小林よしのり

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小林よしのりと渡辺美優紀

小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年8月31日 - )は、日本漫画家思想家社会評論家。「よしりん企画」社長、「ゴー宣道場」主催。

福岡県福岡市出身(出生は大野城市)。福岡大学在学中、1976年に『ああ勉強一直線』を投稿しデビュー。『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持つ。 1992年の『ゴーマニズム宣言』以降、思想的・政治的な作品が増え、社会評論的な活動も行うようになる。2002年から季刊誌『わしズム』責任編集長なども務める他、大東亜青年塾名誉塾長という肩書きも持つ。

略歴[編集]

出生 - 中学生以前[編集]

小林よしのりと市川美織

1953年昭和28年)に二人兄妹の長男として生まれる。父親は1927年(昭和2年)生まれの元日本兵で、戦後に真面目な公務員として就職、マルクス主義者になった。母親は1933年(昭和8年)生まれの寺院の娘で、氷川きよしのファンである。理想主義共産主義を支持する父親と現実主義仏教を支持する母親の思想対立があった。しらけ世代思想家として、団塊の世代とは異なる思想を持っている。『逆噴射家族』のアイドル歌手と女子プロレスラー両方志望の少女は、妹がモデル。

幼少の頃から喘息を患い、ひどい時は気管が細くなり、腕立て伏せのポーズでないと息ができなかった。ガリガリにやせており、あだなは「もやし」「ガイコツ」「黄金バット」。町内相撲大会では、いつもアザと泥まみれだった。両親は「あんたは大人になるまでに死ぬんだからね。保険金もかけてあるんだから」と言い、彼専用の離れ部屋を作るなど、突き放した態度を取っていた。だがこれは自立心を養うためであり、『おぼっちゃまくん』の主人公・御坊茶魔風の表現で言えば「よーしゃなくきびしく」育てられた。

夏休みなど長期の休みには、地方で密教の住職を務める祖父の寺に預けられた。祖父は僧侶ながら女性関係もあったなど、親戚からの評判はいまいち良くなかったが、大東亜戦争ニューギニア島へ派遣された際に俳優加東大介と共に現地で将兵向けの慰問芝居を行い、これが後年『南の島に雪が降る』として映画化されたことを誇りに思っており、小林もその自慢話をよく聞かされた。この寺で体験したことはその後『ゴー宣』を中心とする各所に影響を与えており、小林は自らのことを「不動明王の生まれ変わり」と称している(本気でそう信じているのでなく、自分の精神力に関する比喩)。

子供の頃は親の方針であまり物を買ってもらえず、小林の場合はその経験が物欲に対する執着心を弱めるに至ったと語る。つい最近まで自己(自社)保有の車を持たなかったのも、その経験ゆえである。

小学校半ばの頃は、まだ体も弱かったがクラスから親しまれ、級長を務めていた。だが担任の男性教師が当時流行りのスパルタ教師で(戦後軍人帰りの中年が、教職に多数復帰したのも理由)男女問わず殴っていた。小林はこの担任から、ホームルームなどの学級行事進行を手厳しく叩き込まれ、これが『東大一直線』の血見太先生や『おぼっちゃまくん』の昴田先生のモデルになった。

また精神薄弱気味でブタ鼻のクラスメートがおり、遠足の弁当の時間、同席させてもらえる仲間がいない時は、彼と笑い合って一緒にいた。『東大一直線』『男のトラ子 女の虎造』の主人公は、彼をモデルにして描かれたものだと言う。

テレビ番組が子供文化にも入り込むと「忍者部隊月光」「宇宙大作戦」などを視聴した。子供の頃の憧れの人物は「宇宙家族ロビンソン」のドクター・スミスだと語っており、その後の小林自身および著作の主人公の「憎まれっ子世にはばかる」を暗示している。

高校時代 - デビュー前[編集]

