ヘルマン・フェーゲライン

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ハンス・ゲオルグ・オットー・ヘルマン・フェーゲラインHans Georg Otto Hermann Fegelein1906年10月30日 - 1945年4月29日)は、第二次世界大戦中のドイツの軍人。

ナチ党の組織親衛隊 (SS) の戦闘部隊武装親衛隊(Waffen-SS)の将軍。

最終階級はSS中将及び武装SS中将(SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Waffen-SS)[1]アドルフ・ヒトラーの愛人エヴァ・ブラウンの義弟にあたる。

生涯

前半生

1906年10月30日バイエルン王国アンスバッハに生まれる。父ハンス・フェーゲラインは陸軍予備役中尉であり、乗馬学校の経営者だった。弟にヴァルデマール・フェーゲライン予備役武装親衛隊大佐)がいる。小学校 (Volksschule) を出た後、ミュンヘンの上級実科学校 (Oberrealschule) を卒業するとともにアビトゥーアに合格。1926年から27年にかけてはミュンヘン大学に二学期在学し、政治経済を学んだ。

大学在学中に義勇軍(フライコール)「ロスバッハ・ユーゲント」に参加している。1926年11月から1927年4月にかけてはヴァイマル共和国軍第17騎兵連隊(バイエルン州のバンベルクアンスバッハを基地とする)に一時志願兵 (Zeitfreiwilliger) として入営した。1927年4月から1929年8月にかけてはバイエルン州地方警察(Bayerische Landpolizei)に採用され、ミュンヘンの警察官となった。警察を退官したのち、父の乗馬学校で勤務した。高い乗馬技術を習得した。

ナチ党・親衛隊

1932年8月1日に国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に入党(党員番号1,200,158)。父親が自宅をナチ党の突撃隊の集会に提供していたこともあり、早くからナチ党に親しみを持っていたという。

1933年4月10日、親衛隊(SS)に入隊(隊員番号66,680)。1933年11月にはミュンヘンに本部を置く親衛隊「南方」集団 (SS-Gruppe“Süd”) の騎兵指導者の副官となる。1934年4月から1936年10月には親衛隊「南方」上級地区(SS-Oberabschnitt "Süd")(親衛隊「南方」集団が改組された)の騎兵指導者に就任。1934年には親の所有するミュンヘン近郊の乗馬クラブを親衛隊騎馬学校として党に贈与し、親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーなどの親衛隊幹部の知遇を得ることに成功する。

1936年にはドイツオリンピック委員会のメンバーとなり、ベルリンオリンピックの乗馬競技の準備にあたった。この功績で一級オリンピック勲章を受章。1936年6月から1939年9月にかけてミュンヘンの親衛隊高級馬術学校の校長に任命され、更にナチ党内で注目を集めるようになる。特にヒムラーには気にいられていたが、周囲から出世欲が強く、自分のことしか考えていないと陰口を叩かれるようになっていた。親衛隊騎馬隊には貴族階級の者が多かったが、フェーゲラインはいわば「成り上がり」だったための陰口ともいえる。

第二次世界大戦

武装親衛隊第1トーテンコプフ騎兵連隊(第8SS騎兵師団「フロリアン・ガイエル」の前身)の連隊長としてポーランド侵攻に従軍した。ポーランド占領後、1941年5月までポーランドの親衛隊及び警察高級指導者フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーの下でポーランド占領任務にあたり、不穏分子の銃殺活動を行っていた。アインザッツグルッペンIV司令官代理ヨーゼフ・マイジンガーの指揮の下、行われたワルシャワ北西のパルミリー (en) に近いカンピノスの森 (en) での1700人の銃殺活動にも参加している。

1941年6月に独ソ戦が開始されると中央ロシア親衛隊及び警察高級指導者エーリヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーの指揮の下で占領地域のパルチザンの鎮圧およびユダヤ人迫害に従事した。この任務で第1トーテンコプフ騎兵旅団は13,788人を殺害したと報告しているが、うち9割以上はユダヤ人だった。

1941年8月に指揮する第1騎兵連隊が騎兵旅団に昇格し、旅団長となった。1942年2月から3月のルジェフ突出部防衛戦で騎兵旅団を指揮して活躍し、独軍の撤退成功をもたらした[2]。この功績で騎士鉄十字章を受章している。

