指導者原理

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指導者原理(しどうしゃげんり、Führerprinzip)とは、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が掲げた理論。指導者が被指導者に対して無条件の服従と忠誠を要求する思想であり、ナチズムの根幹原理。

概要

指導者原理は、ナチ党およびナチス・ドイツの統治構造における政治的権威の重要な基礎である。上位の指導者は下位には無制約の権威を持つが責任は負わず、下位の者は上位の指導者に絶対的な責任を負うというものである[1]。これはヨアヒム・フェストにより「全指導者の権威は下へ、そして責任は上へ」[2]と表現された。権威の源泉は民族共同体(Volksgemeinschaft)の「指導者(Führer)」、つまりアドルフ・ヒトラーであり、究極的には彼に対して民族の全ての構成員が服従し忠誠を誓うことであった。

この原理は「社会進化論」に基づくものであり[2]、血の純粋性や忠誠原理と同様、(ドイツ民族の)「生存法則」(Lebensgesetz)、「自然法則」(Naturgesetz)、「神の法則」(Gottesgesetz)として扱われた。

歴史

設立当時のナチ党では幹部の討議が行われており、指導者の独裁体制は行われていなかった。しかし1921年にヒトラーが第一議長となった頃から、ディートリヒ・エッカートエルンスト・レームといった支持者は彼を「Führer(指導者)」と呼ぶようになり、次第に神格化が始まった。しかし党内においてヒトラーの地位が絶対化するのは、党内に絶対的な指導者としての地位を承認させた1926年バンベルク会議以降である。同年5月25日の党員総会でヒトラーは党内幹部の任免権を獲得し、党における指導者原理体制が確立した。以降、ヒトラーの指導者としての地位は揺らぐことはなく、党の組織部によって編纂された「党組織書」(Organisationsbuch der NSDAP)にも次のような宣誓文が記載されるようになった。「私は、アドルフ・ヒトラーに対し変わらぬ忠誠を誓約する。私は、彼及び彼が任命した指導者に対し無条件の服従を誓約する」[3]

ナチ党の権力掌握によって、ヒトラーおよびナチ党は「民族の指導者」としての立場を獲得したと主張するようになり、指導者原理はドイツ国の支配体制として強調されるようになった。ディートリッヒ・ボンヘッファーのように指導者原理を批判した者もいたが、やがてそうした声は封じ込められていった。本来は合議体であった内閣もやがてヒトラーの独裁となり、「内閣の中で指導者の権威が完全に確立されるに至った。もはや表決が行われる事はない。指導者が決定を下すのだ。」とゲッベルスが日記に記すほどになった[4]

内容

民族の指導者

総統#ドイツ も参照 ナチズムではドイツ民族という「種に即した生存形式」は「伝統的意味における国家ではなく、ただ一人の指導者と被指導者団から成る民族共同体」であると考えられていた[5]。指導者は、種としての同一性(Artgleichheit)を持つ民族すべての人々を指導(Führung)することによって、民族共同体を再形成させて「民族としての最終目標」へと導く存在であった[6]

ヒトラーの著書「我が闘争」では、「民主主義的大衆思想を拒否し、最良の民族、それ故、最高の人間にこの世界の支配権を与えようとする世界観は、この民族の中にあっても、同じ貴族主義的原理に基づき、最良の人物に民族の指導と最高の影響力を保障するようにしなければならない」としている[7]。すなわち民族の一般人は民族全体の問題を洞察できないため、「(民族全体の)諸力を、しかるべき課題に向けて、適切な方法で、適切な場で、適切な時期に投入する」能力を持つ指導者が必要であると説明されている[7]。指導者は民族共同体が必要とする時「必然的現象」により出現する[8]、民族共同体の唯一の代表者であった。指導者は民族の最良の血から生まれた民族最良の頭脳を持つ無謬の存在であり[9]、その権威は法や行為の結果ではなく、「民族の存在」そのものから発せられるとした[10]。ただし、この無謬性は絶対主義に見られる神の恩寵によるものではなく、民族共同体の性格から生まれるものとされた[9]

ナチ時代の法学者は指導者は法律によって支配されるものではないとし、法の上に置かれた。また法源が民族共同体の秩序に発し、指導者の示す法原理が最高法規となるとした上で、国家はその法原理を実現するための存在であるとした[11]。このため表明されたヒトラーの意思は、いかなる法的根拠や副署を持たなくても、憲法的性格を持つものとなった[12][13]。これを法務担当国家弁務官を勤めたハンス・フランクは「一切の法は指導者から由来する」と端的に語っている[14]