小林 よしのり

福岡市立福岡商業高等学校(現福岡市立福翔高等学校)のデザイン科に在籍。併願で進学校にも合格したが、あえて商業高校へ入学した理由は「家から近い」「暇なので漫画が描ける」「学校の3分の2が女」「勉強する奴がいないから、少し勉強すれば優等生」だと言う。商業関係の資格取得が卒業条件であったため、日商簿記検定2級および珠算3級の資格を2年次までに取得して、後の高校生活はほぼ遊んで過ごしたとのこと。中学時代は坊主だった髪を伸ばして染めるなど、服装違反を繰り返し、毎日校門で生活指導に殴られていた。

高校を卒業した後は就職にかこつけて上京し、石ノ森章太郎の弟子となり、漫画家修行をするつもりだった。しかし担任教師に「大学へ行って本を読め」と勧められ、福岡大学人文学部フランス語学科に入学。このときに受験勉強の準備に取り掛かったことが後に『東大一直線』を描くきっかけになったと述べている。フランス語を専攻した動機は、大学へ進学するにしても自分には合わない商学部には進学したくなかったことや、当時ミッシェル・ポルナレフなどのフレンチ・ポップスが流行っていたことから、「フランス語でミッシェル・ポルナレフが歌えたらカッコいいし、女にモテるだろう」というものだった。こうしたことからフランス文化に対してわりと好意的である。作品の中にフランス(語)を意図的に出す事は無いが、『ほう作』の「ふまんたれぶー」や『茶魔』のカメ達の名前など、ごく稀にフランス語から作られたとものが出て来る。また、フランスに旅行した際、日本語しか話せない日本人観光客を無視し続ける現地の女性店員にフランス語で話しかけたところ、非常に怪訝な目で見られたことがあるという。本人曰く、フランス語はもう忘れてしまったとのこと。また、大学時代は仏文学者の大塚幸男らに師事していた。

大学時代、左翼活動に若干ながら関わったが「自分とは違う世界だ」と比較的早く気づいたことや、「レーニンマン」と呼んでいた活動家とのエピソードが『ゴー宣』に記されている。その後は「今これをやっておかなきゃ後悔する気がする」と、貧血になる程に読書にのめり込んだり、アルバイトに精を出した。アルバイトでは喫茶店での常連客で相撲の話が好きなヤクザの幹部(店側としてはお客様)と話を合わせねばならず、必死に相撲のウンチクを本で勉強した事もあった。また、虚弱体質ゆえに肉体労働に向かずクビにされかけた時、バイト先の先輩達が「いい奴だから雇い続けてくれ。その分は俺たちがカバーする」と雇い主に訴えた逸話がある。

東大一直線とその後の苦闘[編集]

『東大一直線』の投稿から『東大快進撃』の終了までは『東大一直線』を参照。

当時は福岡で執筆活動を行っていたが、心機一転の心意気のため1980年に上京、四谷に住む。『東大快進撃』終了後、『週刊ヤングジャンプ』初代編集長の角南攻から、どんな作品を描いても大丈夫と太鼓判を押された小林は、ラブコメ等軟弱化した若者に喝を与える「(誅)天罰研究会」を連載開始。これが連載第一回から、人気投票でグラビアページ以下の最下位を記録する屈辱を味わう羽目になり、結果的に二作目のジンクス。単行本にして全2巻で打ち切りとなる。

そして集英社との専属契約を終了。『風雲わなげ野郎』『メンぱっちん』の頃は『風雲わなげ野郎』を参照。

この頃手塚治虫の手法として有名なスター・システムを、小林も一時的に使っている。宮下あきら和田慎二の様に世界観が繋がっているタイプでなく、手塚治虫や竹本泉の様に、同じ顔が別の世界に出てくるタイプであり、『東大一直線』のチョンマゲ先生や『(誅)天罰研究会』の首長の竜などが挙げられる。小林がいちばん何とかしてあげたいと思っていたのは『東大一直線』の名脇役、多分田吾作で、『メンぱっちん』の敵役の他、主役とした読切「多分・ザ・ジゴロ」などを発表した。

