増岡博之
日本の政治家 増岡 博之 ますおか ひろゆき [[画像:|0200px|増岡 博之]]
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生年月日 | 1923年2月3日((2024-1923)+((11-2)*100+(22-3)>=0)-1歳) |
出生地 | 広島県呉市 |
没年月日 | |
死没地 | |
出身校 | 早稲田大学 |
前職 | |
現職 | |
所属政党 | 自由民主党 |
所属委員会 | |
議員会館 | |
選挙区 | |
当選回数 | |
元首 | |
称号・勲章 | |
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親族 | |
配偶者 | |
サイン | [[画像:|128px|サイン]] |
公式サイト | [ ] |
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その他の職歴 | |
増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - )は、日本の実業家・政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)。株式会社鉄鋼ビルディング代表取締役会長。増岡組創業者・増岡登作の次男として広島県呉市に生まれた。早稲田大学政治経済学部卒業。
来歴・人物
1948年家業である増岡組入社。1952年専務取締役を務めた後1967年、池田勇人前首相の後継者として衆議院議員総選挙に旧広島2区から出馬し初当選。当選8回。自民党内では宏池会に属し厚生、運輸政務次官などを務めた後、1984年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣。1991年宏池会領袖の宮澤喜一内閣が発足すると、党国会対策委員長に就任したが、PKO国会でPKO法案の成立が先送りになるなど、国会対策の手腕に疑問の声が上がり、翌年の1月にわずか2か月で経世会の梶山静六と交代。自身は党幹事長代理に就任した。旧広島2区は池田行彦、谷川和穂、中川秀直、森井忠良ら、有力政治家がひしめく全国有数の激戦区だったため、1993年の総選挙で落選し政界を引退した。1994年勲一等瑞宝章受章。政界引退後の1998年、鉄鋼ビルディング社長に就任したが、その後会長に退いている。
家族・親族
父は増岡組創業者の増岡登作、弟は増岡組2代目社長の増岡重昂(登作の三男)。長女は元防衛庁長官の斉藤斗志二に、次女は三菱鉛筆社長の数原英一郎にそれぞれ嫁いでいる。鉄鋼ビルディング取締役の増岡隆一は甥(重昂の長男)であり、隆一は眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)の社長を務めた近藤賢二の曾孫で弁護士・高島信之の長女にあたる。また、高島信之の弟、すなわち増岡隆一の妻の叔父にあたる高島孝之は元三菱地所取締役・岩崎彦弥太(三菱財閥3代目総帥・岩崎久弥の長男)の三女と結婚している。
旧三菱財閥の流れを汲む企業集団・三菱グループと三菱鉛筆は三菱の文字も使用するうえロゴマークも同じであるものの一切の資本・人的関係がないが、三菱鉛筆の現オーナー一族・数原家と三菱の創業者一族・岩崎家は高島家・増岡家を通じて姻戚関係にあり、三菱鉛筆の前身・眞崎大和鉛筆の社長を輩出した近藤家もまた高島家を通じて岩崎家及び増岡家と姻戚関係にあるといえる。
官職 | ||
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先代: | 厚生大臣 第65代:1984年 - 1985年
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次代: |
党職 | ||
先代: | 自由民主党国会対策委員長 第36代 : 1991年 - 1992年
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次代: |