シュガー・レイ・レナード
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シュガー・レイ・レナード | ||||||
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基礎データ | ||||||
本名 | Ray Charles Leonard | |||||
通称 | Sugar | |||||
階級 | ウェルター級 – スーパーミドル級 | |||||
身長 | ||||||
リーチ | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1956年5月17日((2024-1956)+((11-5)*100+(21-17)>=0)-1歳) | |||||
出生地 | サウスカロライナ州ウイミルトン | |||||
没年月日 | ||||||
死没地 | ||||||
所属 | ||||||
構え | オーソドックス | |||||
入場曲 | ||||||
アマチュアボクシング戦績 | ||||||
総試合数 | 150 | |||||
勝 | 145 | |||||
KO・RSC勝 | ||||||
敗 | 5 | |||||
分 | ||||||
無効試合 | ||||||
獲得メダル | ||||||
金 | 銀 | 銅 | ||||
オリンピック | 1 | 0 | 0 | |||
世界選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
ヨーロッパ選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
アジア選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界ユース選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界ジュニア選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
世界女子選手権 | 0 | 0 | 0 | |||
0 | 0 | 0 | ||||
獲得タイトル | ||||||
全日本選手権優勝 | 0 | |||||
全日本社会人選手権優勝 | 0 | |||||
全日本女子選手権優勝 | 0 | |||||
全国高校総体優勝 | 0 | |||||
全国高校選抜優勝 | 0 | |||||
国民体育大会優勝 | 0 | |||||
0 | ||||||
0 | ||||||
0 | ||||||
プロボクシング戦績 | ||||||
総試合数 | 40 | |||||
勝 | 36 | |||||
KO勝 | 26 | |||||
敗 | 3 | |||||
分 | 1 | |||||
無効試合 | ||||||
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シュガー・レイ・レナード(Sugar Ray Leonard、1956年5月17日生まれ)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。サウスカロライナ州ウイミルトン生まれ。本名のレイ・チャールズ・レナードは、母親がレイ・チャールズのファンだったことに由来する。ボクサーとして活動する際、尊敬するシュガー・レイ・ロビンソンからとってシュガー・レイを名乗った。
1976年、モントリオールオリンピックでアンドレス・アルダマ(キューバ)を3回判定で下し、ライトウェルター級の金メダルを獲得。引退も考えたが、1977年にプロデビュー。モハメド・アリが去った米国ボクシング界にあって、その爆発的なスピードと芸術的なテクニック、優れたインテリジェンスは、ロビンソンやアリの後継者として絶大な人気を獲得した。
1979年11月30日、無敗のままウィルフレド・ベニテスからWBC世界ウェルター級タイトルを獲得。1980年6月20日、ロベルト・デュランに判定負けでタイトルを失うとともに、プロ初黒星を喫した。同年11月25日、ロベルト・デュランと再戦し、8回TKO勝ちでタイトルを奪回した。
1981年6月25日、アユブ・カルレからWBA世界ジュニアミドル級タイトルを獲得し2階級制覇を達成するが、このタイトルはすぐに返上し、同年9月16日、後にレナードと共に5階級制覇を遂げるWBAチャンピオントーマス・ハーンズとのウェルター級王座統一戦で、序盤はハーンズにペースを握られるが14回に逆転TKOで勝利し、WBAとWBCのタイトルを統一した。試合後に網膜剥離が発覚し、1982年11月に引退を発表した。
1986年3月10日、マービン・ハグラー対ジョン・ムガビの解説をしていたレナードは当時最強のチャンピオンと言われたハグラーに勝てると確信し、現役復帰を決意。1987年4月6日、ハグラーに挑戦し僅差の判定勝ちでWBC世界ミドル級タイトルを獲得。3階級制覇を達成した。
1988年11月7日、WBC世界ライトヘビー級チャンピオンドン・ラロンデに9回TKO勝ちで新設されたWBC世界スーパーミドル級、ライトヘビー級の2階級のタイトルを同時に獲得。当時、史上初の主要団体での5階級制覇を達成した。しかし、これはライトヘビー級チャンピオンのラロンデをスーパーミドル級まで体重を落とさせてのスーパーミドル級王座決定戦に、ラロンデの持つライトヘビー級タイトルも懸けられるという異例の試合だった。
1989年6月12日、WBO世界スーパーミドル級チャンピオンのトーマス・ハーンズとの王座統一戦で引き分け。同年12月7日、ロベルト・デュランに判定勝ちし、WBC世界スーパーミドル級タイトルを防衛。1991年2月9日、WBC世界ジュニアミドル級タイトル戦でチャンピオンテリー・ノリスに12回判定負けを喫し、試合後のリング上で引退を表明した。
1997年3月1日、IBC世界ミドル級タイトル戦で6年ぶりに現役復帰。ヘクター・カマチョに5回TKO負けを喫し、引退した。
関連項目
外部リンク
前王者 ウィルフレド・ベニテス |
第11代WBC世界ウェルター級王者 1979年11月30日 – 1980年6月20日 |
次王者 ロベルト・デュラン |
前チャンピオン ロベルト・デュラン |
第13代WBC世界ウェルター級チャンピオン 1980年11月25日 – 1982年(返上) |
空位 次タイトルホルダー ミルトン・マクローリー |
前チャンピオン アユブ・カルレ |
第19代WBA世界ジュニアミドル級チャンピオン 1981年6月25日 – 1981年(返上) |
空位 次タイトルホルダー 三原正 |
前チャンピオン トーマス・ハーンズ |
第65代WBA世界ウェルター級チャンピオン 1981年9月16日 – 1982年11月9日(返上) |
空位 次タイトルホルダー ドナルド・カリー |
前チャンピオン マービン・ハグラー |
第16代WBC世界ミドル級チャンピオン 1987年4月6日 – 1987年(返上) |
空位 次タイトルホルダー トーマス・ハーンズ |
前チャンピオン ドニー・ラロンド |
第17代WBC世界ライトヘビー級チャンピオン 1988年11月7日 – 1989年1月10日(返上) |
空位 次タイトルホルダー デニス・アンドリュース |
前チャンピオン N/A |
初代WBC世界スーパーミドル級チャンピオン 1988年11月7日 – 1990年(返上) |
空位 次タイトルホルダー マウロ・ガルバノ |
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