後に多分を発展させたキャラで『ヤングジャンプ』に読切「不抜呆作伝」を掲載。さらに『週刊少年チャンピオン』にて『いろはにほう作』として連載を行い、単行本にして全8巻と『東大一直線』に次ぐ記録となる。その後も『少年チャンピオン』で連載を行ったが、『ほう作』を超える長期連載はない。

おぼっちゃまくん以降[編集]

小林 よしのり

『ほう作』終了と入れ替わりに1986年月刊コロコロコミック』で連載された「おぼっちゃまくん」が大ヒットとなる。『コロコロ』編集部は『おぼっちゃまくん』以外の小林の漫画も求め、「いなか王兆作」の同時連載(『おぼっちゃまくん』後に連載を開始するも先に終了)、『救世主ラッキョウ』のリメイク、前述の『ほう作』の『コロコロ』における再録などが行われた。なお、小林は『救世主ラッキョウ』のリメイクについては「旧作に比べ受けはかなり悪かった」と『ゴーマンガ大事典』で語っている。

『おぼっちゃまくん』は1989年に第34回小学館漫画賞を受賞。授賞式での審査員による「絵は下手だし下品だし、私にはこの作品のどこが面白いのかわからない。来年以降は人気のみでなく、内容の善し悪しも審査基準に組み込みたい」という発言に対して激怒した小林は「こんな下品な漫画に賞をくれた審査員の度胸に感謝します」と、痛烈な皮肉を込めたコメントで反撃し、翌年以降の審査員が刷新される事態にまで発展。この顛末は当時『宝島』に連載していた「おこっちゃまくん」で描かれた。以後は、小学館が小林の主舞台になった。

この事件により自らの意見を積極的に世に発する事に目覚めた小林は、上述の「おこっちゃまくん」で時事論評を展開。漫画による時事論評という新しい手法が注目され、そして1992年に第三のヒット作「ゴーマニズム宣言」を『SPA!』誌上で連載。そこから続く思想関連書で『わしズム』を創刊。

2006年、ストーリーギャグ漫画として「遅咲きじじい」を『ビッグコミック』にて連載開始。これは小林の目の病気以降の心境の変化が大きいとされる。

2009年5月CRぱちんこおぼっちゃまくんを京楽産業から発売。

人物[編集]

愛称・通称[編集]

  • かつて「小林先生」「よしのり」だったが、『おぼっちゃまくん』半ばから「よしりん」が登場した。
  • 一人称は「わし(儂)」。30代の頃から使用していた。説教臭い年寄りに憧れがあり、男が若く見られても外人にナメられるだけで何もいいことは無い、早く年を取りたいという思いから来ている。
  • インターネット上を中心に「コヴァ」という別称が使われていることがある。これは小林よしのり本人はもちろんのこと、小林のファンの通称としても使われている。元々はアンチ小林ファンによる、小林やその熱狂的なファンに対する蔑称で、1990年代に人気を誇ったアニメ「エヴァンゲリオン(エヴァ)」の語感のアレンジとされる。

漫画[編集]

小林 よしのり
  • 元々『サザエさん』の様な誰でも親しめるファミリーな漫画を目指していたが、いざプロになってみると、賛否両論が激しい漫画家になってしまった。特に内容については少しでも密度を高くすると、すぐ拒否反応を起こす読者がいるとこぼしている。このことから相原コージと並び、「日本で最も1ページあたりの密度が濃い漫画家」と呼ばれたことがある。
  • 漫画そのものに対する侮辱、漫画家であることをもって批判することに対しては、激しく怒ることで有名。先述の授賞式での一件や後述する西部邁との一件もそこから勃発した。当初は『ゴー宣』の作中で、「権威主義に負けるな」と漫画を低く見ることを批判していたが、その後に西部の発言に一定の理解を示し、漫画はあくまでもサブカルチャーと考え、サブカルチャーに過ぎない漫画が日本で各世代から幅広く支持され、また日本の文化の担い手的立場を求められていることを批判し、その原因がメインカルチャーである文学などが堕落していることにあるとして、「自分のような漫画家に、知識人が負けてはならないのだ」と主張している。
  • これを『新ゴー宣』1巻で主張するに先立ち、1995年7月放送の討論番組「朝まで生テレビ!」にて、小林は西部と同席し、西部の主張に同意する形で、「朝生で、西部さんが電車の中で漫画を読んではいけないと言ったが、昔なら凄く怒っていたが、今は駄目だと思うようになった」と主張した。番組では宮台真司大島渚らから反論を受け、大島からは「メイン、サブと、カルチャーの高さを分ける事に意味はないよ」という趣旨の批判を受け、観覧からも、西部邁を批判していた頃の『ゴーマニズム宣言』を礼賛しながら、同様の意味の批判を受けたが、小林の姿勢はその後も一貫している。なお、メインが本当にだらしないのなら、サブの立場から、その地位を取るとも警告している。

