埼玉新都市交通

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埼玉新都市交通株式会社(さいたましんとしこうつう)は、埼玉県東日本旅客鉄道(JR東日本)などが出資する第三セクター会社である。埼玉県で新交通システム1路線を運営する。本社所在地は埼玉県北足立郡伊奈町大字小室288。

事業概要[編集]

ゴムタイヤ式新交通システム伊奈線「ニューシャトル」の保有・運営のほか、各駅に設置されている売店の営業と東北上越新幹線の高架下を整備した駐車場の運営も行っている。本社屋は丸山駅横の高架下にあり、丸山車両基地も隣接している。

埼玉新都市交通では経費圧縮のために、ターミナル駅である大宮駅と定期外利用の多い鉄道博物館駅のみに駅員を配置し、それ以外の駅では改札の係員が売店販売も行う変わった方法を採用している(鉄道博物館駅も大成駅時代は同様だった)。そのため、スタンド式の売店と改札窓口が一体となっている。自動券売機は各駅に設置されており、自動改札機も大宮駅と鉄道博物館駅の2駅に設置されている。Suicaやこれと相互利用可能なカードはこの2駅では自動改札機にタッチして利用できるが、それ以外の駅は簡易Suica改札機が設置されている。

伊奈線は自動列車運転装置 (ATO) を採用しておらず、自動列車制御装置(ATC)による車内信号閉塞方式での運転士による手動運転(ワンマン運転)となっているが、将来の自動運転に対応できるように、車両側には、ATOの運転装置が搭載されている。また、各駅にはホームドアは設置されず、安全柵が設けられており、これらの点はゆりかもめ金沢シーサイドラインなどと異なっている。[1]また、駅に停車した際の車両のドアの開閉は、進行方向先頭の運転室(乗務員室)で運転士による車掌スイッチの操作により行なっている。

歴史[編集]

埼玉新都市交通伊奈線#歴史 も参照 東北上越新幹線の建設に伴い両新幹線の分岐点が設けられる伊奈町では、町域が3つに分断されるとして、新幹線建設反対運動が起こった。そこで、当時の町長であった加藤操の尽力により、地域住民(旧大宮市上尾市・伊奈町)への見返りとして、都市鉄道を建設することとなった。

同じく建設反対を訴えた戸田市・旧浦和市・旧与野市住民への見返りとしては通勤新線の埼京線を建設したが、伊奈線沿線には普通の鉄道を建設する程の需要はないと判断し、中量輸送機関として当時各地で建設されていた新交通システムAGTを導入した。

年表[編集]

  • 1978年昭和53年)11月10日 - 埼玉県・大宮市・上尾市・伊奈町と、国鉄・鉄道公団の間で、新交通システムの建設と、第三セクターが運営する事で合意。
  • 1980年(昭和55年)4月1日 - 設立。資本金5億円。
  • 1981年(昭和56年)4月 - 資本金を10億円に増資。
  • 1983年(昭和58年)
    • 11月 - 資本金を20億円に増資。
    • 12月22日 - 伊奈線大宮 - 羽貫間が開業。
  • 1990年平成2年)8月2日 - 伊奈線羽貫 - 内宿間が開業、全線開通。
  • 1998年(平成10年)5月1日 - 内宿駅駐車場の駐車料金と乗車券をセットにした「マイカーパス」発売。
  • 2007年(平成19年)3月18日 - Suicaが利用可能となる(PASMOICOCAと相互利用可能。以後相互利用可能となったカードは「Suica」を参照)。
  • 2008年(平成20年)3月15日 - ICカード定期券を導入。JR東日本・東武鉄道と連絡運輸開始。
  • 2013年(平成25年)7月1日 - ニューシャトル開業以来初となる駅メロを導入。曲は『銀河鉄道999』。

路線[編集]

保有車両[編集]

1010系[編集]

