教会では、死と関連して死後の審判や煉獄や地獄の恐怖が強調されることが多かったが、そのような考え方もこの視点によって修正された。これと関連して葬儀ミサ(レクイエム)で歌われた続唱などが、その内容がキリスト教本来の死生観から外れたものとして廃止されている。
第二の特徴は、カトリック教会の葬儀は全世界一律でなく地域の文化に合わせる柔軟さを持っているということである。日本においても当然固有の文化と伝統が尊重される。この精神に従って日本での葬儀では献花の他に焼香が行われることもあり、カトリック信徒でない参列者が多数を占めることが多いという現実が配慮されている。具体的には葬儀で用いられる用語や固有の表現は可能な限り避けられ、ミサに代えて「ことばの祭儀」を行いうることなどがあげられる[4]。
カトリック教会における葬儀は、死者のために祈ることももちろんであるが、残された生者のために祈る場でもあり、神が悲しみのうちにある遺族を励ましてくださるよう祈ると同時に、キリストに結ばれたものとして、キリストが死んで復活したように自分たちもキリストの死と復活にあずかることができるという信仰を再確認する場でもある[4]。
正教会[編集]
基本的にパニヒダや埋葬式などでは、教衆は白色の祭服を着用するが、参列者は黒色の喪服を着用するのが一般的。
ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の葬儀は、埋葬式と呼ばれ、主に連祷と、無伴奏声楽による聖歌から構成されている(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)。永眠した正教徒が、神からの罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命に与ることを祈願するものである[5][6][7]。
正教会では「逝去」「亡くなられた」「故人」ではなく、それぞれ「永眠」「永眠された」「永眠者」の語が用いられる。これは、正教会においては死は来世の復活の生命に与るまでの一時的な眠りとして捉えられている為である。
埋葬式の前晩にはパニヒダが行われる。正教会においては終夜、永眠者のために祈ることは初代教会から大事にされた伝統であるとされ、前晩のパニヒダを通夜と呼ぶ事もあまり忌避されない(「パニヒダ」の語源がそもそも「夜通しの祈り」という意味である)。また、永眠後の「三日祭」「九日祭」「四十日祭」「一年祭」「年祭」にもパニヒダが行われる。正教会においては死は忌むべきものではなく復活への入口であるため、このように「祭」の語彙が用いられる[5][6]。
プロテスタント[編集]
プロテスタントの葬儀は欧米では日中の葬儀・埋葬礼拝のみであることが多い。
キリスト教(特にプロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない(このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を「召天」と呼ぶことがある。したがって、死とは、天国において故人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された者(遺族などの生存者)にとっては、その別れが寂しく慰められるべき事であるが、死そのものは悲しむべき事ではないと説明される。
イスラーム教(イスラム教)[編集]
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イスラーム教における死は、神アッラーへの服従と一時的な別れとし、アッラーの審判の日に復活をすると信じられているため、土葬される。死後なるべく早く葬儀を済ませるべきであるという考えから、死亡の翌日には執り行われることが多い。死亡した場所の法律にもよるが、同性の遺族または専門の業者が遺体を洗浄し、縫い目のない白い布に包まれ、ミンバル(説教壇)の前にある台に設置される。その前にイマーム(導師)が立つ。礼拝はイマームに従い、参列者が起立したまま行われる。
