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小田原市(おだわらし)は、神奈川県西部の市である。国から特例市に指定されている。
目次
概要[編集]
戦国時代には後北条氏の城下町として栄えた。また、北条早雲から北条氏直まで北条五代の隆盛を影で支えたという風魔忍者の里。江戸時代には小田原藩の城下町、東海道小田原宿の宿場町として盛えた。箱根峠より東側の宿場町として、現在も箱根観光の拠点都市である。1876年(明治9年)4月17日までは、現在の神奈川県西部と静岡県伊豆半島を範囲とする足柄県の県庁所在地でもあった。西湘地域の中心的な都市である。
小田原ちょうちんとかまぼこの特産地として全国的に有名である。最近では小田原バーガーや小田原どんを売り出している。
一時期は東京のベッドタウン化したとも言われたが、長期不況で人口動態が減少に転じた。一時は20万人を超えた人口も20万を割り込み、新幹線通勤定期代に対する補助制度を設けるなど人口確保のための政策を実施している(ただし、2008年(平成20年)3月31日までに転入した対象者をもって新規受付は終了)。また駅周辺の再開発、および郊外での住宅、都市開発も少しずつ進んでいる。
地理[編集]
神奈川県のほぼ南西端に位置し、酒匂川の流れる足柄平野を中心に、東は大磯丘陵の南西端である曽我丘陵と呼ばれる丘陵に、西は箱根に連なる火山の外輪山の跡である山地となっている。南は相模湾に面し、遠浅の海に小漁港が点在している。
沖合いには、関東大震災の震源地となった相模トラフが伸びている為、地震対策に力が入れられている。
気候は太平洋側気候の地域で、四季を通じて温暖ではあるが、冬場は海側から風が吹き込む。
歴史[編集]
古代[編集]
先史時代の小田原の中里遺跡は、縄文人と渡来人が共存共栄した数少ない遺跡(地域)として知られ、人口比率は縄文人が多かったと考えられているが、他の地域と違い、点々と存在した渡来人のみの小規模の集落ではなく、縄文人と共存した大集落であった。また、縄文文化と渡来文化の境界の東端であったとも考えられ、日本の文化人類学や考古学において貴重な資料を提供している。
古代の相模国足下郡(あしがらのしものこおり)の地である。古名を「こゆるぎ」といい、「小由留木」「淘陵」などの字が宛てられた。「小田原」という地名は、「小由留木」の草書体を読み間違えたものという説がある。市内千代にあった千代廃寺は相模国国府とも足柄下郡郡衙の所在地といわれる。
中世[編集]
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、平将門を討伐したことで有名な藤原秀郷の子孫・佐伯経範が1030年(長元3年)頃に秦野に移り住んで波多野氏を名乗った。後に支流として、松田氏・渋沢氏・河村氏・栢山氏・大友氏・沼田氏などが出て、相模西北部にその一族の勢力を伸ばす。現在の秦野市内、足柄上郡松田町・山北町、南足柄市、小田原市の一部。波多野城は一族の居館である。波多野城のあった田原の、その支城として「小田原」が設置されたと言う説もある。
平安時代の末期1180年(治承4年)に、蛭ヶ小島(伊豆国)で挙兵した源頼朝と平家方の大庭景親らとの、石橋山の戦いが行われた。
戦国時代[編集]
戦国時代には伊勢平氏流を称する北条早雲が小田原城を奪取し、その子孫である後北条氏は小田原城を中心に関東一円に台頭し、鎌倉府足利氏、関東管領上杉氏、常陸国守護佐竹氏、下野国国司宇都宮氏、その他関東八屋形に列せられた諸氏による当時の関東の統治体制を転覆した。なお、下野国守護小山氏は後北条氏により滅亡に追い込まれた。
近世[編集]
1590年(天正18年)、豊臣秀吉の小田原征伐による後北条氏の滅亡と徳川家康の江戸入府によって、小田原は歴史の表舞台から姿を消す。家康が関東を治めるようになった後は、部下の大久保氏が小田原に入った。
また後北条氏が滅亡するまで、皮革業に独占的な権益を持ち、関東一円のある一定の人々を支配し勢力を誇った小田原太郎左衛門の本拠地があった。後北条氏が発給した判物が現存している。
江戸時代[編集]
