14世紀
14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す。
14世紀の歴史[編集]
世界[編集]
14世紀のヨーロッパではペストにより人口が大きく減少(詳細は後述)した後、イタリアルネサンスにより、新しい時代へと大きく転換した。
13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国は弱体化し、アジア各地に明王朝やティムール朝など地域的な新しい国家が誕生、モンゴル帝国の元王朝は明王朝の脅威から逃れるため、大都を捨て北部モンゴル高原へ退去した(以後、北元と呼ばれる)。一方、13世紀末に成立したオスマン帝国も勢力を拡大した。
ペスト(黒死病)の大流行[編集]
正確な統計はないが、全世界でおよそ8,500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されている。ヨーロッパの社会、特に農奴不足が続いていた荘園制に大きな影響を及ぼした。モンゴル帝国の支配下でユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになったことが、この大流行の背景にあると考えられている。
日本[編集]
14世紀の日本は、時代区分上では中世、鎌倉時代後期から室町時代の初期(南北朝時代の全期間を含む)にあたる。
鎌倉時代[編集]
2度に渡る元寇を撃退し、得宗権力を強めた鎌倉北条政権であったが、武士たちに募る恩賞の不満や徳政令の発布、霜月騒動、平禅門の乱などによる政治的混乱で政権への不満を招いていた。
南北朝時代・室町時代[編集]
後醍醐天皇の討幕運動に足利尊氏・新田義貞らの活躍で鎌倉幕府は滅亡し、後醍醐天皇は建武の新政と呼ばれる天皇親政を開始する。新政は唐突な改革による混乱と恩賞などに対する武士層を中心とする不満を招き、離反した尊氏が京都に室町幕府を開いて北朝を立てると、吉野に逃れた後醍醐天皇の南朝と対立する(南北朝時代)。
その後南朝の勢力は衰亡するが、尊氏と弟直義が対立する内紛(観応の擾乱)が起き、南朝は混乱に乗じて息を吹き返す。幕府内部での政治抗争は3代将軍足利義満の時代まで続き、抗争により有力守護大名が南朝に奔るといった状態が繰り返される。今川貞世が九州へ派遣されて平定を完了すると、室町幕府の権力は確立され、1392年に義満により南北朝の合一が行われる。これより前の1379年には室町幕府の政治事件「康暦の政変」も起こっており、以後義満は1391年に明徳の乱、1399年に応永の乱を自らの主導により誘発して対抗勢力を駆逐し、やがて天皇の権威にせまる将軍権力を確立する。
近隣諸国との関係・琉球の情勢[編集]
元寇により日本と元朝の公式の通商は途絶えたが、天龍寺船などの寺社造営資金の調達のための貿易船(寺社造営料唐船)の派遣や、留学僧の渡来など、ある程度の交流は続いていた。14世紀の東アジアには倭寇と呼ばれる海上勢力が活動しており(14世紀の倭寇は「前期倭寇」と呼ばれる)、中国で1368年に成立した明王朝では、日本に倭寇鎮圧を求めており、この頃九州に割拠していた南朝勢力である懐良親王は明の使節を迎えて冊封を受ける。15世紀に入って足利義満が冊封を受けなおして「日本国王」となり、大陸との交流は絶頂を迎える。
一方、当時の朝鮮半島でも倭寇征伐が行われており、その過程で名声を得た李成桂が高麗王朝を倒し李氏朝鮮が成立する。
琉球では中山・南山・北山の三山時代を迎えて、いずれも明王朝に朝貢をし、高麗にも使節を送っていた。三山のうち中山が勢力を拡大し、15世紀に琉球王国の成立にいたる。
できごと[編集]
- 1301年
- 1302年
- 1303年 - アナーニ事件。
- 1305年 - 元のテムル(成宗)にオゴタイ家とチャガタイ家が服属しモンゴルが再統一される。
- 1308年
- 1308年 - 守邦親王が鎌倉幕府第9代将軍となる。
- 1308年 - ルーム・セルジューク朝滅亡。
- 1309年 - アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)。
- 1311年 - 北条宗宣が鎌倉幕府第11代執権に就任。
- 1312年 - 北条煕時が鎌倉幕府第12代執権に就任。
- 1314年
- バノックバーンの戦いで、イングランド軍がスコットランド軍に大敗し支配権を喪失。
- フランスで「ネールの塔」事件が発覚する。国王フィリップ4世が死去。
- 1315年
- 北条基時が鎌倉幕府第13代執権に就任。
