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青山学院大学(あおやまがくいんだいがく、英称:Aoyama Gakuin University)は、日本の私立大学である。
目次
概観[編集]
大学全体[編集]
学校法人青山学院は、明治時代初期に米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師たちが設立した3つの学校を母体とするミッションスクールである。学院院長・理事長および大学長・短期大学長を除く設置学校の長はキリスト者であることが義務付けられている(かつては大学長も)。そのため現在でもキリスト教を教育の基本におき、「キリスト教概論」の講義は、建学理念のバックボーンを理解するために必修科目として位置づけられている。
なお、住所は渋谷区だが、「青山学院」との校名をつけたのは、青山学院の前身の東京英学校が築地から1883年に移転し東京英和学校となった当時は、藤原北家花山院流で江戸時代には譜代大名、明治維新後は華族の青山氏の邸宅があったことから周辺が「青山」と呼ばれる土地で、住所も東京府赤坂区青山南町七丁目だったからである(なお初等部の一部は元小松宮家の土地)。青山南町七丁目は1889年の市制町村制施行に伴い南豊島郡渋谷村(1909年町制施行、1932年東京市に編入され渋谷区となる)に編入、1928年に町名は緑岡町と変更され、1966年の住居表示実施に伴い現在の地名となった。
教育および研究[編集]
青山学院大学は、アメリカの宣教師が建てた学校が前身であるがゆえに欧米型カレッジのリベラルアーツ教育の流れをくんでいる。それゆえ、戦前からの伝統として、知識偏重にならないために、幅広い教養教育(リベラル・アーツ)を重視した方針をとっており、独自に「青山スタンダード」という教養科目の制度をとっている。学生への教養教育カリキュラムを実施する以外に地域社会への貢献と一般人の素養を深めることを目的として各キャンパスで年に4〜5種の公開講座を実施している。これらの公開講座は週に一度、5週間にわたって行われ、事前の申し込みをしておけば無料で参加できるようになっている。内容・講師の手配は講座を受け持つ教員(持ち回り制)に一任されており、人文科学、社会科学、自然科学のそれぞれの分野において毎年異なったものが開かれている。
キリスト教主義学校である青山学院大学は源流となる学校が出来た当初から聖書の授業を全学部学科において必修としており、専門学校の認可を受けた後も神学部を備えていた。その精神は大学設立後も受け継がれ、設立当初には文学部基督教学科があった。その後1961年に文学部神学科へと改組されたが、学園紛争の混乱の中、理事会の決定により1971年に廃止された。同学科は形式上は大学から分離し、同時期に同じく分離された明治学院大学神学部とを合わせ東京神学大学となっている。英語教育に熱心であり、英語の教育制度が整っており、「英語の青山」と称されることもある。
建学の精神(スクール・モットー、理念)[編集]
スクール・モットー
「地の塩、世の光(The Salt of the Earth,The Light of the World)」(聖書マタイによる福音書(5章13~16節))
青山学院大学の理念
青山学院大学は、「青山学院教育方針」に立脚した、神と人とに仕え社会に貢献する「地の塩、世の光」としての教育研究共同体である。
おのおのの立場において、時代の要請に応えうる大学の創出に努める。
本学は、地球規模の視野にもとづく正しい認識をもって自ら問題を発見し解決する知恵と力を持つ人材を育成する。
それは、人類への奉仕をめざす自由で幅広い学問研究を通してなされる。
本学のすべての教員、職員、学生は、相互の人格を尊重し、建学以来の伝統を重んじつつ、
沿革[編集]
略歴[編集]
学校法人青山学院は、明治7年(1874年)にD.E.スクーンメーカーによって麻布本村町に設立された女子小学校と明治11年(1878年)にジュリアス・ソーパーによって築地に設立された耕教学舎、明治12年(1879年)にロバート・S・マクレイによって横浜山手に設立された美會神学校を母体としており、2014年に創立140周年を迎える。それぞれの学校は全て米国メソジスト監督教会から派遣された宣教師によって設立されており、現在でも青山学院はキリスト教プロテスタント・メソジスト派のミッションスクールである。
現在の青山の地に校舎を構えたのは、東京英学校(耕教学舎の後身)と、美曾神学校が合同することとなった明治15年(1882年)の翌年ことである。合同に際して「東京英和学校」と改称し、予備学部、高等普通学部、神学部が設置され、敷地内に欧風建築が立ち並んだ。また青山キャンパスの購入にあたって莫大な私財を投じたジョン・F・ガウチャーが、日本に“Anglo Japanese University of Tokio and Awoyama”(東京青山英和大学)というメソジスト派の大学を設立するという将来発展のヴィジョンを示していた。その後、本多庸一が校長を務めていた1894年に、現在の青山学院へと改称する。なお、1899年に私立学校令が公布されたが、この令では宗教教育を禁止していたため、青山学院は建学の精神を優先し、文科省の公認にはこだわらなかった。1904年には、青山学院高等科・神学部、及び青山女学院英文専門科(女子小学校の後身)は旧制専門学校の認可を受ける。大学昇格に際しても、宗教系の学部を独立で設置することが認められなかったため、青山学院は建学の精神を優先し、専門学校にとどまり神学部を設置していた。その後、1927年に青山女学院(女子小学校の後身)との統合が文部省(現:文部科学省)に認められ、統合に至った。そして戦後になり、1949年の学制改革に際して、青山学院大学として開校するに至った。
当初は文学部(英米文学科/基督教学科)、商学部、工学部の3学部が設置されていたのみであったが、その後工学部の譲渡、商学部の改組、法学部・理工学部・国際政治経済学部・教育人間科学部・総合文化政策学部・社会情報学部の設置を行い、現在は9学部を擁する総合大学である。
1965年の理工学部設置の際には理工学部専用の廻沢キャンパス(後の世田谷キャンパス)を、1982年の国際政治経済学部設置の際には1,2年次の学生対象の厚木キャンパスを開設したものの、厚木キャンパスは厚木市北西の丘陵部にあったため、交通アクセス面で不都合で、世田谷キャンパスの老朽化も相まって、以前の世田谷、厚木両キャンパスを閉鎖・統合する格好で、2003年神奈川県相模原市に相模原キャンパスを開設した。2008年には、2012年4月より文系学部を青山キャンパスに全面移行させることを発表していたが、移転する学生の受け入れ先として建設していた校舎が東日本大震災の影響で竣工の遅延が確実になり、2013年からへの移行と発表された。
年表[編集]
年表 | 沿革 |
---|---|
1874年 | 麻布に女子小学校設立(1875年に救世学校に改称。1877年に築地に移転し海岸女学校へ改称。)。 |
1878年 | 築地に耕教学舎設立。 |
1879年 | 横浜に美會神学校設立。 |
1881年 | 耕教学舎が東京英学校と改称。 |