江戸時代には東国の要衝として、譜代大名を領主とする小田原藩が置かれ、小田原はその城下町となった。1686年(貞享3年)以降は代々大久保氏の城下町となった。城下町・小田原は東海道の沿線であり、小田原宿は箱根の山越えを控えた宿場として東海道五十三次中最大の規模を誇った。又、小田原郊外の栢山(かやま)は、農政家・二宮尊徳の生地として有名である。
近代[編集]
1871年(明治4年)8月29日の廃藩置県によって、小田原藩は小田原県となった。同年末の県合併により、相模川以西の旧相模国と旧伊豆国全域を管轄区域とする足柄県が設置され、県庁が小田原に置かれた。しかし1876年(明治9年)に足柄県は分割され、小田原を含む相模国部分は神奈川県に、伊豆国部分は静岡県となり、小田原は県庁所在地ではなくなった。神奈川県となった後に設置された支庁も、間もなく廃止されたが、1878年(明治11年)の郡区町村編制法によって足柄下郡が編制されると、足柄下郡の郡役所が小田原に置かれた。
東海道本線は当初、小田原~熱海~沼津間の急鋭地帯を避けるために現在の御殿場線経路で敷設された。その後、小田原経由の路線として、小田原馬車鉄道という馬車鉄道が1888年(明治21年)に開通したのを皮切りに、熱海線(現在の東海道本線)・小田原急行鉄道(現在の小田急電鉄)なども開通した。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災では、直下が震源地だったために激しい被害を受けた。 1934年(昭和9年)の丹那トンネル開通で、東海道本線はやっと小田原市街地を通るようになった。 この辺は吉村昭の小説『闇を裂く道』(文春文庫)に詳しい。 1945年(昭和20年)8月15日、熊谷市と並び、太平洋戦争最後の空襲を受ける。 戦後、1951年11月28日に「小田原大火」が発生し市街地300戸あまりを全焼。 1964年(昭和39年)には東海道新幹線も開通し、東京・横浜への所要時間も大きく縮んだ。
行政[編集]
行政区域の変遷(市制施行以後)[編集]
- 1940年(昭和15年)12月20日 足柄下郡小田原町・足柄町・大窪村・早川村・酒匂村の一部(網一色・山王原地区)が合併して小田原市が発足
- 1948年(昭和23年)4月1日 下府中村(しもふなかむら)を編入
- 田島村が国府津町に編入
- 1950年(昭和25年)12月18日 足柄上郡桜井村を編入
- 1954年(昭和29年)7月15日 豊川村を編入
- 1954年(昭和29年)12月1日 国府津町・酒匂町・上府中村(かみふなかむら)・下曽我村・片浦村と合併
- 1956年(昭和31年)4月1日 足柄上郡曽我村から西大井・上大井を除く地区を編入
- 1971年(昭和46年)4月1日 橘町を編入
- 2000年(平成12年)11月1日 特例市に指定される
- 2007年(平成19年)2月8日 県西地域2市8町合併検討会発足
子育て世帯架空登録、児童手当だまし取った主事(2014年4月)[編集]
神奈川県小田原市は7日、架空の子育て世帯を市のシステムに登録し、児童手当約1360万円をだまし取ったとして、子育て政策課の男性主事(30)を同日付で懲戒免職にしたと発表した。
市の調査に対し、主事は不正行為を認め、全額返済する意思を示しているという。
市は近く、電子計算機使用詐欺で小田原署に刑事告発する。また、監督責任を怠ったとして、担当部課長ら6人を減給10分の1(1~2か月)の処分とし、加藤憲一市長と加部裕彦副市長も減給10分の1(4か月)とする方針。
児童手当の認定システムの担当者だった主事は2011年6月以降、実在しない3世帯分の受給者をシステムに登録。自分の口座を振込先に指定し、2014年3月までに計50回にわたり児童手当をだまし取っていた。でっち上げた3世帯の中には、6人の子供がいると設定していたものもあった。
主事は受給者向けの支払い通知書を発送前に抜き取り、ほかの職員が関与する現況届のチェック時には「架空名義はテストに用いるダミーデータ」などとウソの説明をして不正を隠していた。2014年3月31日、同じ担当の後輩職員が不審なデータに気づき、上司に報告して発覚した。
主事は2010年4月採用で同課に配属。翌年から同システムの主担当になり、その2か月後から不正を繰り返していた。だまし取った児童手当は親族から借りた自宅新築費の返済や生活費などに使っていたと説明している。