- モルガルテンの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利。
- 1315年〜1321年頃 - ヨーロッパで激しい飢饉。→ 小氷期。
- 1316年 - 北条高時が鎌倉幕府第14代執権に就任。
- 1317年
- 鎌倉幕府が持明院・大覚寺両統の迭立を提案するが不調に終わる(文保の和談)。
- アヴィニョン教皇ヨハネス22世の回勅「クォルムダム・エクスィギト」により清貧論争が激化。
- 1318年
- 花園天皇が譲位し、第96代後醍醐天皇が即位。
- イル・ハン国宰相であったラシードゥッディーンが処刑される。
- 1320年
- 1323年
- 1324年
- 後醍醐天皇の挙兵計画である 正中の変が発覚。
- マリ王国のマンサ・ムーサのメッカ巡礼。
- 1326年
- 1327年
- 王妃イザベラによりイングランド王エドワード2世が廃位され、息子エドワード3世が即位。
- ジェーラムの戦いで、ムハンマド・ビン・トゥグルクがチャガタイ・ハン国を撃破。
- 1328年
- 1330年 - イングランド王エドワード3世が母后イザベラとマーチ伯を失脚させる。
- 1331年 - 元弘の変
- 1332年 - 幕府、後醍醐天皇を隠岐島に流す。
- 1333年 - 足利尊氏・新田義貞らにより鎌倉幕府が滅亡。
- 1334年
- 1335年
- 1336年
- 1337年 - イングランドとフランスの間で百年戦争が始まる(-1453年)。
- 1338年 - 四條畷の戦い
- 1339年
- 1340年
- サラードの戦いにて、カスティーリャ軍が勝利し、マリーン朝はイベリア半島から撤退。
- ハールィチ・ヴォルィーニ戦争始まる( - 1392年)。
- 1341年
- 1344年 - アラゴン王国がバレアレス諸島のマヨルカ王国を併合。
- 1346年
- クレシーの戦い。
- ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンが「セルビア人とローマ人の皇帝」となる。
- 1347年
- 1348年 - イングランド国王エドワード3世によりガーター騎士団が設置される。ガーター勲章も制定。
- 1350年 - タイでアユタヤ王朝成立。
- 1350年 - 観応の擾乱と呼ばれる室町幕府の内部抗争が勃発。
- 1351年 - 紅巾の乱。
- 1352年 - 応安の半済令施行。
- 1353年 - イルハン朝の滅亡。
- 1356年
- 1357年 - ポルトガル国王ペドロ1世の即位。惨殺された愛妾イネス・デ・カストロを王妃として復権させる。
- 1358年
- 1359年 - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)、君主(ハーン)乱立時代に入る( - 1378年)。
- 1360年 - 5月、幕府執事の細川清氏が佐々木道誉の讒言で失脚する。
- 1362年 - デンマークとハンザ同盟との戦争が始まる( - 1370年)
- 1368年
- 1369年 - トラスタマラ伯エンリケがカスティリア王ペドロ1世を殺害し王位に就く(エンリケ4世)。トラスタマラ朝の成立。
- 1370年 - ティムール朝の成立。
- 1375年 - アステカ王国の成立。
- 1376年
- イングランドで「善良議会」が召集され、ランカスター公らが弾劾される。同年、エドワード黒太子が死去。
- 空印の案。
- 1378年
- 1379年 - 斯波氏のクーデターである康暦の政変で管領の細川頼之が失脚する。
- 1380年
- 1381年 - イングランドでワット・タイラーに率いられた農民・労働者が暴動を起こす(ワット・タイラーの乱)。
- 1383年 - 長慶天皇が譲位し、第99代後亀山天皇が即位。
- 1385年
- 1386年
- ポーランド・リトアニア連合王国成立(ヤギェウォ朝)。
- ゼンパッハの戦いでスイス軍がハプスブルク軍に勝利し事実上の独立を果たす。
- 1388年
- 1389年 - コソヴォの戦い。オスマン帝国がセルビアを従属させる。
- 1390年 -
- 1391年 - 明徳の乱
- 1392年
- 李成桂が高麗を滅ぼし李氏朝鮮建国。
- 南北朝の合一。後亀山天皇が京都に帰り、神器を第100代後小松天皇に渡す。
- フランス国王シャルル6世が発狂する。
- 1393年
- オスマン帝国のタルノヴォ征服により第二次ブルガリア帝国が滅亡する。
- 藍玉の獄。
- 1394年 - 足利義満が将軍職を第4代足利義持に譲り、太政大臣となる。
- 1396年 - ニコポリスの戦い。オスマン帝国、欧州連合撃破。
