徳川義宣
徳川 義宣(とくがわ よしのぶ、1933年12月 - 2005年11月23日)は、尾張徳川家の第21代当主。佐倉堀田家の6男・正祥として生まれ、1955年に尾張徳川家に養子入りした。1961年に東京銀行を退行し、以後は徳川黎明会や徳川美術館、八雲産業の運営に携わった。古美術品・美術史について研究し、雑誌掲載稿が多くあるほか、愛知学院大学、青山学院女子短期大学、上智大学、学習院大学で講師を務めた。
目次
経歴[編集]
1933年12月、東京都渋谷区で、下総・佐倉の堀田家の6男・正祥として生まれる[1]。
1940年4月、学習院初等科に入学[2]。1946年に学習院中等科、1949に学習院高等科に進学。中等科1年から高等科2年まで野球部に所属し、また中等科・高等科時代に史学部に所属していた[3]。
学習院大学政経学部経済学科へ進学し、財政学を学んだ[4]。在学中の1953年には自治委員長を務めた[5]。
1955年11月、尾張徳川家と養子縁組し、徳川義宣と改名[6]。
1956年3月、学習院大学を卒業し、同年4月に東京銀行に入行[7]。
1957年11月、(財)徳川黎明会評議員[6]。
1960年5月、同会理事[6]。
1961年7月、東京銀行を退行[6]。以後、財団や美術館の建て直しに取り組む[8]。
同年9月、北海道の山林経営の勉強のため、東京大学農学部林学科の研究生となり(1964年9月まで)、また美術の専門知識習得のため、東京国立博物館の研究生となる(1965年3月まで)[9]。
1965年1月、八雲産業(株)社長[6]。
1967年3月、徳川黎明会専務理事[6]。
1972年10月に設立された(有)徳川農場の社長に就任[6]。
1976年4月、徳川美術館館長[6]。
1977年4月より、愛知学院大学文学部講師[6]。
1981年4月より、青山学院女子短期大学国文科講師[6]。
1983年4月より、上智大学美術史講師[6]。
1984年3月、愛知学院大学文学部講師を退任[6]。
1986年3月、上智大学講師を退任[6]。
1991年4月、学習院大学日本社会史講師[6]。
1992年4月[10]または1993年5月[6]、義父・義知の死去を受け、徳川黎明会会長に就任。
2002年3月、青山学院女子短期大学国文科講師を退任[6]。
2005年11月23日、肺癌の治療を終えて退院した後、肺炎のため再入院中に死去。享年71。[11]
家族[編集]
妻・徳川三千子[13]
友人[編集]
名前[編集]
- 尾張徳川家に養子入りした後、義宣(よしのぶ)を名乗ったが、表記が似ている同家の第16代・義宜(よしのり)と同じ訓読みと間違えられたり、訓読みが同じ15代将軍・慶喜(よしのぶ)と混同されることがあった[15]。
栄典[編集]
著作物等[編集]
文献DB[編集]
著書[編集]
(編注)オーサーシップ(Honorary authorship)の問題含み。特に、1983年に著書が3冊ある点は不自然。徳川黎明会編の場合などは、別人が主編著者と考えた方がいいようにも思われる。
- 徳川(1964) - 『葉月物語絵巻』木耳社、1964年、NDLJP 2503772
- 書評:鈴木一雄「新刊紹介 葉月物語絵巻」至文堂『国文学 - 解釈と鑑賞』vol.30 no.3、1965年3月、p.232、NDLJP 3550311/119
- 書評:増淵勝一「徳川義宣著『葉月物語絵巻』」平安朝文学研究会『平安朝文学研究』vol.2 no.1、1965年5月、pp.163-166、NDLJP 2273593/83
- 荒川・徳川(1977) 荒川浩和、 - 『琉球漆工芸』日本経済新聞社、1977年、JPNO 77027024
- 徳川(1982) - 『茶壺』淡交社、1982年、ISBN 4473008096
- - (1983) - (解説)『国宝/源氏物語絵巻』岩崎美術社、1983年、JPNO 83046326
- - (1983) - (編著)『徳川家康真蹟集』角川書店、1983年、JPNO 84014717
- - (1983) - (著)徳川黎明会(編)『新修 徳川家康文書の研究』徳川黎明会、1983年、NCID BN02801389
- - (1988) - 『迷惑仕り候 - 美術館長みてある記』淡交社、1988年、ISBN 4473010384
- - (1992) - 『言語道断』淡交社、1992年、ISBN 4473012581
- - (1994) - 『殿さまのひとりごと』思文閣出版、1994年、ISBN 4784208291
- 徳川ほか(1997) - ほか(編)『茶の湯美術館 1 東京・関東』角川書店、1997年、ISBN 4046512016
- - (1997) - ほか(編)『茶の湯美術館 2 京都・関西』角川書店、1997年、ISBN 4046512024
- - (1998) - ほか(編)『茶の湯美術館 3 全国』角川書店、1998年、ISBN 4046512032
- - (2006) - (著)徳川黎明会(編)『新修 徳川家康文書の研究 第2輯』吉川弘文館、2006年、ISBN 4642034188
- - (2006) - 『徳川さん宅の常識』淡交社、2006年、ISBN 4473033120
雑誌記事[編集]
下記のほか、日光東照宮『大日光』、徳川美術館『葵』、徳川黎明会『金鯱叢書』、三彩社『古美術』、三徳庵『茶道の研究』、淡交社『淡交』などへの掲載稿多数。詳細は#文献DB参照。
- - (1973) - 「加藤清正と讃岐国 - 忠広息女の婚嫁をめぐって」徳川黎明会『徳川林政史研究所研究紀要』1973年3月、pp.464-508
- - (1978) - 「漆と首・頭蓋骨・清正兜・刀鎗」中央公論新社『中央公論』vol.93 no.8、1978年8月、pp.33-35、NDLJP 3365913/20
テレビ番組出演[編集]
付録[編集]
関連文献[編集]
- 啓明寮生一同『啓明寮 - 尾張徳川家』エフエー出版、1986年3月、JPNO 87006307
- 田中仙堂「故義父徳川義宣との想い出 - セントローレンス川の紅葉」『茶道の研究』vol.51 no.2、2006年2月、pp.62-64
- 田中真希代「徳川先生からの手紙」日本陶磁協会『陶説』no.637、2006年4月、pp.61-63
脚注[編集]
- ↑ 徳川 2006 98,奥付
- ↑ 徳川 2006 34
- ↑ 徳川 2006 38,173
- ↑ 小田部 1988 24
- ↑ 徳川 2006 36
- ↑ 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 徳川 2006 奥付
- ↑ 徳川 2006 106,奥付
- ↑ 徳川 2006 109
- ↑ 徳川 2006 109,奥付
- ↑ 徳川 2006 105
- ↑ 徳川 2006 196,奥付
- ↑ 12.0 12.1 12.2 12.3 徳川 2006 35
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 徳川 2006 48
- ↑ 徳川 2006 124
- ↑ 徳川 2006 63-80
- ↑ 徳川 2006 76-80
- ↑ 徳川 2006 46
参考文献[編集]
- 本人の著作物については#著作物等を参照。
- 小田部 (1988) 小田部雄次『徳川義親の十五年戦争』青木書店、1988年、ISBN 4250880192