指導者は最も独立した人間であり、いかなる者に服することも、また責任を負うこともない。ただ自分の良心にのみ責任を負う。そして、この良心はただ一つの命令権者を持っている。即ち、われわれの民族がそうである。

指導

指導は共同体を形成し、生を作りかえる「共同体に対して行われる特殊な政治行為」と定義されている。特殊な政治行為とは、民族の最終目標を実現するための、民族の全ての生を整序する活動であった[15]。共同体成員は共同体に根ざし、共同体の中に全存在が組み込まれた共同体人格として存在するべきであり、独立の個人人格などは存在してはならないものであった。「汝は無であり、汝の民族が全てである」「公益は私益に優先する」(Gemeinnutz vor Eigennutz)[16]というスローガンがくりかえし唱えられた[17]。そのため指導の範囲は国家権力のような範囲の限定されたものではなく、共同体成員の私生活を含む「人間活動のあらゆる領域」に及んだ。これは「全体性の法則」とされ、「全体性の法則が運動の最高原理であり、ライヒ指導部の一切の措置はこの法則により支配される」とされた[18]。この理論に基づき、民族全体を調整する行為がナチス時代に行われた強制的同一化(Gleichschaltung)と呼ばれる措置である。

党とナチズムは共同体を民族の最終目標に向けて変革させる行動を行う「運動」と定義されていた。目標に向かい運動することは民族の生の本質であり、民族共同体の人種的価値を高めるためのものとされた。また民族は世代交代するため、運動は永続的なものでならなかった。このため指導者の指導は通常の統治のような秩序の形成と維持にあるのではなく、最終目標に向かって共同体を変革し続ける、永久の革命と定義されている[19]

指導の実行

指導者一人では民族指導の目的は実現できないため、その補助をする存在が必要であった。そのための存在がナチ党であり、党は民族指導を安定して実現する前提条件を創造するための存在であると定義された[20]。その中でも特に高い地位を持つ者が、指導者に直属する最高政治指導者から末端の組織指導者に至る「位階制」をとる政治指導部であった。

政治指導部を構成する政治指導者は党の中での激しい権力闘争が行われることにより生み出される。権力闘争を勝ち抜く者は優れた能力を持つ者であり、優れた能力を持つということは優れた人種であるということになる。彼らはドイツ民族だけではなく、世界の運命を指導する新たな貴族階級となるべき存在であった[21]。彼らは指導者との「人格的合一」を根拠に、指導者から民族指導のために必要な権限を授けられ、その権限の範囲内において「指導の実行」を行った。しかしその地位は指導者との人格的な距離の大小によるものであり、指導者の一言で排除される存在であった[22]

指導の実行においては法令の解釈や文言そのものではなく、「固有の責任を負う協働者」として「指導者の意思」を実行することが問題であるとされた。このため党や各指導者が背後関係を公にしたくない場合には、明確で詳細な命令を出さず、部下が意図を汲み取って行動するような指示を行うこともあった。例としては、大使館員エルンスト・フォム・ラートユダヤ人少年に殺害された際、宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスの口頭指示を受け取った党指導者がその意図をくみとり、水晶の夜と呼ばれるユダヤ人迫害活動を行ったことが党最高裁判所の報告に残っている。党最高裁判所はこのような方式が規律を乱すことにつながりかねないとして憂慮する旨を記しているが、ヒトラー自身はこのような自由裁量の必要性を認めていた[23]。また、その行動が指導者の意思にそうものである限り、常に合法的であるとみなされた[24]

忠誠と服従

被指導者団は指導者と同じ血を持っているため、指導者と同じ精神的傾向を持つ。そのため指導者と同じ世界観・生存法則・最終目標を持っている。従って本来は指導者の方針に従うことに、強制力となる命令などの実力の存在は不要であるとされる。しかし被指導者層にも能力の差が存在するため、指導者の指導を完全に理解できないこともある。また指導が時には共同体の生存法則や世論と無関係であったり、反発を招く事態も想定される。すなわち指導者が体現している民族意思と、民族の主観的な多数意思は必ずしも一致しない[25]。そのため指導者による共同体に対する命令と、それに対する服従を完全に放棄することは不可能であった[26]。これら指導者原理に基づく指導者が民族意思を体現する体制は「ドイツ民族のもっとも内奥の本質に合致する真の民主主義」である「ゲルマン民主主義」であるとされた[25]