1882年 | 美會神学校が東京英学校に合同。 |
1883年 | 東京英学校が現在の青山の土地へ移り、「東京英和学校」と改称する。 |
1888年 | 海岸女学校の上級生を青山に移し、東京英和女学校と改称(後の1894年には海岸女学校を閉鎖し、東京英和女学校へ統合)。 |
1894年 | 東京英和学校を青山学院に改称。 青山キャンパスに神学部・普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を設置。 |
1895年 | 東京英和女学校を青山女学院に改称。神学部・普通学部(高等科・予備科・普通科)手芸部、幼稚園(1899年閉園)を設置。 |
1904年 | 青山学院高等科・神学部、および青山女学院英文専門科が専門学校の認可を受ける。 |
1927年 | 青山女学院を青山学院に統合。高等科を高等学部に改組。 |
1935年 | 高等学部を文学部と高等商学部に改組し、文学部に英文科、英語師範科、高等商学部に商科を設置。 |
1943年 | 神学部を閉鎖。 |
1944年 | 専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院に譲渡。 青山学院工業専門学校を開校。 |
1946年 | 青山学院工業専門学校から青山学院専門学校と改称。 英文科・経済科・機械科・土木建築科を設置。 女子専門部を青山学院女子専門学校に改称。 米海軍横須賀基地第4代司令官であるデッカー大佐が、 従軍牧師のリッカーを介しキリスト教学校を通じた平和と民主主義の教育を提案。 神奈川県横須賀市に古坂嵓城が分校の設立を決定。 |
1947年 | 海軍工機学校の設備を利用し、青山学院横須賀分校専門部機械科・土木建築科を設立。 |
1948年 | 第二高等部が設立される。 |
1949年 | 青山学院大学開学、文学部英米文学科・基督教学科、商学部、工学部を設置。 渋谷キャンパス復興で維持困難のため、横須賀分校を閉鎖。 |
1950年 | 工学部を関東学院大学に譲渡。 横須賀分校跡地を地元教会関係者に譲渡。 第二部英米文学科、文学部教育学科、第二部教育学科、第二部基督教学科、第二部商学科を設置。 |
1951年 | 「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更。 |
1952年 | 大学院文学研究科を設置。 |
1953年 | 商学部を経済学部(商学科・経済学科・第二部)に改組。 大学院経済学研究科、基督教学専攻科を設置。 |
1956年 | 基督教学専攻科を廃止。 |
1959年 | 法学部(法律学科)を設置。 |
1961年 | 基督教学科を神学科に改組。第二部基督教学科を廃止。 大学院法学研究科を設置。 |
1962年 | 文学部フランス学科を設置。 |
1963年 | 法学部法律学科を私法学科・公法学科に改組。 |
1965年 | 理工学部(物理学科・化学科・電気電子工学科・機械工学科・経営工学科)を設置。 廻沢キャンパス開設。 |
1966年 | 商学科を移行し、経営学部(商学科・経営学科・第二部商学科・第二部経営学科)を設置。 文学部日本文学科を設置。 |
1968年 | 文学部史学科を設置。 |
1969年 | 大学院理工学研究科修士課程を設置。 |
1970年 | 大学院経営学研究科を設置。 |
1971年 | 大学院理工学研究科博士課程を設置。 廻沢キャンパスが世田谷キャンパスに呼称変更。 |
1973年 | 経営学部商学科・第二部商学科を廃止。 |
1977年 | 文学部神学科を廃止。 |
1982年 | 国際政治経済学部(国際政治学科・国際経済学科)を設置。 厚木キャンパスを開設。 |
1986年 | 大学院国際政治経済学研究科を設置。 |
1987年 | 国際政治経済学部国際経営学科を設置。 |
2000年 | 理工学部機械工学科・経営工学科を機械創造工学科・経営システム工学科・情報テクノロジー学科に改組。 |
2001年 | 文学部教育学科心理学専修コースを文学部心理学科へ、法学部私法学科・公法学科を法学部法学科へ改組。 専門大学院国際マネジメント研究科を設置。 |
2003年 | 国際政治経済学部国際経営学科を廃止。 国際マネジメント研究科が専門職大学院に移行。 厚木キャンパス及び世田谷キャンパスを閉鎖し、相模原キャンパスを開設。 |
2004年 | 理工学部物理学科・化学科を物理・数理学科、化学・生命化学科へ再編。 理工学研究科を5専攻から1専攻8コースへ再編。 法務研究科(法科大学院)を設置。 |
2005年 | 会計プロフェッション研究科(会計専門職大学院)、法学研究科ビジネス法務専攻を設置。 |
2006年 | 国際政治経済学部国際コミュニケーションコースを同国際コミュニケーション学科に改組。 |
2008年 | 第二部経済学科、第二部経営学科を廃止。 総合文化政策学部総合文化政策学科、社会情報学部社会情報学科、 経済学部現代経済デザイン学科およびそれぞれに対応した大学院研究科を設置。 |
2009年 | 第二部教育学科を廃止。 文学部教育学科と文学部心理学科を教育人間科学部教育学科、教育人間科学部心理学科に改称。 経営学部マーケティング学科を設置。 横須賀学院と教育提携協定を締結 |
2012年 | 文学部比較芸術学科を設置。 |
2013年 | 文系学部を青山キャンパスに集約予定(都心回帰)。 |
基礎データ[編集]
所在地[編集]
- 青山キャンパス(東京都渋谷区渋谷4-4-25)
- 相模原キャンパス(神奈川県相模原市中央区淵野辺5-10-1)
- 緑ヶ丘グラウンド(神奈川県相模原市中央区緑ヶ丘2-6097-1)
- 町田グラウンド(東京都町田市小野路町小谷1571)
象徴[編集]
校歌[編集]
- カレッジソング(作詞:松本休 編曲:高橋繁 青山学院大学の校歌にあたる)
- 原曲は米国ノートルダム大学の応援歌だったといわれる。松本休(作詞)・高橋繁(編曲)両氏が卒業した1929年3月音楽部の送別演奏会で初めて発表されたものと推測されている。発表以来、青山学院専門部生、戦後は同大学生の愛唱歌となり、この歌に謳い込まれた緑が丘青山の春夏秋冬、青学生の喜びと誇りが今も昔も変わることなく謳い継がれている。
- 校歌(作詞:大木金次郎 作曲:平岡精二 青山学院全体の校歌にあたる)
- ペギー葉山のヒット曲「学生時代」(作詞・作曲:平岡精二(同学院OB))は第二の学院歌とも呼ばれ、2009年には学内に歌碑が建立された。
- サザンオールスターズの「Ya Ya (あの時代を忘れない)」も第二のカレッジソングとして親しまれている。
イーゴ(大学のマスコット)[編集]
1999年に大学創立50周年記念として、オリジナルマスコットのイーゴ(EAGO)が制定された。二足歩行の鷲の姿で、手に聖書を持っている。座右の銘は「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書第40章31節)であり、同マスコットは、この箇所の「鷲」がモチーフになっている。
校章[編集]
