トラウデル・ユンゲ

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ゲルトラウト・ユンゲ(Gertraud “Traudl” Junge, 通称:トラウドル、1920年3月16日 - 2002年2月10日)はアドルフ・ヒトラーの秘書であった人物。1942年12月、ヒトラーの演説原稿や挨拶文の口述筆記を担当する秘書として採用された。この後、総統官邸の地下壕でヒトラーが自決するまで身近に仕えた秘書の一人である。ヒトラーの遺言状も彼女がタイプした。

経歴[編集]

ナチ党揺籃の地であるミュンヘン生まれ、父はビール醸造職人、母は将軍の娘であった。妹が一人。旧姓はフンプス (Gertraud Humps)。右翼活動歴がある父親は彼女の幼時に蒸発してトルコに移住したため、厳格な母方の祖父のもとで育つ。舞踏好きで舞踏家になることを夢見ていたが、経済的理由から実業学校に進み、秘書としての訓練を受ける。卒業後は縫製工場などで秘書として働く。第二次世界大戦中の1942年、妹を頼りベルリンに移る。

マルティン・ボルマンの弟アルベルトの助けもあり、1942年12月に東プロイセンの総統大本営ヴォルフスシャンツェで、長期休暇に入るゲルダ・クリスティアンの代わりとなる秘書の採用試験を受けた。彼女自身は舞踏家への夢を捨てきれず秘書職は一時的なものと考えていたが、そのため気楽でナーバスになっていなかったこと、そしてミュンヘン生まれであることが採用の決め手であったという。この後、ベルヒテスガーデンの山荘ベルクホーフタウヌス山地アードラーホルストベルリン総統官邸でごく身近からヒトラーの私的な時間をつぶさに目撃した。その生活はヒトラーのスケジュールに合わせ、遅くに起きて昼食を採り、何度ものコーヒー休憩を挟んで遅い夕食をとったのちに映画を見てから仕事にかかり、深夜に仕事を続けて午前5時頃に就寝するというものだった。1943年6月19日、ヒトラーの従卒であるハンス・ヘルマン・ユンゲ (en:Hans Hermann Junge) 親衛隊中尉と職場結婚する。夫は第12SS装甲師団ヒトラー・ユーゲントの一員として1944年8月にノルマンディ戦死した。

ベルリン市街戦のさなか、退避を勧めるヒトラーの言葉に従わず最後まで総統地下壕に残った。4月28日、ヒトラーとエファ・ブラウンの結婚式に立ち会う。その直後にヒトラーの遺言書をタイプした。ヒトラーは4月30日午後3時半頃に自殺したが、そのとき彼女は隣の部屋でヨーゼフ・ゲッベルスの6人の子供たちと食事中だった。本人はその後しばらくの記憶がないと述べているが、直後に地下壕を脱出して故郷バイエルンに逃れたものとみられる。連合国軍に逮捕されたが、彼女が何者だったのか充分調査されることもなく、また彼女がまだ25歳と若かったため、ナチスとの共謀罪とみなされず解放された。ナチス活動審査委員会 (Entnazifizierungskommission]]) で審問されたが罪は問われなかった。戦後はゲルダ・アルトという変名で暮らし、フリーランスジャーナリストとして働いていた。ホロコーストなどのナチスによるユダヤ人の迫害と自らの関係について「当時は知らなかった。でも知らなかったでは済まされない」とコメントしているものの、レニ・リーフェンシュタール同様、自身はナチズムと無関係であるという主張を生涯崩さなかった。

同僚[編集]

彼女の同僚には、1929年来よりタイピストとしてヒトラーの身近に働くヨハンナ・ヴォルフ (Johanna Wolf) と、1930年にミュンヘンの党本部で秘書として仕え始めたクリスタ・シュレーダー (Christa Schroeder) がいた。彼女ら2名はヒトラーの指示で1945年4月22日の夜にベルリンを離れた。もう一人は1937年に秘書として加わったゲルダ・クリスティアンである。彼女は、トラウドル・ユンゲと共に、ヒトラーが自殺した後、1945年5月1日に総統官邸を脱出した。

回顧録[編集]

出版社の勧めで1947年-1948年に執筆したが「このような本は関心を持たれない」という理由で出版しなかった。

『アンネの伝記』の著者メリッサ・ミュラーと2000年に知り合い、その協力を得て初めて2002年に出版した回顧録は『最期の時まで‐ヒトラーの秘書が語るその人生』と題されている(原題:Bis zur letzten Stunde - Hitlers Sekretärin erzählt ihr Leben)。またその回顧録の内容に関するインタビューの様子が『Im toten Winkel - Hitlers Sekretärin』というドキュメンタリー映画にも収められた(ベルリン映画祭観客賞)。2002年2月、この映画の完成を見届けたかのように、公開数日後にユンゲは死去した。