歴代首長[編集]
- 初代市長:益田信世(ますだ のぶよ、小田原三茶人の一人、益田孝の次男、任期:1941年(昭和16年)3月27日 - 1944年(昭和19年)5月7日)
- 第2代市長:鈴木英雄(すずき ひでお、任期:1944年(昭和19年)6月13日 - 1946年(昭和21年)4月11日)
- 第3・4代市長:佐藤謙吉(さとう けんきち、任期:1946年(昭和21年)6月14日 - 1948年(昭和23年)12月27日)
- 第5〜9代市長:鈴木十郎(すずき じゅうろう、元歌舞伎座支配人、任期:1949年(昭和24年)2月20日 - 1969年(昭和44年)2月17日)
- 第10〜13代市長:中井一郎(なかい いちろう、任期:1969年(昭和44年)2月18日 - 1985年(昭和60年)2月17日)
- 第14・15代市長:山橋敬一郎(やまはし けいいちろう、任期:1985年(昭和60年)2月18日 - 1992年(平成4年)4月1日)
- 第16〜19代市長:小澤良明(おざわ よしあき、任期:1992年(平成4年)5月24日 - 2008年(平成20年)5月23日)
- 第20~21代市長:加藤憲一(かとう けんいち、任期:2008年(平成20年)5月24日 - )
行政機構[編集]
財政[編集]
当初予算規模(2004年度)
- 602.50億円(一般会計)
- 696.19億円(特別会計)
市議会[編集]
会派の構成[編集]
会派名 | 議席数 | 代表者 |
---|---|---|
誠和 | 5 | 大村学(おおむら まなぶ) |
光政会 | 5 | 木村正彦(きむら まさひこ) |
公明党 | 4 | 今村洋一(いまむら よういち) |
新生クラブ | 3 | 井原義雄(いはら よしお) |
未来・おだわら | 3 | 横田八郎(よこた はちろう) |
日本共産党 | 3 | 関野隆司(せきの たかし) |
志民の会 | 3 | 細田常夫(ほそだ つねお) |
無会派 | 1 | 木村信市(きむら しんいち) |
都道府県議会議員[編集]
2007年(平成19年)4月実施の県議会議員選挙から小田原市の議員定数は-1の2議席となった。
指定金融機関[編集]
市以外の行政機関[編集]
国家機関[編集]
- 小田原税務署
- 小田原拘置支所
- 小田原少年院
- 関東農政局神奈川統計情報事務所小田原出張所
- 関東地方整備局横浜国道事務所小田原出張所
- 横浜地方検察庁小田原支部
- 小田原区検察庁
- 横浜地方法務局小田原支局
- 横浜保護観察所小田原駐在官事務所
- 小田原労働基準監督署
- 小田原公共職業安定所
神奈川県の機関[編集]
- 西湘地区行政センター
- 小田原警察署
- 小田原県税事務所
- 小田原児童相談所
- 小田原保健福祉事務所
- 温泉地学研究所
- 酒匂川下水道整備事務所
- 神奈川県産業技術総合研究所工芸技術センター
- 神奈川県広域水道企業団
- 神奈川県広域水道企業団曽我ポンプ場
- 酒匂川流域下水道扇町管理センター
- 酒匂川流域下水道酒匂管理センター
- 水産総合研究所相模湾試験場
- 農業総合研究所根府川試験場
- 西部漁港事務所
裁判所[編集]
土木[編集]
- 小田原土木事務所
- 国土交通省横浜国道工事小田原出張所
- 中日本高速道路株式会社東京支社小田原保全・サービスセンター
公庫[編集]
- 国民生活金融公庫小田原支店
経済[編集]
年間商品販売額(万円)(2004年)
- 45,899,952 (神奈川県全体の2.36%=県内第9位)
小売業売場面積(m²)(2004年)
- 255,513 (神奈川県全体の3.63%=県内第7位)
製造品出荷額(百万円)(2004年)
- 834,130 (神奈川県全体の4.49%=県内第7位)
農業産出額(千万円)(2004年)
- 427 (神奈川県全体の5.61%=県内第5位)
耕地面積(ha)(2004年)
- 1,980 (神奈川県全体の9.34%=県内第2位)
産業[編集]
市内の主な企業[編集]
- 本社
- 拠点
|