- 1397年
- 1398年 - ティムールのインド北部侵攻。
- 1399年
人物[編集]
キリスト教世界[編集]
ローマ教皇[編集]
- ボニファティウス8世(1235年 - 1303年) - ローマ教皇(在位1294年 - 1303年)・フランス王と争いアナーニ事件後に憤死
- クレメンス5世(1264年 - 1314年) - ローマ教皇(在位1305年 - 1314年)・教皇庁をアヴィニョンに移転する
- ヨハネス22世(1244年? - 1334年) - ローマ教皇(在位1316年 - 1334年)・清貧論争や聖職禄問題に介入
- ウルバヌス6世(1318年 - 1389年) - ローマ教皇(在位1378年 - 1389年)・教会大分裂のローマ派初代
- クレメンス7世(1342年 - 1394年) - ローマ教皇(対立教皇)(在位1378年 - 1394年)・教会大分裂のアヴィニョン派初代
フランス・フランドル[編集]
- ジャック・ド・モレー(1244年? - 1314年) - テンプル騎士団の最後の総長・ヴィエンヌ公会議の決定で処刑される
- ベルナール・ギー(1261年/1262年 - 1331年) - フランスのドミニコ会士・異端審問官・『異端審問の実務』の他に多くの教会文書を編纂
- フィリップ4世(端麗王)(1268年 - 1314年) - フランス王(在位1285年 - 1314年)・アナーニ事件で教皇権を抑える
- フィリップ6世(1293年 - 1350年) - ヴァロワ朝初代のフランス王(在位1328年 - 1350年)・百年戦争ではクレシーの戦いで敗北
- ジャン・ビュリダン(1295年頃 - 1358年) - フランスの聖職者・哲学者として「インペトゥス理論」を展開・「ビュリダンのロバ」でも有名
- ギヨーム・ド・マショー(1300年頃 - 1377年) - フランスのアルス・ノーヴァの作曲家・詩人・「ノートルダム・ミサ曲」が有名
- エティエンヌ・マルセル(1315年 - 1358年) - パリ市長・王太子シャルルと対立し百年戦争の間にパリを支配・ジャックリーの乱とも合流
- ギョーム・カルル(? - 1358年) - フランスの農民・ジャックリーの乱の指導者・ナバラ王シャルルに敗れ処刑される
- ベルトラン・デュ・ゲクラン(1320年 - 1380年) - フランスの軍人・国王シャルル5世に仕え百年戦争初期に活躍・フランスの劣勢を挽回
- ニコル・オレーム(1323年 - 1382年) - フランスの聖職者・科学者として『天体地体論』を執筆・国王側近として貨幣改革の理論家として活躍
- ジャン・フロワサール(1337年頃 - 1405年頃) - フランドル出身の年代記作家・『年代記』は百年戦争前半における重要な史料
- シャルル5世(賢明王)(1338年 - 1380年) - ヴァロワ朝のフランス王(在位1364年 - 1380年)・ブレティニ・カレー条約で領土奪回
- フィリップ2世(豪胆公)(1342年 - 1404年) - ヴァロワ家の初代ブルゴーニュ公(在位1363年 - 1404年)・婚姻によりフランドルを継承
- ロクス(1348年 - 1376年(1295年 - 1327年説もあり)) - フランス南部モンペリエ出身の信仰者・黒死病に対する守護聖人として崇敬される
イタリア[編集]
- ジョヴァンニ・ダ・モンテコルヴィーノ(1246年 - 1328年) - イタリア生まれの宣教師・インドを経て中国で宣教を行い大都大司教となる
- ダンテ・アリギエーリ(1265年 - 1321年) - フィレンツェの政治家・哲学者・詩人・『神曲』や『新生』の著者
- ジョット・ディ・ボンドーネ(1267年頃 - 1337年) - フィレンツェのゴシック期の画家・彫刻家・建築家・ルネサンスの先駆者とされる
- パドヴァのマルシリウス(1275年/1280年/1290年 - 1342年/1343年) - イタリアの哲学者・神学者・『平和の擁護者』の著者
- シモーネ・マルティーニ(1284年頃 - 1344年) - シエナのゴシック期の画家・アヴィニョンでも活躍し国際ゴシックの先駆者とされる
- ポルデノーネのオドリコ(1286年 - 1331年) - イタリア出身のフランシスコ会士・インドから中国まで歴訪し『東洋旅行記』を残す
- ジョヴァンニ・デ・マリニョーリ(1290年? - 1357年) - イタリア出身のフランシスコ会士・宣教師として元朝に赴き順帝に会見
- フランチェスコ・ペトラルカ(1304年 - 1374年) - イタリアの人文主義者・古典学者・詩人・『アフリカ』『凱旋』の著者
