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大塚 英志おおつか えいじ、男性、1958年8月28日 - )は、日本の評論家小説家漫画原作者編集者。妻は漫画家作家白倉由美

略歴[編集]

東京都田無市(現西東京市)生まれ。筑波大学第一学群人文学類卒。大学では日本民俗学を専攻した。当初は研究者を目指したが、師と仰ぐ宮田登に口頭試問で「君の発想はジャーナリスティックすぎて学問には向かない」と引導を渡されて大学院への進学を断念。

高校時代にはギャグ漫画家としてデビューを果たす。その後、学生時代は「大塚えいじ」のペンネームで漫画同人集団「作画グループ」に所属。同人誌『GROUP』創刊号(1978)にギャグ漫画『トマト殺人事件』を掲載。

卒業後、漫画家の沢田ユキオと雑誌『リュウ』、『プチアップルパイ』(徳間書店)の編集長をアルバイトの身分のまま務める。アルバイト編集者として石森章太郎の担当を一ヶ月ほど務め、この時にまんがのネームの見方について石森章太郎から徹底的に指導された。

アルバイト編集者から正社員編集者となり、その後フリーの編集者として漫画誌漫画ブリッコ』(セルフ出版発行)の編集長を務めた。この雑誌は現在のコアマガジン発行の漫画雑誌の源流にあたる。ここで「大塚某」という記者名で寄稿した多くの発言が、後の評論家としての大塚の基礎を作った。編集者としては、岡崎京子白倉由美藤原カムイ田島昭宇あぽかがみあきらなどの漫画家をこの雑誌で発掘したことが業績とされている。また、1985年に創刊された『月刊少年キャプテン』(徳間書店発行、1997年2月号にて休刊)では、『強殖装甲ガイバー』の初代編集者を務めた。

同時に、まんが原作者としての仕事も多く、本人もこれをもって本業と称している。代表作としては『多重人格探偵サイコ』『木島日記』など。これらの作品は自らノベライズもしている。

この一方で、学者としてのキャリアは断念した都市民俗学においても執筆活動を行い、『少女民俗学』『物語消費論』『人身御供論』などを上梓。サブカルチャーに詳しい評論家として、論壇で一定の地位を得る。とくに、1988年から1989年にかけて起きた東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件では、サブカルチャー文化が事件を誘発したかのように決め付ける風潮に異議を唱え、「(犯人の)彼が部屋に蓄えた6000本のビデオテープをもって、彼が裁かれるのであれば僕は彼を弁護する」と発言。実際に一審の弁護側証人を務めた(ただし公判初期のみのことであり、“後年はほぼ「ほったらかし」にしていた”と大月隆寛は皮肉っている)。本業の関係上、漫画に関する評論が特に多くサントリー学芸賞を受賞した『戦後まんがの表現空間』などがあるが、『サブカルチャー文学論』のような文芸評論、『彼女たちの連合赤軍』のようなフェミニズム論、『サブカルチャー反戦論』のような戦後民主主義を論じた評論など、多彩かつ旺盛な執筆活動を続けている。

1980年代末より私大の非常勤講師を歴任。 2006年4月に神戸芸術工科大学先端芸術学部メディア表現学科教授に就任。

2005年から文学コミックフィギュアなどジャンルを超えて展開しているギャラリーHapworth16の運営に携わっている。

評価[編集]

サブカルチャーの実作者の立場から続けてきた論評に対しては一定の評価が与えられている。江藤淳などは大塚を早くから認めて文芸評論を書かせた。ただし、論壇では派閥を組まないこと、編集者とも衝突が多く、エキセントリックな発言が多いことなどから、異端視されている部分がある。

社会学者ジャン・ボードリヤールの影響を受けた『物語消費論』などの論にはたとえば佐藤亜紀が岩波書店『現代世界への問い(筒井康隆編)』内にて批判している。また大塚は時として文学作品の商品的価値を実も蓋も無くあげつらうために、純文学者からの反発を誘発し、とくに笙野頼子とは激烈な論争状態になった(純文学論争)。


小説[編集]

原作を手がけた漫画のノベライズが多い。

漫画原作[編集]

絵本[編集]

評論[編集]

単著[編集]