この回顧録とヨアヒム・フェストの著書を原作として、映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』が2004年に制作される。第二次世界大戦後、ドイツ語圏の俳優(ブルーノ・ガンツ-スイス人)がヒトラー役を演じた初めての映画である。トラウドル・ユンゲはアレクサンドラ・マリア・ララが演じている。この映画の末尾に『Im toten Winkel』でのユンゲ自身の回顧場面が登場する。

著作[編集]

  • 『Bis zur letzten Stunde - Hitlers Sekretärin erzählt ihr Leben』 Claassen, 2002, ISBN 3-546-00311-X

関連文献[編集]

  • メリッサ・ミュラー『アンネの伝記』 畔下司訳、文藝春秋、1999年
  • ヨアヒム・フェスト 『ヒトラー 最期の12日間』 鈴木直訳、岩波書店、2004年

外部リンク[編集]

  • NS-Archiv - ユンゲがタイプした、ヒトラーの遺言状全文と実物のコピー(ドイツ語)


アドルフ・ヒトラー
経歴 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - 国家社会主義ドイツ労働者党 - ミュンヘン一揆 - ヒトラー内閣 - ナチス・ドイツ - 権力掌握 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - ミュンヘン会談 - 第二次世界大戦 - ヒトラー暗殺計画 - ベルリン市街戦 -
尊属 父・アロイス・ヒトラー - 母・クララ・ヒトラー - 祖母・マリア・シックルグルーバー
兄弟 異母姉・アンゲラ・ヒトラー - 異母兄・アロイス・ヒトラー - 妹・パウラ・ヒトラー
親族 姪・ゲリ・ラウバル - 甥・レオ・ラウバル - 甥・ウィリアム・パトリック・ヒトラー - 義姉・ブリジット・ダウリング
女性関係 妻・エヴァ・ブラウン - ヴィニフレート・ワーグナー - ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード - エルナ・ハンフシュテンゲル - レナーテ・ミュラー - マリア・ロイター
副官 フリッツ・ヴィーデマン - ヴィルヘルム・ブリュックナー - ユリウス・シャウブ - フリードリヒ・ホスバッハ - ルドルフ・シュムント - ハインツ・ブラント - ヴィルヘルム・ブルクドルフ - カール=イェスコ・フォン・プットカマー - オットー・ギュンシェ
側近 ルドルフ・ヘス - マルティン・ボルマン - エミール・モーリス - ハインツ・リンゲ - ヘルマン・フェーゲライン - ゲルダ・クリスティアン - トラウデル・ユンゲ - クリスタ・シュレーダー - エーリヒ・ケンプカ - コンスタンツェ・マンツィアリ
主治医 テオドール・モレル - カール・ブラント - ヴェルナー・ハーゼ - エルンスト=ギュンター・シェンク - ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
影響を受けた人物 ディートリヒ・エッカート - フリードリヒ2世 - ルートヴィヒ2世 - リヒャルト・ワーグナー - アルトゥル・ショーペンハウアー - フィヒテ - シェリング - ヘーゲル - カール・マルクス - ニーチェ - カール・ルエーガー - ゲオルク・フォン・シェーネラー - ヒューストン・ステュアート・チェンバレン - ヘンリー・フォード
影響を与えた人物 戸塚宏 - 小村基 - 本村洋 - 松葉裕子 - 逝け惰性面 - ウーソキマスラの戯言 - ウマスラ - ウーソキマラ
関連人物 カール・マイヤー - エルンスト・レーム - エリック・ヤン・ハヌッセン - ハインリヒ・ホフマン - ローフス・ミシュ - ヘルマン・ラウシュニング - アウグスト・クビツェク - エドゥアルド・ブロッホ - ブロンディ(犬)
分野別項目 政治観 - 宗教観 - 演説一覧 - 健康 - 菜食 - 性的関係
場所 ブラウナウ・アム・イン - パッサウ - ハーフェルト - ランバッハ - リンツ - ウィーン - ミュンヘン - ビュルガーブロイケラー - ランツベルク刑務所 - ベルリン - ベルヒテスガーデン - オーバーザルツベルク - ベルクホーフ - 総統官邸 - ケールシュタインハウス - 総統大本営 - ヴォルフスシャンツェ - 総統地下壕
公的関連 総統 - ドイツ国首相 - 親衛隊 - RSD - 第1SS装甲師団 - 総統随伴部隊 - 忠誠宣誓 - ナチス式敬礼 - ハイル・ヒトラー - ジーク・ハイル - バーデンヴァイラー行進曲
著作・思想 我が闘争 - ナチズム - 背後の一突き - 反ユダヤ主義 - ファシズム
関連事象 フォックスレイ作戦 - ヒトラーのキンタマ - ヒトラー女性化計画 - ヒトラーの日記 - ヒトラー論法
関連項目 ヴァイマル共和政 - 非ナチ化 - ネオナチ - 総統閣下シリーズ