遺族が葬儀中に泣き叫ぶことは禁止されている一方で、泣き女として雇われた女性が「オルルル!」という声を響かせる。礼拝が終わると遺体が墓地へ運ばれ、頭部をメッカの方向を向かせて、右腕が下になるようにして埋葬される。遺族は男性は3日間、女性は4ヶ月10日間を喪に服し、派手な生活は控えるよう規定されている。
道教[編集]
中国や台湾では道教や風水の影響を強く受けた葬儀が行われている。 葬儀には白を基調とした色が用いられ、「白事」とも呼ぶ(逆に婚礼は赤を基調とし「紅事」とも呼ぶ)。 まず、遺体を整え、洗い清めた後に「寿衣」と呼ばれる白い死に装束を着せる儀式「小?」を行う。葬儀の手配をした後、葬儀の日程や場所を親戚や知人に知らせる「報喪」を行う。知らされた人は花輪(花圏)を用意したり、「対聯」と呼ばれる葬送にふさわしい言葉を書いて贈ったりする。葬儀の場所は葬儀場(「殯儀館」)を使う場合の他、自宅前の道路にテントを立てて行うことも多い。死者は葬儀が行われるまで「霊棚」などと呼ばれる祭壇に安置される(「停霊」)。祭壇には死者の遺影(「遺像」)を飾り、死者が好んだ食べ物などを供物(「供品」)として供え、線香や蝋燭の他、「紙銭」(紙幣状の冥銭)や「紙紮」と呼ばれる紙で作った日用品や家が用意される。通夜に当たる縁者による訪問を受けることは「守霊」と呼ぶ。この際、近親者は薄い色の生成りの麻布で作られた「孝服」と呼ばれる喪服を着て、藁縄で結んで留め、草鞋を履く。道士による読経の他、楽隊を用意して、チャルメラ(「?吶」)などの吹奏、鼓舞が行われる。
葬儀は「大?」と呼び、家族の前で遺体を布団を敷いた棺に入れ、釘を打つ。裕福な家庭では遺体を入れた内棺を外棺に入れ、間に副葬品を入れる。やはり、道士による読経、楽隊の吹奏、鼓舞が行われる。
出棺は「出殯」といい、喪主(主に長子)が「?盆」という陶器の盆を割る儀式を行う。土葬が行われることが多く、棺を担いで墓地まで送り届ける。「引魂幡」と称して、旗を掲げて葬列を先導し、楽隊が演奏を行い、爆竹を鳴らしながらついて行くが、現在は自動車に地味な色の飾り付けをして用いることも多い。埋葬の場所や、時間は風水師に決めてもらうことが多い。
埋葬後、7日毎に墓に出向き、「紙銭」を焼いて読経する「焼七」を7回行い、「断七」の四十九日まで行い葬儀は終わる。その後、伝統的には3年間は喪中とするが、現在は短縮化されている。後に遺骨を洗い、骨を「金塔」と呼ばれる陶器の甕や塔状納骨器に納め直すことが行われる。
儒教[編集]
儒教の葬礼は上記道教の葬礼と重なる部分も多い。
儒教においては親の葬儀を盛大に営む事が何より大切な事とされる。元々儒教教団はそう言った葬儀に関する様々なしきたりを教授するための人から生まれたものである。
儒教の死生観では人は死ぬと魂(こん)と魄(はく)と言う二つのたましいに別れる。魂は精神を、魄は肉体をつかさどるたましいであるとされる。魂は天の陽気からのたましいであり魄は地の陰気からのたましいである。魂は天に昇って神になり、魄は地に返る。残された者たちは魂を祀る為に位牌を作って廟に祀り、魄の戻る場所として地中に遺体を埋める。
葬儀では死者の魂を天国や地獄など7つの世界を巡らせる儀式を行う。この儀式で死者の魂が最後に到達する世界はこの世であり、再びこの世に生まれ変わってきて欲しいとの願いを込めている。
また、死者との関係ごとに定められた作法で慟哭することが求められる(哭礼)。朝鮮半島では、葬儀に出席して声を上げて泣く事でお金を貰う泣き女が存在する。
バリ島のヒンドゥー教[編集]
バリ島の葬儀。葬列ではにぎやかなガムランが演奏され、晴れやかな儀式であるため人々の表情は一様に明るい。 水辺で火葬にし、そのまま水に流す。海が近ければ海まで、そうでなければ川まで、棺を運ぶ葬列を仕立てる。葬列では、楽器を運びながらガムラン音楽を演奏する。費用がかかるため、没後すぐに行えない場合も多い。貧しい村では数人の他界者が出るまで待ち、まとめて葬儀を行う。天国へ行くための晴れやかな儀式であり、葬儀へ参加する人々の表情は、一様に明るい。
葬礼の様式[編集]
- 葬儀
- 遺体の処理法・葬送
- 遺骨の処理法