- ジル・デ・アルボルノス(1310年 - 1367年) - スペイン出身の枢機卿・アヴィニヨン教皇に従いイタリア各地の僭主を平定し教皇領を回復
- ジョバンニ・ボッカチオ(1313年 - 1375年) - フィレンツェの古典学者・作家・『デカメロン』の著者
- コーラ・ディ・リエンツォ(1313年? - 1354年) - ローマの政治家・護民官を名乗り教皇不在のローマ復興を唱えるが処刑される
- シエナのカタリナ(1347年 - 1380年) - ドミニコ会第三会員の在俗修道女・教皇のアヴィニョンからローマへの帰還を促す・後に列聖
- ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年 - 1402年) - ヴィスコンティ家の初代ミラノ公(在位1395年 - 1402年)
神聖ローマ帝国[編集]
- マイスター・エックハルト(1260年頃 - 1328年頃) - ドイツの神学者・神秘主義者・異端宣告を受ける・著作に『神の慰めの書』など
- ルートヴィヒ4世(1282年 - 1347年) - ヴィッテルスバッハ朝の神聖ローマ皇帝(在位1314年 - 1347年)・レンゼ選帝侯会議を開催
- カール4世(1316年 - 1378年) - ルクセンブルク朝の神聖ローマ皇帝(在位1355年 - 1378年)・「金印勅書」を発布
- ルドルフ4世(建設公)(1339年 - 1365年) - ハプスブルク家のオーストリア公・「大公」の詐称やウィーンの整備で有名
- ティル・オイレンシュピーゲル(1300年? - 1350年?) - ドイツのクナイトリンゲン出身のトリックスター・民衆本の伝説で有名
イングランド[編集]
- オッカムのウィリアム(1285年 - 1347年) - イングランドのフランシスコ会士・後期スコラ学(唯名論)の神学者・哲学者
- エドワード3世(1312年 - 1377年) - イングランド王(在位1327年 - 1377年)・百年戦争を引き起こす
- ジョン・ウィクリフ(1320年頃 - 1384年) - オックスフォード大学教授・その教説からロラード派が展開し宗教改革の先駆者となる
- エドワード黒太子(1330年 - 1376年) - イングランドのエドワード3世の王太子・クレシーの戦いやポワティエの戦いで勝利
- ワット・タイラー(? - 1381年) - イングランドの農民・ワット・タイラーの乱の指導者・ロンドン市長により暗殺される
- ジョン・ボール(1338年頃 - 1381年) - イングランドの神父・ウィクリフの影響を受けワット・タイラーの乱では精神的指導者となる
- ジェフリー・チョーサー(1343年頃 - 1400年) - イングランドの詩人・『カンタベリー物語』の著者
- ジョン・マンデヴィル(生没年不詳) - イングランドの著作家・幻想と奇談で知られる『東方旅行記』を書く・架空人物説もある
スコットランド[編集]
- ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス(1266年? - 1308年) - スコットランドのフランシスコ会士・後期スコラ学(実在論)の神学者・精妙博士
- ウィリアム・ウォレス(1272年頃 - 1305年) - スコットランドの愛国者・イングランドによるスコットランド支配に抵抗
- ロバート1世(1274年 - 1329年) - スコットランド国王(在位1306年 - 1329年)・独立戦争に勝利・アーブロース宣言を採択
東ローマ帝国[編集]
- テオドロス・メトキテス(1270年 - 1332年) - 東ローマ帝国宰相・パレオロゴス時代の建築を代表するコーラ修道院の増改築を行う
- ヨハンネス・ククゼレス(1280年頃 - 1360年) - 東ローマ帝国の音楽家・カロフォニーと呼ばれる詠唱法を大成・「光栄讃詞」などの作品がある
- ヨハネス6世カンタクゼノス(1295年 - 1383年) - 東ローマ皇帝(在位1347年 - 1354年)・帝位継承争いで国土を消耗・『歴史』を残す
- グレゴリオス・パラマス(1296年 - 1359年) - アトス山の修道士・テサロニケ大主教・神学者として静寂主義(ヘシカズム)を提唱
東欧[編集]
- ゲディミナス(1275年 - 1341年) - リトアニア大公国の君主(在位1316年 - 1341年)・キリスト教化に苦慮しつつ東方に領土拡大
- イヴァン1世(カリター)(1288年 - 1340年) - モスクワ大公(在位1325年 - 1340年)・モンゴルの徴税制度を利用しモスクワの支配を拡大
