岡田幸文

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岡田 幸文
岡田 幸文

岡田 幸文(おかだ よしふみ、1984年7月6日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手外野手)。

愛称は「大正義 岡田」。

ダルビッシュの元妻サエコとは対極の、球界一堅実な妻を持っていることで、有名な選手である。

来歴[編集]

プロ入り前[編集]

岡田 幸文

作新学院高では2年秋から主将を務め、俊足の一番打者として活躍。チームは秋季県大会で準優勝、春季県大会では優勝したものの、本命として迎えた3年夏の栃木県予選では4回戦で那須拓陽高に0対2で敗れ、甲子園出場はならなかった。

高校卒業後の2003年に日本大学に進学。同級生には、長野久義がいた。しかし、1年生の時に左肘の軟骨を故障して手術を受け、数カ月で大学を中退している。

大学中退後は地元に戻り、肘の完治した2004年から全足利クラブでプレー。同年の全日本クラブ野球選手権での優勝にも貢献し、俊足好守の一番・中堅手として活躍した。2006年前半は左手首の骨折と右ひざ半月板損傷で治療に時間を要したが、7月に11歳年上で足利市職員の由美子さんと結婚している。結婚を機に2007年から足利ガスの嘱託社員となり、2008年4月からは全足利クラブの主将を任された。同年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズから育成枠で6位指名を受ける。プロ入りについては2人の子供もいたため由美子さん大いに反対されたが「2年だけやらせてくれ」と説得し、2年後に退団した場合は社員として採用するという足利ガスの後押しもあって入団を決めた。

プロ入り後[編集]

岡田 幸文
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入団後は育成選手のためさいたま市ロッテの独身寮に入居して単身赴任を始め、球場のクラブハウスでは椅子と段ボール箱だけでロッカーもない環境に置かれてハングリー精神を鍛えられたという。

一年目の2009年3月30日支配下登録され、同時に背番号を132から66に変更。独身寮を出て足利市内の自宅から二軍の練習に通った。同年は早坂圭介のブレイクもあり、一軍昇格はならなかった。オフには年俸が支配下選手最低額の440万円に上がり、二軍監督に着任した高橋慶彦から起用を増やすと明言された事もあってロッテ浦和球場近くにアパートを借りている。

2010年も開幕二軍で迎えたが、6月1日、同じ俊足巧打タイプの荻野貴司、早坂圭介が負傷離脱したため、早坂と入れ替えで初の一軍昇格。千葉ロッテマリーンズの育成ドラフト出身選手として一軍登録されたのは岡田が初となった。主に中堅手でのスタメンや代走、守備要員として活躍。特に守備面では難しい当たりを度々好捕するなど大きく貢献し、7月4日のヒーローインタビューでは「オーバーフェンス以外は全部捕るつもりでいる」と発言した。

同年の日本シリーズでは、初戦で大松尚逸が負傷した影響により第2戦よりスターティングメンバーに抜擢される。11月7日の第7戦で12回表に中日の浅尾拓也から右中間へ決勝打となる適時三塁打を放ち、チームの5年ぶり日本一に貢献し、試合後にはファンの前でバック宙も披露した。一軍で活躍した同年のシーズン後には年俸が倍増し、「奥さんの給料を超えましたね」と発言した。2011年シーズンに向け、千葉マリンスタジアムに近いアパートに引越しをする。

2011年は、開幕戦に1番センターのスタメンに抜擢される。そのままシーズン終了まで1番もしくは2番でスタメン出場を続け、育成選手としてプロ入りした選手では初となるシーズン全試合出場・規定打席到達を果たし、チームトップとなる41盗塁を記録した。打率も.267を記録した。また、守備面ではシーズンを通して無失策で、両リーグトップの351刺殺を記録し刺殺のパ・リーグ記録にあと2と迫り、最多得票(163票)でゴールデングラブ賞を受賞した。さらに、外野手としてシーズン連続守備機会無失策359のリーグ新記録を樹立したことにより、特別表彰をも受けた。

2012年は、全試合フルイニング出場を目標に臨むも、開幕当初は自身の打撃不調もあり途中で交代を送られたり控えに回ることもあるなど低調で、フルイニングはおろか前年達成した全試合出場すらも早々に達成不可能となった。当初は9番が多かった打順も復調後は1番に定着した。しかし、交流戦では指名打者の使えないセ・リーグ主催試合でスタメン落ちすることもあり、更に荻野貴司の復帰後にもスタメン落ちしたり、スタメンでも打順が9番となるなど、前年と比べると不安定な状態が続いている。6月16日の対阪神タイガース3回戦(QVCマリンフィールド)でプロ初失策を記録し、外野手の連続守備機会無失策が602でストップした。

プレースタイル・人物[編集]

岡田 幸文

50メートル走5秒6、一塁到達3.97秒の俊足と守備範囲の広さを武器とする。

四死球が少なく出塁率は低いが、打撃ではバットを短く持つコンパクトなスイングを持ち味とし、2010年は内野安打率32パーセントを記録するなど内野安打が多い。2010年は内野安打を狙って「走り打ち」になることが多く打率も伸びなかったが、終盤からはしっかりと振り切る打撃を心がけ、日本シリーズでは前述の決勝打を放つなど打率.320と活躍を見せた。

守備面では、打者が打つ前に半歩スタートを切ることを心がけており、抜けると思われた当たりを好捕するファインプレーを度々見せている。また、フェンスまでの距離を常に測り、追いつけないと判断した場合は、すばやくクッションボールを捕りにいくなど状況判断に優れている。

奥様の打順[編集]

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1(中)「子供たちどうすんの?仕事どうすんの?(怒)」

2(遊)「ボール転がすのやめてプロパンガス転がしに帰ってくる?(怒)」

3(三)「夫は私や子供より野球を選んだ(怒)」

4(一)「は?(怒)」 (初めて岡田とあった時に岡田に彼氏いるんですか?と聞かれたことに対して)

5(右)「貴方はいいけど私たちはどうするの(怒)」

6(捕)「お前か、この人を持っていくのは(怒)って顔に出てたと思いますよ(怒)」

7(左)「しばらくはおこずかいあまり出せないよ(怒)」(岡田が自主トレで海外に行った時に携帯使いすぎたことに対して)

8(二)「それが嫌なら野球をやめて、帰ってきたら(怒)」

9(投)「私はお菓子じゃ騙されないぞ」(スカウトがあいさつに来た時に子供がロッテのお菓子もらってニコニコしてた時)


詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

岡田 幸文
岡田 幸文
















































O
P
S
2010 ロッテ 72 161 142 19 25 2 0 0 27 8 15 6 9 1 8 0 1 15 2 .176 .224 .190 .414
2011 144 635 577 68 154 7 4 0 169 35 41 11 20 1 28 0 9 66 5 .267 .311 .293 .604
通算:2年 216 796 719 87 179 9 4 0 196 43 56 17 29 2 36 0 10 81 7 .249 .293 .273 .566
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2010 68 107 1 0 0 1.000
2011 144 351 8 0 1 1.000
通算 212 458 9 0 1 1.000
  • 2011年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

  • パ・リーグ特別表彰(2011年:パ・リーグ新の359シーズン外野手連続守備機会無失策)
  • ゴールデングラブ賞:1回 (2011年)

記録[編集]

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背番号[編集]

  • 132 (2009年 - 2009年3月29日)
  • 66 (2009年3月30日 - )

関連項目[編集]

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外部リンク[編集]

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