- 温暖な気候により、山地の斜面を利用したミカン栽培も盛んであったが、近年は減反政策がとられ、その代替産業として、橘地区に西湘テクノパークが造成された。
漁業[編集]
農業[編集]
商業[編集]
- 小田原駅周辺
|
- 鴨宮駅周辺
|
- かつてあった商業施設
地元に本店を置く百貨店、志澤が県内、藤沢、本厚木、平塚などに店を構えていたが、西武百貨店の傘下になり、その後、低迷を続け、現在では全面的に撤退をしている。小田原駅近くの志澤ビルのあった場所には万葉の湯(万葉倶楽部)が建てられている。なお、西武百貨店自体は、2013年3月1日に旧ロビンソン百貨店の業態転換により久々に小田原市に存在することになった。
また、小田原駅前には丸井が出店し、小田原駅東口ロータリーの地下に地下街「小田原地下街(後年、「アミーおだちか」に名称変更)」が設けられていたが、前者は2000年代前半に撤退し、後者は2007年(平成19年)に閉鎖されている。
姉妹都市・友好都市[編集]
学校[編集]
小学校[編集]
- 小田原市立三の丸小学校
- 小田原市立新玉小学校
- 小田原市立足柄小学校
- 小田原市立芦子小学校
- 小田原市立大窪小学校
- 小田原市立早川小学校
- 小田原市立山王小学校
- 小田原市立町田小学校
- 小田原市立久野小学校
- 小田原市立富水小学校
- 小田原市立下府中小学校
- 小田原市立桜井小学校
- 小田原市立千代小学校
- 小田原市立下曽我小学校
- 小田原市立国府津小学校
- 小田原市立酒匂小学校
- 小田原市立片浦小学校
- 小田原市立曽我小学校
- 小田原市立東富水小学校
- 小田原市立矢作小学校
- 小田原市立報徳小学校
- 小田原市立豊川小学校
- 小田原市立富士見小学校
- 小田原市立前羽小学校
- 小田原市立下中小学校
- 湘南ライナス学園小学部(2012年3月31日閉校)
中学校[編集]
- 公立
- 小田原市立城山中学校
- 小田原市立白鴎中学校
- 小田原市立白山中学校
- 小田原市立城南中学校
- 小田原市立鴨宮中学校
- 小田原市立千代中学校
- 小田原市立国府津中学校
- 小田原市立酒匂中学校
- 小田原市立泉中学校
- 小田原市立城北中学校
- 小田原市立橘中学校
- 私立
高等学校[編集]
- 私立
特別支援学校[編集]
- 神奈川県立小田原養護学校
短期大学[編集]
大学[編集]
- 関東学院大学(小田原キャンパス)
- 法学部
- 国際医療福祉大学(小田原キャンパス)
- 小田原保健医療学部
- 看護学科、理学療法学科、作業療法学科
- 小田原保健医療学部
- 小田原市では、「小田原市奨学生制度(高等学校奨学生)」という奨学金制度がある。
施設[編集]
ホール・集会場[編集]
- 小田原市民会館大ホール/小ホール
- 小田原城下町ホール(仮)建設予定
- 小田原市立川東タウンセンターマロニエ
- 中央公民館
- 小田原市梅の里センター
- 小田原市梅の里センター分館曽我みのり館
図書館[編集]
- 小田原市立図書館
- 小田原市立かもめ図書館
- 小田原市立マロニエ図書館
博物館[編集]
- 小田原市郷土文化館
- 小田原市郷土文化館別館 松永記念館
- 尊徳記念館
- 神奈川県立生命の星・地球博物館
- 小田原城歴史見聞館
- はこね・おだわら昆虫館
美術館[編集]
公民館[編集]
- 中央公民館
- 国府津公民館
医療施設[編集]
- 小田原市立病院
- 国立印刷局小田原病院
- 国立病院機構箱根病院
- 山近記念総合病院
- 杏林堂クリニック(林病院)
- 小田原循環器病院
- 間中病院
- 小澤病院
- 西湘病院
- 小林病院
- 丹羽病院
- 曽我病院
- 国府津病院
- 休日診療所
- 小田原市立保健センター
メディア[編集]
新聞[編集]
- 神奈川新聞県西総局・小田原市役所記者クラブ
- 読売新聞小田原市役所記者クラブ
- 朝日新聞小田原市役所記者クラブ
- 毎日新聞小田原市役所記者クラブ
- 産経新聞小田原市役所記者クラブ
- 東京新聞(中日新聞)小田原市役所記者クラブ
- 共同通信小田原市役所記者クラブ
- 神静民報
テレビ[編集]
ラジオ[編集]
- NHK横浜放送局小田原通信部
- アール・エフ・ラジオ日本小田原放送局