趣味・好きなもの[編集]

プロレス
有名な趣味で、締切前に仕事を急いで仕上げ、観戦に行く時間をわざわざ作る程である。観戦専門としており、自らやることはしない。「暴力への憧れがあるのかも知れない」と語っており、これまでの作品やギャグにも、プロレスや格闘技をモチーフにしたものが多い。国内プロレスではアントニオ猪木派で、選挙で猪木に投票したり、その後の猪木の体たらくを見て逆に投票しなかったこともある。また、『ほう作』のおまけのページでは「現在長州力にお熱をあげててリングサイドで作戦を授けるのが夢」という発言もあり、『茶魔』の作中では長州をもじった「酋長力」なるプロレスラーが登場している。他に障害者プロレスを世に広めたのも『ゴー宣』の功績の一つで、障害者プロレスで挨拶をしたこともある。
歌謡曲・カラオケ
赤ん坊の頃から歌謡曲を聴いて育ち、現在に至るまでほとんどの流行曲を把握、「ヒットするかの許可をわしが審査している」と語る程の歌謡曲通。取材に来たマスコミが「よしりん企画の入社試験には、カラオケがあるんですか?」と、スタッフに聞いた程のカラオケ上手で、専用のマイクを持っている者もいる。古くはピンク・レディー沢田研二庄野真代柏原芳恵などを『東大一直線』に登場させていた。特に演歌が好きで、中でも藤あや子(男なら冠二郎)の大ファン。『ゴー宣』にも彼女を登場させた回が二度存在し、藤本人との面会も実現している。
映画鑑賞
漫画家にならなければ映画監督になっていたと自負しており、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開された時は早くに鑑賞した。当時の作品にはパロディ的表現が多数ある。
  • 『生命いつまでも』(1980年)…自主映画化。
  • 『中洲界隈天罰研究会』(1981年)…自主映画化。
  • 逆噴射家族』(1984年)…没になった漫画のアイデアが脚本になった。
似顔絵
小林の仕事場を訪ねてくる人間については、ほとんど似顔絵を描いていた。その中でも特に個性的な人物は、登場人物に昇格することもあった。過去の作品の登場人物達の一部は、彼の旧友がモデルとなっている。
自身は本来面長の顔であるが、似顔絵には全く反映されていない。
KARA
腰振りのダンスがきっかけでKARAの夢中になってしまった。
AKB48
無類のAKB48ファンである。主な推しメンは、大島優子市川美織柏木由紀など。また本人はAKB48を好きになった理由として「楽曲の良さ」を挙げており、「AKB48は歌謡曲の復権現象」と賛美している。

2012/11/29 AKB48増田有華のお泊り愛について[編集]

小林 よしのり
小林 よしのり

AKB48の増田有華DA PUMPISSAの家でお泊り愛というスキャンダル記事が週刊文春に載ってるらしい。

本人も事実だと認めて、あっさりAKBを辞退した。

ISSAは「オズの魔法使い」の共演者だ。

実はわしは増田有華のドロシー役を見に行った。

1人15000円、両手に花で見に行ったから45000円で高かったが、AKBメンバーは応援しようと律儀に思って見に行ったわけだ。

だがその感想はブログに書かなかった。

さっぱり面白くなかったからだ。なにより増田有華の存在感が薄かった。

今回のスキャンダルでわかったよ。

男といちゃついてたからか。

舞台の演技がすごかったら、わしもショックだったかもしれない。

今回はビクともしない。

だってわしには、みおりん と みるきー がいるから。

あの2人は絶対裏切らないから。

週刊文春よ、あの2人のスキャンダルを押さえたら、まずわしに相談してくれ。話し合おう!