校章は盾の形で、中に青山の“A”、学院の“G”が書かれており、その下に大学の“UNIV”がblackmoor LETというフォントで書かれている。「中央および左右の先端は尖って高峰のごとく、側面の弧は豊かな頬を思わせるふくらみを持ち、全体が均整のとれた4つの弧で囲まれているようなもの」が正しい形と定められている。「信仰の盾」と呼ばれており、盾は聖書の中の「信仰を盾として」(新約聖書エフェソの信徒への手紙6章16節)を意味し、信仰の象徴を示している。
スクールカラー[編集]
青山学院大学のスクールカラーは、濃緑(ダークグリーン)、青緑(ターコイズブルー)である。
教育および研究[編集]
組織[編集]
学部[編集]
- 文学部 - 1949年設置
- 文学部は、1949年の大学設置当初から存在する青山学院大学の中では最も古い学部である。領域の異なる人文科学系6学科を包括的に設置している青山学院大学唯一の人文科学系学部である。学部の規模としては同大学最大だが、学科ごとの独立性が非常に高く、それぞれが独自の教育形態を有している。また、学科所属生全員に履修資格のある文学部共通科目を2, 3, 4年次に設けている。
- 英米文学科
- 英米文学科は、大学設立時から現在まで残る唯一の学科である。イギリス文学・文化コース、アメリカ文学・文化コース、グローバル文学・文化コース、英語学コース、コミュニケーションコース、英語教育学コースがあり、3年次に分かれる。4年次はじめにコース変更も可能。1、2年次では英語の実践運用能力の養成を目的とした集中プログラムを中心に各領域の概論科目と基礎レベルの演習が開講されている。3、4年次には各教員の受け持つ演習(ゼミナール)と特殊講義を中心に通訳や翻訳といった科目を設置している。通訳や翻訳に関しては放送通訳やコミュニティ通訳、映像翻訳などが開講されており、また、英国オックスフォード大学での短期語学留学を学科独自に主催している(他学部の学生も参加可能)。
- フランス文学科
- 日本文学科
- 日本文学科は、日本文学コースと日本語教育コースの2コース制で、3年次に選択する。
- 史学科
- 1年次では日本史、西洋史、東洋史、考古学の概説を学び、2年次から下記4コースに分かれていく。3年次になるとゼミを選択、担当教員から指導を受けるようになり、4年次には卒業論文を全員が執筆することになっている。
- 日本史コース
- 西洋史コース
- 東洋史コース
- 考古学コース
- 比較芸術学科
- 2012年度に設置。これにともない、史学科の芸術史コースは廃止された。文学部の2014年度授業要覧によると、2年次から始まる専門選択科目は7つの群があり、うち6群は美術領域、音楽領域、演劇映像領域に分かれている。6群のうち5群については、それぞれ2つ以上の領域にわたって履修することが求められている。大学のホームページでは、美術専攻、音楽専攻、演劇映像専攻の3つに分類して履修モデルを紹介しているが、授業要覧によると、これら3専攻に分けた上で、それぞれ履修方法が定めてられているというわけではない。
- 教育人間科学部 - 2009年設置
- 文学部から独立して出来た学部で、教育学科と心理学科で構成される。両学科は重なる学問領域も多く、ともに人間を科学的総合的に理解することを目的とする点も共通している。「人間理解」に理論的実践的にアプローチを繰り返すことで、現実世界の人間が抱える諸問題を見極め、さらにその解決方法を研究していく。つまり、社会から求められる基礎能力として“自ら問題を発見し、解決できる力”の修得を目指す。
- 教育学科
- 人間形成探究コース
- 臨床教育・生涯発達コース
- 人間の乳幼児期から老年期に至るライフサイクルの中で、発達、学習、教育がどのように実現されているかについて、その理論および実際を学ぶ。
- 教育情報・メディアコース
- 情報環境の中で生活し、発達する人間を多様な観点から捉え、 情報の伝達的な側面を情報社会学、図書館情報学の観点から、情報の受容・理解・創造の側面を認知科学、発達、学習科学から研究する。
- 幼児教育学コース
- 将来、幼児教育に携わることを目指す学生のために、幼児の発達・教育の理論と実践的知識・技能を学ぶ。
- 児童教育学コース
- 将来、児童教育を目指す学生のために、児童、生徒の発達、学習、教育の理論と実践的知識・技能を学ぶ。
- 心理学科
- 心理学を抽象的な学問としてとらえず、世の中の役に立つ具体的な知恵や実践的技術を修得することに重点を置く。 カリキュラムでは、感覚・知覚などの基礎領域から社会・臨床などの応用領域までを学び、心理に関する諸現象を科学的、人間学的、総合的に研究する。 これにより、家庭や教育・医療の現場のほか一般企業など幅広い場面で活かせる高い専門力を養う。 また、「心理学基礎」によって基本的な知識と態度を修得した上で、「臨床」「社会」「発達」「認知」の4領域でより深く専門的に学んでいく。 加えて思考力を鍛えるため、「哲学・認識論」関連科目が設置されている。
- 経済学部 - 1953年設置
- 経済学科
- 理論・数量コース
- 経済現象を理論的に分析し、経済データを数量的に分析し、検証し、経済の実態を探る。
- 政策産業コース
- 政府・企業・金融の3つの側面から、現実に起こっている経済現象を分析し、どのような方法で問題にあたるべきかを探る。
- 歴史・国際・環境コース
- 日本経済全体を理解し、世界経済や開発論などを時間軸(歴史)を中心に据えて、経済を総合的に考えていく。
- 理論・数量コース
- 現代経済デザイン学科 - 2008年4月開設
- 経済学科
- 法学部 - 1959年設置
- 法学科
- 法学部の学科は法学科のみ。法学部は、法律の知識、技術を身につける事以上に、法的課題・紛争を客観的に見据え、それらを公正に判断する「リーガル・マインド」を身に着けることを学部の目標としている。法務研究科(法科大学院)および法学研究科ビジネスロー法務専攻への進学を見据えた、6コース制を展開している。法学部では、入学式前にTOEIC(IP)を実施し、英語のクラスはそのスコアに応じてレベル別に分けられる。また、法学部ではアメリカのワシントン大学をはじめ、著名なロースクールから客員教授を招いて、英語による集中講義を開催している。刑事政策、地方自治法、警察法、消費者保護法、証券取引法、銀行取引法、NPO法、雇用政策法、公務員労働法、各種国際系科目など、設置科目の幅はかなり広い。課外指導として、法曹、公務員、裁判所事務官などを志望する学生を対象にした「基礎ゼミナール」や、現行司法試験を目指す「尚法会」「法律指導室」も開催されている。加えて、国際政治経済学部が設置している「外交・国際公務等指導室」に参加することも可能。
- 総合法律コース
- 一般企業への就職を目指す学生や社会の一市民としての法的素養を身につける学生を対象としたコース。
- 企業法務コース
- 企業法務に携わる専門知識の取得を希望する学生を対象としたコース。
- 公共政策コース
- 公務員やジャーナリストといった政治・NPO活動に関心を持つ学生を対象としたコース。
- 法曹コース
- 裁判官・検察官・弁護士を目指し、法科大学院や現行司法試験の受験希望学生を対象としたコース。
- 隣接法曹コース
- 司法書士、行政書士、弁理士などの専門職を目指す学生を対象としたコース。
- 国際渉外法コース
- 国際的な渉外問題に携わる専門知識の取得を希望する学生を対象としたコース。