日本での葬儀[編集]
通夜は古代の殯(もがり)に発している。葬儀の前夜祭の形態をとる。誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明や線香の火を絶やさないようにしなければならない(魔除けの意味がある)。近年では消防署などにより、式場では夜間の火は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく、半通夜と呼ばれる形態で夜は遺族が帰ってしまう場合もある。
僧侶などによる葬儀が終わると出棺が行われ、多くの参列者とは別れるのが一般的である。出棺の際に、故人が使っていた属人器であるご飯茶碗を割ったり[9]、座敷を掃き出したり、カゴや臼を転がしたりする風習が残っている地方がある。
火葬場に向かう道と帰り道は同じ道を通らない。一本道で難しい場合であっても、可能な限り同じ道を通らないように努力しなければならない。埋葬した死霊が付いて来ない様にするためである。逆に同じ道を通らなければならないとする風習もある。
葬儀終了後に「振り塩」と呼ばれる清めの塩を撒く(ただし、これは神道由来の慣習であって、死を穢れとみなさない仏教の教義に反するとの考え方が多くなり、元来これを行っていなかった浄土真宗を中心に、近年では行われない場合も少なくない)。
遺体を安置する場合には、遺体の胸の上に魔除けとして刃物を置く。これを守り刀と呼ぶ由来は武士の社会で、刀によって魔を斬るといった意味や魔物の使いとされていた猫が光り物を嫌がるので刀を置くことが魔よけとされた。遺体を安置すると、そこに供え物として枕飯、枕団子を供える。枕団子は米の粉(上新粉)などを丸めて作ったもので、数は地域によって差があり、六地蔵、六道から六個とする説と、十三仏などからとった13個とする説がある。なくなった日から一個ずつ増やして四十九日までお供えし、49個飾る地域もある。枕飯はご飯を御茶碗に山盛りにして、御箸をさして飾る。
一般に告別式は友引の日を避けるが、これは俗に“友を(死に)引かない”よう配慮するためとされる。ただし、元来六曜は、仏教とは関係がない、賭け事、勝負事から入って来ており、友引とは「勝負事で友人と引き分ける」という意とされ、陰陽道との混淆に由来する。ゆえに友引の日に告別式を行わない風習は迷信と考えられる。火葬場は友引の日が休業日になっている所が多いが、友引でも休業日でない所も増えて来ている。
墓地など埋葬する場所まで送ることを野辺送りということがある。
三回まわしと言って、出棺する前に棺をその場で3回廻したり、建物を3回廻ったりして出棺する風習が一部地域で見ることがある。
振り銭・振り餅、葬列時に花籠(竹の籠から割った竹を幾本も垂らし、紙の飾りをつけた物)に銭や餅を入れ落としながら葬列する風習もある。またざるから手で取って撒く場合は撒き銭・撒き餅などとも言う。
なお、同じ日本でも、沖縄県では中国の文化の影響を強く受け、琉球の信仰に基づく葬儀の風習はかなり特異であり(風葬、洗骨、死亡広告の項も参照)、告別式の前に火葬を行うのが普通である。また東北地方、中国地方、九州地方の一部でも告別式の前に火葬を行うことが多い(骨葬)。
直葬[編集]
直葬(ちょくそう)とは、通夜・告別式等々の宗教儀式を行わず、火葬のみを行う葬儀形態のことである。 近年の日本で宗教観が変化したこと、人間関係の希薄化が進んだこと(さらに日本全体の高齢化の進行で、友人・知人がすでに他界していたり、友人・知人が概して高齢化し葬儀に来られない、という人々の数の増加など)、経済的な問題等により、2000年ころから都市部などで直葬が増加してきている。直葬は葬儀費用が平均で約18万円と安価である。NHKが2013年に行った調査によると、関東地方では直葬の比率は高く、葬儀全体の1/5を占めている。 [10]
助葬[編集]
