東京都立国立高等学校
東京都立国立高等学校 | |
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過去の名称 | 東京府立第十九中學校 東京府立国立中學校 東京都立国立中學校 東京都立国立新制高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校(都立) |
設置者 | 東京都 |
学区 | |
併合学校 | |
理念 | |
校訓 | |
設立年月日 | 1940年 |
創立記念日 | |
創立者 | |
閉校年月日 | |
共学・別学 | 男女共学 |
高大一貫教育 | |
中高大一貫教育 | |
中高一貫教育 | |
小中高一貫教育 | |
幼小中高一貫教育 | |
分校 | |
課程 | 全日制課程 |
二部以上の授業 | |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科(8クラス) |
学科内専門コース | |
専攻科 | |
別科 | |
学期 | 2学期制 |
高校コード | 13149A |
中学校コード | |
所在地 | 〒186-0002 東京都国立市東4-25-1 35 41 17.2 N 139 26 57.7 E |
外部リンク | 公式サイト |
公式サイト | |
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東京都立国立高等学校(とうきょうとりつくにたちこうとうがっこう)は、全日制普通科の都立高等学校。所在地は東京都国立市東。通称「国高(くにこう)」。
目次
概要
1940年、東京府立第十九中学校として開校。日中戦争による資材不足から校舎竣工が大幅に遅れ、東京都立立川高等学校の前身にあたる東京府立第二中学校や山水中学校の校舎を借用して授業が行われていたこともあった。
学校群制度時代には、従来学区トップ校であった立川高校と72群を組んだことも一因し、1980年代中頃までは東大合格者数を30人前後数えていたこともあった。青山高校・富士高校と同様に学校群制度によって進学実績を伸ばした数少ない一校である。2003年には進学指導重点校に指定され、多摩地域を代表する進学校としての地位を保っている。
校則はほとんど無く自由な校風である。クラス編成は、3年間クラス替えのない「持ち上がりクラス」が伝統となっている。
沿革
- 1940年1月 - 東京府立第十九中学校として開校認可
- 1948年4月 - 学制改革により東京都立国立新制高等学校となる
- 1950年4月 - 男女共学制実施、東京都立国立高等学校となる
- 1952年4月 - 学区合同選抜制度導入
- 1967年4月 - 学校群制度発足、立川高校と72群を組む
- 1976年 - 第1回第九演奏会開催
- 1980年8月 - 野球部が夏の全国甲子園大会に出場
- 1982年4月 - グループ合同選抜制度導入。同時に学区が改編され、第十学区102グループに編成される[1]
- 1994年4月 - 単独選抜制度へ移行
- 2003年4月 - 東京都教育庁、学区制を撤廃。他の都立高校とともに、原則として離島を除く都内全域が通学対象地域となる
- 2003年9月 - 進学指導重点準備校に指定
- 2004年11月 - 進学指導重点校に指定
教育
入試
2004年度より自校作成問題を3教科で実施している。国語の問題は他校と比べて記述問題が非常に多く、選択肢で答える問題が少ない。
進学指導
ほぼ全員が部活動に加入しており、文武両道を前提とした進学指導の充実が行われている。土曜日は自習室が開放されているほか、土曜補習や夏期講習が数多く用意されており、多くの生徒が利用している。高大連携の取り組みや大学による出張授業が行われ、進路意識の向上が行われている。希望制のサマーセミナーや全生徒対象の校外模試も学校で受けられる。
同じ国立市内にある一橋大学や隣の府中市に全面移転した東京外国語大学の出身校別合格者数などでも上位十傑に名を連ね、近年でも両校に全国最多の合格者数を輩出した。
アクセス
目印は大学通りにかかる歩道橋。
国立市の文教地区は北の中央本線と南の南武線に挟まれた地域にある。以前は旧北多摩郡北部地域からの通学には主に中央本線が使われ、京王電鉄・小田急電鉄沿線地域からの通学には主に南武線が、それぞれ使われてきたが、多摩モノレール開通後は学区制撤廃もあり通学ルートに一部変化が生じている。
行事