  • 『「まんが」の構造――商品・テキスト・現象』(弓立社, 1987年)
  • 『システムと儀式』(本の雑誌社, 1988年)
  • 『物語消費論――「ビックリマン」の神話学』(新曜社, 1989年)
  • 『少女民俗学――世紀末の神話をつむぐ「巫女の末裔」』(光文社, 1989年)
  • 『子供流離譚――さよなら〈コドモ〉たち』(新曜社, 1990年)
  • 『見えない物語――「騙り」と消費』(弓立社, 1991年)
  • 『たそがれ時に見つけたもの――『りぼん』のふろくとその時代』(太田出版, 1991年)
  • 『物語治療論――少女はなぜ「カツ丼」を抱いて走るのか』(講談社, 1991年)
  • 『「癒し」としての消費』(勁草書房, 1991年)
  • 『仮想現実批評――消費社会は終わらない』(新曜社, 1992年)
  • 『人身御供論――供犠と通過儀礼の物語』(新曜社, 1994年)
  • 『戦後まんがの表現空間――記号的身体の呪縛』(法蔵館, 1994年)-第16回サントリー学芸賞受賞作品
  • 『戦後民主主義の黄昏――わたしたちが失おうとしているもの』(PHP研究所, 1994年)
  • 『「彼女たち」の連合赤軍――サブカルチャーと戦後民主主義』(文藝春秋, 1996年)
  • 『物語の体操――みるみる小説が書ける6つのレッスン』(朝日新聞社, 2000年)
  • 『サブカルチャー反戦論』(角川書店, 2001年)
  • 『戦後民主主義のリハビリテーション――論壇でぼくは何を語ったか』(角川書店, 2001年)
  • 『江藤淳と少女フェミニズム的戦後――サブカルチャー文学論序章』(筑摩書房, 2001年)
  • 『キャラクター小説の作り方』(講談社[講談社現代新書], 2003年/角川書店[角川文庫],2006年)
  • 『アトムの命題――手塚治虫と戦後まんがの主題』(徳間書店, 2003年)
  • 『少女たちの「かわいい」天皇――サブカルチャー天皇論』(角川書店, 2003年)
  • 『「おたく」の精神史――1980年代論』(講談社[講談社現代新書], 2004年/朝日新聞社[朝日文庫], 2007年)
  • 『サブカルチャー文学論』(朝日新聞社, 2004年/朝日文庫, 2007年)
  • 『物語消滅論――キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』(角川書店, 2004年)
  • 『「伝統」とは何か』(筑摩書房[ちくま新書], 2004年)
  • 『憲法力――いかに政治のことばを取り戻すか』(角川書店, 2005年)
  • 『更新期の文学』(春秋社, 2005年)
  • 『初心者のための「文学」』(角川書店, 2006年)
  • 『村上春樹論――サブカルチャーと倫理』(若草書房, 2006年)
  • 『「捨て子」たちの民俗学――小泉八雲と柳田國男』(角川学芸出版, 2006年)
  • 『怪談前後――柳田民俗学と自然主義』(角川学芸出版, 2007年)
  • 『公民の民俗学』(作品社, 2007年)

共著[編集]

  • 荷宮和子)『クマの時代――消費社会をさまよう者の「救い」とは』(光文社, 1993年)
  • 吉本隆明)『だいたいで、いいじゃない。』(文藝春秋, 2000年)
  • 福田和也)『最後の対話――ナショナリズムと戦後民主主義』(PHP研究所, 2001年)
  • ササキバラ・ゴウ)『教養としての「まんが・アニメ」』(講談社[講談社現代新書], 2001年)
  • 富野由悠季上野俊哉、ササキバラ・ゴウ)『戦争と平和』(徳間書店, 2002年)
  • 大澤信亮)『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』(角川書店[角川oneテーマ], 2005年)

編著[編集]

  • 『少女雑誌論』(東京書籍, 1991年)
  • 『私たちが書く憲法前文』(角川書店, 2002年)
  • 『「私」であるための憲法前文』(角川書店, 2003年)
  • 『読む。書く。護る。――「憲法前文」のつくり方』(角川書店, 2004年)

雑誌編集[編集]

  • 漫画ブリッコ
  • プチアップルパイ
  • いけないcomic
  • リュウ(後期)
  • 月刊少年キャプテン
  • COMIC BOX Jr.(初期)
  • 新現実(不定期刊。2号までは東浩紀とともに責任編集、3号は単独で責任編集)
  • comic新現実 
  • 月刊Comicリュウ(comic新現実vol,6で編集に携わるかのように言っていた。が、創刊号の奥付に名前がない)

ラジオ[編集]

関連項目[編集]

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