- ステファン・ウロシュ4世ドゥシャン(1308年 - 1355年) - ネマニッチ朝のセルビア帝国の君主(在位1346年 - 1355年)・バルカン半島に覇を唱える
- カジミェシュ3世(大王)(1310年 - 1370年) - ピャスト朝のポーランド王(在位1333年 - 1370年)・ウクライナに領土拡大
- ラヨシュ1世(大王)(1326年 - 1382年) - アンジュー朝のハンガリー王(在位1342年 - 1382年)、ポーランド王(在位1370年 - 1382年)
- ドミートリー・ドンスコイ(1350年 - 1389年) - 第4代モスクワ大公(在位1359年 - 1389年)・クリコヴォの戦いでモンゴル人に勝利
- ラドネジのセルギイ(1321年/1322年頃 - 1392年) - ロシアの修道士・至聖三者聖セルギイ大修道院の創設者
- ヴワディスワフ2世(1351年 - 1434年) - ヤギェウォ朝創始者(ポーランド王位1386年 - 1434年、リトアニア大公位1377年 - 1401年)
北欧[編集]
- ビルギッタ(1303年 - 1373年) - スウェーデンの修道女・ビルギッタ会をまとめヴァドステーナ修道院を建設・晩年はローマに定住
- マルグレーテ1世(1353年 - 1412年) - 北欧連合王国の事実上の支配者(1397年 - 1412年)・カルマル同盟を締結
イベリア半島[編集]
- ペドロ1世(残酷王)(1334年 - 1369年) - カスティーリャ国王(在位1350年 - 1369年)・庶兄のエンリケ2世に殺害される
- エンリケ2世(恩寵王)(1333年 - 1379年) - カスティーリャ国王(在位1369年 - 1379年)・ペドロ1世を倒しトラスタマラ朝を興す
- ジョアン1世(大王)(1357年 - 1433年) - アヴィス朝の創始者・ポルトガル王(在位1385年 - 1433年)
- ライムンドゥス・ルルス(1232年 - 1315年) - マジョルカ島出身のフランシスコ会士・文字結合術のアルス・マグナを理論化する
イスラム世界[編集]
- ドゥア( ? - 1307年頃)- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位1283年 - 1307年)・最盛期の君主
- ラシードゥッディーン(1249年 - 1318年) - イル・ハン国の政治家・ガザンとオルジェイトゥに仕える・歴史家として『集史』を編纂
- サフィー・アッディーン・イスハーク・アルダビーリー(1252年 - 1334年) - ペルシアのサファヴィー教団教主・サファヴィー朝の遠祖
- オスマン1世(1258年 - 1326年) - オスマン朝の初代スルタン(在位1299年 - 1326年)・コユンヒサルの戦いで東ローマ帝国に勝利
- イブン・アッティクタカー(1262年頃 - ?) - イラクのシーア派指導者・帝王学の書『アルファフリー』を残す
- ワッサーフ(生没年不詳) - イル・ハン国の歴史家・『世界征服者の歴史』の続編『領土の分割と年月の推移(ワッサーフ史)』を執筆
- アラーウッディーン(1266年? - 1316年) - ハルジー朝の第3代スルタン(在位1296年 - 1316年)・最大領土を実現
- マンサ・ムーサ(カンカン・ムーサ)(? - 1337年?) - マリ帝国の第10代君主(マンサ)(在位1312年 - 1337年)・壮麗なメッカ巡礼で有名
- ギャースッディーン・トゥグルク(? - 1325年) - トゥグルク朝の初代スルタン(在位1320年 - 1325年)
- ハージュー・ケルマーニー(1280年 - 1352年) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人
- オルジェイトゥ(1281年 - 1316年) - イル・ハン国の第8代君主(在位1304年 - 1316年)・ソルターニーイェに遷都
- ナースィル・ムハンマド(1285年 - 1341年) - マムルーク朝の第10・13・15代スルタン(在位1293年 - 1341年まで断続的)
- ウズベク・ハン(? - 1340年) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の第10代君主(在位1312年 - 1342年)・最盛期の君主
- ケベク(? - 1326年)- チャガタイ・ハン国(チャガタイ・ウルス)の君主(在位1320年 - 1326年)・その死後に国が東西分裂