助葬(じょそう)とは、行旅死亡人、身寄りのない生計困難者や身元不明の人などが死亡した後、生前の縁者や関係者によって葬儀が行われず、替わって社会福祉事業や慈善事業団体、またはNPOなどによって行われる形態の葬儀。ホームレスなどで生活保護などの支援を受けていなかった死者であったとしても、助葬を担う団体や葬儀屋には、火葬から納骨までの費用を、生活保護行政の一つとして、各自治体が決めた定額内で支給され、共同墓地や共同納骨堂に遺骨は納められるが、この段階までを助葬と呼んでいる。一方、遺骨を納骨堂に預け引き取り人を待つ場合も少なからずある。
古くは1919年(大正8年)11月に東京で「財団法人助葬会」が設立されている[11]。また19世紀中頃には大陸地域から香港、上海や外国へ移住した華僑や労働者などは、同郷の中国人社会で互助活動として助葬が行われていた[12]。
神道[編集]
神道での葬儀は神葬祭と呼ばれる。神道では死を穢れたものと考えるため、聖域である神社では葬式は通常おこなわず、故人の自宅か葬斎場で行うことが多い。現在の形の神葬祭は、仏式の葬儀が一般化した江戸時代でも神葬祭を伝えてきた神社での祭式を引き継いでいる。 式の際には、中央の祭壇の脇に遺影を置き、祭壇の奥に置かれた棺の後方に、銘旗と呼ばれる故人の名前が書かれた旗が立てられる場合が多い。そしてその周りに灯明、榊、供物などをあしらえたりする。
式の一般的な大まかな流れは、まず神職が塩湯や大麻等によって遺族と参列者および会場を祓い清める修祓を行う。そして神職により祖霊に供物である神饌を供する。神職は祭詞を奏上し、故人の生前の業績を述べ遺徳をしのびつつ、祖霊となって遺族を守ってくれるよう願う。参列者は玉串をささげて、二拝二拍手一拝をおこない故人をしのぶ。このとき拍手は、音を立てない「しのび手」でおこなう。
また、神道では、墓所を「奥都城」「奥つ城」(おくつき)と呼び、墓石にも「○○家之奥津城(奥都城)」と表示している家が多い。墓石の頂点を烏帽子に見立て、尖らせる等の外観上の違いもある。「霊爾」(れいじ。仏教の位牌にあたる)を祀る場合は仏壇の代わりに御霊舎(みたまや)を置いている。
現代の日本の葬儀はほとんどは仏式で営まれている。これは中世の日本において、鎌倉仏教の僧侶が、葬儀や年季法要などを通じて、庶民の救済を図ろうとしたことに由来する。近年では、菩提寺との関係が薄くなりつつあることや、神葬祭が仏葬よりも経済的な負担が小さい点などから、葬儀の多様化に伴い、増えつつある。
天理教・金光教などの教派神道においても、神葬祭を元にした独自の葬儀を持っていることが多い。
仏教[編集]
日本の葬儀の大部分は仏式(葬式仏教)で行われている。
1635年(寛永12年)ごろ、日本人全員を近くの寺に帰属させる寺請制度が始まり、1700年(元禄13年)ごろには、位牌、仏壇、戒名といった制度が導入され、葬式に僧侶がつくようになった(それまでは「葬式組」と呼ばれる村落共同体のグループが葬式を仕切り、棺や装具をつくったり炊き出しをしたりしていた)。
浄土真宗、日蓮宗を除き日本の伝統仏教においては、葬儀は死者に対する授戒成仏が主たる意味を持つ。つまり、死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け成仏させるための儀式である。
浄土真宗では教義上、無戒のため授戒はなく、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式となる。迷信を忌む宗風から、日や方角の吉凶を選ぶ、守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩(後述)などの習俗は、原則としておこなわない。
日蓮宗では法華経を受持すること自体がすでに戒を保つことであるとして死後あらためて受戒を行わないが、地域によっては通夜の際に受戒作法を行う場合もある。
葬儀の流れは宗派や地方により多少異なるが、大まかな流れは、まず死後すぐに枕経を行い湯灌(遺体を拭き清める)をした上で納棺し通夜を行う。翌日に葬儀と告別式を行い火葬・拾骨(又は土葬)する。現代においては、会葬者が頻繁に集えないことや会場が葬儀場で営まれることなどから、本来7日後に行なう初七日を引き続いて行なうことが多い。初七日は火葬を終えて自宅に帰る途中に所属寺院(菩提寺)に立ち寄って行われるか、自宅に帰り、還骨のお経を兼ねて行われることが多い。有名人などの葬儀で、密葬を行ったうえで本葬を行う場合、本葬終了後に初七日を行うケースもあり、この場合は死後7日以上経過していても初七日として法要が行われる。
