室谷由紀

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室谷 由紀

室谷 由紀(むろや ゆき、1993年3月6日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士女流棋士番号は42。大阪府大阪狭山市出身。森信雄七段門下。同志社香里高等学校を経て、同志社大学に進んだが、将棋に専念するために中退。

棋歴[編集]

室谷 由紀

母親の友人の誘いで将棋教室に行ったのが将棋を始めたきっかけ。

2005年(第37回)、2006年(第38回)の女流アマ名人戦では、第38回(2006年)で準優勝、第39回(2007年)で優勝。第26回(2005年)全国中学生選抜将棋選手権大会(女子の部)でも準優勝。

室谷は、2009年度以降の研修会から女流3級を経て女流棋士になる制度によって、最初に女流3級となり、かつ最初に女流棋士となった。

2008年9月に女流育成会に入会し、12勝6敗で昇級点を獲得するも、この期をもって女流育成会制度が終了したため、2009年4月から関西研修会D1に参加。6月28日にC1に昇級して「女流3級」となる権利を得て、2009年10月1日付で、女流3級となった。

女流棋戦の日程は一年の中で偏りがあるため、女流3級の権利を得てから初戦まで半年ほど待った。2010年1月8日の初戦=第37期女流名人位戦予選1回戦で鹿野圭生女流初段に勝利。2月23日の第37期女流名人位戦予選2回戦で村田智穂女流初段にも勝利し、女流名人位戦B級リーグ入りと女流棋士昇格(女流2級への昇級規定「女流棋士の昇段級規定の 『女流1級へ』 に該当した場合」を満たす)まであと1勝としたが、3月17日の第37期女流名人位戦予選予選決勝で山田朱未女流二段に敗れた。

同年4月27日に行われた第32期女流王将戦予選では、1日に2つ勝ち上がれば、女流王将戦本戦入りと女流棋士昇格(女流2級への昇級規定「女流棋士の昇段級規定の 『女流1級へ』 に該当した場合」を満たす)のチャンスだった。1回戦は森安多恵子女流三段の反則で勝利したが、2回戦(予選決勝)で、再度、山田(朱)女流二段に敗れた。その後の第18期倉敷藤花戦では1勝1敗で、通算4勝3敗とする。

そして、同年7月17日に行われた第4期マイナビ女子オープン予選の1回戦で鹿野女流初段に勝って年間5勝目を挙げ、女流2級への昇級規定「1年間で参加公式棋戦数(5棋戦)と同数の勝星(5勝)を得る」を満たし、同日付で女流2級に昇級(プロ入り)。さらに、同日中に行われた予選決勝(2回戦)でも小野ゆかりアマに勝って女流棋士としての初勝利を挙げるとともに、女流1級昇級の規定の一つである「マイナビ女子オープン本戦入り」に該当したことにより、同日付で女流1級に昇級した。

2010年度(2010年4月-2011年3月)の成績は、対・小野アマ戦から数えて7勝2敗で勝率0.778。2010年度(2011年1月-3月)に行われた第38期女流名人位戦予選を通過し、2011年度の第38期女流名人位戦B級リーグで戦うこととなった。女流棋士としての7勝のうちの3勝は、室谷の女流棋士昇格を2回阻んだ山田(朱)から挙げた。負けた相手は里見香奈女流三冠と石橋幸緒女流四段(タイトル歴3期)のみ。女流初段昇段の規定の一つである「女流1級で指し分け以上(7勝以上)」に該当したことにより、2011年4月1日付で女流初段に昇段し、9ヶ月間で3ランク昇級昇段した。

2011年、第19期倉敷藤花戦で、本戦準決勝で上田初美女王を破り、初めて挑戦者決定戦に進出。清水市代女流六段に勝利すれば里見香奈との「十代対決」が実現する所だったが、室谷が敗れ、タイトル初挑戦はならなかった。同年、第38期女流名人位戦B級リーグでは5勝4敗でB級リーグ残留。

2014年4月1日付で所属を関西から関東に移すことを発表。

昇段・昇級履歴[編集]

  • 2008年9月 女流育成会入会
  • 2009年4月 関西研修会入会
  • 2009年10月1日 女流3級(関西研修会C1昇級)
  • 2010年7月17日 女流2級(女流3級で年間で参加棋戦数と同数の勝ち星)=プロ入り
  • 2010年7月17日 女流1級(マイナビ女子オープン本戦入り) ※女流2級昇級と同日
  • 2011年4月1日 女流初段(女流1級で指し分け以上(7勝以上))

人物[編集]

  • 振り飛車党。
  • 趣味はジャズダンス。
  • 好物はグラタン
  • 姉の室谷早紀(さき)も将棋が強く、アマチュアではあるが「きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦」(出場者の約半数がプロの女流棋士)の第1回(2006年)と第3回(2008年)に出場しており、第3回では植村真理女流三段に勝利している(第4回では由紀が植村に勝利)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]