- ムハンマド・ビン・トゥグルク(? - 1351年) - トゥグルグ朝の君主(在位1325年 - 1351年)・度重なる遠征で「天才か狂人か」と評される
- イブン・バットゥータ(1304年頃 - 1368年頃) - モロッコ生まれの旅行家・『三大陸周遊記』の著者
- イブン・アル=ハティーブ(1313年 - 1375年) - ナスル朝の政治家(宰相)・詩人・歴史家としては『グラナダ史』を残す
- ムラト1世(1319年/1326年 - 1389年) - オスマン朝の第3代スルタン(在位1359年 - 1389年)・コソヴォの戦いで勝利
- ハーフェズ(1325年 - 1389年) - ペルシャの詩人・ペルシャの「四大詩人」の一人
- イブン・ハルドゥーン(1332年 - 1406年) - チュニス生まれの政治家・歴史家として『歴史序説』の著者
- ティムール(1336年 - 1405年) - 中央アジアの征服者でティムール朝の建設者(在位1370年 - 1405年)
- トクタミシュ(? - 1406年) - キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)の君主(在位1378年 - 1395年)・キプチャク・ハン国を再統一
- バヤズィト1世(1360年 - 1403年) - オスマン朝の第4代スルタン(在位1389年 - 1402年)・ニコポリスの戦いで勝利
- バルクーク(1366年 - 1399年) - マムルーク朝のスルタン(在位1382年 - 1399年まで断続的)・バフリー系からブルジー系へ
南アジア・東南アジア[編集]
- ハリハラ1世(? - 1356年) - 南インドのヴィジャヤナガル王国サンガマ朝の初代国王(在位1336年 - 1356年)
- ガジャ・マダ(?- 1364年) - ジャワ島のマジャパヒト朝の宰相・トリブワナー女王からハヤム・ウルク王を補佐し王国の全盛期を築く
- ラーマーティボーディー1世(1314年? - 1369年) - タイのアユタヤ朝の初代国王(在位1351年 - 1369年)・アユタヤを都とする
東アジア[編集]
元・明[編集]
- テムル(1265年 - 1307年) - 元の第2代皇帝(成宗)(在位1294年 - 1307年)・カイドゥの乱を鎮圧し西方ハン国と和平を結ぶ
- 黄公望(1269年 - 1354年) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・「富春山居図」が代表作で画論『写山水訣』もある
- 呉鎮(1280 - 1354年) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・孤高清貧の生涯を送る・代表作に「洞庭漁隠図」がある
- アユルバルワダ(1285年 - 1320年) - 元の第4代皇帝(仁宗)(在位1311年 - 1320年)・廃止されていた科挙を復活
- 康里巎巎(1295年 - 1345年) - 元の色目人の官僚・書家として「李白詩巻」がある
- 楊維楨(1296年 - 1370年) - 元の官僚・詩人として『東維子集』がある
- 倪瓉(1301年 - 1374年) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・各地を放浪し「漁荘秋霽図」などの作品を残す
- 王蒙(1308年 - 1385年) - 元の水墨画家・元末四大家の一人・官吏でもあったが胡惟庸の獄に連座し獄死・「青卞隠居図」がある
- 薩都刺(1308年 - ?) - 元のモンゴル系イスラム教徒の官吏・詩人として『雁門集』がある
- 宋濂(1310年 - 1381年) - 元末明初の政治家・儒学者・明の礼楽制度を整備・『元史』の編者・方孝孺の師
- 劉基(劉伯温)(1311年 - 1375年) - 元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師として小説や講談の主役として名高い
- 李善長(1314年 - 1390年) - 明初の政治家(左丞相)・明の行政財政の基礎をなす・胡惟庸の獄に連座して誅殺される
- トゴン・テムル(1320年 - 1370年) - 元朝の最後の皇帝(順帝)(在位1333年 - 1370年)・大都を捨て北元の初代となる
- 韓山童(? - 1351年) - 元末の反乱指導者・白蓮教を組織し紅巾の乱を引き起こす
- 韓林児(? - 1366年) - 元末の反乱指導者・韓山童の子・宋朝の復興を唱える