- FM小田原
- 小田原市内ではラジオ日本(小田原中継局 1485Khz)とFm yokohama(小田原中継局 80.4Mhz)が中継局を置いている。また関東広域圏のTBSラジオ(954Khz)・文化放送(1134Khz)・ニッポン放送(1242Khz)の他、千葉県のbay fm(千葉本局 78.0Mhz)、静岡県のSBS静岡放送(熱海中継局 1557Khz)とK-MIX(熱海中継局 83.0Mhz)も市街地では良好に受信出来る。
交通[編集]
古くより、交通の要衝として栄え、現在でも小田原駅は数多くの路線が乗り入れるターミナル駅である。80km離れた東京へは、新幹線・在来線・私鉄路線で結ばれている。なお、小田原市鴨宮は東海道新幹線の開業前に実験線(鴨宮モデル線区、現在は新幹線の路線の一部となっている)が建設された、新幹線発祥の地である。一方道路は近年整備が進んだものの、地理的に箱根や伊豆方面から、東京や横浜に向かう交通が市内で輻輳するため、行楽シーズンの休日は市内の各道路で大渋滞が発生することがある。
鉄道路線[編集]
- 中央駅:小田原駅
1956年(昭和31年)までは、路面電車として箱根登山鉄道の小田原市内線も存在した。また1896年(明治29年) - 1922年(大正11年)には、人車鉄道・軽便鉄道の豆相人車鉄道→熱海鉄道も熱海へ向かう路線を小田原を起点にして保有していた。
隣接・近隣都市への連絡[編集]
- 南足柄市 : 伊豆箱根鉄道大雄山線利用(大雄山駅)
- 箱根町 : 箱根登山鉄道利用(箱根湯本駅)
- 二宮町・湯河原町・真鶴町 : 東海道本線利用(二宮駅・湯河原駅・真鶴駅)
- 松田町・開成町 : 小田急小田原線利用(新松田駅・開成駅)
- 山北町・大井町 : 東海道本線国府津駅・小田急小田原線新松田駅乗換えで(山北駅・相模金子駅)
- 秦野市 : 小田急小田原線(秦野駅)
- 平塚市 : 東海道本線(平塚駅)
- 静岡県熱海市 : 東海道本線・東海道新幹線(熱海駅)
バス路線[編集]
道路[編集]
高速道路・有料道路[編集]
- 小田原厚木道路(小田原東IC - 荻窪IC - 小田原西IC)
- 国道1号西湘バイパス(橘IC - 国府津IC - 小田原IC - 早川IC - 早川JCT - 小田原西IC - 箱根口IC、石橋IC)
- 小田原箱根道路(山崎IC - 箱根口IC)
- 国道1号箱根新道(小田原西IC)
- 箱根ターンパイク(小田原西IC)
- 国道135号真鶴道路(早川IC、石橋IC、早川口交差点)
一般国道[編集]
主要地方道[編集]
一般県道[編集]
- 神奈川県道709号中井羽根尾線
- 神奈川県道711号小田原松田線
- 神奈川県道714号栢山停車場曽我線
- 神奈川県道715号栢山停車場塚原線
- 神奈川県道716号成田下曽我停車場線
- 神奈川県道717号沼田国府津線(小田原環状道路)
- 神奈川県道718号鴨ノ宮停車場矢作線
- 神奈川県道719号鴨ノ宮停車場線
- 神奈川県道720号怒田開成小田原線
- 神奈川県道724号早川停車場線
- 神奈川県道740号小田原湯河原線
娯楽[編集]
スポーツ[編集]
スポーツ施設[編集]
- 小田原アリーナ
- 西湘地区体育センター
- 酒匂川右岸河川敷
- 酒匂川左岸サイクリング場
- 上府中公園スポーツ広場
- 小田原球場
- マロニエホール(体育館)
- 小田原テニスガーデン
- 小田原市城山陸上競技場
- 小田原城山庭球場
- 小田原城内弓道場
- 御幸の浜プール
遊園地など[編集]
- 小田原競輪場
- わんぱくランド
- フォレストアドベンチャー・小田原
観光[編集]
名所・旧跡[編集]
- 小田原城(小田原城址公園)
- 石垣山(笠懸山・石垣山一夜城歴史公園)
- 石橋山(石橋山古戦場跡)
- 曽我梅林
- 小田原フラワーガーデン
- 小田原さかなセンター
- 小田原街かど博物館
- 二宮尊徳生家
- ヒルトン小田原リゾート&スパ
- いこいの森
- 根府川温泉
- 鈴廣かまぼこ博物館
- だるま料理店
- 国府津山寶金剛寺
- 古稀庵(山縣有朋別邸・庭園のみ現存)
- 老欅荘(松永耳庵邸)
- 葉雨庵(野崎幻庵茶室)
- 清閑亭(黒田長成侯爵別邸)
