港南区
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港南区(こうなんく)は、横浜市を構成する18区のうちのひとつである。
目次
概要[編集]
昭和44年(1969年)10月1日、行政区再編成により南区より分区して発足した。かつては農村地帯が広がっていたが、1950年代から虫食い的に宅地開発が始まった。1970年代には野庭(のば)団地、港南台団地などといった巨大団地が形成され、人口は爆発的に増加した。発足時の人口は約9万5千人であったが、現在では約22万人の暮らす住宅都市となっている。戦後しばらくは、大岡川沿いに捺染工場が林立し、横浜名産のスカーフが生産されていた。
地理[編集]
区の北東を京浜急行本線が通り、また北東から中央部にかけて横浜市営地下鉄ブルーラインが通り、さらに南にはJR根岸線が通っている。区の中央部には横浜横須賀道路が縦断しており、鎌倉街道との交点に日野インターチェンジ、環状3号の交点に港南台インターチェンジがそれぞれ設けられている。区の南北には鎌倉街道、東から北にかけて環状2号、南には環状3号が通っている。
商業地は主に上大岡駅周辺と港南台駅周辺で、区役所や警察署など官公庁は港南中央駅周辺に集中している。特に上大岡駅周辺地区は、横浜市における主要な生活拠点(旧:副都心)位置付けられており[1][2]、市街地再開発事業が進行中である。
横浜市内の行政区の中で唯一、区が旧武蔵国と旧相模国に二分されている。
歴史[編集]
中世には、永野小学校一帯に宅間上杉家の砦があり、そのまま後北条氏が受け継いでいる。また、笹下一帯は、佐々木氏一族間宮氏が笹下城を構え、これも後北条氏が受け継いでいる。
- 江戸時代までは武蔵国久良岐郡久保村、最戸村、上大岡村、笹下村、日野村と相模国鎌倉郡永谷村、上野庭村、下野庭村であった[3]。
- 1889年4月1日 市制・町村制施行に伴ういわゆる「明治の大合併」で、久良岐郡大岡川村[4]と日下村[5]、鎌倉郡永野村[6]が成立。
- 1927年4月1日 久良岐郡大岡川村と日下村が横浜市に編入される。
- 1927年10月1日 中区に編入される。
- 1930年4月1日 湘南電気鉄道(現在の京急本線)黄金町-浦賀間開通。上大岡駅開業。
- 1936年10月1日 鎌倉郡永野村が横浜市中区に編入される。
- 1943年12月1日 戦時配給制度の手続の軽減を図るため、中区の寿警察署・大岡警察署管内の地区を南区に分区。
- 1950年12月1日 南区役所港南出張所が開設される。
- 1954年4月 横浜市立南高等学校開校。
- 1964年11月1日 港南出張所が港南支所になる。
- 1969年10月1日 行政区再編成に伴い港南支所管内[7]を南区から分区し、港南区が発足。
- 1970年5月 区の人口が10万人を突破する。
- 1971年10月 港南区総合庁舎落成。
- 1972年12月16日 市営地下鉄1号線(ブルーライン)伊勢佐木長者町-上大岡間開通。
- 1973年4月9日 国鉄(現在のJR)根岸線洋光台-大船間開通。港南台駅開業。
- 1973年4月 神奈川県立港南台高等学校開校。
- 1976年9月4日 市営地下鉄1号線上大岡-上永谷間開通。港南中央駅・上永谷駅開業。
- 1978年6月 横浜港南メディカルセンター完成。
- 1984年6月 区の人口が20万人を突破する。
- 1985年3月14日 市営地下鉄1号線上永谷-舞岡間開通。下永谷駅開業。
- 1986年4月 神奈川県立永谷高等学校開校。
- 2003年4月 神奈川県立野庭高等学校と神奈川県立日野高等学校が統合され、神奈川県立横浜南陵高等学校となる。
- 2014年4月10日 定時制高校の神奈川県立横浜明朋高等学校開校
行政[編集]
- 区長:
地域[編集]
町名[編集]
健康[編集]
- 平均年齢 44.28歳(2010年1月1日)※横浜市の平均は43.12歳
教育[編集]
大学[編集]
高等学校[編集]
- 公立
- 私立
- 鹿島学園高等学校横浜港南台キャンパス
中学校[編集]
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小学校[編集]
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特別支援学校[編集]
- 横浜市立日野中央高等特別支援学校
- 横浜市立港南台ひの特別支援学校
交通[編集]
鉄道[編集]
路線バス[編集]
道路[編集]
- 高速道路
- 県道
- 市道
商業施設[編集]
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事[編集]
港南区に関する作品[編集]
港南区出身の有名人[編集]
- 高島礼子 女優
- 扇さや ジャズ歌手
- 福嶋晃子 プロゴルファー
- 坂田大輔 サッカー選手
- 黒羽根利規 プロ野球選手
- 松井淳 プロ野球選手
- 松浦勝人 実業家
- 草野博紀 アイドル
- ジャッキー佐藤 女子プロレスラー
- 石井裕也 プロ野球選手
- 青木隆治 ものまね芸人
註[編集]
- ↑ 横浜市都市計画マスタープラン(全体構想)PDF 平成25年3月発行。編集・発行、横浜市都市整備局企画部企画課。
- ↑ 上大岡が副都心に選ばれた理由、そして副都心の定義とは?(はまれぽ.com 2012年8月19日)
- ↑ なお、笹下村は更に雑色村、松本村、関村に、日野村は吉原村、宮ヶ谷村、金井村、宮下村に、永谷村は永谷上村、永谷中村、永谷下村に分立していた時期もある。
- ↑ 久保村、最戸村、上大岡村(以上、現在の港南区域)と下大岡村、別所村、中里村、引越村、弘明寺村、蒔田村、井土ヶ谷村、永田村、堀之内村(以上現在の南区域)の12か村が合併して成立。旧村を承継した12大字を形成。1911年大字井土ヶ谷、堀之内、蒔田、弘明寺が横浜市に編入される。
- ↑ 日野村、笹下村(以上、現在の港南区域)と、矢部野村、田中村、栗木村、上中里村、峯村、氷取沢村(以上、現在の磯子区域)の8か村が合併して成立。旧村を承継した8大字を形成。区制施行の際磯子区と地域を分割する。
- ↑ 永谷村、上野庭村、下野庭村の3か村と平戸村の飛び地が合併して成立。旧村名を承継した4大字を形成。横浜市合併時に大字上野庭、下野庭が野庭町へまとめられる一方、大字永谷は逆に上永谷町、下永谷町に分割された。大字平戸は下永谷町に編入される。
- ↑ 下永谷町字山谷を除く。同地は現在の南区六ツ川四丁目