2012/12/07 UGN48選抜メンバーを選ぼう![編集]

小林 よしのり

AKB48ファンにお知らせだ。

来週11日、火曜夜9時から、AKB48の話だけをするニコニコ生放送をする。

タイトルは・・・『UGN(ウラギラナイ)48選抜メンバー発表!』・・・これだ!

今年、わしは恋愛禁止ルールを破ったり、突然卒業したりするAKB姉妹グループのメンバーに、ずいぶん衝撃を受け、傷つき、狼狽してしまった。

特に驚いたのは、指原莉乃、菅本裕子、増田有華だった。

ゆうこすとゆっぱいは、おっぱいが大きいから、もっと警戒しておくべきだった。

他にも勝手にやめてしまったメンバーのことなど、再検証したい。

そして、来年こそは傷つかないように、わしは「UGN48選抜メンバー」を決めておこうと思う。

AKB姉妹グループの中で、誰ならわしを裏切らないか、無警戒に推すことが出来るのか、AKBファンからも生放送中に情報をもらいながら、選抜して決定したい。

アシスタントは、秘書みなぼん。

『UGN(ウラギラナイ)48選抜メンバー発表!』

これで選ばれた選抜メンバーによる楽曲は、多分作られないと思う。

生活・健康[編集]

  • 喘息は「大学時代に若干再発したものの、いつの間にか治っており、漫画家デビューしたら他人より強靭になってしまった」との事であるが、2006年1月に死去した郵便職員の父が、その数年前から再び喘息を患うようになっていたのを見て「年を取ったら再発するかも」とも語っている。
  • ペン等細長い物を持つ場合、通常は人差し指と中指の間で挟むが、小林は人差し指と親指の間で挟む。このため人差し指と親指の間にペンだこが6つもあり「日本一多くのペンだこを持つ漫画家」と自称する。風変わりなペンだこは、自らをモデルにした漫画家・小林やしゃのりが主人公の『夜叉』にも登場したことがある。
  • 生活サイクルは「2日間起きて6時間寝る」と『おぼっちゃまくん』時代のアシスタントが語り、本人も長らく夜型生活であると語っていたが、視力回復手術を行った後は朝型生活に変わったと語る。
  • 歴代秘書曰く、「潔癖症レベルの清潔好き」。自宅以外のトイレには行きたくないがために、外での水分摂取を極度に避けていた時期もあった(現在は医師に水分の不足を指摘され、積極的に摂っている)。また、バスタオルが敷かれた椅子(通称「タオルイス」)を愛用している。
  • 2005年秋に白内障のため視力が著しく悪化した事により手術を行い、『新ゴー宣』を休載する。旧『ゴー宣』時代、『噂の真相』の記事が引き金となって、当時の秘書である末永直海が退職したショックで原稿を落として以来の休載となった。視力は回復したものの、「眼圧が強すぎる」との理由で翌週も休載。なおこれら生活・健康についての話は、近年では珍しく無思想の描き下ろし漫画「目の玉日記」に詳しい。

討論番組[編集]