- 方国珍(1319年 - 1374年) - 元末の群雄・塩の密売人から浙江で海賊と結んで自立・朱元璋と敵対するが屈服
- 陳友諒(1320年 - 1363年) - 元末の群雄・紅巾の乱から湖北を根拠地として自立・鄱陽湖の戦いで朱元璋に敗北
- 張士誠(1321年 - 1367年) - 元末の群雄・塩の密売人から蘇州を根拠地として自立・朱元璋に敗北する
- 朱元璋(1328年 - 1398年) - 明の初代皇帝(太祖洪武帝)(在位1368年 - 1398年)
- 徐達(1332年 - 1385年) - 明初の大将軍・左相国・大都を元一族から奪回し占領・第一の功臣とされる
- 胡惟庸(? - 1380年) - 明初の政治家(左丞相)・北元や日本と内通したとして胡惟庸の獄にて粛清される
- 藍玉(? - 1393年) - 明初の将軍・ブイル・ノール湖畔の戦いで北元に勝利・藍玉の獄にて粛清される
- 施耐庵(生没年不明) - 元末明初の作家・『水滸伝』の編者? 羅貫中の師か?(→水滸伝の成立史)
- 羅貫中(生没年不明) - 元末明初の作家・『三国志演義』『三遂平妖伝』の編者? 施耐庵の門人か?(→三国志演義の成立史)
- 高啓(1336年 - 1374年) - 明初の詩人・『元史』の編者・「宮女図」の詩文がもとで腰斬の刑に処される
- 方孝孺(1357年 - 1402年) - 明初の儒学者・建文帝の側近として翰林侍講学士となる・靖難の変に連座して虐殺される
- 建文帝(1377年 - 1402年?) - 明の第2代皇帝(在位1398年 - 1402年)・靖難の変により叔父燕王に帝位を簒奪される
チベット[編集]
- カルマ・リンパ(1326年 - 1386年) - チベット仏教ニンマ派のテルトン(埋蔵経発掘者)・『チベット死者の書』を発掘したか
- ツォンカパ(1357年 - 1419年) - チベット仏教最大の学僧・歴代ダライ・ラマの所属するゲルク派(黄帽派)の開祖
朝鮮[編集]
日本[編集]
- 京極為兼(1254年 - 1332年) - 公卿(権大納言)・歌人として『玉葉和歌集』を選集・両統迭立にからみ二度流罪にされる
- 度会家行(1256年 - 1351年) - 伊勢神宮(外宮)の神官・反本地垂迹説を大成し伊勢神道を提唱・南朝を支援し影響を与える
- 後深草院二条(1258年 - ?) - 後深草院付きの女房・日記であり紀行文でもある『とはずがたり』を残す
- 北条貞時(1271年 - 1311年) - 鎌倉幕府第9代執権(在任1284年 - 1301年)
- 長崎円喜(? - 1333年) - 武将・内管領(得宗家執事)・息子高資ととも幕府末期の実権を握る
- 岡崎正宗(生没年不詳) - 刀工・相模国鎌倉で活動し「相州伝」と呼ばれる作風を確立・刀剣史上もっとも著名な刀工の一人
- 夢窓疎石(1275年 - 1351年) - 禅僧・京都天竜寺開山・七朝帝師(歴代天皇から国師号を七度賜る)
- 赤松則村(1277年 - 1350年) - 武将・守護大名・後醍醐天皇を支持し六波羅攻略で活躍・建武政権の後は足利尊氏に従う
- 虎関師錬(1278年 - 1346年) - 禅僧・日本最初の仏教通史『元亨釈書』の著者
- 文観(1278年 - 1357年) - 真言宗の僧・醍醐座主・東寺長者・立川流を大成したとされ後醍醐天皇に信任され南朝につく
- 円観(1281年 - 1356年) - 天台宗の僧・法勝寺勧進職・後醍醐天皇に近侍するが後に北朝につく・『太平記』の編纂を行ったか
- 宗峰妙超(大燈国師)(1282年 - 1338年) - 禅僧・京都大徳寺開山・弟子の関山慧玄を妙心寺開山に推薦
- 吉田兼好(1283年頃 - 1352年以後) - 官人・遁世者・歌人・随筆家で『徒然草』の著者・和歌四天王の一人
- 後醍醐天皇(1288年 - 1339年) - 第96代天皇(在位1318年 - 1339年)・建武の新政を行う・南朝の初代
- 日野資朝(1290年 - 1332年) - 公卿(権中納言)・日野俊基らとともに後醍醐天皇に近侍・正中の変で佐渡に流罪となる
- 雪村友梅(1290年 - 1347年) - 禅僧・一山一寧の門人で元に渡航・帰国後は京都万寿寺住持・五山文学の先駆け
- 北畠親房(1293年 - 1354年) - 公卿(大納言)・准三后・南朝の指導者として正平の一統を指揮・『神皇正統記』の著者
- 楠木正成(1294年 - 1336年) - 武将・赤坂城や千早城で討幕運動を行う・建武政権から続いて南朝側に与す・「三木一草」の一人
- 名和長年(? - 1336年) - 武将・後醍醐天皇の隠岐脱出を援助・建武政権から続いて南朝側に与す・「三木一草」の一人
