萩原吉太郎
提供: Yourpedia
萩原 吉太郎(はぎわら きちたろう、1903年 - 2001年8月8日)は、千葉県出身の日本の実業家。1955年北海道炭礦汽船(北炭)社長に就任。
1926年、慶應義塾大学理財科(現・経済学部)卒業。在学中は高橋誠一郎教授(後に吉田茂内閣文相)に認められ、学校に残ることを勧められたほどであった。
卒業後、三井合名に入社。後に三井合名常務理事から北炭会長となった島田勝之助の目に留まり、1940年島田とともに北炭へ移る。1947年に常務取締役、1955年に社長制が敷かれ初代社長に就任。
1958年、北炭の不動産管理会社として北海道不動産(グランビスタ ホテル&リゾートの前身)を設立、炭鉱が斜陽化した時期に観光産業に目を付けて、北炭が従来持っていた不動産などを利用し、参入していく。また、札幌テレビ放送(STV)を設立することで放送事業にも参入した。
「政商」と呼ばれ、児玉誉士夫、永田雅一と古くから親交を結んでいたほか、三木武吉、大野伴睦、河野一郎ら党人派政治家と交流を持ち、事業においても政治力を駆使してきたが、エネルギー革命の波に抗うこと叶わず、1981年に会長を辞任、翌年1982年に北炭は閉山に追い込まれた。
後に観光産業がデフレによって厳しい状況になり、不動産を北炭から受け継いだ三井観光開発株式会社も2005年に銀行より債権放棄を受け、現在は体勢を立て直し中である。