- 法学科
- 経営学部 - 1966年設置
- 国際政治経済学部 - 1982年設置
- 国際政治経済学部は、日本で初めて厚木キャンパス開校の1982年に誕生した。(1978年、日本大学に設置された国際関係学部と同様、2000年以降急増する国際色を全面に打ち出す学部{早大の国際教養学部、法大のグローバル教養学部、明大の国際日本学部、立教大の異文化コミュニケーション学部などの先駆けと言える。)学際的教育も本学部の大きな特徴の一つであり学科間の垣根は低く、どの学科に入っても2年次から好きなコースを選択することができる。課外活動として国連研修や交換留学・インターンシップなども充実している。また国際政治経済学部の付属機関として開設された「外交・国際公務員等指導室」では外交官・国連職員を目指す学生のためのバックアップを行っている。2008年度外務省専門職員試験の合格者数は外語大・早大・東大に次ぐ4位だった。また、海外の大学院進学者も少なくなく、イギリスではケンブリッジ大学、アメリカではコーネル大学やシカゴ大学、コロンビア大学、スタンフォード大学、プリンストン大学、ジョンズ・ホプキンス大学、ミシガン大学などに進学する学生もいる。
- 国際政治学科
- 政治外交・安全保障コース
- グローバル・ガバナンスコース
- 国際経済学科
- 国際経済コース
- 国際ビジネスコース
- 国際コミュニケーション学科
- 国際コミュニケーションコース
- 総合文化政策学部 - 2008年設置
- 21世紀では、現代文化と社会、経済とが密接な関わりを持つ。そういった時代背景をもとに、文化芸術を創造するアーティストのみならず、創造された文化を広く世界に発信できる能力、いわば文化をマネジメントし、プロデュースできる能力を持った人材の育成を目指す。加えて、新しい文化創造の可能性を見抜き、それを援助できるセンスも磨く教育を行う。日本の文化の中心地とも呼べる青山という立地を活かし、キャンパス周辺のさまざまな文化施設や関連機関と連携していく。実践的学びの舞台となる「青山コミュニティラボ(ACL)」を通して、最先端の文化や芸術との連携を実現する。「青山コミュニティラボ(ACL)」とは、同学部の開設に合わせ、21世紀の文化やアートを創造し、世界に発信することを目的として設立された研究教育組織のことで、青山キャンパス周辺の文化団体、組織、クリエイター、アーティストなどと連携し、新しい文化・芸術の創造と発展への貢献を目指している。
- 総合文化政策学科
- メディア文化コース
- メディアはコミュニケーション手段のみならず創造の現場である。多様なメディアにおいて生成され伝えられる文化や情報を解読・分析することで、自ら文化の発信・創造をプロデュースできるクリエイティヴな人材の育成を目指す。
- 都市・国際文化コース
- 都市は文化がもっとも活性化するフィールドであり、世界に開かれる場である。都市文化創造・国際文化貢献・地域文化再生などに関わるさまざまな政策や事業を、自ら立案・遂行できる人材の育成を目指す。
- アートマネジメントコース
- 優れたアートを生み出すためには、優れたプロデューサーの存在は不可欠。現代ではプロデュースという仕事もまたクリイエティヴな職業とされる。芸術活動のプロデュースや、自治体の文化活動や企業のメセナ活動などをコーディネイトしたり、マネジメントできる人材の育成を目指す。
- メディア文化コース
- 理工学部 - 1965年設置
- 理工学部は、学院創設90周年事業の一つとして設置され、当初は物理学科、化学科、機械工学科、電気電子工学科、経営工学科の5学科で発足。現在は物理・数理学科、化学・生命科学科、機械創造工学科、経営システム工学科、情報テクノロジー学科、電気電子工学科の6学科となった。世田谷キャンパスから相模原キャンパスに移転したことで敷地面積がおよそ1.5倍に拡大した。
- 社会情報学部 - 2008年設置
- 文理融合をコンセプトに自然科学系・社会科学系の両分野の教授を配置。「数理的素養」「コミュニケーション能力」「論理的思考」「情報の高度な活用」を4つの柱とする教育が行われている。カリキュラムは計量経済学、金融、経営学、人口学、社会心理学、システム設計、社会起業家育成、金融工学と幅広い。1年次に徹底した英語と数学の教育を行い、2年次以降は1年次の知識を基に統計や数学を用いた経済学、金融、プログラミングへの学習へとつなげる。また、統計ソフトのSPSS、SASを用いた分析主体の授業もカリキュラムの中に組み込まれ、卒業後に即戦力になれる人材を育成することを主眼に置いている。
- 2009年に、モバイル・ネット社会の教育とユーザーインターフェースの研究を進める目的でiPhone 3Gを同学部生全員に配布した。
大学院[編集]
- 文学研究科
- 英米文学専攻
- フランス文学・語学専攻
- 日本文学・日本語専攻
- 史学専攻
- 教育人間科学研究科
- 教育学専攻
- 心理学専攻
- 経済学研究科
- 経済学専攻
- 公共・地域マネジメント専攻
- 法学研究科
- 私法専攻
- 公法専攻
- ビジネス法務専攻
- 知財法務プログラム
- 人事労務法務プログラム
- 税法務プログラム
- 金融法務プログラム
- 経営学研究科
- 経営学専攻
- 国際政治経済学研究科
- 国際政治学専攻
- 国際経済学専攻
- 国際コミュニケーション専攻
- 理工学研究科
- 理工学専攻
- 基礎科学コース
- 化学コース
- 機能物質創成コース
- 生命科学コース
- 電気電子コース
- 機械創造コース
- 知能情報コース
- マネジメントテクノロジーコース
- 理工学専攻
- 総合文化政策学研究科
- 総合文化政策学専攻(5年一貫制博士課程、博士後期課程のみ)
- 文化創造マネジメント専攻(修士課程)-2009年4月開設
- 社会情報学研究科
- 社会情報学専攻
- 社会情報学コース
- ヒューマンイノベーションコース
- 社会情報学専攻
(専門職大学院)[編集]
- 法務研究科(ロースクール、法科大学院)
- 法務専攻
- 国際マネジメント研究科(ビジネススクール、MBA)
- 国際マネジメント専攻
- 国際マネジメント・サイエンス専攻(一貫性博士課程)
- 会計プロフェッション研究科(アカウンティングスクール、会計専門職大学院)
- 会計プロフェッション専攻
- プロフェッショナル会計学専攻(博士後期課程のみ)
附属機関[編集]
- 総合研究所
- 総合文化研究部門
- 課題別研究部
- キリスト教文化研究部
- 領域別研究部門
- 人文科学研究部
- 社会科学研究部
- 自然科学研究部
- 特別研究プロジェクト
- eラーニング人材育成研究センター
- 総合文化研究部門
- 社会連携機構
- 社学連携センター
- ヒューマン・イノベーション研究センター
- WTO研究センター
- 国際交流共同研究センター
- 心理相談室
- 経済研究所
- グローバル・ビジネス研究所
- 判例研究資料室
- ビジネスロー・センター
- 国際研究センター
- 国際マネジメント学術フロンティア・センター
- 先端技術開発研究センター
- 機器分析センター
- 情報科学研究センター
教育[編集]
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム
- 渋谷・原宿・青山を繋ぐ商業観光拠点の育成-本学の理念に基づく地域貢献の実践と社学連携体制の拡充-
- e-Learning専門家の人材育成-世界に通用する専門家育成プログラムの開発と普及-
- ICT活用教育のFD/SDプログラム-人材育成の一翼を担うICT活用教育の質向上を実現する研修プログラムの開発と普及-
- 「LPI-Japan アカデミック認定校」
- 「LPI-Japan アカデミック認定校制度」は、IT教育を推進する機関と一体となって、Linux教育の活性化とLPI理念の普及を目指すためのプログラムで、2003年スタートした。LPI-Japanが独自に定めた学習環境基準をクリアした大学や専門学校、PCスクール、企業研修機関などを、「LPI-Japan」の認定校に指定し、Linux技術者認定試験(LPIC)合格を目指す受験者に質の高いLinux教育を提供することを目的としている。文系も有する総合大学としての認定校は、青山学院大学が初である。
- 「Microsoft Dynamics CRM」を教育機関として初めて導入
- 青山学院とマイクロソフトは共同で、ICT(情報通信技術)ネットワークの構築を実施。利便性を向上させるだけでなく、管理運用の負荷を軽減し、運用コストの70%削減を目指して実施された。導入により、アカウント管理の煩雑さを解消し、アプリケーションの利用も簡単になった。また、システムの構築以外に、青山学院大学での知的財産総合概論講座にマイクロソフトから講師を派遣したり、青山学院でマイクロソフトが講演をしたりといった、相互の人材交流も深めるとしている。
ランキング[編集]
- Asian University Rankings 2010(THE - QS)では、青山学院大学は第123位にランクされた。同調査の分野別ランキングでは、Arts & Humanitiesの分野では81位、Social Sciencesでは76位であった。
- Asia MBA rankingによれば、青山学院はアジア圏で第9位にランクされた。
- 日本経済新聞社と日経HRが共同で行った「通いたいMBA大学院ランキング」(調査期間:2012年5月28日~6月5日)では、東日本の部で第5位にランクインしており、高い人気を博している。
- 実際に学んでいた学生を対象にした「国内MBA学生満足度ランキング」(日経HR調査/調査期間:2009年7月~8月)では第17位にランクイン。講師との密なコミュニケーション、クラスの多様性、人脈作りのしやすさが高い評価を得ている。
- 日経BPコンサルティング調査の「大学ブランド・イメージ調査 2010(首都圏編)」(2009年10月実施)では、青山学院大学は7位にランクされた。私立大学としては慶應義塾大学、早稲田大学、上智大学に続いて第4位であった。
- 株式会社リクルートの「高校生に聞いた大学ブランドランキング2009」( 『進学ブランド力調査2009』より )では、青山学院大学は関東エリアにおいて「志願度」3位、「教育方針・カリキュラムが魅力的である」4位、「就職に有利である」4位、「国際的なセンスが身につく」4位、「おしゃれな」1位、「自慢できそう」4位と各項目で上位にランクされた。
- 日経進学ナビの「大学イメージ調査ランキング」でも毎年上位にランクする。
学生生活[編集]
自治活動[編集]
自治会が存在しない。準自治組織としては過去に学友会の下に学生会や常任委員会などが存在しており、学部別の自治委員会(実質的な自治会)の設立も模索されたが、大学当局と学生側が折り合わず幻に終わった。大学紛争の混乱後、大学当局は厳しい締め付けを行い、学生会や大学当局に批判的だった新聞編集委員会も消滅した。現在の新聞編集委員会はその後設立され、資金も大学当局から支援を受けている。
部活動/サークル活動[編集]
部活動は学友会の元に統括されている。学友会は直属組織、文化連合会、体育連合会の3つに分かれており、一部の直属団体を除いて大学公認の部活動は全て文化連合会あるいは体育連合会に加盟している。
学友会直属組織[編集]
文化連合会・体育連合会以外に学友会直属とされる団体と附置委員会がいくつか存在する。
- 応援団
- 吹奏楽バトントワリング部
- 1965年に応援団より分離独立。東京都大学吹奏楽連盟に加盟。二度(1987年、1989年)の吹奏楽コンクール全国大会金賞の実績を持つ。
- 新聞編集委員会
- 英字新聞編集委員会
- 白馬ヒュッテ運営委員会
学友会附置委員会[編集]
- 青山祭実行委員会
- 相模原祭実行委員会
文化連合会加盟組織[編集]
- サザンオールスターズのメンバーが在学していたこともあってか、音楽系の部会が多い。その他に放送系や芸術系など多く存在する。
体育連合会加盟組織[編集]
- 硬式野球部 1883年創部
- 陸上競技部 1918年創部
- ラグビー部 1923年創部
- 関東大学ラグビー対抗戦グループに所属している。2011年度から対抗戦Aグループに復帰する。これまで全国大学ラグビーフットボール選手権大会に2回出場している。また、1953年度には全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会 で優勝している。
- バスケットボール部 1929年創部
- 関東大学バスケットボール連盟所属。全日本学生バスケットボール選手権大会優勝4回(2000年、2007年、2010年、2011年)。2010、2011年度は学生大会4冠達成。
サークル[編集]
大学内での正式名称は「愛好会」
公認の条件として
- 会員に2学部2学科20名以上の本学学生がいる
- 青学の専任教員が顧問に付くことが必要(1人1団体)。
- 毎年、公認継続のための審査があり、責任者面接、本年度予算・活動予定(公認継続の場合、前年度決算も)を報告。そして正式に許可を受けた団体が発表される。
- かなり厳格に団体を管理しており、「会員に女の子が1人もいないのはどうして?」などと面接で聞かれたという例も。
- 公認を受ける利点は
- 新入生勧誘(勧誘日以外は公認団体でも勧誘不可)
- 指定の場所にポスターを掲示(要許可)
- 大学から援助金を貰える
- 教室利用(要許可)
- 活動にあたって学内でビラ配布(要許可)
- 青山祭・相模原祭に出店(要許可)
などがある
- 青山学院大学愛好会一覧
- 青山キャンパス所属
- 青山キャンパス第二部所属
- 相模原キャンパス所属-->
アドバイザー・グループ[編集]
略称アドグル。
部活動・サークル活動とは別に教員を中心に学生が集う形で組織される青山学院大学独特の団体。専任教員のみアドバイザーとなることが出来、年度初頭に学生は参加希望を提出することができる。登山中心に活動するアドグルや教育活動に邁進するアドグル、教授との個人的な交わりを中心としたアドグルなど様々な団体が存在する。
学園祭[編集]
- 青山キャンパスで開かれる「青山祭」と、相模原キャンパスで開かれる「相模原祭」がある。青山キャンパスでは、梅津弥英子や滝川クリステルを輩出したミスコンテストなどが開かれる。なお、大学のミスコンを日本で初めて実施したのは青山学院大学であると言われている。青山祭の来場者数は約15万人である。両祭とも、多才なゲストを招いた講演会などが開かれる。