小林 よしのり

以前は『朝まで生テレビ!』をはじめ、テレビ番組に積極的に出演し、数々の場面を演出した。

  • 基本的に『テレビなどの場で喋るのは苦手』と公言しているため、自ら積極的に発言する場面は少なく、自ら描き下ろした『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』特集時は当の小林本人よりも、他の出演者の方が熱論を交わしていた。
  • 小林はイラク戦争に反対の立場ゆえに、他の反対派と同じサイドの席を指定されたことがある。この際、「えー、今日は左翼の末席に繋げられてしまって。これはますます誤解を受けてしまうなあと、思っているんですけれどもね。」と発言(2003年11月放送の『朝生』より)。
  • 2005年末頃より「マスコミは政府の走狗に過ぎない」として、今後は一切のテレビ出演をしないと宣言した。が、2006年6月の段階で、NHK生放送討論番組『日本の、これから』に出演し、宣言を破る。ちなみに『朝生』についても、以前に田原総一朗への批判などから「今後は出演しない」と宣言した後に出演した例がある。もっとも「宣言した」といえども、あくまでギャグタッチで描いているため、どこまでが本気なのかは量りかねるものがある。その後、2007年の8月15日の『日本の、これから』にも出演する小林の姿があった。日本国憲法第9条護憲に関して「本当に、日米安保自衛隊もなくして、丸裸の状態になり、それでもやっていく覚悟があるのか。あるのならわしはそれに賛同しますよ?」「命が大事なら、ガンジー主義はできませんよ?」と発言し、その覚悟がないなら改憲すべきと主張した。なお小林は、「憲法九条はガンジー主義を具現化したものとラダ・ビノード・パール判事が考えていた」と主張した中島岳志との論争(『正論』2007年11月号)で、「対米依存」「命こそが一番大事」の九条護憲と、ガンジー主義は別物であると主張している。
  • 自身の発行する雑誌『わしズム』を発刊していた。「2001年に自身の漫画本『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』を発刊した直後の、日本のメディア上の異様な雰囲気に危機感を持ち、自身の言論を守る雑誌を持たなければという危機感に駆られて」その直後テレビの仕事が激減し、NHKハイビジョンの仕事以外来なくなったという旨を対談で語っている。

その他[編集]

小林 よしのり
  • ミュージシャン・甲斐よしひろとは小・中・高校での幼なじみ。但しクラスは一度も同じになったことがない。小林がメディア露出を増やした頃、「甲斐の演奏で小林が歌う」という企画をテレビで組まれそうになったが、「甲斐はスターぞ。スターをバックに歌なんか歌えるか!」と拒否。甲斐も同じ考えだったという。
  • フジテレビ抗議デモについて、「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」「しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?・・・それでいいわけ?」「自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね」と評している。