そして指導者の指導が共同体の理念や精神にのっとったものである以上、民族が指導者の指導に背く必要はないため、同じ血を持つ民族にとって服従は必然的な現象であるとされた[27]。このことを法相オットー・ティーラックは「忠誠は最も重要なドイツ的遺産である」と説明している。さらにヒトラーは盲目的服従を共同体全体の「生存の掟」とし、「すべてのドイツ人に対し私は要求する。汝らもまた服従する能力を身に付けねばならない。服従する事をなにか自明と感じる民族こそが健全な民族である。」[28]と語っている。ヘルマン・ゲーリングの唱えたスローガン、「指導者が命令する、われわれは従う!」はこれに答えたものである[29]。従って忠誠義務を遵守せず、服従しえない者は共同体の敵であり、共同体から追放・抹殺するべきものであった[30]

影響

この指導者原理に基づき、ヴァイマル共和政期に発展したドイツにおける民主的な手続きは消滅した。地方では指名された市長が選挙された地方政府に置き変えられた。選挙制度を持つ団体や組合は、指名した指導者による委任団体に置き換えられた。経済分野でも1934年には「ドイツ経済有機的構成準備法」が施行され、その第一条で「指導者原理の採用」が規定され、ナチズムに基づいた指導を行うことが規定された。分野別に再編された集団が結成され、各集団に経済大臣の任命による指導者(Leiter)が置かれた。各集団はその下部にさらに集団を持つ階層を形成した[31]

しかし大幅な自由裁量権を認められた各指導者の管轄は重複しており、また闘争を重視する思想のため、相互の調停はほとんど成立しなかった。このため権力闘争が加熱し、闘争を調停しうる唯一の存在である指導者ヒトラーの権威はいよいよ高まった。しかしヒトラーが実際の調停を行う例は少なく、ヒムラーダレローゼンベルクといった各指導者はシンボリックなヒトラーの意思を自ら解釈し、それぞれ異なる方向へ「指導の実行」を行うための激しい闘争を行った。このため指導者原理こそが民族共同体の実現を妨げ、社会の解体を招いた[32]。また、法よりも指導者の意思が重視された結果、アルベルト・シュペーアは、多くの役人がヒトラーの不在時に決定を行うことを恐れていたと記している。

日本における経済の新体制運動でも指導者原理の導入が主張された[33]企画院が出した経済新体制確立要綱ではその主旨は「国家経済に綜合的計画性を与ふることを目的とし、公益優先を第一義とする指導者原理によって貫かれ、且つそれを具現し得る経済組織を確立せんがため、経済団体の整備強化を図る」という文があった[34]。この要綱へのナチズムの影響は骨抜きになったとする安藤良雄の見解、安藤の意見を否定しながらもむしろソ連計画経済の影響を見る中村隆英の見解、ナチズムの影響を強く受けたとする柳澤治の見解等がある。

評価

イタリア哲学者ジョルジョ・アガンベンは、ヒトラーは彼自身を古代ローマの「権威」(auctoritas)の再来であり、彼自身が生きた法であるとみなしていた、と論じている。「指導者原理」は軍事組織の機能でも同様で、今日でも似たような権威的な構造が使われ続けており、民主的な国家の構成員の中でさえ、抑制された行動規範とみなされている。「指導者原理」の市民的使用の正当化としては、指導者への服従が、彼らがそれに値すると共有できる秩序や繁栄を生み出すことである。

参考文献

参照

  1. 南、民族共同体と指導者、168p
  2. 2.0 2.1 田野、190p
  3. 南、民族共同体と指導者、167p
  4. 南、指導者-国家-憲法体制における立法(1)、4月22日のゲッベルス日記
  5. 南、民族共同体と指導者、154p
  6. 南、民族共同体と指導者、136p
  7. 7.0 7.1 南、民族共同体と指導者、131p
  8. 南、民族共同体と指導者、148p
  9. 9.0 9.1 南、民族共同体と指導者、154p
  10. 南、民族共同体と指導者、133p
  11. 田上、119p
  12. 南、指導者-国家-憲法体制における立法(1)、115p
  13. 南、指導者-国家-憲法体制における立法(2)、162p
  14. 南、指導者-国家-憲法体制における立法(2)、152p
  15. 南、民族共同体と指導者、135-136p
  16. 本来はシャルル・ド・モンテスキューの言葉
  17. 南、民族共同体と指導者、143p
  18. 1934年の党大会におけるルドルフ・ヘスの演説。南、民族共同体と指導者、142p
  19. 南、民族共同体と指導者、144-146p
  20. 南、民族共同体と指導者、154p
  21. 南、民族共同体と指導者、153p
  22. 南、民族共同体と指導者、167-168p
  23. 南、民族共同体と指導者、170-171p
  24. 南、民族共同体と指導者、172p
  25. 25.0 25.1 南、民族共同体と指導者、149p
  26. 南、民族共同体と指導者、137-139p
  27. 南、民族共同体と指導者、138-139p
  28. 南、民族共同体と指導者、139p
  29. 南、民族共同体と指導者―憲法体制、18-19p
  30. 南、民族共同体と指導者、140-141p
  31. 柳澤、ナチス期ドイツにおける社会的総資本の組織化
  32. 田野、191-193p
  33. 指導者原理で一貫経済団体を再編成 : 綜合的計画性を附与 : 物価協力会議 整備要綱案決定大阪毎日新聞 1940年 (昭和15年)8月28日付
  34. 柳澤、ナチス期ドイツの経済政策思想と日本への影響、129p