遺族は、死者の追善を7日ごとに49日間行うものとされ、この期間を中有または中陰と呼ぶ。初七日はその最初の法要である。現代では、この7日ごとの法要を全て行うことは、生活変化から少なくなりつつある。あと、中陰法要の日は、初七日と七七日まで全て行えるよう参列者の都合を優先し、土曜日や日曜日に法要をずらすことがある。七七日法要は一般に壇払い、または壇引きと呼ばれるもので、死者の遺骨や位牌を安置していた中陰壇を取り払うことからこのように呼ばれる。壇払いを済ませると服忌期間が終了し、遺族は日常の生活に戻る(いわゆる忌明け)。
キリスト教[編集]
カトリック教会[編集]
先にのべたように地域の文化への適応という考え方から、現代の日本におけるカトリック教会の葬儀では、「通夜」および「葬儀」という流れに沿って行われる。六曜「友引」に葬儀を控えることは本来はないが、火葬場が休業日になっているために日をずらすことはある。参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合などは、参列者に配慮してミサに代えて「ことばの祭儀」が行われることもある[4]。
通夜では聖書の朗読、聖歌、死者のための祈り、棺への献香と参加者による献花あるいは焼香、遺族代表のあいさつなどが行われる。通夜は教会で行われるとは限らず、自宅や葬儀場で行われることもある。葬儀は教会での「葬儀ミサ」という形で行われるが、状況に応じて自宅で行われる場合もある。ラテン典礼の「葬儀式次第」には、葬儀の行われる場所(家、教会、墓地)によって3種類の葬儀の方法が示されている[13]。
葬儀は、通常4部で構成されている[14]。一般的な葬儀ミサと通常のミサとの違いは、会場が葬儀にふさわしく装飾されることと、聖書の朗読箇所・聖歌・祈り・説教の内容などが葬儀にあわせて選ばれるということである。ミサとあわせるかたちで続けて告別式と葬送が行われる。告別式では一般的な葬儀と同様に、故人の紹介、弔辞、弔電の紹介、献花、遺族代表のあいさつなどが行われる。通夜および葬儀の時に用いる司祭(助祭)の祭服の色は、各地方の状況と伝統に適応したものを使用できる[13]。かつては黒が用いられていたが紫で代用されることが多くなり、近年は(復活の希望を表す)白を用いることも勧められている。
また、死後特定の日に集まって故人を弔う日本の習慣にあわせ、一周忌や命日などに故人のための命日祭(記念の集い)が行われることもある。カトリック教会では11月を「死者の月」(11月2日を「死者の日」)と定めているので、死者のためのミサや追悼の祈りが捧げられる[15]。
プロテスタント[編集]
プロテスタントの葬儀は日本においては仏教の葬儀様式に慣れた参列者の便宜を図り、前夜と当日との2日にわたって典礼を行うことが少なくない。この前夜の式典は、呪術的な必要から遺体を不寝番することを意味する「通夜」を避け、「前夜式」「前夜の祈り」などと呼ぶ。前夜式は自宅で行う場合もあるが、教会堂で行うことも多い。
告別式の式典は礼拝そのものであるため、その式次第は基本的に通常の日曜日の礼拝と同じであり、故人が地上で行う最後の礼拝と意味付ける教派もある。従って、基本的に教会堂で行われ、祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などにより構成される。これに付随して、友人などによる追悼の辞、遺族の挨拶、献花などが追加されることが多い。故人の略歴の紹介・記憶の披露などは、牧師の説教に組み入れられることも別個の項目となることもある。
キリスト教徒の比率が低い日本では、参列者はもとより遺族すらキリスト教徒で占められる事は期待できないため、宗教的純潔主義の主張より地域の習俗を重んじる者らへの配慮が優先される。前夜式を設定したことは既出だが、焼香に代わる献花、「香典」「仏前」に代わる弔慰金の名目「御花料」などは皆その為に案出され、後に信仰的意義付けを為したものである。同様の理由で六曜「友引」には葬儀を控えるが、これには大抵の火葬場が休業であるという止むを得ない事情もある。また、死を穢れと見なさないため「清め塩」は使わない。