  • 超能力UFOなどのオカルトについては、いわゆる「自分の目で見たものしか信じられない」否定派。存在を信用しないと言うより「科学を使って理論的に(存在しない事を)解明しろ」とする主張である。特にオカルト研究家として有名になった、つのだじろうについては「本業の漫画がさっぱり売れなくなったもんだから、今やってるオカルトはほとんどギャグにしかならない」と強く攻撃、オカルトを皮肉った『うしろの中岡くん』(つのだじろうの『うしろの百太郎』と、心霊写真鑑定家の中岡俊哉のもじり)なる読切漫画も発表している。この反オカルト思想から、以前は大槻義彦のファンと称していたが、その後大槻の矛盾にも気がついたのか「大槻教授も回答を出していないのが欠点だ」と語っている。ところが小林自身は前述の密教寺に泊まった際、霊らしき体験をしており、この点については『ゴー宣』でも完全に割り切れていないオチをつけている。
  • タクシーや電車などの公共交通機関の利用が多かったことから、長らく自前の車を保有していなかったが、『ゴー宣』で有名になって以降、オウム事件での一件や、お喋りなタクシー運転手などから自分に関する情報が漏洩する状況が少なからず起こったため、免許未保有のままで車を購入するに至る。車種はメルセデス・ベンツ Cクラス(2代目)。選定の理由は「(イラク戦争に加担する)米国車や(中国に媚びる)日本車は買わない」として欧州車に絞り、(自分が座る)助手席の乗り心地が良く、かつ「便通が良くなりそうな名前だから」とのこと。運転は現秘書の岸端みなが担当することが多い。なお小林の著作『おぼっちゃまくん』の主人公・御坊茶魔の愛車は「メルセデス・便ツ」である。
  • ゴー宣・暫1』第三幕・第二場「ブックオフは文化破壊だ!」では、ブックオフは新しく見える「古本」を余りに早い時期に並べ、新刊本の販売量=製作者への報酬を減らすとして「漫画家は原稿料だけでは確実に赤字!単行本が売れて初めて給料を払い、経費を払い、収益がやっと出る!」(p.143)と、日本の漫画産業を成り立たせたシステムを破壊すると批判。「モノには「適正価格」というものがある!」(p.146)と主張した。同時に再販制度および委託制度を擁護をしている。
  • 『CRぱちんこおぼっちゃまくん』をめぐる問題については「CRぱちんこおぼっちゃまくん」を参照。
  • 保守派論客と知られる人物の中では珍しく野田佳彦内閣を強く後押ししているものの、当の野田本人はTPPへの参加表明方針や人権救済機関設置法案提出の閣議決定など小林の意見と異なる決定を次々と行っている。そもそも、小林と旧知の仲である原口一博は反野田勢力である。現在は日本未来の党の支持者であるが、政策要綱で年間31万2千円(月2万6千円)の中学卒業までの子どもへの手当の支給を決定するなど、さっそくすれ違いが始まっている。
  • 中沢新一と福岡で一緒に講演をした際、中沢が坂本弁護士一家失踪事件に関し「創価学会をはじめとする宗教団体に調査した結果、どこの宗教もオウムの仕業じゃないといった。別の組織によって八丈島へ連れて行かれ、埋められた」と聴衆に向かって発言したが、講演後に新聞記者にそのことについて聞かれて「嘘に決まってるじゃない」と一言。「自分の立場を有利に進めていくためには、どんなことでも言ってしまうわけよ。あの人は学会の植木等だよ、あのくらい調子よけりゃ、許せる部分もあるけどね」と発言。(別冊宝島229でのテリー伊藤との対談「お笑いオウム真理教」にて。)
  • 少年キングを含めた五大週刊少年誌のうち、週刊少年サンデーのみ週刊連載の経験が無い。ただし、おぼっちゃまくんの出張読み切りや後述の通り『よしりんぞーん』の月イチ連載など、掲載経験は何度もある。