編成:Mc1110 - M'1210 - M1310 - M'1410 - M1510 - Mc1610

  • 川崎重工業製で、6両編成が9本導入(当時01 - 09編成、リニューアル後11 -19編成 )された。1983年の開業より運用している。開業当初は1000系で、4両編成を組んでいた。
  • 車体は日本の新交通システムの標準とされた、1両あたり8メートル・2軸4輪で、制御方式は分巻チョッパ制御を採用しており、ブレーキ装置は回生ブレーキ併用の電気指令式空気ブレーキを装備している。側面中央両側に両開きのドアを一組備える。車内はロングシート、冷房機器は床置きで車端に配置された。
  • 車輪は当初、パンクの心配がないウレタン充填ゴムタイヤ(空気ではなく、発泡性ウレタンを入れたタイヤ。ノーパンクタイヤ)を採用したが、乗り心地が悪かったため、1990年までに全て、窒素封入の空気タイヤに交換した。この空気タイヤは内部に金属製の中子があり、パンクしても中子で車体を支えて走行できるようにした。
  • 1986年から1992年にかけて、中間車ユニットを組み込み、順次6両編成に増強されたが、1992年に7 - 9編成に組み込まれた3・4号車は、1990年より導入された1050系と同型として新製されたため、当該車両の形式はM1350 - M'1450となっている。1050系の規格に合わせたため、車両の内装や貫通路の幅が異なっていることが車内から確認できる。
  • 前面の行先表示は方向板を使用する。
  • 1998年から2001年にかけてリニューアル工事が行われた。車体の補修、室内の化粧版の一部を木目調に変更、座席の改善による定員の増加、貫通路の幅の拡大、冷房装置を小型化して床置き式から天井式に変更、走行関係装置の更新が行われ、車番は1010系となった。開業以来、白い車体に赤い帯の塗装だったが、黄色の車体に黄緑色の帯に変更された。なお、1050系タイプの中間車はリニューアルの対象外とされた。
  • 開業から30年を経過して老朽化が進み、バリアフリー化も行われていないため、2000系による更新が行われている。11 - 14編成が廃車され、現在5本(15 - 19編成)が所属する。

1050系[編集]

編成:Mc1150 - M'1250 - M1350 - M'1450 - M1550 - Mc1650

  • 川崎重工業製で、6両編成が4本所属する(50 - 53編成)。上記1010系のモデルチェンジタイプで、車両性能も同じであるが、運転席にパノラミックウィンドウを採用して、前面形状が大きく変更された。内装も木目調となり、冷房機器は小型化された上、天井に設置したため、定員が増加した。
  • 50編成は1990年の羽貫-内宿間の全線開通用に新製された。先頭車のMc1150とMc1650は冷房装置が1台しか搭載されていないため、弱冷房車となっている。51編成以降は冷房装置が他の車両と同様に2台搭載となったため、先頭車の形式はMc1151とMc1651にそれぞれ変更されている。
  • 前面に字幕式の行先表示器を設置しているが、2013年4月頃より使用を停止し、1010系と同様に方向板を装備している。行先表示器には「ニューシャトル」と表示されている。
  • 52・53編成は除雪装置を取り付けているが、これは冬季のみの装備で、それ以外は取り外して丸山車両基地で保管されている。本系列のスカートは、除雪装置の取り付けの関係上、除雪装置使用時期は鋭角型スカート(車体マウント)、その他の時期では半円型スカート(台車マウント)を装着している。
  • 導入当初は1000系と同じく、白い車体に赤い帯のツートンカラーで登場し、後に黄色い車体と黄緑帯に更新されたものの、現在はすべての編成が異なる塗装となっている。
    • 50編成は、鉄道博物館が開業した2007年10月から青地と白帯に変更された。
    • 51編成は、鉄道博物館の開館1周年を記念して、2008年9月19日から赤地と白帯に変更された。
    • 52編成は、2013年7月8日から新幹線200系の登場時カラーであるクリーム色の車体に緑帯のツートンカラーとなっている。
    • 53編成は、2013年11月より開業30周年を記念して開業当時の白い車体に赤い帯のツートンカラーにリバイバルされた。

2000系[編集]

詳細は 埼玉新都市交通2000系電車 を参照

沿線の鉄道博物館開館に伴う輸送力の増強並びに1010系・1050系の老朽化対策として、2007年から導入が進められている。

脚注[編集]

  1. 手動運転かつホームドア無しの新交通システムは他に西武山口線山万ユーカリが丘線があるが、これらはさらにATCではなくATSを使用しており、加えてユーカリが丘線は中央案内式である。

外部リンク[編集]