正教会[編集]
正教会では世界的に見ては土葬が基本であるが、日本正教会では諸々の事情により止むを得ず火葬が行われている。
正教会の奉神礼(礼拝)は立って行うことが基本である。起立する姿勢は伝統的に「復活の生命に与って立つ」ことを象徴するとされるからである。従って司祭・輔祭・詠隊(聖歌隊)は勿論、参祷者も埋葬式の間は継続して立ち続ける事が求められている。ただし無論、身体障害者や高齢の参祷者はこの限りではない。
正教会でも(埋葬式やパニヒダに限定されず)香炉は用いられて大切な習慣と位置付けられるが、振り香炉を扱うのは司祭と輔祭であり、参祷者が香炉に触れる事は無い。参祷者が永眠者と対面する際には、棺への献花の習慣がある。
正教会のパニヒダと埋葬式では、「永遠の記憶」と呼ばれる祈祷文が唱えられる。輔祭(輔祭が居ない場合は司祭)が永眠者の霊(たましい)の安息を願う祈祷文を朗誦した後、「永遠の記憶、永遠の記憶、永遠の記憶」と三回歌われる聖歌を以て終結するもので、人を生かす、神による永遠の記憶が永眠者に与えられるように祈願する祈祷文である[16]。
無宗教[編集]
特定の宗教に依存しない葬儀もある。故人の宗教観や、会社/団体葬などの場合に行なわれることがある。宗教に依存しないと言っても、仏式における読経の部分をなくし、通夜、告別式等は通常通りに行なわれるだけの場合もある。
特定の決まりはなく、式次第は主催者の裁量にゆだねられる。お参りの方式も献花や焼香と特に決まりは無く、自由度が高いがその分、具体的なイメージがなかなか描きにくい部分もある。場合によっては、葬儀という名称でなく、「お別れの会」などと呼ばれることもある。
一般的には、黙祷、送る言葉(弔辞)、献花もしくは焼香といった形で進行する。
無宗教といっても、宗教的な側面を一切排除しなければならないという性質のものではなく、むしろ特定の宗教に偏らないということが強調されることが多い。
宗教によっては、異なる宗旨で行なわれる葬儀への参列や焼香などを禁じているものも存在するため、遺族や参列者に異なる宗教的背景がある場合、それらに配慮して無宗教という方法で葬儀を行なう場合もある。
日本の葬祭業[編集]
葬儀は近親者が執り行なうのが基本である。しかし、葬儀は短期間で大量の事務処理をこなさねばならず、また、非常に頻度が低い行事のため、一般人のみで行なうのには限界がある。そこで、葬祭をサポートするサービス業として、葬祭業がある。事業免許はなくだれでもはじめられるが、遺体、宗教、関連法規など多岐にわたる知識が要求される。
従事するものの技能を審査するべく、「葬祭ディレクター技能審査」が厚生労働省の認可の下で実施されている。設営、司会、進行には専門知識が必要である。また、霊柩車は特定の貨物輸送となり、運送業の許認可が必要である。
従来は、景気に左右されにくい産業であったが、平成時代に至りそれまで死をタブー視する風潮に対し急速に反省や見直す風潮が広がり、葬儀の形が多様化するとともに、さらには不況が長引くに伴い、葬儀の小規模化が進んだ。
服飾[編集]
日本のこれまでの葬儀での習慣として、葬儀を悲しむべき死者との別れとの見解から、一般に華美な服装は歓迎されず、ほとんど規格化した黒色で生地のてかりの少ない喪服が利用されてきた。これは日本やその他一部の国だけの常識であり、国によって服装は多様である。たとえば中国では普段着、韓国は韓国服を着るが、遺族は着色のない粗末な服を着る。これは親の死は、子供の誠意が足りなかった結果と考え謝罪の意を示すためである。インドネシアのバリ島ではお祭りと同様の華美な衣装に男女とも身を包む。これは死者が天国に迎えられるための、めでたい儀式と考えることによる。
