ATTACK BLOCK
ATTACK BLOCK (アタックブロック)は、北海道札幌市で活動する日本のパンク・ロックバンド。2012年12月28日結成。
目次
概要[編集]
ENDIE (Gt./Vo.)、Tsutaya (Ba./Vo.)、 Mikuni (Dr.) から成るスリーピースバンド。北海道の道央エリアを中心的な活動範囲としており、北は空知管内上砂川町、南は札幌市営地下鉄南北線すすきの駅周辺 (ライブハウスの点在するエリア) にわたりライブ活動を行っている。
2011年に公開されたイギリスのSFアクション映画 『アタック・ザ・ブロック』(Attack the Block)と直接の関連はない。
曲想は、叙情性のあるメロコアを主体とする。ジャズにおけるスウィングを採り入れたグルーヴィな音楽を目指している(メンバー談)。
RPG や Dance Dance Revolution などのいわゆる音ゲー等、ゲーム音楽のカヴァーを行うこともある。
メンバー[編集]
ENDIE(えんでぃー)[編集]
ギターパートおよびボーカルを担当。オリジナル楽曲のうち多くの曲の作詞と作曲を手がけている。下に述べるように Tsutaya と旧知の間柄である。音楽理論に裏打ちされた、アドリブネタの豊富なレパートリーが特徴。1987年生まれ。北海道砂川市出身の男性。
Tsutaya(つたや)[編集]
ベースパートおよびボーカルを担当する。フレンドリーな MC とメロディアスなベースラインを売りとする。1986年生まれ、北海道美唄市茶志内町出身、男性。
Mikuni(みくに)[編集]
ドラムスを担当。師匠。2007年の日本経済新聞による第2回日経おとなのバンド大賞本選の優勝[1]経験をもつバンド Bibsel のドラムスを務める。北海道釧路市出身、男性。
作品[編集]
楽曲をSoundCloudの個人ページにて公開している。また、YouTubeの公式チャンネルでは自主製作の MV を一般公開。
結成まで[編集]
高等学校時代[編集]
Tsutaya と ENDIE は空知管内の公立高校の同窓生である。二人の在籍していた高校では性別比の偏りが大きく、同学年在籍の男子生徒は総数3名であった。三人は楽器演奏を通じて意気投合し、校内バンドを結成する。この時期を通じての活動の主体は THE BLUE HEARTS や Hi-STANDARD のコピー演奏である。ENDIE にとり初めてのバンド体験となるが、Tsutaya は当時「お前が有名になったら『俺にエレキギターを持たせたのは Tsutaya です』と言え」と、当初からその音楽性を賞賛していた。
2002年4月高校入学。10ヶ月後の2003年2月14日、ドラムスにうええもんを迎え、パイパンズを結成。岩見沢市のライブハウス・ストロベリージャングルや MP Hall を中心に活動を開始する。
2003年冬にギターの古屋にゃんにゃんを迎え、パイパンズは“にゃんにゃんズ”に名称変更。これと並行して同校の軽音楽部での活動を続けた[2]。軽音楽部でのラインナップは、主に GO!GO!7188・Do As Infinity ・大塚愛などのコピーである。ボーカルは部長と呼ばれた人物(同高校軽音楽部の元部長)、ドラムスは『ハイハットの鬼』の異名をとるはるみ先輩であった。顧問は根本教諭。もう一人の同級生については後述する。
3年次の春、ENDIE と Tsutaya を含む同校の3名 (このときに 岩崎じゅんき が加わる) および校外の2名が 33MAFIA(みみまふぃあ)を結成。エフエム北海道主催による SOUND AIR 2005 にてサウンドエアー賞、ヤマハ音楽振興会主催 TEENS' MUSIC FESTIVAL 2005 にて奨励賞を受賞。SONY MUSIC 主催イベント TEENS SOUND BATTLE では、音楽系学校の学生らと競いグランプリを受賞。副賞として、スタジオ貸切による2曲のレコーディング権利を得る。
別離と再会[編集]
高校卒業後、就職や進学(Tsutaya は札幌へ、ENDIE は旭川へ) により、初めはスタジオなどでの交流を続けたものの、関係は次第に希薄化する。 Tsutaya は札幌にてバンド活動を、ENDIE は単独活動と別々の活動を続け5年が経過。後に、Tsutaya の所属したバンド SHEEP SLEEP の自主製作CDが予告なく ENDIE の自宅に郵送されたことが、バンド再結成のきっかけとなる。ENDIE は返事として、自身のソロ曲の CD を Tsutaya 宅の郵便受けに直接投函。2012年10月、二人は上砂川町の ENDIE 宅にて再会し、バンドの再結成を決断する。
ドラムス公募[編集]
ドラムパートの不在が喫緊の課題だった二人は、mixi に存在したバンドメンバー募集コミュニティにて新規加入者を募り、2012年12月までに数通の応募があった。このうちの一通に三国からのメールが含まれていた。この後三国は、メンバーの「師匠」としての活動を続けることになる(旧公式ブログにて言及[3])。
脚注[編集]
- ↑ "「おとなのバンド大賞」グランプリ決定-加藤和彦さんらとセッションも - 品川経済新聞", http://shinagawa.keizai.biz/headline/144/, 2017-07-06 閲覧。
- ↑ 耳の裏, http://01ch.xmbs.jp/ch.php?ID=miminoura&c_num=111097, 2017-07-07 閲覧。
- ↑ ENDIEのマルチな二流を目指すブログ(ATTACK BLOCK公式ブログ)(インターネット・アーカイブ内), http://web.archive.org/web/20131215054427/http://ameblo.jp/endieidne/entry-11653658356.html, 2017-07-18 閲覧。