著作・関連書籍[編集]

連載作品[編集]

小林 よしのり
  • 東大一直線週刊少年ジャンプ、1976年28号-1979年46号)
    • 東大快進撃 (週刊ヤングジャンプ、1980年7号-1981年25号)
  • 救世主ラッキョウ月刊少年ジャンプ、1978年4月号-1979年8月号)
  • 世紀末研究所週刊ヤングジャンプ、1979年創刊号-1980年4月号)
  • 格闘お遊戯 (月刊少年ジャンプ、1979年9月号-1981年3月号)
  • ジューシィガンコ (月刊少年ジャンプ、1981年4月号-7月号)
  • (誅)天罰研究会 (週刊ヤングジャンプ、1981年37号-1982年3・4合併号)
  • 風雲わなげ野郎週刊少年キング、1982年13号-22号)
  • 異能戦士 (週刊少年マガジン、1982年37号・1983年52号・1984年3・4合併号-33号)
  • タコちゃん ザ・グレート (月刊ジャストコミック、1983年1月号-1984年5月号)
  • メンぱっちん (週刊少年マガジン、1983年6号-35号)
  • 角栄生きる (コミック・ノストラダムス、1983年10月号-1985年10月号)
  • 青年ジェット (月刊コミック・バンバン、1984年1月30日号-6月30日号)
  • おーっと、フル・タッチ! (月刊ジャストコミック、1984年5月号-12月号) - 作:古舘伊知郎、画:第一部のみ小林、第二部は国友やすゆき
  • いろはにほう作週刊少年チャンピオン、1984年36号-1986年24号)
  • おぼっちゃまくん (月刊コロコロコミック、1986年5月号-1994年9月号)
  • タコちゃん ザ・グレーテスト (月刊少年チャンピオン、1986年9月号-1987年5月号)
  • ろまんちっく牛之介 (週刊少年チャンピオン、1986年28号-1987年1・2合併号)
  • 忠牛ばっふぁ郎 (週刊少年チャンピオン、1987年20号-49号)
  • 突撃!!(偏)(へんさち)BOYS(週刊ヤングジャンプ、1987年52号-1988年)
  • 厳格に訊け!週刊ヤングサンデー、1988年10号-1989年18号)
  • おこっちゃまくん (月刊宝島、1989年2月号-1991年7月24日号)
    • おこっちゃまくん (月刊コロコロコミック、1991年10月号-1994年5月号)
  • 最終フェイス (週刊ヤングサンデー、1989年23号-1991年8号)
  • どとーの愛 (隔週刊スーパージャンプ、1992年4号-18号)
  • ゴーマニズム宣言週刊SPA!、1992年1月22日号-1995年8月2日号)
    • 新・ゴーマニズム宣言 (SAPIO、1995年9月27日号-2007年)
    • ゴーマニズム外伝 (月刊Views、1996年1月号-4月号・7月号)
    • ゴー宣・暫(2007年- )
    • 世論という悪夢(わしズム2006年冬号-2009年冬号連載のコラム「天籟」と描き下ろしを収録、本の帯・そでに活字版ゴーマニズム宣言と記載されている)
    • ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論(過去のゴーマニズム宣言シリーズの単行本よりテーマに合わせて抜き出し、加筆訂正のうえ転載したもの)
  • いなか王兆作 (月刊コロコロコミック、1992年4月号・8月号-1993年1月号)
  • よしりんぞーん (週刊少年サンデー、1993年7号・12号・17号)
  • ザ・カリスマンガ 聖人列伝 (月刊PANjA、1994年7月号-1995年2月号)
  • ザ・よしりん仮面 (週刊金曜日、1995年4月7日号-4月28日号)
  • 私たち普通の日本人 (週刊ヤングマガジン、1995年38号・41号-43号・46号-1996年6号) - 隔週連載
  • よしりん昔話 (月刊宝島30、1996年4月号-5月号)
  • 次元冒険記 (週刊ヤングマガジン、1996年16号-38号) - 隔週連載
  • 夫婦の絆 (わしズム、2002年-現在中断中)
  • 遅咲きじじい (ビッグコミック、2006年-2008年)

読み切り・描き下ろし[編集]

対談、共著[編集]

『教科書が教えかねない自虐』改題版。タイトルの文字の配置にお遊びがしてあり、『自虐ですやん。』(関西弁で「(その内容は)自虐じゃないですか」)とも読める。
日本に帰化した「親日」の元外国人たちとの対談集。

関連本[編集]

  • 呉智英編『ゴーマニズムとは何か! 小林よしのり論序説…』 (出帆新社、1995年)
  • 『ゴ-宣レター集 ゴーマニスト大パーティー』既刊3巻 (ポット出版、1996年 - 1997年)

批判本[編集]

  • ロフトブックス編『教科書が教えない小林よしのり』(1997年11月 ロフトブックス ISBN 4795200696
  • 『君たちは戦争で死ねるか-小林よしのり『戦争論』批判』 ISBN 4272520563(1999年)
  • 『“小林よしのり『台湾論』”を超えて―台湾への新しい視座』 東アジア文史哲ネットワーク(2001年) ISBN 4878933895
  • 吉本隆明『「超」戦争論』
  • 上杉聰『脱ゴーマニズム宣言-小林よしのり「慰安婦問題」』東方出版(2002年)
  • 『トンデモ本の世界R』、と学会(編)、太田出版、2001年10月、ISBN 4-87233-608-9:『戦争論』をトンデモ本として認定。
  • 目取真俊『沖縄・地を読む 時を見る』世織書房(2006年11月)ISBN 4902163261 『ゴーマニズム宣言スペシャル沖縄論』の盗作問題を指摘。

その他[編集]

論文[編集]

関連人物[編集]

小林よしのりの関連人物参照

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『ゴーマニズム宣言』
  • 『新・ゴーマニズム宣言』
  • 『小林よしのりの異常天才図鑑』
  • 『小林よしのりのゴーマンガ大全集』
  • 『オレの“まんが道”』

脚注[編集]

外部リンク[編集]

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