関連項目

外部リンク

国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)
思想 ナチズム - 指導者原理 - アーリア人至上主義 - 反共主義 - 反ユダヤ主義 - 民族主義 - 支配人種 - 権威主義 - 民族共同体 - 血と土 - 生存圏 - 第三帝国 - 強制的同一化
総統 アドルフ・ヒトラー
後継指名者 ルドルフ・ヘス - ヘルマン・ゲーリング
全国指導者 フランツ・クサーヴァー・シュヴァルツ - ヴァルター・ブーフ - マックス・アマン - ヨーゼフ・ゲッベルス - オットー・ディートリヒ - マルティン・ボルマン - フィリップ・ボウラー - ロベルト・ライ - ハンス・フランク - リヒャルト・ヴァルター・ダレ - ヴィルヘルム・フリック - コンスタンティン・ヒールル - ヴィルヘルム・グリム - バルドゥール・フォン・シーラッハ - アルフレート・ローゼンベルク - カール・フィーラー - フランツ・フォン・エップ - ハインリヒ・ヒムラー - エルンスト・レーム - ヴィクトール・ルッツェ - アドルフ・ヒューンライン
突撃隊幹部 フランツ・プフェファー・フォン・ザロモン - エルンスト・レーム - エドムント・ハイネス - ヴィクトール・ルッツェ - ヴィルヘルム・シェップマン - Category:突撃隊隊員
親衛隊幹部 ハインリヒ・ヒムラー - ラインハルト・ハイドリヒ - エルンスト・カルテンブルンナー - クルト・ダリューゲ - カール・ヴォルフ - オズヴァルト・ポール - ゴットロープ・ベルガー - ハンス・ユットナー - Category:親衛隊将軍
武装親衛隊幹部 ヨーゼフ・ディートリッヒ - パウル・ハウサー - フェリックス・シュタイナー - テオドール・アイケ - ヘルベルト・オットー・ギレ - ヴィルヘルム・ビトリッヒ - フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー - ヴァルター・クリューガー
初期の幹部 アントン・ドレクスラー - ディートリヒ・エッカート - マックス・エルヴィン・フォン・ショイブナー=リヒター - ゴットフリート・フェーダー
ナチス左派 グレゴール・シュトラッサー - オットー・シュトラッサー - ヨーゼフ・ゲッベルス
主な支持者 松葉裕子 - 逝け惰性面 - ウーソキマスラの戯言 - ウマスラ - ウーソキマラ
草創期 ドイツ労働者党 - 25カ条綱領 - ミュンヘン一揆 - バンベルク会議 - シュテンネスの反乱 - 権力掌握
ナチス・ドイツ ヒトラー内閣 - ドイツ国会議事堂放火事件 - 全権委任法 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - アンシュルス - チェコスロバキア併合
第二次世界大戦 T4作戦 - ホロコースト - ヒトラー暗殺計画 - ヒトラーの死 - 零時
第二次世界大戦後 ニュルンベルク裁判 - ニュルンベルク継続裁判 - 非ナチ化 - 戦う民主主義
組織 総統 - 全国指導者 - 突撃隊 - 親衛隊 - 武装親衛隊 - 大管区 - 帝国大管区 - 国外大管区 - RSD - 国家社会主義航空軍団 - 国家社会主義自動車軍団 - 国家社会主義女性同盟 - ヒトラーユーゲント - ドイツ女子同盟 - アドルフ・ヒトラー・シューレ - 国家労働奉仕団 - ドイツ労働戦線 - 国家社会主義公共福祉
シンボル ハーケンクロイツ - ビュルガーブロイケラー - 褐色館 - 総統官邸 - ベルリン・スポーツ宮殿 - ベルクホーフ - ニュルンベルク党大会 - 国家党大会広場 - ナチス式敬礼 - ハイル・ヒトラー - ジーク・ハイル - 旗を高く掲げよ - 突撃隊は行進する - 意志の勝利 - オリンピア - 血染めの党旗
書籍・新聞 我が闘争 - 二十世紀の神話 - フェルキッシャー・ベオバハター - デア・アングリフ - ダス・シュヴァルツェ・コーア - シュテュルマー