日本での通夜、告別式など、親族以外の者が集まる場合、各々の服装については一般に黒を基本とした服装が好まれる風潮がある。地域により、通夜も喪服が礼儀であるとの見解もあるが、一般的に通夜へ喪服で参加することは失礼にあたる(喪服だと葬儀を予期していたようで失礼にあたるという考え)[17]。特に通夜は急に執り行われることが多いため、参加する姿勢が大事と考える人もいる(仕事帰りなどで作業服しかない場合などはそのままで)。とりわけ、忌避されるのが以下のものである。
- 避けるべきとされてきたもの
日本における葬儀に関する諸問題[編集]
通常葬儀は滅多に行われず、宗教や宗派によってその所作が大きく異なることもあり、多くの人間は葬儀の知識が不足している。
現在、そうした遺族の無知に付け入り、法外な金額の葬儀費用を請求する事例が増えており[18]、消費生活センターなどに相談が寄せられている。
葬儀費用には、葬儀本体価格の他に、飲食や返礼品などの実費費用が別途必要になるが、事前に参列者数が分からないため、葬儀打合せ時の見積りには合計金額が書かれていないことも多い。この場合、請求時に実費費用分が加算されてトラブルになりやすい。
互助会に加入の場合も解約などトラブルがある。これは互助会加入時に、会員獲得のセールスマンが過剰なセールストークを展開してしまい、解約時には一定の手数料を引かれること(掛け金にかかわりなく、おおよそ3~5万円)、当時の祭壇によるので、積立金分の割引にしかならない。積み立てたお金には一切の金利などがつかないことがトラブルの原因のようである。また解約もスムーズに行われない場合がある。事前に説明のない追加料金を請求する事例がある[19]。2011年12月には、冠婚葬祭業者の互助契約を解約した際に、高額な手数料を請求することが消費者契約法に違反するとの初判断が、京都地裁で示されている[20]。
他、政治家が自らの選挙区内での葬儀に香典を支出し、公職選挙法違反に当たるとして議論になることがある[21]。
葬儀業者と僧侶[編集]
葬儀業者が寺院(僧侶)を紹介することが少なくない。
お布施からリベート[編集]
葬儀業者・葬儀斡旋業者によって僧侶が紹介された場合において、僧侶が受け取った布施の一部が、葬儀業者にリベートとして渡る、不透明な慣行が広りつつある[22]。リベートは僧侶が属しない宗教法人の口座に振り込まれることもあり、税金逃れの可能性も指摘されている[23]。
布施、葬儀の価格目安[編集]
イオンが、イオンカード保有者向けの葬儀社紹介サービスにて「お布施の価格目安」を打ち出したところ、全日本仏教会などの一部の仏教界が「お布施に定価はない。企業による宗教行為への介入だ」と反発している。しかし8宗派、全国約600の寺院の協力が得られることになった。平成22年7月2日付『産経新聞』は「目安とはいっても、大企業が発表すればそれが『定価』として一人歩きしてしまう恐れがある」(日本テンプルヴァン(JT-VAN)・井上文夫社長)と懸念するコメントと「消費者の立場からすれば、布施価格の明示はありがたいのではないか」(第一生命経済研究所・小谷みどり主任研究員)の肯定的なコメントの双方を掲載している。[24][25][26]。
イオンの提示した目安表[編集]
- 読経一式の場合 (通夜、葬儀、火葬場、初七日込)
- 普通戒名(信士信女)または普通法号 25万円
- 居士大姉戒名 40万円
- 院号居士大姉戒名または院号法名 55万円
- 直葬(火葬場前読経のみ)の場合(火葬料金込み)
- 普通戒名(信士信女)または普通法号 10万円
となっており、普通戒名の場合は実質無料であるとしている[27]。
その他[編集]
通夜を含めた葬儀関連の行事に、僧の資格を持たない見習いを行かせていた寺が存在している[28]。
葬儀をテーマとする映画[編集]
- 『お葬式』 - 伊丹十三監督による1984年公開の日本映画
- 『社葬』 - 舛田利雄監督による1989年公開の日本映画
- 『寝ずの番』 - マキノ雅彦監督による2006年公開の日本映画
- 『お葬式に乾杯!』 - ニール・ラビュート監督による2010年公開のアメリカ映画
- 『おくりびと』 - 滝田洋二郎監督による2008年公開の日本映画
葬儀をテーマとするドラマ[編集]