- 行きたい学園祭ランキングで毎年上位にランクされる。
- 学園祭グランプリ2011で準MVP受賞。
クリスマスツリー点火祭[編集]
キリスト教の青山学院にとって、キリスト降誕に当たるクリスマスは重要な時期である。そのため、キリストの降誕を待ち望む礼拝として、1977年よりクリスマスツリー点火祭が開かれている。幼稚園〜大学院までが共同でこの式を行う。礼拝においては、大学聖歌隊や、ハンドベル・クワイアの演奏がある。正門を入って並木道を抜けた所にある中央ロータリーの木に点火される。
大学関係者と組織[編集]
大学関係者組織[編集]
校友会員数約20万人。登録団体数約200。 また、OB/OG組織(通称アイビーグループ)として、「マスコミ青山会」や、「金融青山会」「青山法曹会」「青学会計人クラブ」などがある。マスコミ青山会の会員数は2600名にも上る。
大学関係者一覧[編集]
キャンパス[編集]
現在のキャンパス[編集]
- 文系学部の3-4年次、総合文化政策学部の2-4年次、及び夜間部の全学年が使用するキャンパスで(2012年4月時点)、南青山に隣接し、青山通りに面しており表参道や骨董通りにも徒歩圏内である。周辺には根津美術館、こどもの城、岡本太郎記念館など文化施設が多い。また、キャンパス正面に国際連合大学があり、2003年より一般協定を結んでいる。大学周辺は駅周辺に比較して閑静である。通称「青(あお)キャン」。文学研究科、経済学研究科、法学研究科、経営学研究科、国際政治経済学研究科、総合文化政策学研究科、社会情報学研究科ヒューマンイノベーションコース、法務研究科、国際マネジメント研究科、会計プロフェッション研究科の大学院が設置されている。敷地内には、学校法人青山学院本部や各系列校(青山学院女子短期大学、幼稚園〜高等部)も設置されている。正門から続く並木道はモダニズム建築家のアントニン・レーモンドが設計したと言われている。
- JR山手線・埼京線・湘南新宿ライン、東急東横線・田園都市線、京王井の頭線、東京地下鉄副都心線の渋谷駅宮益坂方面の出口より徒歩約10分、または東京地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅B1出口より徒歩約5分。
- 敷地面積は68,305万平方メートル(法人本部・女子短期大学との共用部分を含む)、各系列校も含めた総敷地面積は約12万平方メートルである。明治中期に米国人ジョン・F・ガウチャーの寄付で伊予西条藩松平家上屋敷跡地(約3万坪)を購入し、その後も東京農業大学から短大・中等部辺りの敷地(5691坪)を購入し、現在に至る。
- 建物には建てられた順に1号館、2号館〜と番号が付いている(総合研究ビルは14号館、ガウチャー・メモリアルホールは15号館)。現在は13号館は欠番。(1999年度までは旧AVACO STUDIOを買い取り改装した建物が13号館として器楽練習室・部室(写真部・吹奏楽バトントワリング部等が使用)に使用されていたがガウチャーメモリアルホール建築に伴い旧チャペルと共に取り壊された。)2001年に完成した大学チャペル兼教室研究棟のガウチャー・メモリアルホールなどがある。間島記念館(1929年建設)、ベリーホール(1931年建設)の2棟は2008年、国の登録有形文化財に登録された。交通量の多い国道246号側に総合研究ビルや体育館等大型施設を置いているため、キャンパス内は静か。現在、キャンパスの再開発が進んでいる。
- キャンパスに面している青山通りは「日本そして世界でも誇れるような美しい街路空間とする」ことを目的として,東京国道事務所が沿道地域の代表である「NPO法人 渋谷・青山景観整備機構」と調整を図りながら,景観整備を進めている。また「いちご白書をもう一度」を作詞・作曲した松任谷由実の談によれば、この曲は当時青山学院の学生と交際していた自身が、青山学院から渋谷駅へ2人で歩いた思い出をイメージして作ったと語っている。
- 「Christian universities online」の発表した「世界で最も美しいキャンパスのキリスト教大学ランキング(The 50 Most Beautiful Christian College & University Campuses in the World)」で、青山キャンパスは世界第2位に選ばれた。立地や登録有形文化財2棟や、印象的な並木などが評価された。
- 文系学部(1部および昼間主コース)の1-2年次、総合文化政策学部の1年次、及び社会情報学部と理工学部の1-4年次、および理工学研究科、社会情報学研究科社会情報学コースが設置されている(2012年4月時点:2013年4月に文系学部は、青山キャンパスへ完全移転予定)。JR淵野辺駅からは徒歩7分の距離であり、駅周辺には桜美林大学のプラネット淵野辺キャンパスがある。また、淵野辺駅からは小田急小田原線の主要な駅であるJR町田駅、京王相模原線のターミナル駅であるJR橋本駅にもほど近い。
- 新日本製鐵跡地に2003年4月に開設された新しいキャンパスで、2002年度まで存在した世田谷キャンパスと厚木キャンパスを統合し開設された。敷地は約16万平方メートル。校舎群の他に野球場(旧國學院大學相模原グラウンド)なども有する。キャンパス付近は「神奈川都民」と呼ばれる東京のベッドタウンであるが、周辺広域には工場が多く、首都圏南西地域産業活性化フォーラムの一角を担っている。キャンパスに近接して体育施設の緑ヶ丘グラウンド、町田グラウンドも設置されており、運動部などサークル活動等に利用されている。また、野球場も併設されている。
- キャンパス内には、ウェスレー・チャペルが設置されており、1時限と2時限の間に、礼拝の時間が設けられている。このチャペルは青山学院の源流であるメソジスト教会の創始者ジョン・ウェスレー、チャールズ・ウェスレーの兄弟にちなんでいる。チャペル内のパイプオルガンはデンマークのマルクーセン&ソン・オルガン社製(厚木キャンパスから移設された)。またステンドグラスは、滝沢やまとのデザインである。
過去に存在したキャンパス[編集]
- 厚木キャンパス(神奈川県厚木市森の里青山)
- 文系学部(1部および昼間主コース)の1-2年次及び理工学部の1年次が使用していた。小田急線本厚木駅から神奈川中央交通バスで25分。愛甲石田駅からバスで15分。通称「厚(あつ)キャン」。青山キャンパスが手狭となったことから郊外移転の話があり、当時研究学園都市を造成していた厚木市の誘致により開設された。広大な敷地に教室をはじめグラウンドやゴルフ練習施設、宿泊研修用の施設を備えていた。キャンパス内に駐車場があり、一般学生にも自家用車通学が許可されていた。キャンパス周辺には松蔭女子大学(現在は松蔭大学)と研究所、森の里ニュータウンがあった。21世紀到来後、私立大学の都心回帰の動きにより、同大もアクセスのよい土地への再移転が検討され、新日本製鐵・國學院大學から土地を取得し2003年相模原キャンパスを設置(厚木キャンパスは閉鎖)。キャンパス閉鎖後は跡地は日産自動車へ売却、研究施設となっている。なお、厚木セミナーハウス(宿泊研修用施設)については、当初所有を継続する予定だったが、日産側からの要請で手放すこととなった。また、移転後に付けられた地名である森の里青山は現在でも使われている。