1942年5月には旅団長をヴィルヘルム・ビットリッヒに譲り、フェーゲラインは親衛隊作戦本部に異動となった。作戦本部では「騎馬・輸送車両監督官」(Inspekteur des Reit- und Fahrwesens)を務めたが、1942年12月には警察師団に属するSS戦闘団「フェーゲライン」の指揮官として戦場に復帰し、ドン方面へ出征した。1942年12月にはソ連軍の一個軍団を司令部ごと捕虜にする戦功をたてた[2]。その戦功で騎士鉄十字章柏葉章を受章。しかしこの戦闘で負傷してしばらく入院した。

1943年4月に第8SS騎兵師団「フロリアン・ガイエル」の師団長となり、戦場に復帰。しかし1943年9月9日にハリコフ南部での戦闘中に再び負傷し、1943年9月13日付けで師団長をブルーノ・シュトレッケンバッハに交代している。この負傷で戦傷章銀章を受章した。

ヒトラーの義弟

1944年1月、負傷が治癒した彼はヒトラーとヒムラーの間の連絡将軍に就任した。こうしてヒトラーの側近となったフェーゲラインは総統大本営オーバーザルツベルクのヒトラー山荘にしばしば出入りし、ヒトラーの愛人であるエヴァ・ブラウンやその妹グレートル(マルグレーテ)とも親しくなった。

1944年6月3日、フェーゲラインはグレートルとケールシュタインハウスで結婚した。式にはヒトラーも出席し、二日間にわたって行われたという。ヒトラーに取り入るチャンスを得た彼は、SS中将に昇進している。しかし禁酒主義者であったヒトラーは、フェーゲラインの過度のアルコール摂取を嫌っており、ヒムラーに対し警告を繰り返していた。また、結婚した後にもフェーゲラインは多くの女性関係を持ち、プレイボーイとして知られるようになった。

7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の際にはヒトラーを狙った爆発に巻き込まれ、軽傷を負った。この負傷によりヒトラーが急遽制定した「1944年7月20日戦傷章」銀章を授与された。以後もヒトラーの側近くに仕え、1945年1月以降はベルリン総統官邸にある総統地下壕で生活するようになる。

処刑

ソ連軍の迫るベルリンの戦いの最中の1945年4月27日、フェーゲラインは総統地下壕から無断で脱出した。フェーゲラインは愛人宅で泥酔し、ヒトラーの出頭命令にも応じなかった。さらに迎えに来た親衛隊員に逃亡をほのめかしたため、ナチス党官房長ボルマンはフェーゲラインの逮捕を進言した。

RSDヘーグル部長がフェーゲラインの愛人宅に向かったところ、フェーゲラインは愛人とみられる女性とともに発見された。フェーゲラインは親衛隊の制服を着て泥酔していた。ヘーグル部長はフェーゲラインを逮捕したものの、女性に関しては命令を受けていなかったために逃亡された。この女性の正体については外国のスパイであるなどの説がある。逃亡した女性の鞄には女性名義のイギリスとハンガリーのパスポート、かなりの外貨と宝飾品と貴金属が入っていた。

翌28日午後9時、ヒムラーがヒトラーに無断で西側連合国軍と和平交渉をしている情報が地下壕に入った。ヒトラーは激怒し、フェーゲラインを最前線に立たせるように命じたが、ボルマンとギュンシェ親衛隊少佐が逃亡の危険性を進言すると処刑の命令を下した。

義姉のエヴァはヒトラーに義弟の処刑を止めるよう嘆願するが、聞き入れられなかった。フェーゲラインは29日深夜、総統官邸近くの外務省の敷地内で銃殺された。ただし、地下壕にいたローフス・ミシュの証言によれば、ヒトラー自身はフェーゲラインの階級を剥奪したものの死刑命令は出しておらず、処刑はヘーグルらによる独断だったという。