- 佐々木道誉(1296年 - 1373年) - 武将・室町幕府で政所執事などを歴任・婆沙羅大名として有名
- 尊円法親王(1298年 - 1356年) - 天台座主・青蓮院門跡・後代に公式文書として用いられた書流御家流の祖
- 守邦親王(1301年 - 1333年) - 鎌倉幕府第9代将軍(在任1308年 - 1333年)・鎌倉幕府の滅亡の後に将軍を辞す
- 新田義貞(1301年 - 1338年) - 武将・北条氏を滅ぼし鎌倉を占拠・建武政権から続いて南朝側に与す
- 北条高時(1303年 - 1333年) - 鎌倉幕府第14代執権(在任1316年 - 1326年)・鎌倉幕府滅亡時の得宗
- 足利尊氏(1305年 - 1358年) - 室町幕府初代将軍(在任1338年 - 1358年)・北朝の光明天皇を擁立し幕府を開く
- 足利直義(1306年 - 1352年) - 足利尊氏の弟・観応の擾乱で高師直一派を倒すが正平の一統の後に兄尊氏に追われ急逝
- 高師直(? - 1351年) - 武将・室町幕府執事・四条畷の戦いなどで活躍するが観応の擾乱で足利直義と対立し殺害される
- 護良親王(1308年 - 1335年) - 後醍醐天皇の皇子(大塔宮)・天台座主(尊雲法親王)・征夷大将軍・足利尊氏と争い殺害される
- 春屋妙葩(1312年 - 1388年) - 禅僧・相国寺第二世(事実上の開山)・五山十刹の制度を定め五山版などの出版を行う
- 光厳天皇(1313年 - 1364年) - 北朝第1代天皇(在位1331年 - 1333年)・鎌倉幕府滅亡で退位する・光明天皇は弟
- 北畠顕家(1318年 - 1338年) - 公卿(権中納言)・鎮守府将軍・南朝方として活躍するが石津の戦いで戦死・父は北畠親房
- 二条良基(1320年 - 1388年) - 公卿(摂政・関白・太政大臣)・歌人・連歌の大成者で『菟玖波集』の撰者
- 今川貞世(了俊)(1326年 - 1420年?) - 武将・守護大名・九州探題として九州の南朝勢力を鎮圧・著作に『難太平記』がある
- 細川頼之(1329年 - 1392年) - 室町幕府管領・貞治の変で幕政を掌握・康暦の政変で失脚するも再び幕政に復帰
- 懐良親王(1329年? - 1383年) - 後醍醐天皇の皇子・征西大将軍(征西将軍宮)・「日本国王」として明と通交
- 足利義詮(1330年 - 1367年) - 室町幕府第2代将軍(在任1358年 - 1367年)・貞治の変以後は北朝の優位を固める
- 楠木正儀(1330年? - 1389年?) - 武将・楠木正成の三男・南朝方を支え北朝方と戦うがやがて帰順・最晩年は南朝に復帰か
- 観阿弥(1333年 - 1384年) - 猿楽師・大和猿楽座の出身で観世家の祖となる・子に世阿弥がいる
- 足利基氏(1340年 - 1367年) - 室町幕府の初代鎌倉公方・足利尊氏の子・足利義詮の弟
- 土岐康行(? - 1404年) - 武将・守護大名・土岐康行の乱(美濃の乱)を起こすが幕府に鎮圧される
- 山名氏清(1344年 - 1392年) - 武将・「六分の一殿」と称される守護大名・明徳の乱で敗死
- 後亀山天皇(1350年? - 1424年) - 第99代天皇(在位1383年 - 1392年)・南北朝合一のときの南朝の天皇
- 大内義弘(1356年 - 1400年) - 武将・守護大名・南北朝合一を斡旋・応永の乱で敗死
- 足利義満(1358年 - 1408年) - 室町幕府第3代将軍(在任1368年 - 1394年)・花の御所を造営・出家後は北山第を造営
- 世阿弥(1363年? - 1443年?) - 猿楽師・能楽の大成者・『風姿花伝』などの著作でも知られる・父は観阿弥
- 後小松天皇(1377年 - 1433年) - 第100代天皇(在位1382年 - 1412年)・南北朝合一のときの北朝の天皇
フィクションのできごと[編集]
- 1300年 - 聖金曜日に詩人ダンテが人生の半ばで暗い森に迷い込み、地獄・煉獄・天国遍歴が始まる(ダンテ・アリギエーリ『神曲』)。
- 1307年 - ウィルヘルム・テル(ウィリアム・テル)が息子の頭上のリンゴを射抜き、余勢をかってハプスブルク家の代官ヘルマン・ゲスラーを倒し、スイス独立の端緒となる(スイスの伝説)。
- 1327年 - 北イタリアのカトリック修道院にて怪事件が連続して発生。その謎をバスカヴィルのウィリアムとその弟子のメルクのアドソが解き明かしていく(ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』)。