伊藤正男 (プロレスラー)
伊藤正男(いとう まさお、1948年12月9日 - ? )は、北海道樺戸郡出身の元大相撲力士、プロレスラーである。
来歴
1964年、中学校卒業と同時に大相撲出羽海部屋に入門したが、2年後に廃業。地元に戻るが、格闘技の世界で身を立てるという意志は捨てず、自主トレーニングに励んで肉体改造を行い6年後の1972年6月に日本プロレス入り。同年10月7日、熊本県牛深市魚市場裏広場の木村聖裔戦でデビュー。翌年4月の日本プロレス崩壊後は他の選手達と共にジャイアント馬場率いる全日本プロレスに合流し、前座・中堅で活躍した。
レスラーとしての活動だけではなく、1974年には東京12チャンネルのアクションドラマ『闘え!ドラゴン』(主演・倉田保昭)に、ロッキー羽田とともに悪役で出演している。
1978年4月より短期海外遠征でオーストラリア、ニュージーランドを転戦。1981年10月からの再遠征では西ドイツ、カナダと転戦後、アメリカに入りテネシー地区を主戦場に活動。その際はザ・グレート・ニンジャ、後にマサオ・イトーを名乗った。
1984年6月、テネシー州メンフィスにてオースチン・アイドルを下し、CWAインターナショナル・ヘビー級王者となる。
その後、全日本プロレスが帰国命令を出さなかった(故意に出さなかったのか、連絡が途切れたため出せなかったのかは不明)ため、日本マットに戻ることはなく、消息を絶ち現在に至る。1986年、カナダのモントリオール地区に転戦しているとの記事が一部プロレス雑誌に掲載されたのが、日本のプロレスメディアでの最後の情報である。記事には「(全日本プロレスから)海外武者修行に出て7年になる伊藤正男(38歳)が…」と書かれたため、修行の年数と年齢から、プロレスファンから「ジャイアント馬場は残酷だ」「島流しにしてもひど過ぎる」などと、馬場&全日本批判のネタに使われた。なお当時の全日本では、他にもターザン後藤、佐藤昭雄など、海外遠征に出たまま帰国せず(できず)、そのまま流転する者が多かった。