- 4月下旬には「第九演奏会」が行われ、芸術科の授業において音楽を選択した2年、3年次の者と有志団体「第九サークル」がプロのオーケストラ、ソリストと共にベートーベンの交響曲第9番を演奏・ドイツ語で合唱する。これは1976年から続いており、高校生のものとしては最大級の規模である。
- 4月には立川市市民会館(アミューたちかわ)を借り切って大規模な「新入生歓迎会」が開催され、5月には約1週間を使って放課後に「クラスマッチ」と呼ばれる球技大会が行われる。(2009年8月現在クラスマッチは3日間に縮小されている。)
- 夏には希望者対象のサマーセミナー合宿が開かれ、クラスの枠を越えた交流がなされている。
- 文化祭は「国高祭」と呼ばれ毎年9月下旬に行われる。またこれは、後述の体育祭・後夜祭を併せた3つの祭りの総称である。都立高校の文化祭としては最大級であり、入場者数は毎年2日合わせて約1万人前後である。毎年文化祭(9月第2土曜・日曜に行われる場合が多い)の次の週末に体育祭が行われる。3年各クラスは演劇を行うのが伝統で、最も優れた発表には『アカデミー賞』が贈られる。また、主に社会系・科学系の部活動による研究発表や、音楽系の部活動による発表なども行われている。
- 体育祭は文化祭の1週間後の土曜日に行われ、1年生の大多数と2年生の団長団が東西2団に分かれて行う応援合戦が伝統である。1996年までは赤白青の3軍制で行われていたが、全国的な少子化によりクラス数が1学年8クラスに削減されたのをきっかけに、現在の形式となった。
- 後夜祭は体育祭の日の夕方に行われ、かつては校庭の真ん中に巨大なファイヤーをともして2週間に渡る国高祭の最後をかざる催しであったが、現在は体育館で行っており校内生だけが参加する。[2]校庭時代はフォークダンスが名物だったが体育館移行と共に広さの問題から廃され、現在では代わりに後夜祭実行委員会による新企画が毎年催される。体育館移行後に何度か行われている企画としては、男子生徒の女装や女子生徒の男装がある。
部活動
部活動が盛んな学校であり、部活動加入率は120%を超え、生物部、物理部、化学部、地学部の全ての分野が揃っているほか、落語研究部や歴史考古学部などのマニアックな部活も多い。
高校野球では1980年、硬式野球部が都立高校としては初めて甲子園に出場し、前年度の甲子園で春夏連覇を果たした強豪・箕島に惜敗した。この時の快進撃は「国立フィーバー」と称され、部員の中から数名が東大に進学したことも話題になった。 また、2004年には甲子園出場時以来24年ぶりにベスト4に進出し、話題になった。
著名な出身者
政官界
- 現職
- 元職
経済
学術・文化
- 三宅久之(評論家)
- 志茂田景樹(作家)
- 南木佳士(芥川賞作家、医師)
- 赤坂憲雄(民俗学者)
- 武藤康史(文芸評論家)
- 岡安直比(理学博士)
- 梶浦由記(作曲家)
- 池内恵(アラブ研究者)
- 上山俊幸(千葉商科大学商経学部教授)
- 上野俊彦(上智大学教授)
- 野村進(作家)
- 香取俊介(放送作家)
- 水島朝穂(早稲田大学法学学術院教授)
マスメディア
- 久和ひとみ(故人 フリーアナウンサー)
- 平野啓子(フリーアナウンサー、声優)
- 松村正代(NHKアナウンサー)
- 田代優美(フジテレビアナウンサー)
- 富川悠太(テレビ朝日アナウンサー)
- 大岡優一郎(テレビ東京アナウンサー)
- 佐藤拓雄(仙台放送アナウンサー)
芸能
スポーツ
- 遠藤昭夫(東京六大学野球・東大野球部選手 / 1974年春季首位打者)
- 下島忍(東京六大学野球・東大野球部選手 / 東大ホームラン記録6本保持者)
- 市川武史(甲子園出場時の投手、東京六大学野球・東大投手)
- 川幡卓也(甲子園出場時の捕手、東京六大学野球・東大捕手、コーチ)
- 圖師淑隆(ラグビー選手、早大→曼荼羅クラブ→サントリーフーズ(トップイースト11)元主将)
- 宮田諭(プロバスケットボール選手、早大→オンタリオ・ウォリアーズ(ABA)→トヨタ自動車アルバルク(JBL))
- 大西裕之(バスケットボール選手、電気通信大学→仙台89ers(bjリーグ)→レラカムイ北海道(JBL)→アイシンシーホース(JBL))
著名な教職員
関連書籍
- 「都立高校のすべてがわかる本」 山崎謙 山下出版
- 「東京府立中学」 岡田孝一 同成社 - 全国から嘱目されるエリート養成機関であった都立ナンバースクールの実像を描く。
- 「名門高校人脈」 鈴木隆祐 光文社新書 2005年 ISBN 4-334-03317-2
関連項目
外部リンク
脚注
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