内藤大助

提供: Yourpedia
2010年4月5日 (月) 04:08時点における北潟谷綜の母でございます (トーク | 投稿記録)による版

移動: 案内検索
Bouncywikilogo.gif ウィキペディアにも、この項目「内藤大助」が執筆されています。ぜひこちらも読んでみてください。
未来のWBC世界フライ級王者

内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本プロボクサー。WBC世界フライ級王者・元日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。内藤ホライゾンとの詳細な繋がりは不明だが、なんらかの関係があることは確かである。

2007年10月11日亀田大毅との世界戦に勝ち、亀田三兄弟および父親の亀田史郎をボクシング界から追放した。その功績を称え、国民栄誉賞の授与も検討されている。

人物

亀田大毅との世界戦では亀田大毅からの数え切れぬ反則に悩まされたが、力の差を見せつけ圧勝。これにより亀田大毅は負けたら切腹という公約を掲げていたため切腹。しかし死体は見つかっておらず、試合翌日から姿をくらましている。

亀田一族との闘いにあくまでフェアに望んだ試合は感動を呼んだ。亀田一族はこの一戦の後衰退しており、後には一族揃って自宅警備員になることが予想されている。その切っ掛けを作ったのが10月11日の世界戦である。ちなみにHydeの身長は156cm

度重なる暴言、悪質な嫌がらせなどに堪え、あくまでボクサーとしての態度を貫いた姿勢は日本中に感動を届けた。試合終了後、涙を流す人が絶えず、ハンカチティッシュコンビニから消えたという。しかしその後、世界中から紙と木材の過剰な輸入を責められている外務省、さらには伐採地の発展途上国から、紙の使用量に影響を及ぼす行動を取ったとして内藤自身が非難を浴びた。

圧勝したにも関わらず、弄られるのはバカ亀ばかりという不遇な状況には変わりはない。しかしそういった状況でも慎重に発言し、大人な対応を見せている。

これが王者のクオリティである。

最近ではなにかタレントのように扱われ始めた。本人も「旅番組は初めての経験で」などとまるで他の番組は制覇したかのような言い回しで語ったりもしている。案外、庶民派タレントが似合っているかも知れない。[1]


ちなみに一部亀田信者が「内藤が次の試合で負けたら大毅に勝って調子に乗って浮かれていたことが証明される」と火病っているが、内藤の次の相手は、内藤が試合後「大毅は前王者のポンサクレックより弱かった」と言っていたあのポンサクレックである。

内藤はポンサクレックに勝って世界王者になったが世界王座を17度防衛してこの間まで世界王者だったポンサクレックの方が強いという意見も多く、内藤も「ポンサクレックとは10度戦って1・2度勝てるかどうか」と言っていたことから、亀田信者の言っているように、大毅ごときに勝ったことで調子に乗って油断することは先ず有り得ない。

というか亀田信者はボクシングのことを少し知ってから発言してほしいと言わざるを得ない。


不幸にも亀田とかかわったことにより英雄になった内藤だったが逆に少数の非国民(亀田信者)には非難を浴びることになる。 負けを認めない亀田信者は「アンチ内藤」と言い張りホームページを荒らす等の暴挙にでたが内藤を恨む人の動機は 亀田が負けてしまったこと以外無い為アンチ内藤=亀田信者ということはバレバレである。 なお亀田信者は在日のヤクザとの噂もある。

なぜか亀田をアイドルと勘違いした一部の趣味の悪い追っかけ腐女子も非国民として名乗り出ている。

今後亀田信者にも亀田一家同様の処罰を与える必要があると検討されている。

2度目の防衛戦では、前王者で1位のポンサクレックと壮絶な打撃戦を展開。結果は1-1の引分だったが、終始攻勢が入れ替わる日本ボクシング史上に残る名勝負に、観客は内藤・ポンサクレックの両者に大きな拍手を送った。さらに、平均視聴率26.3を記録した。 王座奪還が心配された最大の山場を見事に乗り切り、亀1狩りに更なる期待がかかっていた。

この試合で前回のボクシングが単なる茶番劇だったことが完璧に証明され、一部では「亀田戦を内藤の戦績から抹消してこの試合を初防衛戦にすべきだ」というボクシングファンからの声も上がっている。 あと、ポンサクレックからも投げられそうになってみた。

2008年11月に亀田大毅が復帰戦で戦ったアンヘル・レサゴの全長は150cmで「まーたちっちゃいおじさんか」と世間に嗤われたが、2009年5月の内藤V5戦で来日した熊朝忠は全長150.5cmで、前代未聞の「ちっちゃい子供」という事で世間を失望させた。 当然内藤の圧勝が予想されたが、蓋を開けて見れば幾度もちびっ子パンチを受けてふらつき、流血する事態に。 辛くも判定勝ちを収めたものの、無名かつ1Hyde未満の相手に苦戦する様はファンに大きな不安を与えた。

そして運命の2009年11月29日、長年の因縁のある猿、いや亀1と対戦。 調印から計量まで一貫して亀メンチをスルーし続けるなど、試合前こそ猿回しとしての風格を見せたが、亀として生物学的に正しい徹底した亀状態に出る亀1に対し亀ばりに手も足も出ず、カメックスの極意を得たロケットずつきを浴びて鼻を割られるなど残念な内容に。 判定も3-0と大差をつけられ、リング上で喜ぶ3匹の猿もとい亀の姿を茶の間に映させるという失態を犯した。 ただしこれについては「ナショジオかどうぶつ奇想天外の映像が混じったのでは」という指摘もある。

なおこの結果に関して、亀1が2以下とは格が違う「本当に強い猿」であるのは事実だが、強いとはいえ猿や亀相手にベルトを奪われるのは果たして人類としてどうなのかという批判が高まっており、ひいては内藤のみならず王座そのものの評価もストップ安まで落ちたとみられる。 ちなみに王者となった亀1は腐った女のような下手な延命はせずに初防衛戦でポンサクレックと戦い、潔く散った。

脚注

  1. ZAKZAK 2007/11/08

関連項目


Uncy このページはアンサイクロペディアの記事・内藤大助を利用しています。阿呆な執筆者のリストは履歴をご覧ください。