- 相翁松の碑
- 雄山荘
行事・催事・祭典[編集]
- 出初式(1月11日)
- 梅まつり
- 菓子まつり
- 小田原かまぼこ桜まつり
- 桜まつり
- 「北条五代祭り」(5月3日)
- 松原・大稲荷・居神・山王神社例大祭(四社例大祭)+下府中神社(五社例大祭)(5月3日 - 5月5日)
- 小田原城あじさい花菖蒲まつり
- 小田原ちょうちん夏まつり(7月最終土日)
- 一夜城まつり
- さかなまつり
- ツーデーマーチ
- 酒匂川花火大会(8月最初の土曜)
- 御幸の浜花火大会(不定期)
民俗芸能・伝統行事[編集]
- 相模人形芝居 1980年(昭和55年)1月28日に国の重要無形民俗文化財に指定された。
- 主な団体:下中座
- 寺山神社の鹿島踊 1976年(昭和51年)10月19日に神奈川県の無形民俗文化財に指定された。
- 多古白山神社の小田原囃子 1976年(昭和51年)10月19日に神奈川県の無形民俗文化財に指定された。
- 曽我別所の寿獅子舞 1998年(平成10年)8月1日に小田原市の無形文化財に指定された。
- 山王原大漁木遣唄 2006年(平成18年)12月27日に小田原市の無形文化財に指定された。
名産品[編集]
小田原城と城址公園[編集]
- 1990年(平成2年)頃(バブル経済崩壊前後)までは小田原城には毎年多くの観光客が訪れていたがその後は減少し、一時期の年間来場者数は29万人を下回った。しかし、2009年(平成21年)頃からの歴史・城ブームや不景気による国内旅行の増加などもあり、2010年(平成22年)4月には15年ぶりに来場者数が40万人台まで復活した。
- 小田原城址公園には2005年(平成17年)ほどまで動物園(無料)があったが、城址は国の史跡に指定されており、歴史的な観点から不適当であると判断されたことに加え、動物園の環境調査で全国最下位の劣悪な環境と格付けされたこともあり、動物たちは順次新設のわんぱくランド等に移された。2009年(平成21年)9月にゾウのウメ子が死んだのを最後に城址公園から動物たちはいなくなった(サルは一時的に引越しという形になっている)。
- 過去に、蓮池化の断念という苦い経験を持つ。
関連有名人[編集]
小田原出身者[編集]
歴史上の人物[編集]
政治家・軍人・官僚[編集]
- 河野一郎、衆議院議員(1898年6月2日 - 1965年7月8日)
- 河野謙三、衆議院議員・参議院議長(1901年5月14日 - 1983年10月16日)
- 河野洋平、衆議院議長(1937年1月15日 - )
- 井上義行、安倍晋三内閣総理大臣政務担当秘書官
財界人[編集]
文化人[編集]
- 北村透谷、作家(1868年12月29日 - 1894年5月16日)
- 辻村伊助、園芸家・登山家・作家(1886年4月22日 - 1923年9月1日)
- 牧雅雄、彫刻家(1887年 - 1935年)
- 福田正夫、詩人(1893年3月26日 - 1952年6月26日)
- 尾崎一雄、小説家・文化勲章受章者(1899年12月25日 - 1983年3月31日)
- 牧野信一、作家(1896年11月12日 - 1936年3月24日)
- 相田二郎、歴史学者、東京帝国大学史料編纂官(1897年5月12日 - 1945年6月22日)
- 井上康文、詩人(1897年6月20日 - 1973年4月18日)
- 川崎長太郎、作家(1901年11月26日 - 1985年11月6日)
- 北原武夫、作家(1907年2月28日 - 1973年9月29日)
- 島田祐子、声楽家
- 富野由悠季、アニメーション監督(1941年11月5日 - )
- 阿藤快、俳優(1946年11月14日 - )
- 夢枕獏、作家(1951年1月1日 - )
- 小宮孝泰、俳優・お笑い芸人(1956年3月11日 - )
- 柳沢慎吾、俳優(1962年3月6日 - )
- 浅野ケン、作曲家(1975年2月3日 - )
- 吉野きみか、女優、(1975年9月5日 - )
- 藍坊主、ロックバンド(2004年にメジャーデビュー)
- ammoflight、ロックバンド(2008年にメジャーデビュー)
- 後藤羽矢子、漫画家
- 天野真知、NHK横浜放送局キャスター