- 世田谷キャンパス(東京都世田谷区千歳台)
- 理工学部の2-4年次が使用し、理工学研究科が設置されていた。アクセスは京王線千歳烏山駅から徒歩15分、又は小田急小田原線祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩20分。理工学部の2-4年次(厚木キャンパスができるまでは全年次)および大学院生が使用したキャンパスで、通称「せたキャン」。理工学部を設置した際に開設され、開設当初は「廻沢キャンパス」という名称であった。施設が手狭になってきて、さらに老朽化していたことや、1年次生のみが厚木に通わなければならない不便があったため、厚木キャンパスとともに機能を相模原キャンパスに統合、2002年度を最後に廃止された。また、このキャンパスの隣には女子寮(スクーンメーカー寮)があった。跡地は大規模なマンション(一部商業施設あり)となっている。
- 綱島グラウンド(横浜市港北区綱島上町)
- 体育会が使用していた。馬場が存在したため、近隣住民からの苦情が存在した。なお、相模原キャンパスにおいても、地域住民の反発があり馬場を造成することができなかったため、新たに町田グラウンドが購入された。跡地は大規模マンションとなっている。
施設[編集]
学生食堂[編集]
- 青山キャンパスの学生食堂(学食)は地下に設置されている。昼の時間帯は高等部の学生、周辺の会社員などが大学の昼休み開始以前の時間帯から数多く利用している。
- 文系学部1,2年の青山キャンパス移転に備えて、2012年に新設された17号館の1階にも新しく食堂(1000席)がオープンした。
- 相模原キャンパスG棟のカフェテリアは2階建て、一部吹き抜けで屋外ラウンジもあり快適な造りとなっている。キャンパス周辺の外食事情が未発達のため、内容は安価で充実したものとなっている。しかしながら昼の時間帯は混雑が激しく、食堂を利用する事を諦め弁当を購入し教室や芝生の上で食事をする学生も多い。同キャンパスにはもう一つ、N棟1階にもカフェテリアがあり、こちらは主に研究棟から距離の近い理工学部生・研究科生の利用が多いことから、通称「理工食堂」と呼ばれている。メニューはG棟カフェテリアよりも若干少ないが、席の回転率がG棟に比べて早い。教職員専用の食事スペースも設けられている。なおこのN棟は、新日鐵の建物をそのまま使用している。外壁の色の違いからもそのことが窺える。
- 「大学学食TOP10(関東地区編)」(学食研究家 唐沢明監修)では、青山学院大学の学食は第1位となっている。
- 「学生に評価が高い学生食堂」(朝日新聞社発行「大学ランキング」編集部調査)でも、第1位だった。
青山学院購買会・ショップ[編集]
青山学院大学では大学生協に代えて、青山学院購買会の運営する購買店舗・ショップが各キャンパスに設けられている。
総合研究所ビル[編集]
青山キャンパスにある総合研究所ビル。1988年12月開所。大学総合研究所を擁し、多様な研究部門を設置している。設置目的を、学の教育・研究との有機的な関係のもとに広範に学を統合し、各専門領域と学術領域の研究を行うほか、国内外の大学及び研究機関との交流を図り、社会と学術文化の進展に寄与することにより、本学の教育・研究の基礎を培い、その水準を高めることとしている。12階の大会議室は国際会議場として同時通訳も可能であり、様々な国際会議や講演会などに使用されている。2009年には、「『帝国以後』の世界 世界経済危機と『デモクラシー以後』」と題して、世界的ベストセラーとなった『帝国以後』の著者エマニュエル・トッドが、同ビルで講演を行った。また、同年に冷戦終焉20年に際して、「鉄のカーテン解体から、ベルリンの壁崩壊へ」と題した講演会が行われ、ヴィータウタス・ランズベルギス(元リトアニア国家元首(元最高会議議長)、欧州議会議員)やスタニスキス・ヤドヴィガ(元ポーランド連帯指導者、ワルシャワ大学教授)などが講演を行った。
ガウチャー・メモリアル・ホール[編集]
青山キャンパスにある、ゴシック建築を彷彿とさせる外観のビル。大学の旧礼拝堂及び13号館(初代Avacoスタジオ)跡地に建設された。名前は、旧大学礼拝堂に、莫大な私財を献げて初期の青山学院を支えた宣教師ジョン・F・ガウチャーの名に因んでいる。1・2階にガウチャー記念礼拝堂を置き、3階から13階が教育・研究施設となっている。また、3階ロビーには校友の東郷青児の作品「天使の休日」が飾られている。この建築は「信は知の土台なり」という青山学院の教育姿勢を顕著に表現している。決して知識偏重主義に陥らず、人間の尊厳や精神性を踏まえた深みのある教養と専門教育・研究を志向し、人類の平和に貢献する人間を育成するという理念に基づく。ガウチャー記念礼拝堂は1階560席・2階132席で、礼拝堂内に設置されているパイプオルガンはスイスのマティス・オルガン社製である。礼拝以外にも、体育会の結団式、交遊会の集会場所として使用され、聖歌隊などのコンサートも開かれる。
青山学院アスタジオ[編集]
神宮前5丁目にある教育・研究施設、NHKのサテライトスタジオ、多目的ホール、商業施設などを併設する複合文化施設である。2009年9月、青山学院創立135周年事業の一環として、文化の創造、発信の地として建設された。建設場所は、大学の教育寮「常青寮」の跡地である。地上4階、地下1階の建物で、3・4階は貸し事務所、2階には大学総合文化政策学部の青山コミュニティラボ、1階にはNHKのサテライトスタジオ「NHK@CAMPAS」が入っている。名称は、「でっかいどう北海道」『AERA』などを手がけたコピーライター、眞木準による命名である。「NHK@CAMPAS」は、「開かれたスタジオ」をコンセプトにしている。大学生が制作する国際情報番組『@キャンパス』や、同学院大生や国内外の学生が制作に加わる番組、視聴者が収録に参加する番組、スタジオを使用したイベントなどを展開する予定。東京メトロ銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅B2出口より徒歩4分の場所にある。
青山学院記念館[編集]
青山キャンパス内にある大型体育館。東京オリンピック開催時の1964年に完成。観客席は2500名収容可能、最大6000人収容可能。入学式・卒業式をはじめ、国内外スポーツの公式戦やイベント・コンサートも行われる。
青山学院講堂[編集]
青山キャンパス内にある大型ホール。席数は1701席。中等部の礼拝堂としても使用される。略称「青講(あおこう)」。各種イベント、コンサート、セミナーが行われる。青山学院管弦楽団は定期公演を開催している。校友であるフジ子・ヘミング・高嶋ちさ子なども演奏を行なったことがある。
青学会館[編集]
青山キャンパス内にあり式場やレストランが運営されているほか、校友会の本部や校友スペース等も設置されている。アイビーホールと呼ばれる。創業は、1968年(昭和43年)。結婚式は、キリスト教挙式のみを行っている。
本多記念国際会議場[編集]