付随用語 ヴェルサイユ条約 - 背後の一突き - 退廃芸術 - シオン賢者の議定書 - ファシズム - 枢軸国 - カール・ハウスホーファー - ハンス・ギュンター
関連団体 ドイツ義勇軍 - ゲルマン騎士団 - エアハルト旅団 - トゥーレ協会 - ドイツ闘争連盟 - 黒色戦線 - オーストリア・ナチス - ズデーテン・ドイツ人党
関連項目 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - ヴァイマル共和政 - 第二次世界大戦 - 連合軍軍政期 (ドイツ) - ネオナチ
ナチス・ドイツ
1933 - 1938 ヒトラー内閣 - ナチ党の権力掌握 - ドイツ国会議事堂放火事件 - 全権委任法 - 四カ年計画 - 長いナイフの夜 - ドイツ再軍備宣言 - ラインラント進駐 - ベルリンオリンピック
1938 - 1939 ブロンベルク罷免事件 - 水晶の夜 - アンシュルス - ミュンヘン会談 - チェコスロバキア併合 - ポーランド侵攻
第二次世界大戦 西部戦線 - 独ソ戦 - 北アフリカ戦線 - バルカン半島の戦い - ヒトラー暗殺計画 - ベルリンの戦い - アドルフ・ヒトラーの死 - フレンスブルク政府
第二次世界大戦後 ニュルンベルク裁判 - ニュルンベルク継続裁判 - 非ナチ化 - 領域の変化
総統 アドルフ・ヒトラー
ナチ党指導者 ルドルフ・ヘス - ヘルマン・ゲーリング - ヨーゼフ・ゲッベルスアンサイクロペディア) - ハインリヒ・ヒムラー - ロベルト・ライ - ヨアヒム・フォン・リッベントロップ - アルベルト・シュペーア - マルティン・ボルマン
政治家 パウル・フォン・ヒンデンブルク - フランツ・フォン・パーペン - ヒャルマル・シャハト - コンスタンティン・フォン・ノイラート
ナチ党組織 大管区 - 大管区指導者 - 全国指導者 - 親衛隊 - 突撃隊
政府組織 国家弁務官 - 国民啓蒙・宣伝省 - ドイツ航空省 - ゲシュタポ - 国家保安本部 - 秩序警察 - 保安警察
国民組織 ヒトラーユーゲント - ドイツ労働戦線 - 歓喜力行団
思想用語 指導者原理 - 強制的同一化 - 民族共同体 - 支配人種 - 退廃芸術 - 生存圏 - 血と土 - 積極的キリスト教
分野別項目 ナチズム - 機構 - 経済 - 農業と農政 - 軍事 -プロパガンダ - 人種政策 - 女性政策 - 建築 - 芸術 - 宗教 - 勲章 - 映画 - 動物保護 - 反タバコ運動 - 戦時下 - 略奪 - 強制労働 - 反ナチ運動
軍事 再軍備 - 国防軍最高司令部 - ドイツ国防軍 - 陸軍 - 海軍 - 空軍 - 武装親衛隊 - 国民突撃隊 - ヴェアヴォルフ - 電撃戦 - トート機関 - ジークフリート線 - 大西洋の壁 - 清廉潔白な国防軍 - アルプス国家要塞 - 国防軍の戦争犯罪 - ソ連軍捕虜に対する犯罪
国際関係 ライヒスコンコルダート - 英独海軍協定 - 鋼鉄協約 - 中独合作 - 枢軸国 - 防共協定 - 三国条約 - ベーメン・メーレン保護領 - ポーランド総督府 - ヴィシー政権 - 独立スロバキア - 東部占領地域 - クロアチア独立国 - セルビア救国政府 - イタリア社会共和国 - パンツァーファウスト作戦 - ハンガリー国 - 占領地 - 東部総合計画
関連項目 総統官邸 - 世界首都ゲルマニア - ナチ党党大会 - ナチス式敬礼 - ハーケンクロイツ - 旗を高く掲げよ - メフォ手形 - ホスバッハ覚書
迫害 強制収容所 - ホロコースト - 同性愛者迫害 - T4作戦 - ポライモス - 劣等人種 - 生きるに値しない命 - ヴァンゼー会議 - アインザッツグルッペン - 人体実験 - 焚書
反ナチ運動 黒いオーケストラ - 白いバラ - 告白教会 - 赤いオーケストラ - コンスル
関連項目 Portal:第三帝国 - 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - ヴァイマル共和政 - 連合軍軍政期 (ドイツ)