- EmiLy(橋本絵美利)、シンガーソングライター、作詞家、作曲家
- 藤谷美和子俳優・歌手
- 前田公輝俳優(1991年4月3日 - )
スポーツ[編集]
- 田中大二郎、元プロ野球選手、(1988年4月29日 - )
- 田代富雄、元プロ野球選手(1954年7月9日 - ) 元大洋ホエールズ。元横浜ベイスターズ2軍監督
- 森笠繁、元プロ野球選手(1976年10月4日 - ) 元広島東洋カープ、横浜ベイスターズ。現広島東洋カープコーチ
- 加藤明、バレーボール監督(1933年1月3日 - 1982年3月20日)
- 今宮純、モータースポーツジャーナリスト、フジテレビ フォーミュラ1中継 解説者(1949年2月18日 - )
- 若藤肇、大相撲・元幕内朝乃翔(1969年12月23日 - )
- 佐藤ルミナ、格闘家 修斗(1973年12月29日 - )
- 松田直樹、プロボクシング、元日本フェザー級チャンピオン 帝拳ジム所属
- 磯崎敬太、プロサッカー選手、(1980年11月17日 - )
- 稲井桃子、バスケットボール選手
小田原ゆかりの有名人[編集]
皇族[編集]
政治家・軍人・官僚[編集]
- 伊藤博文、政治家・小田原に別邸滄浪閣があったが、後に大磯町へ移転。
- 山縣有朋、政治家・別邸古稀庵(旧大窪村)をかまえそこで死去した。現在は庭園のみ残る。蔵書は小田原市立図書館に寄贈されている。
- 大隈重信、政治家・小田原(旧国府津村)に別荘があった。
- 森有礼、政治家・南町に別邸があり、現在も敷地が残る。
- 野村靖、政治家・本町に別邸「黄夢庵」があった。
- 田中光顕、政治家・南町に別邸があり、現在も小田原文学館として公開。
- 清浦奎吾、政治家・板橋に別邸があったが山縣有朋別邸・古稀庵に編入され、現在も残されている。
- 黒田長成、政治家・南町に別邸があり、現在も小田原邸園交流館・清閑亭として公開。
- 榎本武憲、政治家・南町に別荘があり、現在も建物が残る。
- 大鳥圭介、幕臣、官僚・小田原(旧国府津村)に別荘があったが、小田原大海嘯により崩壊。
- 竹添進一郎、政治家・南町に別邸があった。
- 鍋島幹、政治家・南町に別邸があった。
- 安広伴一郎、政治家・満鉄総裁、南町に別邸があり現在も建物が残る。
- 室田義文、政治家・城山に別邸があり女婿の福田篤泰に譲られた。
- 松本剛吉、政治家・南町に別邸があり現在も建物が残る。
- 森恪、政治家・内閣書記官長、政友会代議士、南町に義父瓜生外吉から譲られた別邸があった。
- 黒木為楨、軍人・陸軍大将・城山に別邸があった。
- 瓜生外吉、軍人・海軍大将、南町に別荘があり現在も「瓜生坂」の名が残る。
- 大島義昌、軍人・陸軍大将・城山に別荘がありそこで死去した。現在も建物が残る。
- 秋山真之、軍人・海軍中将、山下亀三郎の別荘で死去。
- 東條英教、軍人・陸軍中将、東條英機の父。南町で病気療養中に死去。
- 山崎元幹、政治家・満鉄総裁、板橋に別邸があり戦後隠棲した。蔵書は小田原市立図書館に寄贈されている。
- 十河信二、国鉄総裁・『新幹線の父』
- 福田篤泰、政治家・防衛庁長官、自由民主党衆議院議員、城山に別邸があった。
財界人[編集]
- 益田孝 実業家・三井物産創業者、三井財閥の重鎮・板橋に別邸「掃雲台」をかまえ近代小田原三茶人の一人と称される。
- 山下亀三郎、実業家・南町に別邸があり、現在も中門や礎石、庭石などが残る。
- 野崎廣太、実業家・日本経済新聞・三越社長などを歴任。南町と城山に別邸をかまえ近代小田原三茶人の一人と称される。
- 大倉喜八郎、実業家・男爵・板橋に別邸をかまえていた。現在、割烹旅館「山月」として公開されている。
- 横河民輔、実業家・建築家、南町に別邸があり現在も敷地はほぼそのまま残る。
- 結城豊太郎、実業家・政治家・板橋に別邸があった。
- 森田茂雄、実業家・南町に別邸があった。
- 御手洗毅、実業家・南町に別邸があり現在も小田原文学館敷地内の北原白秋童謡館として公開。
- 大島秀一、実業家・板橋の旧・大倉喜八郎別邸を譲り受け別荘にしていた。現在は割烹旅館「山月」として公開。
- 松永安左エ門、実業家・『電力の鬼』・小田原板橋の老欅荘(現・松永記念館敷地内)に住んでいた。近代小田原三茶人の一人