- 『赤い霊柩車シリーズ』 - 1992年から放送開始フジテレビ系列
- 『最高の人生の終り方?エンディングプランナー?』 -2012年1月12日放送開始-3月15日終了TBS系列
脚注[編集]
- ↑ 小池寿子『死を見つめる美術史』ポーラ文化研究所 1999年、ISBN 4938547473 pp.44-50
- ↑ 日本カトリック司教協議会、常任司教委員会、『カトリック教会のカテキズム要約』カトリック中央協議会、2014年2月10日。184頁(354)。
- ↑ 第124回 キリスト教の葬儀 カテキズムを読もう Laudate 女子パウロ会
- ↑ 4.0 4.1 4.2 臨終から葬儀まで カトリック信者の手引き 藤沢カトリック教会
- ↑ 5.0 5.1 かたち-諸奉神礼:日本正教会 The Orthodox Church in Japan - 日本正教会公式サイト
- ↑ 6.0 6.1 『誰でも知っておきたい正教会の諸習慣と常識』 - 長司祭牛丸康夫による訳文
- ↑ 永眠者の記憶について - 長司祭長屋房夫による訳文[リンク切れ]
- ↑ 冷凍葬について
- ↑ 佐原真、『食の考古学』pp143-156、1996年、東京、東京大学出版会、ISBN 4-13-002074-9
- ↑ コトバンク 知恵蔵mini [1]
- ↑ () 東京福祉会の事業の特色 東京福祉会 [ arch. ] 2009-04-05 [リンク切れ]
- ↑ 帆刈浩之 () 帆刈浩之 広東幇華人の慈善ネットワークに関する史的研究 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科 [ arch. ] 2009-04-04 [リンク切れ]
- ↑ 13.0 13.1 第125回 葬儀 カテキズムを読もう Laudate 女子パウロ会
- ↑ 日本カトリック司教協議会、常任司教委員会、『カトリック教会のカテキズム要約』カトリック中央協議会、2014年2月10日。185頁(356)。
- ↑ カトリック教会の命日祭 パウロ社
- ↑ OCA - The Orthodox Faith(アメリカ正教会公式ページ)
- ↑ http://www.sousaiken.com/ssk/mame/1fuku.html[リンク切れ]
- ↑ 平均231万円日本の葬儀代 詐欺同然超高額のカラクリ
- ↑ 国民生活センター - 増加する葬儀サービスのトラブル
- ↑ 冠婚葬祭費積み立て、解約手数料「違法」判決 読売新聞 2011年12月14日[リンク切れ]
- ↑ 高木復興相側が香典や枕花代、公選法に抵触か 読売新聞 2015年11月1日
- ↑ 2011年2月11日の朝日新聞朝刊39面
- ↑ 2011年2月10日の朝日新聞朝刊39面
- ↑ 「宗教介入だ」仏教界困った イオンの葬儀サービスが「お布施」に目安 (1/2ページ) - MSN産経ニュース - 産経新聞 2010年7月2日
- ↑ 「葬儀に料金透明化の動き イオンがひつぎ代など明文化 (1/2ページ) - MSN産経ニュース - 産経新聞 2010年1月24日
- ↑ () 産経新聞にコメントが掲載されました。 JT-VAN新着情報-2010年- 日本テンプルヴァン [ arch. ] 2010-07-05
- ↑ 布施の価格目安
- ↑ 僧侶見習が通夜、遺族憤慨 名古屋の寺「修行の一環」 朝日新聞 2013年2月5日
参考文献[編集]
- 『葬送墓制研究集成』1-5(名著出版、1979年)
- 萩原秀三郎・須藤功『葬送と供養』日本宗教民俗図典2(法藏館、1985年12月)
- 西木浩一『江戸の葬送墓制』都史紀要37(東京都公文書館、1999年3月)
- 高橋繁行『葬祭の日本史』講談社現代新書1724(講談社、2004年6月)
- 斎藤美奈子『冠婚葬祭のひみつ』岩波新書1004(岩波書店、2006年5月)
- 日本カトリック司教協議会、常任司教委員会『カトリック教会のカテキズム要約』カトリック中央協議会、第8刷、2014年2月10日。350頁。ISBN 978-4-87750-153-2。