この時、バイエルンに疎開していた妻・グレートルは妊娠中で、翌月5日にフェーゲラインの娘を出産した。

フェーゲラインが登場する作品

映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』

映画『ヒトラー 〜最期の12日間〜』(ヨアヒム・フェストとトラウドゥル・ユンゲ原作によるドイツ語映画。原題:Der Untergang)ではトーマス・クレッチマンが演じた。崩壊する地下壕でユンゲら女性には優しく男性には嫌われ者、自分の才覚に強い自信を持って独自に生き残ろうとするシーンが複数登場している。

フェーゲラインはヒトラー存命中最後に処刑された高官であるが、その処刑についてはユンゲや上記ミシュを含む複数の証言が残されており、映画本編では死刑命令を最後にヒトラーが了承したことは言及されているもののヘーグルはその後のシーンに一切登場しないなど、細部をぼかした描写が行われた。逮捕も上司のヒムラーの秘密降伏交渉の暴露後、交渉の存在自体も相当進行した段階までヒムラーから知らされていなかったという解釈がされており、フェスト原作とも異なっている。

クレッチマンはどうしようもない男と明確に意識してフェーゲラインを演じたことをコメントしているが、上司ヒムラーからヒトラーに向けていわば呪的逃走・身代わり、犠牲の羊に差し出され処刑されたことを強調する演出となっている。

キャリア

親衛隊階級

受章

参考文献

  • Michael D. Miller著『Leaders of the SS & German Police, Volume I』(Bender Publishing)(英語)ISBN 9329700373
  • 『武装SS全史 (2)(欧州戦史シリーズ (Vol.18) )』(学研)(日本語)ISBN 978-4056026436

出典

  1. 『Leaders of the SS & German Police, Volume I』p.306
  2. 2.0 2.1 『武装SS全史 (2)(欧州戦史シリーズ (Vol.18))』129ページ
アドルフ・ヒトラー
経歴 第一次世界大戦 - ドイツ革命 - 国家社会主義ドイツ労働者党 - ミュンヘン一揆 - ヒトラー内閣 - ナチス・ドイツ - 権力掌握 - 長いナイフの夜 - ベルリンオリンピック - ミュンヘン会談 - 第二次世界大戦 - ヒトラー暗殺計画 - ベルリン市街戦 -
尊属 父・アロイス・ヒトラー - 母・クララ・ヒトラー - 祖母・マリア・シックルグルーバー
兄弟 異母姉・アンゲラ・ヒトラー - 異母兄・アロイス・ヒトラー - 妹・パウラ・ヒトラー
親族 姪・ゲリ・ラウバル - 甥・レオ・ラウバル - 甥・ウィリアム・パトリック・ヒトラー - 義姉・ブリジット・ダウリング
女性関係 妻・エヴァ・ブラウン - ヴィニフレート・ワーグナー - ユニティ・ヴァルキリー・ミットフォード - エルナ・ハンフシュテンゲル - レナーテ・ミュラー - マリア・ロイター
副官 フリッツ・ヴィーデマン - ヴィルヘルム・ブリュックナー - ユリウス・シャウブ - フリードリヒ・ホスバッハ - ルドルフ・シュムント - ハインツ・ブラント - ヴィルヘルム・ブルクドルフ - カール=イェスコ・フォン・プットカマー - オットー・ギュンシェ
側近 ルドルフ・ヘス - マルティン・ボルマン - エミール・モーリス - ハインツ・リンゲ - ヘルマン・フェーゲライン - ゲルダ・クリスティアン - トラウデル・ユンゲ - クリスタ・シュレーダー - エーリヒ・ケンプカ - コンスタンツェ・マンツィアリ
主治医 テオドール・モレル - カール・ブラント - ヴェルナー・ハーゼ - エルンスト=ギュンター・シェンク - ルートヴィヒ・シュトゥンプフエッガー
影響を受けた人物 ディートリヒ・エッカート - フリードリヒ2世 - ルートヴィヒ2世 - リヒャルト・ワーグナー - アルトゥル・ショーペンハウアー - フィヒテ - シェリング - ヘーゲル - カール・マルクス - ニーチェ - カール・ルエーガー - ゲオルク・フォン・シェーネラー - ヒューストン・ステュアート・チェンバレン - ヘンリー・フォード
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関連項目 ヴァイマル共和政 - 非ナチ化 - ネオナチ - 総統閣下シリーズ