- 石田礼助、実業家・国鉄総裁
- 瀧本泰行、実業家・エアーリンク創業者
文化人[編集]
- 村井弦斎、作家・南町に邸宅があり『食道楽』などを執筆した。
- 永井荷風、作家・南町にあった足柄病院で療養経験がある。
- 北原白秋、俳人・城山の邸宅に8年間住み、数多くの詩作を世に送り出した。
- 谷崎潤一郎、作家
- 三好達治、作家・南町に居をかまえ『艸千里』などを執筆した。
- 坂口安吾、作家・南町に居をかまえ「真珠」などの題材とした。
- 久能靖、ジャーナリスト、ニュースキャスター・小田原城下町大使
- 山田太一、脚本家・小田原高校卒
- いまのまい、歌手・タレント・神奈川県立西湘高等学校卒
- 小池一夫、漫画原作者・小説家・脚本家・作詞家・作家、2010年より工房を構えている。
スポーツ[編集]
- 谷津田陽一、福島県出身の競輪選手。小田原競輪場を本拠地とし、当市に在住していた。
- 小門洋一、埼玉県出身の競輪選手。小田原競輪場を本拠地としていたことがある。
- 高木隆弘、東京都出身の競輪選手。小田原競輪場を本拠地としていたことがある。
作品[編集]
小田原市はテレビ・劇場用映画やテレビCMなどの撮影ロケーションの誘致活動を行っている。フィルム・コミッションと呼ばれるこの活動の一環として、市民の希望者をエキストラに登録し、随時出演を要請している。小田原映画祭が開催され、ショートフィルムコンテストが行われる。フィルム・コミッション事業(西さがみ連邦共和国フィルム・コミッション)の実績は年々増加している。
また、農業・漁業・工業・商業といった産業が多岐にわたっているため、社会科の教育番組の舞台となったり教科書で取り上げられたりすることが多い。
小田原を舞台とする映像作品[編集]
- 『天国と地獄』(監督・黒澤明、1963年)
- 『サンキュー先生』(監督・山際永三 主演・西田敏行 制作・国際放映 放映・テレビ朝日系列 1980年9月8日~1981年3月23日)- 小田原市立早川小学校が舞台。
- 『ゴジラvsビオランテ』(監督・大森一樹、1989年)※セリフのみ
- 『このまちだいすき』第二シリーズ(サガセル編) (日本放送協会〔NHK〕、主演・大塚寛、1994年4月 - 1995年3月) - 小学校社会科第3学年用の学校放送番組
- 『さわやか3組』 (日本放送協会〔NHK〕、1993年4月 - 1994年3月、1997年4月 - 1998年3月) - 小学校道徳科第3・第4学年用の学校放送番組
- 『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(監督・金子修介、2001年)
- 『クニミツの政』(週刊少年マガジン連載)(フジテレビジョン系列、2002年)
- 『恋するトップレディ』(フジテレビジョン系列、2002年)
ロケ地[編集]
- テレビ朝日土曜ワイド劇場『火災調査官・紅蓮次郎』(フィルムコミッション協力で、小田原市消防本部を使用)
- 『世界の中心で、愛をさけぶ』(監督・行定勲)(小田原市立白山中学校の体育館を使用)
- NHK大河ドラマ『新選組!』(桜田門外の変のシーンで、小田原城銅門を使用)
- NHKドラマ『ちゅらさん3』(かっこおばあが恵文のタクシーを呼び出す場面でヒルトン小田原の車留めが使われた)
- 日本テレビ水曜ドラマ『ハケンの品格』(2、3話でダイナシティ内のロビンソン百貨店が使用された)
- フジテレビ『めざましテレビ トロと旅する』(2007年3月12日 - 16日)
マンガ・アニメ[編集]
- 新世紀エヴァンゲリオン(1995年 - 1996年、テレビ東京系列、後に劇場版化されている。)
- 『I'll(アイル)』(1996年 - 2004年、浅田弘幸)
- ばけざる(2008年 - 2009年、西河原義秋)
- ハクバノ王子サマ(2005年 - 2008年、朔ユキ蔵)
- カイチュー(2009年 - 、作中では小田川市、[林佑樹])
小説[編集]
ゲーム[編集]
桃太郎電鉄。オダワラーが登場する
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 行政
- 観光