2012年に新設された17号館校舎の6階に4ヵ国語対応の国際会議場兼大講義室として設備され「本多記念国際会議場」と命名された。名前を冠した本多庸一は当学院における初の日本人院長で第二代院長を務めた。明治半ばにして(1888年~1890年)米国留学を果たし海外事情を積極的に学び、「日本はアジアの灯台となるよう努めねばならぬ」と主張。この様に早くから国際化について識見と関心を持って取り組んできた本多の意志を顕彰したものであり、2012年が本多の召天100年にあたりその志を継ぐ多くの学生が世界へ羽ばたく環境を整えようという願いの下に造られた。562席(机・イス)。
登録有形文化財[編集]
間島記念館[編集]
青山学院大学青山キャンパスにある、国登録有形文化財(建造物)である。1929年建設で、設計、施工は清水組。鉄筋コンクリート造3階建て、地下1階のパラディアンスタイルの建築。当初は図書館として建築されたが、現在は青山学院の資料館として使用されている。キャンパス正門を入り並木を抜けた部分にあるロータリーに北面して建つ。ポスターなどに多く使用されるなど、青山学院大学のシンボル的建築物である。正面入口は基壇のアーチ型の開口にあり、その上にギリシア建築コリント式の円柱を配してペディメントを支え、上部コーニスはデンティルで飾られて、ローマ神殿を思わせる。ネオ・ルネサンス様式の古典主義的な雰囲気を持つ建造物である。
同建築物の前には、1907年に米国聖公会から派遣された宣教師であり建築家のJ・M・ガードナーによって設計された「弘道館」があったが、関東大震災で大破した。そのため、そのデザインをベースに、1929(昭和4)年に中央図書館として再建された。名前は、校友会会長であり理事であった間島弟彦がその資金の寄付を申し出て、死後に愛子夫人がその遺志を継いで建設されたことから、間島の名字を冠している。1階中央ホール部分には、万代順四郎が寄贈した「愛」の像(横江嘉純作、1930年設置)が飾られている。
ベリーホール[編集]
青山キャンパス内の中央ロータリーに西面して建つ、国登録有形文化財(建造物)である。1931(昭和6)年に神学部校舎として建築されたが、現在は本部棟として利用されている。設計はJ.H.ヴォーゲルである。3階建の主体部北端に平屋建の礼拝堂(チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂)を設け、南端にも平屋が付くというシンメトリーの建築である。主体部や正面車寄はバットレスで飾られ、欠円アーチや尖頭アーチ、簡明な細部彫刻を配しているなど、ネオ・ゴシック様式を感じさせる意匠の建築である。
「ベリーホール」の名前は、元神学部長のA.D.ベリーに由来する。ベリーが、関東大震災で倒壊した青山学院の校舎復興のための募金活動に尽力したので、その功績をたたえて「ベリーホール」と命名された。同建築内の「チャールズ・オスカー・ミラー記念礼拝堂」にあるパイプオルガン(1932(昭和7)年ドイツ・ヴァルカー社製)は、現役で使用されるもののなかでは日本最古とも言われる。ペギー葉山のヒット曲「学生時代」の歌の中に出てくる「つたの絡まるチャペル」とはこの礼拝堂のことである。そのため、同礼拝堂の前には、同歌の歌碑が建立されている。
対外関係[編集]
他大学との協定[編集]
- 日本私立大学連盟
- 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム
- 東京12大学広報連絡協議会
- 東京キリスト教6大学進学相談会
- 全国私立大学FD連携フォーラム
- 北里大学との戦略的大学連携
- 文部科学省の平成20年度「戦略的大学連携支援事業」に選定された協定。取り組み名称は「実践的プロジェクト教育による多角的連携に基づく人材育成と医療イノベーション」。
- 国際連合大学との一般協定
- 海外協定校
- 協定校はアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スペイン、スイス、ロシア、カナダ、オーストラリア、中国、韓国、台湾など世界30カ国120校以上に上る。
- 著名な大学としては、イギリスのハートフォード・カレッジ (オックスフォード大学)・オックスフォード・ブルックス大学・シェフィールド大学・ダラム大学、アメリカのワシントン大学・アメリカン大学・メリーランド大学・フロリダ大学・カリフォルニア大学・バーモント大学・ミシシッピ大学、フランスのパリ大学、ドイツのケルン大学・ミュンスター大学、スイスのジュネーヴ大学、スペインのサラマンカ大学・アルカラ大学、オーストリアのウィーン工科大学、ハンガリーのエトヴェシュ・ロラーンド大学、ロシアのモスクワ大学、ウクライナのキエフ大学、カナダのブリティッシュコロンビア大学・ビクトリア大学、オーストラリアのシドニー大学・オーストラリア国立大学・メルボルン大学、中国の北京外国語大学・南開大学・上海師範大学、韓国のソウル大学・梨花女子大学・高麗大学・延世大学・成均館大学、台湾の国立台湾大学・国立政治大学・国立清華大学・東海大学・淡江大学、タイのタマサート大学・チェンマイ大学・チュラロンコン大学、ベトナムのハノイ国家大学、マレーシアのマラヤ大学、インドネシアのガジャマダ大学、ブルネイ・ダルサラームのブルネイ・ダルサラーム大学、モンゴルのモンゴル国立大学などがある
スポーツ[編集]
地域交流[編集]
- 渋谷芸術祭
- 渋谷ハチ公広場を中心に渋谷駅周辺で開催される、ファッションやアート、映像などをコンテンツとしたイベント。2009年は11月21~23日に実施、別にシンポジウムが12月16日に開催。主催は、青山学院大学、学校法人青山学院、渋谷道玄坂商店街振興組合、渋谷公園通商店街振興組合、渋谷センター商店街振興組合、東京急行電鉄株式会社、文化服装学院、東京モード学園などで、後援は渋谷区、特別協賛が東京電力株式会社(渋谷支社)、協力は、ヤマハ株式会社、渋谷マークシティ、エクセルホテル東急、文化学院、TokyoFM、YouTubeなど。会場は、ハチ公広場・青ガエル[旧東急電車]、マルイシティ渋谷1Fプラザ、青山学院アスタジオ、青山学院大学、NHK、渋谷マークシティ神宮通り上空通路、トーキョーワンダーサイト渋谷である。参加アーティストには日比野克彦やが〜まるちょばがいる。イベントととしては、若きクリエイターによるファッション作品の展示、ショートフィルムの上映、日本文化デザイン会議、ライブペインティングなどがある。
- 青山コモンズ
- 国際連合大学や青山学院大学、日本放送協会(NHK)、渋谷青山通り商店会などが主催、特別協賛東京電力株式会社(渋谷支社)。コモンズとは、公・私の中間にある領域という意味。国連デーや青山国際村に関連して写真展やカフェ、音楽ライブなどのイベントが行われる。会場は、国連大学、トーキョーワンダーサイト青山、クリエーター・イン・レジデンス、地球環境パートナーシッププラザ、青山オーバルビル、青山学院アスタジオ、青山学院大学。2009年は、10月23日 - 25日に開催、別にシンポジウムが12月16日に開かれた。
2009年では、両イベントを合わせて約5万人の来街者があった。
系列学校[編集]
下記の教育機関は、学校法人青山学院の設置する学校であり、いわゆる大学の「附属学校」ではない。
公式サイト[編集]
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